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剣聖の称号を持つ料理人  作者: 天那
第一章
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第16話 料理人として


「新入り……おめぇ」


 吹き荒ぶ血しぶきの中で立っている春樹を見上げながら、アイゼルは呆然と呟いた。


 腕の振りすら分からなかったが、確かに見たのだ。巨大な怪物が左右真っ二つに切り裂かれる様を。


 その春樹の人の範疇を越えている一撃を、アイリッシュもまた唖然とした表情で見つめていた。


「……ッ、アイゼル! 大丈夫か!?」


 しかし、いつまでも見とれてはいけない。立ち尽くす春樹から視線を外すと、アイリッシュは負傷したアイゼルのもとへと駆けだした。


「隊長……すまねぇ、大口叩いといてこの様だ」

「なにを言う! なんら恥じることのない成果だ、よくやったぞ」


 アイゼルの傷を見るや、アイリッシュは少し安堵したように息を吐いた。鮮血で酷いように見えるが、ギリギリ傷は浅そうだ。この分ならば、時間はかかるが回復自体は可能だろう。


「くそ、掠っただけでえぐれやがった。あと半歩遅かったら死んでたぜ」

「お前が躊躇しなかった結果だ。部下思いの自分を褒めとくんだな」


 痛そうに顔を歪めるアイゼルに笑いかけると、アイリッシュは自分の上着に噛みついた。びりびりと引っ張り、即席の包帯を作り上げる。


「しかし……あの化け物を一撃で。しかも包丁だぞ? なんなんだあいつは」


 縛られながら、アイゼルは先ほどの春樹を思い出す。


 正直いって、人間業ではなかった。剣士としての嫉妬や羨望よりも、「あんなことが現実に可能なのか?」という疑問の方が先に来る。


 けれど、疑問もなにもこの目で見たのだ。春樹の本気を初めて目にするアイリッシュも、今までとは違う視線を春樹に向ける。


「アイゼルさん! 大丈夫ですか!?」


 二人のもとに春樹が駆け寄ってきて、その心配そうな顔にアイリッシュはホッと胸をなで下ろした。


「大丈夫だ。こんくらい、怪我のうちにゃ入らねぇよ」

「で、でも……俺のために」


 テーピングされた左腕を見て、春樹は悲痛そうに目を伏せる。自分がもう少し用心深ければ、被害などなにもなく終われていたかもしれないのに。


 しかしそんな春樹に、アイゼルは呆れたように息を吐いた。


「はぁ……あんな化けもんみたいに強ぇのに、とんだ坊ちゃん野郎だな。お前は村の人のために任務に同行した、俺は部下のために身体張った、なんも変わらねぇよ。うじうじ悩むくらいなら、今度はてめぇが誰か助けな」


 その言葉に、春樹はじっと耳を澄ませた。そして、アイゼルへと頭を下げる。


「……すみません、ちょっとアイゼルさんのこと誤解してました。……嫌いなのは変わりませんけど」

「なんだよ気持ち悪い奴だな。俺もおめぇのことなんか嫌いだよ」


 二人のやりとりを聞いていたアイリッシュがくすりと笑う。我慢しきれないと声をこぼすアイリッシュを、二人はきょとんとした顔で見つめた。


「いや、なに。私の杞憂だったようだ。それだけ言い合えたら大丈夫だな。……よし、撤収に移るぞ!」


 春樹の顔が普段通りのものであることを確認し、アイリッシュは立ち上がった。応急処置はしたものの、アイゼルの傷は本格的な治療が必要だ。ひとまずは報告に戻ろうとアイリッシュは指揮を執る。


