第23話 憧れたあの世界
「いいのですかカグヤ様、あのようなことを言って?」
憮然としたレイの声を聞きながら、カグヤは厨房で準備を進める春樹を見やった。
本当に料理を作るつもりらしい。だとすれば、カグヤとしては厨房を貸すしかない。
「……よいのですレイ。王家が勇者様より賜ったのは元より鞘だけ。そもそもあの聖剣は誰のものでもないのです」
「ですがっ」
言葉を詰まらせるレイにカグヤは微笑む。この青年が、どれほどあの聖剣を欲していたかは彼女が一番よく知っている。
昔から一途な少年を思いだし、カグヤはテーブルの上に置かれた聖剣の欠片を眺めた。
「面白いではないですか。歴代の剣聖ですら抜くこと適わなかった聖剣。それを抜いたのが料理人だというならば、そこにはなにかがあるのでしょう」
自分はただ、それを見定めるだけ。
ゆっくりと春樹を眺めるカグヤの傍らで、レイもまた目の前の料理人とやらを見つめるのだった。
◆ ◆ ◆
春樹はテーブルの前で一人、手元の聖剣の欠片を見下ろしていた。
両手で取り、その輝きに目を奪われる。
――すごいな。これならなんでも切れそうだ。
改めてじっくり見てみると、その剣がこの世の理から逸脱しているのがよくわかる。今回ばかりはスキルの中の剣聖たちも「こいつは特別だぜ」と言ってきていた。
折れてなお、これほどしっくりくるのだ。これが包丁の形をしていればと思わずにはいられない。
――さて、なにを作るかだな。
美味い料理をただ出せばいいものでないのは明白だ。自分が聖剣に相応しい料理人であることを示す一皿、それを考えないといけない。
――聖剣に相応しい料理人、か。
言っていて自分でも笑いそうになる。それこそ剣聖のスキルを全力で披露すれば、レイもカグヤも納得してくれるだろう。
ただ、本当にそれでいいのだろうかとは先ほども思った。聖剣を抜き放ったときから、なんとなく引っかかっていたことだ。
剣聖のスキルを以て臨めば、自分はこの聖剣を引き抜けていたのだろうか?
きっとこれは、レイやカグヤだけとの勝負ではない。
――聖剣に今一度、俺という料理人を認めてもらう。
これは、そのための一皿。
だとすれば、披露する品は決まっている。
この世界での日々を思い出し、春樹は包丁を手に取った。
まずは野菜。さすがは王城の厨房だ。旬で新鮮なものが揃っている。
それらをひとくち大に丁寧にカットする。食べたときの食感を楽しめるよう、わざと素材ごとに大きさを変えて。
「き、切り出したぞ……」
春樹の小気味よい包丁の音に、レイは固唾を呑んで手元を見つめた。
あれほどの啖呵をきった料理人。その腕はいかほどかと、カグヤもレイも春樹の手元に注視する。
「特に……変わった様子はありませんね」
カグヤも不思議そうに春樹を見つめた。手際がいいのは素人目にもわかるが、それでもこれは聖剣の行方がかかった勝負だ。それにしては地味な絵面に、カグヤはちらりとタマモを覗く。
そのタマモが「?」と首を傾げているのを見て、いよいよカグヤはなにが起こっているかが分からなくなった。
ともかく、出来上がりを待つしかない。
見守る一同をよそに、春樹は丁寧に丁寧に、目の前の品を仕上げていった。
◆ ◆ ◆
出てきた皿の上を見つめて、カグヤとレイは互いに顔を見合わせた。
顔を上げ、春樹に「本当にこれでいいのか?」と視線で聞く。
その二人の視線に、春樹はこくりと頷いた。
「野菜炒めです。どうぞお召し上がりください」
そう言われ、二人はゆっくりと皿に目を落とす。
本当に、なんの変哲もない野菜炒めだ。
いや、切り口といい火の通り方といい、見た目だけでも上等なものであることは伝わってくるのだが、それでも目の前の品は「なんの変哲もない」の範疇を超えていない。
「で、では……」
「うむ」
けれど、それが逆に怖いというもの。恐る恐る、二人は春樹の野菜炒めを口に運ぶ。
そして、噛みしめた瞬間、二人は驚いたように目を開いた。
「美味しい……!?」
「こ、これは」
シャキシャキとした歯ごたえ、絶妙な味付けのバランス、野菜も肉も、二人が今まで食べてきたものとはレベルの違う野菜炒めがそこにあった。
二口、三口と食べ進め、二人は頷きながら皿を見つめる。
「……ここまで美味しい野菜炒めは初めて食べました」
「確かに、ただの野菜炒めとは思えん」
素直な賞賛の言葉。春樹はそれを、黙って笑顔で聞いていた。
自分のやってきたことは、なにひとつ間違ってはいない。
けれど、わかっていることもあると、春樹は次の言葉に耳を澄ます。
「……ですが、これが聖剣を持つに相応しい証かと言われると」
困惑したようなカグヤの声に、傍らのレイも頷いた。
