第11話 包丁なんかで切れるわけないだろ!
「ほぇー」
まん丸く目を開いて、リンは辺りを見回した。
石造りの城は小さな頃見ていた絵本の世界そのもので、外から見ても夢のようだった城の敷地は、彼女の想像する遙か彼方の絢爛さであった。
「豪華ですねぇ」
庭には美しく手入れされた植木が生い茂っており、耳を澄ませば噴水の音が聞こえてくる。
まさか自分がお城に入る日が来るとは。そんなことを思いながら指示された通りに進んでいくと、その建物は見えてきた。
「煙突もありますし……きっとあれですね」
煉瓦造りの大きな建物だ。リンは気合いを入れると、真っ直ぐにその場所へと進んでいった。
◆ ◆ ◆
「あ、いた。ハルキさーん!」
目当ての人物を見つけ、リンはぶんぶんと手を振った。
厨房の中で仕込みの準備に取りかかっていた春樹が、声に気づいて振り返る。
「リンさん! 早かったですね」
「ふふふ、楽しみすぎて急いで来ました」
あれから数日。リンの背負っている巨大なリュックに目をやって、春樹は心配そうに口を開いた。
「また随分大荷物ですね。大丈夫ですか?」
「平気ですよ! なにせお城で暮らせるんですから!」
にこやかに笑うリンの顔は上機嫌だ。
まさかこんなことになるとはと、春樹は数日前の会話を思い出した。
タマモからの褒美の話。始めは、リンの店を手伝うための休暇を定期的に貰おうと思っていたのだが――。
『要はおぬしたちが会えればいいんじゃろ?』
なにかを勘違いしたタマモが、なんとリンを勧誘したのだ。
城でメイドとして働くよう誘われ、当然そんなことは無理だと春樹は思っていたわけだが、リンの返事は意外なものだった。
「本当にいいんですか? お店もあるのに」
「ふふふ、そこらへんはバッチリですよ!」
どんと胸を張り、リンは一枚の書類を取り出す。どうやら契約書のようで、リンは得意げに春樹に見せた。
「お店の借り手が見つかったんで大丈夫です。ふふふ、ああ見えてうちの店、立地はいいですから。組合に広告出したらすぐ決まりました」
「そ、それはよかったです」
リンの行動力に春樹は少し驚いていた。長年住んだ店を畳むというのは色んな意味で大変だと思うが、話が出てからまだ10日も経っていない。
というより、将来的に店を持ちたいと思っている春樹からすれば結構アレな話である。これだから土地持ちはと、意外とお嬢さんなリンを春樹は見つめた。
「私、昔からお城で働くのが夢だったんです! 見てくださいこれ! まるで絵本ですよ!」
「え? ああ、言われてみればそうですね」
あまり興味ない春樹だったが、確かに城の敷地は非日常ではあるかもしれない。見上げるようなお城の壁も、大理石の床も、城下町から見るだけではわからないところがあるだろう。
「それより、お礼を言うのはこっちですよ。せっかくのご褒美を、私なんかのために」
「いえ、それはいいんですよ。リンさんが喜んでくれるなら」
申し訳なさそうな顔のリンに、気にする必要はないと春樹は言った。
知らない世界に放り出された春樹に、衣食住を提供してくれたのはリンだ。その恩を思えば、褒美の一つや二つどうってことない。
「ふふ、これからは同僚ですね! ハルキさんが作ったお料理運びますよ!」
そう言って笑うリンは嬉しそうで、春樹としてもメイド姿が見たくないわけではない。頷きながら、春樹は力強いと微笑むのだった。
「ハルキ、ちょっと来てくれ」
二人で話していると、中から声をかけられる。春樹が振り返ると、セリアが忙しそうな顔でこちらを見ていた。
リンを見やり、おやと首を傾げる。
「ああセリアさん。どうしました?」
「いや、珍しい食材が来るからさ。あんたに捌いてもらおうと思って」
そう言いながら、ぺこりと挨拶するリンに、セリアもつられて頭を下げた。
「誰だいその子? 見ない顔だね。新人かい?」
リュックを背負っているリンを見て、セリアはにこやかに笑いかけた。春樹に料理頭だと聞かされて、リンがビシリと背筋を伸ばす。
「は、初めまして! 明日からメイドとして働きだしますリンです! よろしくお願いします!」
緊張した様子のリンに、セリアは軽く笑ってしまった。自分相手にそんなに緊張していたら、身が持たないぞと忠告する。
「料理頭のセリアだ。ま、そこのハルキの部下だ。固くならなくていいよ」
