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剣聖の称号を持つ料理人  作者: 天那
第一章
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第14話 よい料理人をお持ちだ


「ハゴロモ鳥の卵? また珍しいもんを」


 セリアの声に、春樹はもらい受けたトランクを開いて見せた。

 丁寧に梱包された美しい卵を、セリアが興味深げに覗き込む。


「すみません、実はこの食材よく知らないのですが」

「ん? ああ、希少食材だからな。市場にはめったに出回らん」


 薄く半透明な殻から透ける黄身に、セリアはじぃと目を近づけた。


「東の渓谷に住んでいるハゴロモ鳥は、その羽の美しさから装飾業界じゃ最高級品として取り引きされてる。けど、すごいのは羽だけじゃない」


 それがこいつだと、セリアは卵の表面を慎重に指でつついた。それだけで波紋が立ち、卵全体がふるふると揺れる。


「世界で一番繊細な卵といわれるハゴロモ鳥の卵は、その濃厚な黄身の味の深さから食通の間じゃ有名だ」

「なるほど」


 珍しいだけでなく、きちんと味としても優秀な食材。料理人にとっては腕が疼く品だが、今はそうも言ってられない。


「どうするつもりだ? 卵がメインとなると、料理の幅はそう多くないぞ」

「そうなんですよねぇ……どうしたもんか」


 なにに混ぜても入れても優秀な卵だが、それ自体を主役にするとなると結構大変だ。まさか目玉焼きを出すわけにもいかない。


 かといって、肉や魚と組み合わせた品ではボアードは絶対に納得しないだろう。やるならば、肉が付け合わせになるような、そんな卵の主役感が必要だ。


「加えて、目新しさか」


 美味いだけでは意味がないだろう。ボアードに参ったと言わせるだけの、そんなインパクトに富んだ一品。


「……ボアードさんって、今までにも来たことあるんですよね? なにか好きなものとか」


 この会食を用意するに辺り一応聞いていたが、もう一度セリアに聞いてみる。

 セリアは苦い顔をして、思い出したくないように腕を組んだ。


「なにせわたしの皿は散々な言われようだったからな。ほとんど一口食べただけで……まぁ後は、酒は好きってことくらいか」


 それも聞いている。酒はラベルがあれば田舎でも確かだとかというのが理由だ。


「って、お酒か」


 春樹が思いついたように口を開いた。辺りを見回し、セリアにとあるものがあるか質問する。


「セリアさん、このお城って……」


 数秒後、セリアはこくりと頷いた。なにに使うかは知らないが、それ自体は確かにある。


「ああ、あるぞ。必要なら準備するが」


 それを聞き、春樹は会食のメニューを決めた。



 ◆  ◆  ◆



「お待たせしました」


 春樹の声に、ボアードはにやにやと笑いながら振り向いた。


「思ったより早いじゃない。どう? 僕の卵を上手に使う料理は考えられたかな?」


 グラスを片手に勝利を確信しているボアードを見やる。


(卵が主役の料理なんて、それこそオムレツか茹でた卵か……多少美味くても、それなら見たことあるで押し通せる)


 なにせ、その美味い卵を用意したのは自分だ。ボアードはまぁ大丈夫だろと高をくくる。

 そのグラスに果実酒の蒸留酒が入れられているのを見てから、春樹は皿を差し出した。


「むっ」


 目の前に置かれた皿に、ボアードもタマモも眉を寄せる。


「なにこれ? 卵がないじゃないか」


 それもそのはずで、膳の上には薄く焼かれた小さなトーストが数枚。三角形に切られたパンの上には生ハムのようなものが乗せられているが、どうみても卵を使っているようには見えない。


