第18話 わたしに相応しい一品
「美しい……皿か」
呟きながら春樹は辺りを見回した。
大きな厨房だ。個人の屋敷のものとはとても思えない充実ぶりに、春樹は設備を確認する。
「オーブンに竈、サラマンドル台まであんのか……の割には食材が少ないな」
設備だけならば城と比べても見劣りしないレベルだ。けれどテーブルの上に並んだ夕飯の食材たちを、春樹はふむと見下ろす。
――ルビーフィッシュって言ってたか。メインの魚が一匹に、後は季節の野菜だけか。
一人分を作るならば十分な量だが、この屋敷を見ているとどうしても見合っていないような気がする。
それに、気になるところもあると春樹は静寂に包まれた厨房で耳を澄ませた。
『マリーは人嫌いでな。メイドも最低限の人数しか屋敷には入れん。屋敷の周りの警備はともかく、夜などあやつしか居らぬのではないか?』
行きの馬車の中で聞いたタマモの話を思い出す。そんな馬鹿なと思って聞いていたが、どうやらその話は本当らしい。
整備も掃除も行き届いた厨房で、一人分の食材。普段は自分で作っているのだろうか。
けれど、こんな厨房の壁ですら華美な彫刻が施されていて、マリーの美にかける情熱は相当なものだ。
――魚に野菜か。健康にも気を使ってそうだな。
この世界、栄養学なんてものはそこまで発展していないが、マリーを見るに美容などにはうるさいだろう。
包丁を振るい、一瞬で三枚に卸されたルビーフィッシュの身を春樹は小さく切り取った。
――なるほど、綺麗な魚だ。
名前の由来は見れば分かるというもの。白身魚であろうに橙に色づいたその身は、地球で言うなればサーモンに近い。
くちに含み、味を確かめてこくりと頷く。
――よし、あれでいく。
横に包丁を振るっただけでルビーフィッシュの皮がはずれ、その身が1cm角の棒状に切り分けられた。それらをオリーブオイルでマリネして、グリル用の鉄板を準備する。
美しい一品。披露してやろうじゃないかと、春樹は袖をまくるのだった。
◆ ◆ ◆
「ほう」
「あら」
二人の口から小さく感嘆の声が漏れた。
タマモの視線が春樹に向かい、こくりと頷いて口を開く。
「ルビーフィッシュ、ミキュイと春野菜のモザイク、ミニサラダ添えです」
春樹の言葉に、マリーは「まぁ」と目を見開いた。
白い皿にはサーモンピンクと春野菜の深緑がモザイク状に並んでいて、その鮮やかなテリーヌにマリーは思わず見とれてしまう。
「すごく綺麗。こんなにも美しいテリーヌは初めて見たわ」
嬉しそうなマリーがミキュイにナイフを入れる。上品なサイズに切り取られたそれが口に運ばれ、マリーはその味に微笑んだ。
「美味しい。……お魚とお野菜のマリアージュが見事ね。どうやって作ったの?」
褒められ、一礼をした春樹はタマモを見やる。頷かれたのを確認して、春樹はマリーへ口を開いた。
「ルビーフィッシュはマリネした後、棒状に切って各面を軽くグリエ。歯ごたえを残した春野菜やベビーコーンと共にテリーヌ型に詰めて、コンソメのジュレで固めました」
春樹の説明に、マリーはきょとんと春樹を見つめた。もう一口運び、確かに感じる春野菜の食感とルビーフィッシュの風味に舌鼓を打つ。
「周りを飾ってるソースも綺麗ね。まるでお皿の上がキャンバスみたい」
皿に出来た白い空間に、緑色のソースで描かれた模様が浮かぶ。それらを付けて、味が変わったミキュイにマリーは笑った。
「パセリを塩ゆでして刻んだものとオリーブオイルを混ぜたソースです。上質なオリーブオイルは、美容と健康にもいいとされています」
「ふふ、知ってるわ。わざわざ取り寄せた最高級品よ。こんなに美味しく食べたのは初めてだけど」
どうやら読みは当たっていたようだ。見つめる春樹の前でもう一口食べると、マリーはにこやかな笑顔でナイフを置いた。
「素晴らしい料理だったわ。ここまで美しく、かつ美味しい料理は食べたことがなかったもの」
よくぞ決められた食材だけでここまで仕上げたものだと、マリーは料理人の青年を見やった。これほどの人材は、中央を見渡しても他にいないだろう。
いいものを食べさせてもらった。そう微笑みながら、マリーは皿をゆっくりと春樹の前に差し出した。
「ですが、これはわたしに相応しい一品ではありません」
春樹とタマモの目が見開く。
――しまった――ッ!?
その瞬間、己のミスに気が付いて春樹の心臓がどくんと跳ねる。
なにを勘違いしていたのだろう。
マリーは、ひとことも「美しい料理を」などと言っていなかったというのに。
(なんじゃ、この料理ではだめなのか……?)