セリアの台詞に、春樹は思わず苦笑する。本当のことだろとセリアに言われ、そうなんですけどねと横を向いた。
「ところで、珍しい食材っていうのは?」
「ああ、そうそう。それなんだけどさ……」
◆ ◆ ◆
目の前につり下げられた物体に、春樹がへぇと唸る。
「これはまた、豪快ですね」
春樹の言葉に、セリアもリンも同感だと頷いた。
建物の横に設置された木組みの梁を見上げ、そこに吊された巨大な影を疼く瞳で見つめる。
一言で言えば、巨大な牛だ。しかし、その大きさが半端ではない。
春樹も牧場などで牛に触れたことはあるが、少なく見積もってもその五倍はあろうかという巨体だった。
もはやちょっとした怪獣だなと、春樹は黒毛の身体をなで上げる。
「この世界の牛ってのは、みんなこんなに大きいんですか?」
「ん? い、いや。そんなわけはないが」
春樹の言い回しを、セリアはどこか引っかかった耳で聞いた。しかし深く考えることはせず、感嘆するしかないと巨牛を見上げる。
「タマモ様への献上品らしい。どこかの闘牛の横綱で、それをアイリッシュ様が倒してのけたみたいだ」
「こ、これをですか? 相変わらずやばい人ですね」
どう考えても人が刃物で倒せるサイズではない。見ると脳天が見事にかち割られているようで、なんというかもう、剣士というよりかはバーサーカーだ。
「で、これを解体すると」
興味はそそられるが、なかなか骨が折れそうな作業である。スキルなしでも出来ないことはない春樹だが、ちょっと遠慮したいなと腕を組んだ。
こんなものまともに解体していたら、日が暮れてもまだ作業は終わってないだろう。
「実はタマモ様が夕飯にこいつを所望でな。なんとかそれに間に合わせたい」
「えぇ……」
どこの世界も上は現場の苦労を分かっていない。言っている意味が分かってるのかと思いつつ、春樹は仕方がないと袖をまくった。
「仕方ありません、俺がやります。昼飯に間に合わせてやりましょう」
「は?」
聞き間違いかとセリアが口を開く。けれど、春樹は大まじめだ。
考えてみればこれほど的確な使い方もないと、春樹は愛用の包丁を取り出した。それを見たセリアが、慌てて牛刀を差し出してくる。
「おい! 包丁なんかで切れるわけないだろ! これ使えこれ!」
「あ、確かに。ありがとうございます」
危ない危ない。スキルを使うのはいいが、あまりセリアの前で離れ業をしすぎてもよくない。それに、握る刃物も専用のものの方がいいだろう。
あくまでも調理として、料理人として春樹は牛刀を握りしめる。
――いい肉だ。これを切れるなんて、今日は運がいい。
スキル越しに見つめ、その雄々しい筋肉の塊に春樹はうっとりと息を飲んだ。
上質過ぎるほどの筋肉。くせはあるだろうが、ある意味これ以上はない赤身肉だ。
「リンさん、離れてて」
言われ、リンが慌てて身を引いた。牛刀を構え、春樹は剣聖の深みへと意識を潜らせる。
その今までとは違う感覚に、春樹はにやりと笑みを浮かべた。
――馴染んでるのが分かる。これなら、今まで以上にいけそうだ。
確信する。彼らには否定されるだろう。けれど、自分の使い方が最適だと。
――ここだッ!
肉に見えた軌跡。そこに向かい、春樹は牛刀を振り下ろした。
振り下ろされた刃は、傍で見ていた者には一筋の閃光に見えただろう。
されど、その数実に百〇七閃。牛を覆っていた皮が切り飛ばされ、宙に舞い上がった毛皮にセリアは目を見開いた。
――まだ!
更に百〇七閃。そのセットを、春樹は連続で繰り出した。
むき出しの肉に、剣聖の連撃が飛んでいく。
上から、すね、うちもも、フィレ、かみばら……リブロース辺りで、スキルの中の剣聖たちが「なにをやってるんだ」と首をひねる。
――うるせぇ! 部位の区別もしねぇ、素人が!
ここでは、自分の方が先輩だ。培った経験を剣聖に乗せて、春樹は切り出した肉を。更に刃で掃除する。
脂肪とすじ、それらを全てそぎ落としながら、春樹は肉たちを刃先で弾いた。
送り先は先ほど吹き飛ばしていた皮の上。未だ地面に落ちている最中の血に一滴も触れることなく、肉は静かに積み上げられる。
そして、セリアとリンが呼吸を止めて見つめているその前で、全ての作業が終了した。
「……昼飯まで、かかりませんでしたね」
実に十数秒という攻防。血溜まりの中で満足そうに笑っている春樹を、セリアはまるで怪物かなにかのように見つめるのだった。