友人3
木下と会うのもこれで3回目になる。
いつもより長く話し込んでしまって、今回は夜ご飯まで一緒に食べてから帰ることになった。
リョーイチに連絡は入れてあるが、早めに帰らなければという焦燥感が生まれる。
木下と会った後のリョーイチは、何だか機嫌が悪いように感じる。連絡した電話口でも、怒りはしないけど、少し不機嫌な感じが滲み出ていた。
多分、俺のことを心配してそうなっているのだと思う。
木下に変なことを言って困らせていないか、とか、失礼なことをしていないか、とか。
けれど、そもそも俺にはどんな振る舞いが失礼にあたるのかが分からない。
本来なら俺が口をきくこと自体がありえないことだし、同じテーブルで食事を摂ることだって、意見を言うなんてもってのほかだった。
しかし今は、対面に立ち、対等に、話している。
誰かに傅き従うだけの立場だった自分には、ここでは何が礼を欠くということなのかが分からないのだ。
一応木下の顔色は気を配って見ているつもりなのだが、慣れというものは怖いもので、リョーイチも木下も優しいから、俺はすっかり“怒られる”という感覚を忘れてしまっていた。
きっとそんな俺の怠慢を誰かが見ていたに違いない。
そんなタイミングだった。
すぐ横から怒声が聞こえた。
客を呼び込む為の掛け声でもなく、迫力のある歌声でもなく、紛れも無く誰かを責め立てる攻撃的な声だった。
喧騒に一際響き渡る怒声。久しく感じていなかったモノが背筋を強張らせた。
確かに昔その声は俺に向けられていたものだった。
反射的に蹲ってしまうような類のそれだった。
しかし今は分かる。これは、俺に向けられたものではない。
俺ではない、誰かに向けられた怒声だ。
竦んだ足に連動しているかのように、視線もそこから離せなかった。
ここでも、昔の俺のように怒声を向けられる立場の人間がいるということだ。
穏やかに過ぎていく日々の、優しい人に囲まれて暮らす日々の中にも、こういった一面があるのだ。こういった人々がいるのだ。
俺が気付かなかっただけで、前の世界よりずっと少ないかもしれないけれど、似たような立場の人種というものがあるのかもしれないということ。
そして、いつだって、またその怒りを向けられる対象になるかもしれないということ。
今更ながらその可能性を思い出したのだ。
*
ふと隣の気配が強張ったのを感じた。
視線の先を辿ると、真横に騒がしい群れが出来ていた。恐らく酔っ払い同士の喧嘩だろう。
まだそんな遅い時間でないにも関わらず珍しいという感想は抱けど、そこまで特別視するほどのことでもない。
関わらずに素通りしていくのが良策だ。
だというのに、レイジは動かない。
喧嘩が珍しいのだろうか。じっとそこから目が離せないでいるようだった。
「...ああいうの珍しい?」
国柄もあるのだろうか、酔っ払い同士の喧嘩なんてどこの国でもあると思っていたが。
レイジは力なく横に首を振った。
「ああいうのは関わらない方がいいよ、行こう」
優しく背中を押して歩みを進める。
レイジは先ほどとは打って変わってすっかり口数少なくなってしまっていた。足取りも重いようだ。
どうしたものかと思い悩んで、駅前のベンチに座らせることにした。
「大丈夫?」
「気持ち悪くなっちゃった?」
「お水飲む?」
何を言っても気落ちした様子から立ち直ることなくぼんやりと首を振るばかりだ。
(さっきまで楽しく会話出来ていたと思っていたんだけどなぁ)
こんな時に何も出来ない自分が悔しいと思うのと同時に、彼を慰めて元気付ける相手になりたいと思っている自分に気付く。
(そうだよ、俺はレイジの友達なんだから)
他の友人にここまで親切かと自問自答して、
(いや、友達が失恋した時とか飲みに付き合って元気付けてやろうって思うし)
向ける優しさの質が違うような気もしたが、無理矢理自分を納得させた。
最初に出会った時と同じ対処法というのも情けない話だが、それ以外手立てが見当たらない。
「携帯電話、出せる?」
レイジはもそもそとポケットを探り、携帯を取り出した。
「りょういちさんに迎えに来て貰おっか」
「...」
少し迷っているようだったが、最終的にはこくりと頷いた。
「もしもし」
電話向こうの相手は、連絡を待ち侘びていたかのようにすぐに電話に出た。
『遅い』
開口一番に怒られた。
静かに注意する程度の口調だったが、相手が心配していたのだと伝わってきた。
「...すみません、遅くまで連れまわしてしまって。木下と申します。あの、レイジ君の具合が悪いようで」
『あぁ、すみません...すぐそちらに向かいます、どこに居ますか』
すぐに状況を察したのか、彼は素早く対応してくれた。
本当に、ものの10分も経たない内に彼は現れた。
急いでいた風に息を切らせてはいるものの、レイジの姿を視界に入れて幾ばくかほっとしたように見受けられた。
「度々すみません」
彼は言葉遣いこそ丁寧だが、表情が言葉についてきていないからだろうか、多分よく誤解を受けるだろうと思った。
「リョーイチ、ごめんなさい」
レイジは小さな声で謝ると、りょういちさんの怒っている風にもとられ兼ねない顔を見て、逆に安心したような様子を見せた。
まるで迷子が親の存在を見付けたかのように、その手は、か弱く彼の手を求めた。
(なんでかなぁ)
手をひかれ離れていくレイジの背中を見送りながら、自分の胸の内に広がる感情に問い掛ける。
(なんでこんな悔しいなんて思うんだろう)
レイジが求める手が、自分の手じゃないのが、悔しい。
彼が頼ってくれるような手を持ちたい。そんな信頼関係を築きたい。
俺がりょういちさんのような立場だったら。俺が常にレイジの隣に立っていられるような立場だったら。
これは友人に対して抱く感情としては粘着質で、傲慢な願いだった。
きっと俺はレイジと友人以上の関係になりたいと思っている。
そう自覚した。




