入れ替わり S1
常に飢えていたし、乾いていた。
日差しが強く雨の少ない気候のこの国では、大きな泉の湧いているこの都市はどこよりも豊かだった。都市には多くの物や人が集まり、行き交った。日々新しい何かが出回っては売り買いされていく。何もかもが慌しく動く都市だと思った。
そんな物の中のひとつとして、俺はこの都市に連れてこられた。ヤギ5頭分の値段だそうだ。いくらかは分からないが、大層な値段がついたと思った。前居た所では3頭分だったからだ。
物心ついた頃からこんな身なりで、こういう立場だった。
横一列に並ばされた俺と同じような連中にも次々と値段がついていくが、俺と似たような背格好の奴らが売れていくのが早かった。田舎ではもっとガタイの良いやつが好評だったが、都会の需要は分からない。
客の中でも一際金持ちそうな格好をしている男が買い占めているようだった。
少しほっとする。金を持っているやつはいい。飯をちゃんと食わしてくれる可能性が高いからだ。
前居たところではまともに飯も出なかったから、すっかり体力が落ちてしまい、手足の筋ばかりが目立つようになってしまった。まともに働けなくなったらそれこそ俺に価値はなくなる。飯さえ出してくれるならしっかり働こうと思った。
連れて来られた建物は他に並んでいるどの建物よりも豪華で、立派な門構えに背の高い頑丈そうな塀、庭には大きな池までついている。富豪の証だ。
豪邸の門前には他の方面から連れて来られたであろう俺と似たような奴らが十数人集められていた。
(本当にこんな豪邸の中へ入るのか...?)
皆が一様に思ったに違いない。俺たちみたいなのは汚れ仕事や力仕事が主で、裕福な所はそれに見合った使用人や管理する人間が働いているのが普通だからだ。
「こんな豪邸の使用人になれるのか...」
誰かが呟いた。隠しきれない歓喜の色が浮かぶ。
ちゃんとした食事が出て、ちゃんとした寝床が用意されている生活が出来るかもしれない。毎日疲れ果てて気を失うようにして眠りに就く日々から解放されるかもしれない。
ざわつく俺たちの様子など見向きもしないように、ここまで引率してきた男は門を開けて中に進むように促した。敷地内に入ると、武装した人間が俺たちの両側を囲って歩いた。売り買いされる際は、逃げ出さないように見張りがいるのが常だったから、それに関しては不思議に思わなかった。何より逃げるつもりなんてなかったから余計関心も湧かなかったのかもしれない。
(それにしても立派な胸当てと冑を着けている...こんな豪邸ともなると私兵を持つのかな...)
建物は外から見ても大きかったが、中に入ってその奥行きの広さに唖然とした。
しばらく歩かされて、多分敷地の最奥と思われる場所まで来た。
脇に普段水が張ってあるのだと思われる石で組まれた窪みがあった。深さは膝丈ほどで、男十数人くらい余裕で入れそうな広さの窪みだ。
よく見てみると、中央に石組みが外れている箇所がある。
ぽっかりと穴が空いているようだ。
武装した人間が一人、そこに入ってゆく。階段があるのか段々と地面に沈んでその姿は見えなくなった。
俺たちも一人ずつその穴へと入るよう指示された。
階段を下りた先は石組みの通路になっており、暗く、普段は水に沈んでいるのか湿った匂いがした。
幾度か角を曲がり、それほど歩かない内に光が差し込む天井の穴が見えてきた。
入ってきた所と同じような造りで今度はそこを上がって地上に出るのだろう。
明るさに目が眩みながらも階段を上り切ったところで、皆が上を見上げて呆けている様子が目に入った。
つられて上を見上げる。
どこまでも伸びる高く太い柱、遥か頭上に果てしなく広がる天井、継ぎ目の見当たらない光沢のある白い石で統一された眩いばかりの建物。柱や壁には意匠を凝らした細工が、窓には珍しい玻璃がはめ込まれている。
この都市の中で一等高く聳えるシンボルで、誰もが見慣れているにも関わらず誰もが簡単には近寄れない建物。
王宮と呼ばれる建物の足元に、俺たちは今いるらしかった。
王宮の使用人に抜擢されるかも、なんて期待を抱く者はいなかった。
とんでもないことが起こるという確信めいた予感だけがただただ足をすくませた。
そこからは流れ作業のようだった。
「身を清めこれに着替えよ」
「この量りの上に乗れ」
「お前はここで待機だ」
「これを食え」
俺たちは家畜の選別のように、いくつかのグループに分けられ地下の檻に入れられた。
水と食料は定期的に運ばれてくるので飢える心配はなかったが、毎日1人ずつ外に連れ出され、そのまま戻ってこない日々が続くと、安らかに眠れる訳がなかった。
日毎に檻の中の空間が広がっていく。
明日にはどうなるか分からないという状況は今に始まったことではない。隣で飯を食っていた奴が次の日には冷たくなっていたことがある。一緒に荷を運んでいた奴が馬車に押し潰されたことがある。それがいつ自分の身にすり替わったっておかしくないのだ。俺たちはそういう立場の人間なんだ。
諦めにも近い気持ちで、毎日出される飯を平らげていく。これが最後の飯かもしれない、そう思うと食欲はなくても食べられた。
次は俺の番かもしれない、次こそは、その次こそは。
今朝、最後の一人を見送って、檻には俺ただ一人が取り残された。
明日、俺の番が来る。