 しかしそんなことは百も承知と、春樹は銀色のボウルを前に出した。

 ボウルの中に注がれた黄色の液体に、ボアードもタマモも卵の居場所を把握する。


「はい。卵は今から仕上げさせていただきます」


 そう言う春樹に、ボアードは目を細めた。仕上げるといっても、この場には火もなにもない。

 なにを作るつもりだと睨むボアードの耳に、春樹の声が入ってくる。


「お出しする料理は、スクランブルエッグです」

「はぁ?」


 思わずボアードが声をあげた。そして、我慢できないと笑いだす。


「な、なにを出してくれるかと思えば! す、スクランブルエッグって……いいよ、仕方ないから食べてあげるよ!」


 笑うボアードに、春樹はぺこりと頭を下げる。「それでは」と春樹が箸を持ち、ボウルに向けた。


 しかし、ふとボアードは思い出す。火もないのに、スクランブルエッグもなにもない。


「おい、なにしてる。出すなら出すでさっさと厨房に戻って……」


 そのときだ、春樹がなにか透明な液体を卵の中に投入し、そしてボウルをかき混ぜ始めた。


「――ッ!?」


 目の前で起こる現象に、ボアードもタマモも目を見開く。


 瞬く間に固まりはじめた卵が、まるで魔法のようにみるみるうちにスクランブルエッグへと変わっていく。


 二人が身を乗り出してボウルを凝視する頃には、ふわふわとしつつクリーミーなスクランブルエッグが完成していた。


「ば、馬鹿な……火を使ってないのに」


 呆然と声を出すボアードに、春樹は盛りつけた卵を差し出す。


「非加熱のスクランブルエッグ、熟成牛ハムの薄焼きトースト添えです。どうぞお召し上がりください」


 差し出された皿を、ボアードは恐る恐る見やる。見た目はどう見てもスクランブルエッグで、ありえないとボアードは皿に目を近づけた。


「添えたトーストですくってお食べください」


 春樹の声に、びくりとボアードが身体を揺らす。けれど、ここまで来たら食べるしかない。


 ボアードは言われた通りにトーストで卵をすくうと、それを慎重に口へ運んだ。


 タマモも見守る中、ボアードがその味をゆっくりと確かめる。そして、愕然とした表情で口を開いた。


「……美味い。本当にスクランブルエッグだ」


 加熱していないから当然熱くはないが、食感は完全にスクランブルエッグそのもので、鼻を抜けていく心地の良い香りに思わずボアードは息を吐いた。


 とんでもなく濃厚でクリーミーな卵だ。これは自分の手柄だが、それをカリカリのトーストと牛ハムの塩気が見事に料理としてまとめ上げている。


 追うように口に入れたタマモも、信じられないものを味わったかのように目を見開いた。


「あり得ない。火も使ってないのに、なぜ。……教えてくれ、魔法でも使ったのか?」


 ボアードのつぶやきに、春樹はタマモを見つめる。こくりとタマモが頷いたのを見て、春樹は皿へと手を向けた。


「そもそも、卵が加熱によって固まるのは、中に含まれているタンパク質が熱を加えることにより凝固するからです」


 春樹の言葉に、二人は揃って眉を寄せた。なにを言ってるんだこいつはという視線を無視して、春樹は話を続ける。


「生卵の中には毛糸玉のような姿のタンパク質が、水分中にばらばらに存在しています。そこに熱を加えるとその繊維がほどけてまっすぐに伸び、それらが水分を内包しながら互いに網状の構造を作ってくっつくというのが、加熱による卵の凝固の仕組みです」


 春樹は、先ほど卵に加えた透明な液体が入った瓶を前に出した。二人がその瓶を見つめ、春樹は魔法の正体を説明する。


「加熱は凝固をもたらす一手段に過ぎません。他の方法のひとつ……それがこの、高濃度のアルコールによる凝固作用です」


 言われ、ハッとボアードは匙の上の卵を鼻に近づけた。食べたときに感じた芳醇な香り。その正体に、ボアードは納得したように口を開く。


「そうか、この香りは蒸留酒のものか! しかし、これは……」


 ボアードの言葉に春樹は頷いた。さすがは酒好きだ。食通というのもあながち嘘ではないだろう。


「ご名答です。ですが、普通の蒸留酒の濃度では凝固に十分ではありません。今回使用した果実酒の蒸留酒、このアルコール度数は40度ほど。それらを蒸留器にかけ加熱すると、78℃ほどでアルコール分のみが蒸発し、水分は液体のまま残ります。その蒸気を冷却し、再度液体に戻したものが、このアルコール度数90度を高濃度アルコールです」


 高濃度といっても100%の純正アルコールではない。ほのかに元の酒の香りを残した風味を味わわせるために、城の中でも最高級の一瓶を使った贅沢な品だ。


 春樹の説明をじっと聞いていたボアードは、聞き終わるともう一度スクランブルエッグを口に運んだ。

 じっくりと味わい、確信をもって頷く。


「……美味い。卵の穏やかな味がアルコールの香りを素直に受け止め、シンプルな品ながらどこまでも格式高い一品になっている」


 ボアードの口から出てきた台詞に、タマモと春樹は驚いたように目を開いた。

 そんな二人をちらりと見つめて、参ったなとボアードは口にする。


「僕にだって、食通としての矜持がありますからね。誤魔化していい品と、だめな品の区別くらいはついてるつもりですよ」


 美味いだけではない。豪華なだけでもない。見知らぬ調理法だったからでもない。


「誰もが知るなじみ深い料理に、『加熱しない』という常識外の驚きを取り入れている。素晴らしいという他ない。……タマモさんは、よい料理人をお持ちだ」


 微笑むボアードに、タマモもくすりと笑みを浮かべた。


 どうやら、これからの会合は心配しなくてすみそうだ。


  

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