レイですら不思議そうに春樹を見つめる。これではある意味、文句も付けようがなく不合格だ。ただ美味い料理を作れるだけの料理人に、聖剣を任せるわけにはいかない。
そんな二人の視線を受けて、春樹はまっすぐに前を見据えた。
「そうだと思います」
「そ、そうだと思いますって……」
春樹の返事に、いよいよカグヤは困惑した。結局、なにがしたかったのか分からないと春樹を見やる。
そんなカグヤたちの前で、春樹は自分の手のひらをじっと見つめた。
「それが今の……俺の素の実力なんでしょう」
当たり前だ。ただの料理人に、聖剣が引き抜けるはずがない。
春樹は厨房の方へ戻っていくと、聖剣の欠片を手に取った。訝しげに見てくる二人の前で、春樹は欠片の根本を白布でテーピングしていく。
「レイさん、あなたはなんで剣士を目指したんですか?」
突然の問いかけに、レイは眉を寄せた。
しかし、春樹から漂ってくる雰囲気を見て、素直に答えようと口を開く。
「……憧れたからだ。先代の剣聖に憧れたから、俺は剣を手に取った」
答えてくれたレイに、春樹は心の中で礼を言った。
「よかった」
春樹の小さな呟きを、レイは確かに聞く。
それがどういう意味だと聞く間もなく、春樹は聖剣の欠片を握りしめていた。
――俺と一緒だ。
子供の頃、親が奮発して連れて行ってくれたレストラン。今思えば、そこまで高級な店ではなかったかもしれない。ただそれでも、あの頃の自分は憧れた。
――この世界に、あんな美味いもんがあるのかって憧れた!
剣聖のスキルを発動する。右手に握るは聖剣の欠片。その能力は、今までにないほどに春樹の身体に染み渡る。
――この世界に、あんな美味いもんを作る人がいるのかって憧れた!
それから、ただの一日も休むことなく、唯一続けてこれたものが料理だ。
独学で、学校で、留学先で、終業した店で、誘われたホテルで――ただの一日も、よどみなく研ぎ澄ませてきたもの。
――俺が憧れたあの世界は、剣聖に劣るもんじゃ決してねぇッ!
剣聖のスキルを従える。使い方が違うことなどわかっている。
自分よりも相応しい者がいることも、痛いほどにわかっている。
魔王を倒す勇者が、千人切りを果たす剣豪が、剣の高みを目指した剣仙が、そんな者たちに許された奇跡――それらを自分は、料理に込める。
春樹は、自分の上に残った野菜を放り投げた。宙に舞う野菜に、レイとカグヤが驚いたように目を見開く。
料理人でも、もっと相応しい奴がいるだろう。それでも……。
――もう、反則とも卑怯とも思わねぇッ!
引き抜いた奇跡。そこに意味があるというのなら、それを形にするのは自分の役目だ。神からのくじ引き、聖剣の試練、それらの二つを思い出しながら、春樹は一切の躊躇なく目を開いた。
貰い物の力というのなら、そも学んだ全てが先人達からの贈り物。
春樹の剣が野菜を捉える。その瞬間、いつ斬られたかすらわからぬ内に分解されたニンジンに、レイは我が目を疑った。
繊維の一本一本。その先の細胞に至るまで、春樹は意識の中に落としていく。剣聖だから見えるもの、聖剣だからたどり着ける場所に、春樹は刃を振るっていく。
炒めあがりを意識して、噛みしめたときを意識して、飲み込むときを意識して、それぞれの場所で最高の美味さを――それだけのために聖剣を振るう。
身体の中の剣聖たちに動揺が走った。中には、物質の理を見抜く心眼の持ち主。その者を以てして、春樹がなにをしようとしているかが理解できない。
それもそのはず、彼らは剣士であって――
――分からねぇなら黙ってろ!
春樹の頭に激痛が走る。それは、力の使い道を間違っている警告音。
だが、それでも春樹は聖剣の欠片を握りしめる。
剣聖も、聖剣も、すべてを使って高みに昇る。
くすりとネコ耳の少女を思い出した。あの日々が、今の自分を作っている。
「……すごい」
どこかで呟かれた剣聖の声が、厨房の中へと溶けていく。
目の前の料理人の姿を、レイは少しの憧れと共に目に焼き付けた。
◆ ◆ ◆
差し出された料理の味に、カグヤは知らずのうちに微笑んでいた。
「美味しい……と、言うのすらはばかられる味ですね」
差は歴然。その言葉を呟くことすら、気を抜けば忘れそうになってしまう。
どこまでも、どこまでも、輝かしい味だった。それは素直に、この者の行く末を、この料理人の行く末を、見てみたいと思わせる味。
「この料理の名はなんと?」
試しに聞いてみる。これほどの味だ。さぞ大層な名前が飛び出してくるのかと笑いながら、カグヤは春樹の返答を待った。
「野菜炒めです」
それもそのはず、彼にとってこの料理は。
満足だと微笑んで、カグヤは聖剣の担い手をまっすぐに見つめた。




