第21話 剣士じゃなくて料理人です
抜かれていた。
なにが?と言われれば、聖剣がである。
「あっ」
しかも折れた。
なにが?と聞かれれば、聖剣がである。
◆ ◆ ◆
その日、剣聖レイ・シコードは我が目を疑っていた。
剣の道を志して以来、いや生まれてからこの瞬間まで、我が目を疑ったことなどあっただろうか。
いや、ない。
「お、お前……それ――」
狼狽しそうになる声を、レイはなんとか飲み込んだ。落ち着けと自らに念じ、なにが起こったかを冷静に判断する。
抜かれた。聖剣が。
そして折れた。聖剣が。
「な、なにをしてるんだあああああああああッ!!」
やっぱり、叫ぶくらいはいいだろう。レイの悲痛な叫びが、王都の広場にこだまいた。
◆ ◆ ◆
春樹は、見知らぬ男の絶叫をぽかんとした顔で聞いていた。
なにをしてるんだと聞かれても、自分もなぜこんなことになったか皆目見当もつかない。
「……だ、誰?」
本来なら聖剣が折れたショックで慌てふためいているところだが、突然の絶叫に全部持ってかれてしまった。
突如広場に現れて、突如叫び声をあげた男を春樹は見やる。
美しい男だ。男の自分ですら思わず目を留めてしまうくらいに整った顔立ちをしている。
「な、なんでここに……」
傍らで慌てていたアイリッシュが唖然とした顔で男を見つめていた。どうやらアイリッシュは男のことを知っているようで、誰なんだろうと春樹は男の様子を窺う。
震えていた。両手を握りしめ、男は必死になにかを我慢するように震えていた。
「って、そんな場合じゃねぇ!」
春樹はハッと我に返る。今は見知らぬ美男子を気にしている場合ではない。
砕け折れた聖剣の破片を拾い、春樹は柄と刀身を見比べた。
「うわぁ、完全にぽっきりいってる」
聖剣の刃は、根本から完全に折れていた。まさか折れるとは思っていなかったので、春樹はどうしようとアイリッシュに聖剣を見せる。
「た、隊長。これ……完全に折れてます」
「こ、こういうときだけ隊長とか言うな! いや、それよりもだな……」
アイリッシュはちらりとレイを見やった。知らない春樹からすれば「それよりもなことがあるわけないだろ」とアイリッシュを見つめる。
「なんかこう、上手にくっつかないかな」
春樹は破断面をぐっと合わせた。一応スキルも使ってみて必死に接着を試みるが、さすがの剣聖たちも「それは無理」と匙を投げる。
「あーだめだ、やっぱくっつかない」
これはもうお手上げですね。そう春樹が思ったとき、広場に絞り出すような声がこぼれ落ちた。
「くっつくわけ……ないだろう」
震える声に振り返れば、先ほどの男が両手の拳を握りしめている。
明らかにというか、なんか怒っていた。
「もういちど聞く。なにをしている」
男が春樹の手元を指さす。そこには二つに分かれた聖剣が握られていて、なにをしているのかと聞かれても答えにくい。
「えっと……聖剣が、折れちゃって……」
ちらりとアイリッシュに視線を向ける。なぜ私の方を見るんだと思いながら、アイリッシュは目線をレイから逸らした。
そして、春樹に教えるように小さく口を開く。
「剣聖だ」
「へ?」
アイリッシュの声に、思わず春樹も聞き返す。
そこでようやく、春樹は「美剣士のエルフ」を思い出した。なぜこんなところにと思ったが、数分前のアイリッシュの話が頭をよぎる。
「あ、ああ! 毎日抜きに来てるから!」
繋がった。
合点がいったと頷く春樹に、その瞬間、レイは腰の剣を抜いていた。
一瞬の攻防。先ほどまで十数歩先にいたはずのレイが、気づけば春樹の前まで迫っている。
アイリッシュですら目で追えなかった一撃を、春樹は折れた剣で受け止めていた。
「あ、危ねぇッ!!」
「ッ!?」
驚いたのはレイだ。寸前で止めようとしていた刃は、それよりも前に聖剣の欠片によってガードされた。寸止めとはいえ、決して手など抜いていない。
「危ないだろあんた! いきなり斬りかかってきて!」
春樹が叫ぶ。