タマモが苦い顔でマリーを見つめる。正直、端から見ていればこれ以上はない一皿だ。これでだめとなると、タマモには正解の見当が付かなかった。
しかし、目の前の怪物はこの手の勝負に難癖をつけてくるような小物ではない。初めて見る己の料理人の失敗に、タマモはちらりと春樹を覗いた。
(さすがに、ここからは――)
タマモも今回ばかりは敗着を悟る。しかし、そのときだ。傍らの春樹は、静かにマリーに話しかけていた。
「申し訳ありません。……今一度、俺にチャンスをいただけないでしょうか」
諦めていない表情に、それを見やったタマモも腹を括る。今度失敗すれば、マリーは二度と会ってはくれないだろう。
「妾からも頼む」
二人分の視線を受けて、にっこりとマリーは微笑んだ。
「いいわ。タマモちゃんに免じて、もう一回だけチャンスをあげる。……ただし、使うのは厨房にある残りだけよ。それで今度こそ『わたしに相応しい一品』を作ってちょうだい」
目を細めて微笑むマリーに、こくりと春樹は頷いた。
◆ ◆ ◆
拳を握りしめる。
――俺のミスだ。
一人きりの厨房で、春樹は奥歯を噛みしめていた。
マリーの言葉を安易に受け止めて、安直な品を出してしまった。
どことなくマリーに感じていた違和感、そこで一歩立ち止まるべきだった。
――切り替えろ。
しかし、チャンスはもらった。まだやれると春樹は出会ったばかりのマリーを思い出す。
――彼女に、相応しい一品。
美しい女性だ。彼女を形容しようとすれば、まずそれがくる。
しかし、本当にそれだけだろうか。静寂がたまる調理場を、春樹は今いちど見回した。
「……宝石王、か」
テーブルの上を見つめる。ルビーフィッシュは使ってしまい、残ったのは少しの野菜と先ほどの残りの野菜くずだけ。
これで作れる料理を考えて、春樹はいちど目を瞑った。
「よし」
覚悟を決める。
後は全力を出しきるだけ。春樹は、彼女に届く一品を作ることを心に誓った。
◆ ◆ ◆
「春野菜のロースト、乾燥野菜のブイヨンのメイラード仕立てでございます」
出された品に、マリーはぴくりと眉を動かした。
皿の上には言葉通りローストされた野菜が盛られており、そこにスープが注がれている。
簡素だが美しい皿に、マリーはゆっくりとナイフを伸ばした。根菜をひとつ半分に切り、それを口に運び入れる。
「……なるほど。美味しいわ」
口に広がる、野菜のみながら強い旨み。食べたことのない味の広がりに、マリーはおもむろに顔を上げた。
見つめてくる春樹に、くすりと微笑む。
「こんなに野菜の風味を感じる料理は初めてよ。……あの残りもので、どう作ったのかしら?」
マリーの問いかけに、春樹は小さく指を握った。タマモが見守る中、目の前の皿を説明する。
「……野菜くずを、使わせてもらいました」
その言葉に、マリーの笑顔が止まる。
「根菜類の皮やヘタ、キノコの軸、野菜の茎などの野菜くずを低温のオーブンでじっくり乾かし、メイラード反応を起こさせました」
「メイラード反応?」
マリーの当然の反応に、春樹はこくりと頷く。
「簡単にいえば、香ばしさの正体です。肉を焼いたときの香ばしい風味、それを作り上げる反応をそう呼びます。そしてそれは、なにも肉だけに限ったことではありません」
ブイヨンの旨みを、うま味とメイラード反応による香ばしさと考え、グルタミン酸を多く含む野菜類を乾燥させた上で抽出する。
「捨てるはずだった野菜の端材のうま味を、すべてブイヨンに凝縮させました。それらを漉して煮詰め、わずかに残った春野菜はローストに。最後に香りを移して纏め合わせたものが、その品です」
春樹の説明を、無言でマリーは聞いていた。皿を見やり、染みたブイヨンを口に入れる。
「……捨てゆく野菜くずを、ここまで美しく。……それが、あなたの考える『わたしに相応しい一品』ね?」
没落し行く家を一代で復興させた怪物は、目の前に立つ料理人を目で射抜いた。
まっすぐにこちらを見据えてくる眼差しに、マリーは思わず笑ってしまう。
根菜の切れ端を口に運び、宝石王は噛みしめた。
「本当に美味しい」
その一言を呟くと、マリーは黙々と目の前の皿を食べ始めた。
美しく、上品な指使いを、タマモも春樹も見守ることしかできない。
「高みに上るとね、思い出せなくなるの」
ぴたりとマリーの手が止まり、彼女の呟きに春樹は耳を澄ます。
最後のひとくちを運び入れ、マリーは優しく前を向いた。
「ええ、そうね……これは、わたしに相応しい一品だわ」
なにかを思い出すように、空になった皿をマリーは見つめる。
消えてもなお、確かに感じる香ばしい香りに、宝石王は前に立つ料理人へと口を開いた。
本当に、癪なものを食べさせてくれたものだ。
「合格よ。そっちの条件を呑んであげる」
満足そうに目を細めるマリーに、春樹は小さく息を吐いた。
◆ ◆ ◆
「料理人さん」
帰り際、マリーに呼び止められた春樹は振り返った。
美しい姿で微笑みながら、マリーは感謝の言葉を口にする。
「ありがとう。また今日も、なにかをひとつ思い出せたわ」
その言葉を聞いて、春樹は軽く会釈した。
振り返った屋敷は、彼女ひとりが住むにはどこまでも広大だ。
きっと彼女はこれからも、あの屋敷でひとり、なにかを思い出し続けるのだろう。
「ふふ、またいずれ」
こぼれるマリーの声を聞きながら、春樹はゆっくりと馬車への歩みを進めるのだった。




