第13話 なかなか手に入らない貴重品だぞ
「じゃあ、よく見ててくださいよ」
そう言いながら、春樹は右手に握った赤カブをセリアに見せた。
セリアが頷き、じっと視線を集中させる。
春樹は包丁を構えると、その切っ先をカブへと向けた。
「ここを……あっ」
その瞬間、薔薇の花が咲き誇る。
いつ切ったのかも分からない切り口が広がっていき、数秒後には、花弁一枚一枚が本物のような見事な飾り切りが完成していた。
赤カブ特有の紅白のグラデーションの美しさに、セリアは目を見開く。
ただ、少しだけ怒ったようにセリアは春樹を見上げた。
「速すぎて全然分からなかったんだが」
「す、すみません」
春樹はカブの薔薇をテーブルに置くと、「これは見本ということで」と
誤魔化した。
もうひとつカブを手に取り、今度はゆっくりと包丁を入れていく。
――危ねぇ。スキルが馴染みすぎて、違和感がまったくなかった。
軽く嫌な汗を流しながら、春樹は熱心に飾り切りを勉強しているセリアを見やる。
彼女は、自分の剣技のことをどう思っているのだろうか。聞きたい気もするが、なんとなく怖くて春樹は聞けていない。
――ぶっちゃけ俺、もう人間じゃねぇよな。
この間の牛の解体を思い出す。牛刀を振り下ろすまでは、春樹もあそこまで早く事がすむとは思っていなかった。剣聖といえど、少なくとも数分。……ふたを開けてみれば、所要時間は十数秒だ。
かつてはあったスキルを構える際の違和感。それも最近はほとんどない。少しずつだが、スキルが自分のものとして染み込んでいっている。
「ハルキ、どうだ? こんな感じか?」
耽りごとは、セリアの声に遮られた。見るとまだ拙いながらもきちんと花弁になっていて、ハルキは素直に感嘆する。
「うわ、さすがですね。最初は俺、結構苦労しましたよ」
「ふふふ、わたしも捨てたものじゃないだろう」
上機嫌でカブに包丁を入れているセリアを、春樹は「ほえー」と見つめた。確かに筋がいい。
さすがは城の厨房を任されていた料理人だ。才能だけならば、悔しいが自分よりも上だろうと春樹は思う。
――頑張らないとな。
スキルに胡座をかくわけにはいかない。どれだけ人間離れしてようと、所詮は剣術スキル。火加減も、蒸し時間も、なんなら飾り切りのデザインだって、なにも教えてはくれないのだ。
「あ、そこはこうしたほうが」
「むっ、こうか?」
セリアの手元を見やって、春樹はうんうんと頷いた。
考えてみたら、こうして教える相手ができるのは初めてのことだ。ちょっと楽しいぞと思いながら、春樹は牡丹の飾り切りを見せつける。
「そういうのもあるのか!」
「ふふふ、まだまだたくさんありますよ。例えばですね……」
そのときだ。食堂の扉が勢いよく開けられ、凛とした声が響きわたる。
「たのもー! ハルキはいるか!?」
二人が振り返れば、そこには夜だというのに鎧姿の騎士団長が立っていて、ハルキを見るや顔を輝かせた。
「おお、いたいた! 探したぞ!」
なんだろうと振り向く春樹へと、アイリッシュは言い放つ。
「タマモ様がお呼びだ」
出てきた名前に、春樹は憩いのときの終わりを悟るのだった。
◆ ◆ ◆
「……会食、ですか?」
城の広間。眠そうにあくびをしているタマモの言葉を、春樹はくり返した。
「そうじゃ。リスポルト家という、中央の貴族の嫡男がやってくる。いけすかん男じゃが、いかんせん金を持っとるから無碍にはしにくい」
「貴族ですか」
この世界の事情には疎い春樹だが、なんとなくその響きから嫡男坊とやらを想像する。
言ってしまえばタマモもこの街を治める貴族なわけだが、貴族といっても色々あるようだ。
「妾のように領地の経営をしておる者が多いがな、ひとくちに言ってもやり方はそれぞれよ。農業をするもよし、商いで儲けるもよし、変わったところだと賭場で税を賄っている者もおる」
タマモの説明に、なるほどと春樹は相づちを打つ。例えばこの街は港が近いからか貿易が盛んで、そういう意味では目の前のタマモは商人であるともいえるわけだ。