レイからすれば盗人猛々しい声を聞きながら、けれど目の前で叫ぶ黒髪の男を、レイは信じられないものを見るように見下ろすのだった。
◆ ◆ ◆
王都に聳える城の最上階で、女は窓の外を見つめていた。
今日もまた城下の街は賑やかで、小さく映る人の波を女は微笑みながら眺めている。
「カグヤ様……緊急でございます」
そんな中、部屋の扉がノックされた。普段と違う側近の声に、カグヤと呼ばれた女は振り返る。
「あら、どうしました?」
お飾りの自分。なにを伝えることがあるのかと、不思議そうにカグヤは聞いた。
側近は、やや困惑気味に言葉を続ける。
「それが……聖剣を抜いたという者が」
「聖剣を?」
半信半疑という声。しかし、その側近の話にカグヤは顔を輝かせた。
「まぁすてき! さっそくお会いいたしましょう!」
久しぶりの役割だ。カグヤの嬉しそうな声が響き、側近は頷いて姿を消した。
◆ ◆ ◆
「本当に、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる一同を、「あらあらまぁまぁ」とカグヤは見回した。
「面をあげてくださいな。ようこそお越しくださいました」
言われ、春樹とアイリッシュは恐る恐る顔を上げた。まさかこんなことになるとは思っていなかったので、二人して背中の汗が止まらない。
王都を見下ろすように建つ城。その城の大広間で、春樹とアイリッシュは正座で膝をついていた。
「なんでも聖剣を抜いたとか。すごいです、レイでも無理だったのに」
悪気のない声に、二人の横の肩がぴくりと動いた。勘弁してくれと思いながら、春樹はにこにこと笑うカグヤを見つめる。
なんというか、可愛らしいお姫様だ。
黒髪で、どことなく和風な少女に春樹は親近感を覚えてしまう。
「抜いた聖剣というのを見せてくださいな」
案の定言われた言葉に、春樹とアイリッシュはぐっと奥歯を噛みしめた。
しかし、誤魔化せるものではない。春樹は正直に折れた聖剣を前に差し出す。
「いやその……申し訳ありません」
ぽっきりと根本から折れた聖剣を見て、カグヤは「まぁ」と驚いた。
なんで謝っているのかと不思議に思っていたが、まさか折れた状態で持ってこられるとは予想外だ。
そして、気になることがもうひとつ。カグヤは二人の横でなぜかひれ伏している剣聖を見やる。
「ところで、なぜレイまで頭を下げているのですか?」
カグヤの声に、レイは苦悶の表情で顔を上げた。
「此度の事態、そも私が聖剣を抜いていれば防げたこと。このレイ・シコード、一生の不覚でございます」
なればこそ、頭を下げている。悲痛なレイの声を聞きながら、しかしカグヤはきょとんとした顔で言い放った。
「仕方ありません。毎日やってダメだったんですし」
カグヤに言われ、ぐっとレイが言葉を詰まらせる。横で聞いていた春樹も居たたまれなくなって、可哀想にとレイを見やった。
「三人とも、面をあげてくださいな」
促し、カグヤはまじまじと折れた聖剣を見つめる。見事にぽっきりと折れていて、しかし刀身が揃っているということは折る前にちゃんと抜いたということだ。
「すごい」
カグヤは呟いた。
いつからか、人々が挑戦するようになった聖剣の引き抜き。歴代の剣聖とて、誰一人として抜くことは適わなかった代物だ。
それは、目の前のレイ・シコードとて例外ではなく。歴代最強と賞される彼を以てして、聖剣はぴくりとも抜ける気配など見せなかった。
「あなた、お名前は?」
カグヤに聞かれ、春樹はアイリッシュを見つめた。こくりと頷かれ、カグヤに向かい一礼する。
「新堂春樹と申します」
深々と頭を下げる春樹に、カグヤはくすりと微笑んだ。
「シンドーハルキ……よい名です。さぞや名のある剣士なのでしょう」
なにせあの聖剣を抜いたのだ。
しかし、続く春樹の言葉に、その場の一同のときが止まる。
「あ、いえ……剣士じゃなくて料理人です」
ここだけは譲れないと春樹が訂正し、アイリッシュは気絶しそうになる頭を「面倒なことになった」と抱えるのだった。




