第27話 俺に預けちゃくれねーか?
「料理人だぁ!?」
工房に響きわたる声を聞きながら、春樹はどうしたものかと苦笑した。
「ちょっと待て、訳が分からねぇ。なにがどうなったら料理人が聖剣を引っこ抜くってんだ」
「なんというか、俺も想定外というか……」
まさかスキルなしで引き抜けるとは思っていなかった。ただ、抜いてしまったものは仕方ないと春樹は男を見やる。
呑気な春樹を疑いの眼差しで男は見つめると、真剣な表情で座り直した。
「……本当にあんたが聖剣を引き抜いたってんなら、王家からその証を賜っているはずだ。それを見せてもらおうか」
男からの要求に春樹とアイリッシュは顔を見合わせた。それならと、春樹は荷物の中を探り出す。
「これのことですよね?」
取り出された聖剣の鞘を見て、男は再度目を見開いた。渡された鞘を手に取り、ごくりと唾を飲み込む。
「本物だ。料理人がどうしてこれを」
剣士でなければ引き抜けない道理はない。しかしこの鞘は、王家から担い手として認められなければ授かれぬもの。
男は唖然とした顔で春樹を睨んだ。
「カグヤ様の目利きは節穴じゃねぇ。どうやってこれを手に入れた?」
「料理を作りました」
あっけらかんと言う春樹に、男も言葉を詰まらせる。
「りょ、料理を……?」
「はい。野菜炒めを」
にこりと笑う春樹に、男は頭を掻くしかない。
嘘を言っているようには見えなかった。それに、あの聖剣が納められて以降、歴代の剣聖含めて誰も引き抜いてはいないのだ。
(もし、聖剣がこの男を選んだのなら……)
男は折れた聖剣の欠片を見つめる。決して折れぬはずの聖剣が砕けている。そこに、もしも意味があるならば。
「リューエイだ。その依頼、引き受けてやってもいい」
ようやく名乗った男に、春樹とアイリッシュの顔が輝く。しかし、リューエイは待ってくれと右手を広げた。
「ひとつだけ頼みがある」
リューエイは、ちらりと背後の少女に振り返る。不安そうな顔でこちらを見ている少女に目をやって、春樹はこくりと頷くのだった。
◆ ◆ ◆
「すまねぇな。なにもなくてよ」
連れて行かれた台所を、春樹は「そんなことないですよ」と見回した。
簡素な作りの土間には火口がひとつだけ。食料カゴの中には、わずかな米と痩せた野菜と豆が入っている。
「リューエイ兄さん……これ」
そのとき、後ろから少女が小さな網カゴを持ってきた。中には、これまた小さな貝がいくつか入っている。二人と出会ったとき、少女が持っていたものだ。
「ん、ああ。そうだな。これも使ってくれ」
リューエイから貝を受け取る。小さいが、新鮮でいい貝だ。「ありがとうございます」と受け取って、春樹はリューエイの背後の少女を見つめた。
『妹のシャシャに料理を作ってやってほしい』
それがリューエイから出された条件だ。
綺麗な顔をしているが、線が細く肌も白いシャシャは、お世辞にも健康的とはいえない。
「シャシャは食が細くてな。こいつでも食べれるような料理を作ってくれるとありがてぇ」
リューエイは申し訳なさそうに台所を見回しながら、傍らのシャシャに目を向ける。
確かに素材は貧しいが、揃うものは揃っている。大丈夫だと呟いて、春樹は二人に向かって微笑んだ。
◆ ◆ ◆
しばらくして、出された皿をリューエイとシャシャは興味深げに覗き込んでいた。
「おお。うちの屑野菜が、なんか美味そうに」
「綺麗……」
皿の上の緑と黄色のコントラストに、シャシャが小さく声をこぼす。
米と野菜を軽く煮る。スペインはサン・セバスチャンの郷土料理。
「アロス・ベルデ……貝と野菜のリゾットです。冷めないうちにどうぞ」
「お、おう。ほらシャシャ、ちゃんとした料理人の飯だぞ」
よそわれた皿を春樹から受け取り、リューエイはそれをシャシャに渡した。見た目にも美しい皿に、シャシャが嬉しそうに顔を近づける。
「ハルキ……綺麗」
ぼそっと呟いたシャシャの声に、春樹はくすりと笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。アロスは米、ベルデは緑という意味なんです。この料理にぴったりな名前ですね」
微笑む春樹に、シャシャはこくこくと頷く。その後、リューエイの皿を覗いたかと思えば、リューエイの口元をじっと見つめた。
先に食べろと言っているのだろうか。はいはいと、承知したようにリューエイが匙を口に運ぶ。
「……うめぇ。なんだこりゃ」
その瞬間、口に広がる穏やかな風味にリューエイは思わず声を出した。
じっくりと引き出された貝の出汁に、刻んだマメやインゲン、それとカボチャ。米はサラリとして、いくらでも喉を通っていくかのように錯覚する。
「兄さん……美味しい」
「あ、ああ。うめぇな。とてもうちにあったもんで作ったとは思えねぇや」
シンプルながら確かな味に、リューエイは皿を見つめた。これがプロの料理人かと、傍らに立つ春樹を見やる。
横で一生懸命にリゾットを口に運んでいるシャシャを見て、安心したようにリューエイは息を吐いた。
「うめぇかシャシャ?」
「美味しい」
口の端に米粒を付けているシャシャに、リューエイはくすりと笑う。そして、納得したように春樹に向き直った。
「いいぜ。聖剣の打ち直し、引き受けてやるよ。包丁だろうがなんだろうが完璧に打ち直してやらぁ」
「本当ですか!」
頷くリューエイに、やったと春樹は喜んだ。しかしリューエイは、少し笑って匙を向ける。
「ただ、勘違いするなよ。引き受けるのは、飯が美味かったからじゃねぇ」
リューエイの言葉に春樹は首を傾げた。そんなことを言われても、自分はただ料理を作っただけである。
そんな春樹に向かって、リューエイは春樹のアタッシュケースを指さした。
「あの包丁だ。あんなに手入れが行き届いてる鋼は珍しい。……あそこまで大事にしてくれるんだ。剣士だろうが料理人だろうが、こっちは最高の道具を打ってやるまでよ」
そう言うと、リューエイは受け取っていた聖剣の欠片を引き寄せた。
「折れないはずの聖剣が折れた。それはつまり、聖剣が新しい担い手に相応しい姿に変わろうとしている証。鍛冶屋冥利に尽きるじゃねぇか」
包帯を解き、リューエイは今一度聖剣の欠片を見つめる。その輝きは他の剣と比較するのもおこがましい。
「……俺は聖剣を打てると思われちゃいるが、正確にはそれは間違いだ」
席を立つと、リューエイは台所へと向かっていく。
「どれだけ聖剣に近づけようとも、それは所詮まがい物。聖剣を打つには、この世で唯一となる聖剣の素材が必要になる」
そのひとつが、言うまでもない聖剣の欠片自身。伝説の素材オリハルコンは、今はこの本体そのものを残すのみだ。
「そしてもう一つは、担い手の魂が宿った鋼」
ぽんと、リューエイは春樹のアタッシュケースに手を置いた。
料理人にとって、研ぎすませてきた包丁は身体の一部。
「この包丁、俺に預けちゃくれねーか?」
リューエイの眼差しに、春樹は笑顔で頷いた。
これほど嬉しいことはない。高みに昇るならば、ずっと共に。
「よろしくお願いします」
頭を下げる春樹に、リューエイも力強く頷き返すのだった。




