第12話 名前なんてどうでもいいぜ!
「牛フィレ肉のステーキ、パン・デピス風味です」
用意された昼食を見て、タマモはくりくりと目を見開いた。
飄然とした顔で座っている春樹を見て、呆れたように口を開ける。
「また奇妙なものをと言いたいところじゃが……とりあえず、妾は夕餉に所望したはずじゃがの」
「いけませんでしたか?」
訊ねる春樹に向かい、「そんなわけあるか」とタマモはナイフを手に取った。
くるくると指で回して、切っ先を春樹に向ける。
「おぬしが捌いたのかえ?」
「はい、先ほど」
春樹の言葉にタマモは不服そうに唇を尖らせた。間に合わなかったときの罰を考えていたというのに、これではせっかくの努力が台無しだ。
料理のことなどさっぱりなタマモだが、あれほどの巨牛の解体、一筋縄でないことくらい想像がつく。
窓から日の高さを見上げて、タマモはゆっくりと息を吐いた。
「はぁ、無茶ぶりがいのない奴じゃのう。罰を考えてた妾の身にもなれ」
「す、すみません」
傍若無人とはこのことだと春樹は苦笑した。
しかし、そのこと自体はどうでもよいのか、タマモは興味深げに目の前の皿を見つめる。
「面白い料理じゃな。層になってるのは……肉となんじゃ? ハルキ、説明せい」
タマモはそう聞くと、愉快そうに皿の上の料理を数えた。
料理は素材が層状に重なっており、どうやら上下のパンの間にステーキが二枚、更にその間になにかの素材が挟まっている。
「はい、牛フィレ肉とレバーをパン・デピス……香辛料を練り込んだパンのフレンチトーストで挟みました。以前、朝食のときにお気に召したようだったので」
「ほう? 上下の薄いパンはあれかや。甘くて美味かったが、料理に使うとは……」
タマモがナイフを入れる。見た目よりもすんなりと入っていく刃に、ほうとタマモは感嘆した。
「本来はフォアグラ……太らせた鳥の肝でもよいのですが、せっかく新鮮なものが手に入りましたので、同じ牛の肝と合わせました」
「くく、よいぞ。獣の臓物は嫌うおなごも多いがの、妾は気にせず喰らう。なぜだか分かるか?」
食器を操りながらの問いかけに、春樹は「……分かりません」と素直に答えた。内臓料理が大丈夫かどうかはセリアに確認したが、その理由までは知るはずもない。
層を纏めてフォークで突き刺しながら、タマモは見えている牛レバーにニヤリと笑う。
「自然の獣はな、群のぬしが獲物の臓腑を喰らうのよ。そこが最も滋養に富むからじゃ。……あの牛を見たか?」
タマモの再びの問いに、今度はこくりと頷いた。捌いたのは春樹なのだから、当たり前なのだが。
「あのような化け物、妾の細腕ではどう足掻いても適いはせん。じゃが、今こうして殺され食卓に上っているのはこやつよ。……そういうことがな、妾はどうしようもなく愛おしいのじゃ」
縦に細くなるタマモの瞳孔に、春樹は思わず居住まいを正した。
ただの我が儘な領主ではない。揺れる九本の尾が美しく煌めいて、春樹は目の前の人物がこの城の支配者であることを認識した。
言葉どおり愛でるように口に運び、その味にタマモは笑う。
「美味なり。……くく、本当によい拾いものをしたものよな」
分厚く切った牛のフィレ肉、レバーのソテー、それらをパン・デピスの複雑な甘さと香りが包み挟む。
たっぷりのバターで丁寧にアロゼされたフィレ肉は、その牛肉の中でももっとも繊細で上品な味わいを、余すことなく伝えていた。
「フィレ肉と言っていたか、同じ牛でもなにか違うのかえ?」
赤身肉のなめらかな舌触り。それにまとわるレバーの風味を楽しみながら、タマモは豪勢に過ぎるハンバーガーを飲み込む。
「はい、部位によって肉の味や性質は大きく変化します。今回お出ししたフィレ肉は、牛の11本目から13本目の肋骨……サーロインという部位の内側にある細長い部位です」
「ほう、そんなに細かく分かれておるのか。料理人も難儀なものよな」
くすりと笑い、タマモは続きを促した。性質が違うというなら、それも説明しろと尾を揺らす。
「牛一頭から2本のフィレが取れますが、その重量は全体の肉量の3%ほどとされています。運動にはほとんど使用されない筋肉のため、きめが非常に細かく極めて柔らかです。……今回は、そのフィレの中でも最上質とされるシャトーブリアンという部位をお出ししました」
正真正銘、これ以上はない赤身肉だ。あそこまでの強靱な雄牛といえど、この部位だけはなめらかな柔らかさを維持している。