「しかし、とんでもない化け物だったな。ここまで巨大な熊は初めて見たぞ」


 真っ二つに切り裂かれた熊の亡骸を見やって、アイリッシュは嘆息した。獣なのだろうが、もはや魔獣に近い。討伐の難易度はドラゴンに匹敵するだろう。


 その巨大な躯を、春樹もまたじっと見つめていた。


 切断された頭部の目と視線が合った気がして、春樹は無言で躯を眺める。


――殺した、か。


 後悔などはない。被害が出ていたし、穏便に捕獲などままならなかっただろう。森に帰すわけにもいかない。


 鶏や家畜を絞めた経験など数え切れないが、けれど殺すために殺したのは初めてだと春樹は自分の手のひらを見つめた。


――初めて、殺意を持って包丁を使った。


 剣だったらよかったのかと言われれば、そういう意味でもないだろう。

 切り飛ばした右腕を見て、春樹はぐっと右手を握り締めた。


「……隊長、お願いがあるんですが」


 指揮をしているアイリッシュに話しかける。

 春樹の続く言葉に、アイリッシュは目を見開いて驚くのだった。



 ◆  ◆  ◆



 辺りをどよめきが包み込んでいた。

 皆、中央に置かれた大皿を食い入るように見つめている。


 タマモですらが、その見たこともない品に目を奪われていた。


「熊掌の姿煮、中華あんかけ風味です。どうぞご賞味ください」


 春樹の声を聞いて、その場にいた誰もが顔を向ける。


 丸テーブル中央の大皿の上には、巨大な熊の掌が鎮座していた。


 正直、見た目もそのままに過ぎる。出てきたときにまさかと思っていたが、春樹の言葉にその予感が真実であることを皆悟った。


「く、熊の掌……?」

「食べられるのか」


 困惑の原因は一致しているようで、皆視線を中央の皿に向けていた。

 しかし、掌の見た目はともかく漂ってくる香りは食欲を誘う。


 春樹は皆の前まで一歩進むと、ナイフをさっと横に振るった。


「うおっ!? 料理が勝手に!?」

「き、切ったのか?」


 その瞬間、熊の掌が指ごとに綺麗に切り分けられる。指肉がずれ、その美しい切断面が露わになった。


 ここまで来ると、皆の目にもそれが「料理」として映ってくる。ごくりと唾を飲み、来賓のひとりが春樹に目を配った。


「熊の掌は、私の故郷では八珍と呼ばれ珍重される高級食材です。今回は偶然類をみない巨掌が手に入りましたので、晩餐会のメインとして急遽使わせていただきました」


 各自の取り皿に取り分けつつ、春樹は熊の掌を優しく見つめる。

 春樹の説明に、皆どこか安心した様子で「ほう」と呟いた。


「高級素材ですか」

「確かに、そうそう手に入るものではない」


 口々に言い合い、目の前に置かれた取り皿の上の肉を眺める。

 よく見れば指の名残があるものの、スライスされた熊の掌は完全に美味そうな料理になっていた。


「では、失礼して」

「どれどれ、わたしも」


 来賓たちが口に運ぶ。

 そして、ひとくち噛みしめた瞬間に、皆の目が一斉に開かれた。


「――ッ!? 美味いっ!?」

「なんだこれは……こんな料理、食べたことがない」


 タマモも、驚いたようにかじった跡を見つめていた。


 とんでもない美味さだった。例えるなら豚足を十倍以上、上品にしたような……。


 くさみも、苦みもまったくない、ゼラチン質のコラーゲンと身に染みた味付け。とろみの付いたソースの旨味が、全て凝縮されて浸透したような一品。


「美味い。熊肉ならば臭そうなものだが……まったく獣臭さはしないな」

「ほんのりとした野性味が香草のソースとよく合っちょる。しかもこれ、不思議と骨がひとつもないぞ」

「特にこの掌底が美味い。とろけそうな美味さじゃ」


 あまりに見た目とかけ離れた上品で繊細な味に、皆の疑問がわき上がる。

 それらに、春樹は淡々と説明を続けた。


「まず毛を、毛根を含む表皮ごと丁寧に全て取り除きます。その上で、香味野菜と共に鍋で煮込み、柔らかくなった後に手首側から手指骨と中手骨を抜き取りました。皆さまにお出しした掌には、骨は一切入っておりません」


 淡々と語りながら、春樹は皿に残っていたあんを匙ですくった。

 皆の視線が集中する中、とろみを皿の上に落としながら春樹はなおも話を続ける。


「それを、様々な素材から抽出したスープで煮込みました。毛抜きで数度、骨抜きで数度、仕上げで一度……計十度以上ゆでこぼしをすることで臭みを完全に取り除いた掌は、余すことなくそれらの旨味を吸収してくれます」


 足し算や強調ばかりが料理ではない。素材の味を生かすという考えもいいが、こうしたどこまでも他者の味で塗りつぶすという暴力的な美味さも、また料理の神髄だ。


 皆、息を呑んで春樹の説明に聞き入っていた。一様に思うのは「たかが料理にそこまでするのか」という思いだ。しかし、それを越えてこそのプロだと春樹は確信している。


「今お出しできる、最高の肉料理だと自負します。どうぞ、心行くまでご堪能ください」


 なにせ、巨大な掌は十人の来賓をして十分に余りある。


 春樹の言葉にわき上がる一同を、タマモはじっと見つめた。そして、呆れたように傍らの春樹を見やる。


「化け物を退治しに行ったかと思えば、まさか食材として持って帰るとはの。まったく、呆れた料理馬鹿よな」


 タマモの言葉に、春樹はそれが自分だと頷いた。


「熊の掌は珍味ですから。ただ、それもありますが……」


 言いかけて、躯となった熊を思い出す。


――いや、綺麗事は言わねぇ。


 それを言うには、きっと自分は肉も魚も食べ過ぎた。

 けれど、もしそれに責任を持つというのなら、自分は料理人として責任を持ちたい。


 どうした? というタマモの視線に、春樹は前を見た。


「いえ、ただ……俺はやっぱり、剣士としてではなく、料理人として生きたいと思っただけです」


 そう言う春樹の目はまっすぐで、タマモは傍らの青年を愉快そうに見やるのだった。



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