「そのリスポルト家は、なにをやっているところなのです?」
「それよ」
ばさりとタマモの扇が広がる。面倒くさそうに顔を扇ぎながら、タマモは尻尾のひとつをわさわさと揺らした。
「もともとふんぞり返っとる中央の貴族だったんじゃが、父親の代で金脈を掘り当ておった。それ以降は、わかるじゃろう?」
「なるほど」
もとより力のあった貴族が、金鉱を手に入れたのだ。鬼に金棒どころの騒ぎではない。
思案顔の春樹に向かい、タマモは白い脚を組み替えた。
「此度の会食、そのリスポルト家との重要な取り決めが行われる。中央の小僧に舐められるわけにはいかん。なにせ、中央以外は未開の地とでも思っておるようなどら息子じゃ」
「それはまた……なんとなく想像できますが」
ある意味相手しやすそうな相手だが、舐められていてはその取り組みとやらにも支障が出るだろう。
「嫡男のボアードは、新しもの好きで有名でな。中央がこの世の全てだと、本気でそう思っておる。……どうじゃ? おぬしと相性良さそうじゃろう」
にやりと笑い、タマモは閉じた扇を突き向けた。
「成金小僧の鼻を叩き切れ。完膚なきまでに叩き切って、妾の眼前に持ってこい」
目の前に指し刺される扇を見て、春樹はこくりと頷いた。
「分かりました、お任せください」
異世界の貴族。相手にとって不足はない。
◆ ◆ ◆
数日後、同じ部屋の同じ場所で、春樹はその馬鹿息子とやらを眺めていた。
「いやぁ、大変でしたよ。中央からこのような辺境の地に赴くのは」
頭に巻かれたターバンに、これでもかと巻かれた金のネックレス。エルフは耳を大事にすると聞いていたが、男の耳には大小7つの金のピアスが付けられていた。
「ほう、辺境の地とな?」
「ははは、気を悪くしないでください。中央と比べれば、どこも似たような地獄ですから。……いや、このような地を必死に治めて、頭が下がりますよ」
タマモの目が細くなる。作り笑顔なのは丸わかりだが、どうやら目の前の男にはそれが分からないらしい。
――確かに、馬鹿息子だ。
わざとではなく素なのだからどうしようもない。けれど確かに金は持っているようで、ボアードの指輪にはめられた宝石の大きさに春樹は感心する。
あれひとつで、店を持つ夢が叶いそうだ。金はあるところにはあるものだなと思いながら、春樹は静かに座って出番を待つ。
「そんな地獄くんだりまで、よう来てくれた。……どうじゃ、小腹でも空いておらぬか?」
タマモの提案に、ボアードはくすりと笑った。足を崩し、腹の辺りを手でさする。
「そうだねぇ……空いてるといえば空いているけど、僕は美味いものには目がなくてね。僕が口を付けてもいいものがこんな辺境にあるのか、興味はあるね」
にやつくボアードを見て、タマモは心の内で笑いを堪えた。こうも予想通りに動いてくれると、準備した方もしがいがあったというものだ。
「それならばちょうどよい。そこにいるハルキは、ちょっとした拾いものでな。うちの城の総料理長を任せておる」
「総料理長? ……ふーん、随分と若いね」
そこで初めて春樹に気がついたボアードは、しかしさして興味もなさげに呟いた。
「まぁ、僕も親父から最低限のマナーは教わってるからさ。不味くても一口くらいは食ってあげるよ」
そう言って春樹に笑うボアードを見て、タマモは呆れたように扇を構えた。
ボアードに見えないように、ひゅっと扇が鼻先を切っていく。
上司からの「やれ」というジェスチャーに、春樹はかしこまりましたと頷くのだった。
◆ ◆ ◆
「は? ……え?」
訳が分からない様子で目の前を見つめるボアードに、タマモはくすりと笑みを浮かべた。
「どうした、食べぬのか? まぁ、中央の貴族様はこのような食事は見慣れているとは思うが」
ひょいと、タマモが手元のひと品を匙ですくう。口に運び、ボアードを見やって微笑んだ。
「うむ、相変わらず美味いぞハルキ」
「ありがとうございます」
二人の日常のようなやりとりを、唖然としながらボアードは見つめる。
もう一度目の前の皿を見て、ボアードは思わず口を開いた。
「こ、この料理は?」