春樹の説明に、タマモは我慢できないと膝を叩いた。
「くく……ははは! そこまでいくと、あの巨体といえどこれっぽっちか! いいぞ、実にいい! 妾に相応しい肉じゃ!」
フォークを突き立てると、タマモは残りを全てかっ喰らった。上機嫌で、勢いよく扇を開く。
「気分がよいわ! 褒美に残りの肉はくれてやる、おぬしの好きに使うといい」
豪快に笑うタマモに膝を突き、春樹は深々と頭を下げる。
と、言われても。あの量の肉の行き先を考えつつ、春樹はどうしたものかと悩むのだった。
◆ ◆ ◆
がやがやと賑やかに人が集う大食堂で、アイゼルは咥えた匙に目を見開いた。
「うめぇ!? なんだこりゃ!?」
まじまじと夕飯の品を見つめる。
深皿に盛られたギアラ……牛の第四胃の煮込みは、驚きと興奮と共にアイゼルの匙をもう一口へと進ませた。
「タマモさまも粋な計らいしてくれるぜ。懸命に働いてる上級兵さまには、美味い飯が必要ってな」
あれだけの量の肉を、春樹は上級兵の食事に回した。タマモからの功労品という名目の肉は、食堂の兵士たちをわき上がらせる。
熟成できる肉は置いといて、ひとまずは新鮮さが売りの内臓だ。
「懲罰明けだってのによく食うねぇ」
「そりゃそうよ! なんでかわかんねぇが、予定より二日も伸びたからな!」
アイゼルの横で、同僚の兵士が口を開く。ヴィネガーでマリネした野菜を口に運びながら、兵士は壁に掛けられた「本日の献立」を指さした。
「ランプレドットと香味野菜の煮込みだとさ。意味はまったくわかんねぇけどよ」
「名前なんてどうでもいいぜ! 前々から城の飯は美味いと思ってたが、こいつぁ今まででも最高だな!」
ガツガツとアイゼルは煮込みをかき込む。トマトを使わず、あえてビアンコに仕立てられたひと皿だが、アイゼルにとっては関係ない。
勢いのまま完食して、満足そうにアイゼルは腹を撫でた。
「ふぅ、美味かった。……それにしても、変わった味だな。こんなの初めて食ったぜ」
楊枝を指に持ちながら、アイゼルは空になった皿を見つめる。どうも内臓料理なのは見たらわかるが、嫌な臭みもしつこさもまったくなかった。
「最近、料理頭が変わったんだよ。なんつったかな……総料理長?とかって役職ができたらしいぜ。前々から文句はなかったけど、ここ数日はずっとこんな感じだ」
「まじかよ? 俺さまが懲罰房に入れられてる間に、おめぇらこんないいもんを」
皿に残った汁を匙ですくいつつ、アイゼルは髭を撫でながらふんぞり返った。たまたま後ろを通った後輩に、声をかけて呼び止める。
「おい、その新しい総料理長っての呼んできやがれ。このアイゼルさまがじきじきに、美味かったって礼を言ってやるぜ」
それを聞いて、後輩は嫌そうに顔を歪めた。ただ、面倒なことにこの先輩はなかなかに偉く、体育会系な後輩は嫌々ながらも頷いてしまう。
またやってるよと、隣の同僚も呆れたようにアイゼルを見つめた。この男は、街の料理屋でもことあるごとに人を呼ぶのだ。
仕事もあるだろうに気の毒なことだと、同僚は顔も知らぬ総料理長とやらに同情した。
◆ ◆ ◆
数分後、わけもわからずやってきた春樹は、それはもう見事に嫌そうな顔で目の前の男を見つめていた。
アイゼルも、出てきた予想外の人物に目を丸くする。
「なにかと思って来てみれば……なんですかいったい」
「な、なんですかってのはこっちの台詞だ! てめぇがなんで城にいやがる!?」
驚くアイゼルに、春樹は心底説明するのも面倒くさいと息を吐いた。
「この城の総料理長になったんですよ。あんたが懲罰房に入れられてる間にね」
そりゃあ、いつまでも房に入れられているわけでもないのだから、いつかはこうなることは予想していた。
ただ、だからといって顔を付き合わせる必要もないと春樹は吐き捨てる。
正直言って、懲罰房にどれだけ入れられようが、リンと野菜炒めに手を出したことを許すわけがない。
「お、お前が新しい料理頭だと!? ど、どうりで――ッ!」
言いかけて、アイゼルは自分の口をハッと閉じた。
「どうりで? なんなんです?」
「な、なんでもねぇよ! こんなんで勝ったと思うなよくそが!」
空の皿を指さされ、春樹は意味が分からないと首を傾げる。
美味かった――そんなことを言えるはずもなく、アイゼルは机を叩きながら席を立った。
「量が少ねぇわ! アホが!」
怒声をまき散らして出て行くアイゼルの背を見送りながら、なんだったんだいったいと、春樹はただ眉を寄せるのだった。