第10話 ハルキさんを返してください!
「うむ美味い」
手元の生地に乗ったチーズを伸ばしながら、タマモは傍らにいる春樹を見やった。
「妾もチーズは好きじゃが、このピッツアとやら気に入った」
「ちょうど立派な石窯もありますので。気に入っていただけたならよかったです」
しらすのピザ。チーズでなにかというリクエストを受け作ったものだが、どうやらお気に召したようだ。
ピザ生地の上にふんだんに散らされたしらすは塩気もよく、ついもう一切れと手が伸びる。
「ソラウオといい、魚介が新鮮ですね。作るほうも楽しいです」
「ん? そりゃあまぁ、港も近いしの」
タマモの返事に、「そうなんですね」と春樹は相づちを打った。何気なく反応しただけだが、どうにも引っかかるとタマモは春樹を見つめる。
「そうなんですねか……おぬし、本当に何者じゃ? ここが海に近いことすら知らんのか」
「え? あ、いえ……さすがはお城の台所だなと。素材も質がよくて、はい」
危ない危ないと春樹が誤魔化す。それを大いに疑いの眼差しで見やってから、タマモは尻尾に肘をかけた。
「まぁよい。おぬしが優秀であることに変わりはないし、間者がそんなことも知らぬのも変じゃしな」
タマモはピザにかぶりつく。少し大きめに焼いたはずのナポリピザだが、この分だと完食しそうだ。
「厨房はどうじゃ? 仲良くできているか? ん?」
「はは、そうですね。思ったよりは」
笑いながら聞いてくるタマモに春樹は苦笑した。なにせあんな感じで無理やり入った調理場だ。昨日の今日で、馴染めているとはとても言えない。
当事者のセリアの理解があるのがまだ幸いだが、今日だけで何人もから睨みつけられた。
「くく、妾が与えれるのも地位までよ。そこから先の信頼は、おぬしが築いていかねばな」
タマモの言葉を聞いて、春樹は深く頷いた。まったく以てその通りで、肩書きだけの総料理長になるかは春樹次第だ。
最後のひときれを口に入れたタマモが、満足げに手を拭いた。
九つの尾にもたれかかりながら、くすくすと目を細めて春樹を見やる。
「美味かったぞ。今朝のフレンチトースト? といい、見事なものじゃ」
「ありがとうございます」
褒められて、春樹はタマモに腰を折った。
ちらりと覗き、にやにやと眺めてくるタマモの顔に春樹はつい視線を逸らしてしまう。
「くく、なんじゃ。妾の顔になにか付いてるかえ?」
「い、いえ……特には」
見透かしてくるようなタマモの笑みに、春樹は調子が狂うと困り果てた。
勝負に集中しているときは気が付かなかったが、こうして二人きりになるとタマモの妖艶さを否応なしに感じてしまい、落ち着かないことこの上ない。
――綺麗すぎて、なんか怖いんだよなこの人。
美女であるのは間違いないのだが、その傾国の美女もかくやな見目に、春樹は居心地悪そうに視線をずらした。
楊貴妃とかこんな感じだったのかしらとタマモを見やりながら、春樹は異世界の不思議に想いを馳せる。
「うむ、しらすのピッツア……見事なり。褒美を取らしてやる。なんでも好きなものを言うがいい」
「え? いやでも、それが俺の仕事ですし」
というよりも、褒美なら既に総料理長にしてもらったことで十分すぎるほどに貰っている。
そう告げる春樹に、「わかっておらんな」とタマモは眉を寄せた。
「それは賭けの勝ち金じゃろう? 妾が言っておるのは、美味い飯を馳走してくれた礼よ。妾がやると言っておるんじゃ、いいから早く決めよ」
なんとも勝手な領主さまだ。とはいうものの、欲しいものと言われてもピンとこない。一番欲しかった調理器具も調理場所も、一気に解決してしまった。
無難なところで金だが、相場なんてわかりゃしないと春樹は悩む。
なんにするべきか。あまり返事に悩むのも失礼かと春樹が考え倦ねていると、部屋のドアが数度ノックされた。
「タマモ様、ハルキ様はそちらにおいででしょうか?」
女中から名前を出され、春樹とタマモが顔を見合わせる。
春樹がここにいることどころか、名前を知っているのなんて城の中でも数人だ。用事の予想がつかずに、タマモが声を大きくした。
「なんじゃ? なにがあった」
「は、はい! それが、アイリッシュ様より緊急の伝令が」
出てきた名前に、タマモの表情がにわかに変わった。騎士団長のアイリッシュは、城で唯一、春樹の剣の腕前を知っている。
そのアイリッシュが春樹を緊急で呼んでいるということは、彼女一人では解決するのが困難な事態に直面しているということだ。
タマモの目線に、春樹もこくりと頷いた。不本意だが、いざとなれば剣聖のスキルを抜くことも視野に入れる。
けれど、続いて出てきた言葉にタマモは拍子抜けしたように顔を崩した。
「それが……どうも門前で『ハルキさんを返せ』と騒いでいる者がいるらしく……」
その瞬間、春樹は「あっ」と小さく口を開けた。
そういえばと、大事なことを忘れていたと思い出す。
◆ ◆ ◆