「おや、知らぬのか。前菜三種盛り合わせじゃぞ」
けたけたと笑うタマモをボアードが睨む。「冗談じゃ」と呟いて、タマモは春樹に尾を向けた。
こくりと頷き、春樹が一歩前に出る。
「左から、ヴィネガーの〆ウオ、生貝と香り茸のカクテル、蟹と野菜のカルローズスティックでございます」
「は?」
春樹の説明に、ボアードは思わず聞き返した。聞いたこともない名前もともかく、こんな綺麗に盛りつけられた料理は見たことがない。
中には確かに貝の身と薄くスライスされた香り茸が確認できるが、それらの周りを包む半透明な食材は見たことすらなかった。
ボアードが、中央のグラスの中身に、おそるおそる匙を伸ばす。
「――ッ」
そして、口に入れた瞬間にボアードの目が見開かれた。
思わず春樹の方を見つめ、視線で「これはなんだ」と聞いてしまう。
「貝と茸のカクテルは泡酒のジュレで包みました。レモンの酸味をきかせた生貝を、シャンパンジュレや魚卵とともに乗せております。シャンパンの泡を、魚卵のプチプチとした触感で表現してみました」
加えて、鼻から抜けていく熟成した香り茸の香り。
「魚介はすべて、今朝魚市場から買ってきたものです」
「くく、妾の城からは港が近いからの。内地である中央では新鮮な魚介は少ないかもしれぬな」
ぽかんと解説を聞いていたボアードは、タマモの声にハッと気が付くと自分の分の皿を見つめた。呆然としながら匙を運び、またひとくちと運んでいく。
気がつけば、前菜三種はすべてボアードの腹の中に入っていた。
「ふふ、口が付けれるものがあってよかったわ。中央の貴族様の口に合うか、心配でたまらなかったからの」
もはや、タマモの声はボアードに聞こえていなかった。
空になった皿を見つめ、頭の中を疑問符が駆けめぐる。
(なんでだ、なんでこんな田舎にこんなものがある!おかしい、ぜったいにおかしい!)
呼吸が荒くなる。だが確かに、先ほどの三品はボアードをして初めて触れるものばかりだった。
(このままじゃまずい……田舎の女狐に舐められて帰ったなんて知れたら、パパや兄さんたちに馬鹿にされる)
ボアードの表情を見て、もう一息かとタマモは目を細めた。馬鹿だがそれゆえにプライドは強固で、あの手のタイプの自尊心を打ち壊すのは容易ではない。
「ふふ、それじゃあ……そろそろメインディッシュといこうかの。そちらも食べ終えたようじゃし」
「!?」
タマモの言葉にボアードは焦った。前菜でこれなのだ、メインなど出された日には主導権を握られるのは目に見えている。だが、断るのはそれで負けた気がして、なんとかボアードは知恵を絞った。
そのとき、ふと手土産を持ってきていたことを思い出す。
「そ、そうだ! おみやげを持ってきたんだ!」
「はぁ?」
唐突に土産の話をしだしたボアードに、タマモが眉を寄せた。
しかし慌てたようにボアードはトランクを取り出すと、その中身をタマモに向かって見せつける。
中に見えた品物に、タマモの顔が一瞬曇った。
「ハゴロモ鳥の卵だ、中央でもなかなか手に入らない貴重品だぞ!」
そうして、ボアードは困った風に顔を作る。腹を撫でつつ、春樹に向かってもトランクを見せつけた。
美しい卵だった。その名の通り、まるで羽衣のような薄さの殻からは、うっすらと中の黄身が見えている。
「さっきの前菜で、お腹が膨れてしまった。あと一品くらいなら入るんだが……どうせなら、僕の土産を使ってもらいたい」
にやつくボアードに、タマモは内心で舌を打った。案外と機転はきくようで、これで春樹が本来用意していたはずのメインディッシュが使えない。
加えて、返しに失敗すれば今度はこちらが攻められる。
「この卵をメインに使った、僕が見たこともないようなひと品。よろしく頼むよ」
勝ち誇るボアードの声を聞き、タマモは「いけるか?」と春樹を見やった。
――面白ぇじゃねーか。
トランクを見つめ、春樹の腕がぴくりと疼く。
「承知しました、しばしお待ちを」
互いに違う二人の面もちを一度見つめて、春樹ははっきりと頷いた。