「ハルキさんを返してください! ここにいるのは分かってるんですからね!」
門の前で叫んでいる声を聞いて、あちゃあと春樹は頭を抱えた。
昨日の今日だからと軽く考えていたが、言われてみればまずかったと反省する。
「いや、ですから。今呼びに行ってますので」
「ほんとなんでしょうね? どうにもあなた方は信用なりません」
困り果てている様子のアイリッシュに心の中で詫びてから、春樹は門前で睨みを効かせているリンに声をあげた。
「リンさん!」
その声に、がばりとリンが振り返る。気恥ずかしそうにやってくる春樹を見やって、リンの目にぶわりと涙が溢れた。
「は、ハルギざぁあああん!!」
リンが泣きながら春樹に駆け寄る。
ぐしゃぐしゃな顔で胸に飛び込んできたリンに、春樹は申し訳なさそうに頬を掻いた。
「いやその、ほんとすみません」
「ハルギざぁああん!! よかったですううう!! 殺されたかと思いましたああ!!」
リンの声に「人聞きが悪い」とアイリッシュが辺りを見回した。しかしそれもこれも、出来の悪い部下のせいなのでなんとも言えない。
なにせリンから見れば、春樹は罪状不明で近衛隊に連れて行かれたのだ。丸一日は音沙汰のなかった春樹の胸を、リンはポコポコと叩いて見上げる。
「大丈夫でしたか!? なんか非道いことされませんでした!?」
「はは、大丈夫ですよ。というより、その格好どうしたんですか?」
泣きじゃくるリンの姿を見やって、春樹は驚いたように声を出した。
リンの頭には大きめの鍋が被せられていて、右手にはしっかりとフライパンが握られている。しかし、料理をしにきたのではないことは一目瞭然だ。
「は、ハルキさんを返してもらおうと思いまして。だ、だって……元はといえば私が……」
よく見ると、リンの腰にはアイリッシュが持参した謝罪金の布袋が下げられている。いざとなれば返却しようと持ってきたのだ。
足と腕は未だに震えていて、春樹はそんな目の前の少女をじっと見つめた。
彼女は、剣聖のスキルなんて便利なものは持っていない。それどころか、近衛隊の名前にびくびくしていた普通の女の子だ。
――あんなに怖がっていたのに。
どれほどの勇気だというのだろう。傍らのアイリッシュも、アイゼルの懲罰を倍に増やすことを心に誓う。
「なんじゃなんじゃ。なんの騒ぎじゃ」
そんな中、空気の読まない声が届いた。
面白そうな気配がするとやってきた領主様に、リンはあんぐりと口を開ける。
「た、たたた、タマモさま!?」
「んー、なんじゃこの小娘は」
広がる九尾に、威風堂々の佇まい。自分よりも頭ひとつ大きなタマモを、唖然とした顔でリンは見上げた。
しかし、これだけは言わねばいかぬと思ったのか、リンはぎゅっとフライパンを握るとタマモに向かって宣言する。
「は、ハルキさんを返してもらいにきました! 私もこれ、お返しします!」
差し出された布袋を見やって、タマモは大体の事情を察した。
報告を受けたときは気にも留めなかったが、なるほどなるほどと春樹を見やる。
「くく、なんじゃおぬし、女がおったのか。それを早う言わんか」
「い、いえ。そういうわけでは」
ニヤニヤとタマモに見つめられ、春樹は思わず視線を逸らす。なんとなくリンと目が合ってしまい、それも慌てて目を外した。
そんな二人のやりとりを見て、ははーんとタマモが笑みを浮かべる。
リンの前にずいと顔を出し、タマモは奇妙な出で立ちをしているリンにくすりと笑った。
「返せと言われても、既にハルキは妾のものであるゆえ……それともなんじゃ? ハルキは、おぬしのものとそう言うのかえ?」
不敵に笑うタマモに、リンはぐっと力を込めた。妖艶怪々な妖狐を前にして、リンは力強く宣言する。
「そ、そうです! ハルキさんはうちの従業員です! せ、正式な組合からの依頼状もあります!」
ごそごそと懐から紙を取り出すと、リンはそれをタマモに突きつけた。こんなこともあろうかと持ってきたのだ。
そこには確かに商会ギルドからの依頼が記されていて、しかも受理しているのは近衛騎士団ということになっている。
ずびー!と鼻をすすりながらも必死に懇願するリンを見つめ、タマモは心底愉しそうに笑みを浮かべた。
「なるほど、一理ある。アイゼルの件といい、これは妾も分が悪いな」
にやにやと笑いながら、タマモはさてと思案した。追い返すのは簡単だが、それはさすがに面白くない。
かといって、せっかく手に入れた春樹を手放すわけにもいかぬと、タマモは平民の街娘を品定めする。
「あの、タマモさま」
そのとき、春樹が声をあげた。リンがここまでしてくれているのだ、なにか応えねばとタマモを見つめる。
なんじゃと振り返ったタマモに、春樹は決心したように口を開いた。
「先ほどの褒美なんですが……物でなくともよろしいでしょうか?」
続けて言った春樹の言葉にリンが驚き、タマモがくすりと笑みを浮かべる。
呆れたように春樹を見つめ、タマモは仕方なしと頷くのだった。




