電車3
多分数分も待たなかったと思う。
視線を落としてずっと見ていた自分の足元が翳った。
「レイジ」
リョーイチの声が頭上から降ってくる。
ふっと上を向いたらすぐ目の前にリョーイチの顔があった。
「どうした?具合悪くなったか?」
心配そうに問い掛けてくれる様子に、何だか無性に自分が情けなくなってしまった。
(何やってるんだ。電車だって一人で何度も乗っているのに。迎えにきてもらって情けない)
声を出してしまえばそれが嗚咽になってしまいそうで、ふるふると頭を振って応えた。
俺の返事が期待出来ないと分かったようで、リョーイチは傍にいる男に話しかけた。
「すいません、連絡ありがとうございました」
「いえいえ、近くに居ながら何も気付けなくて」
「俺を呼んで頂けただけで充分です。助かりました」
「とんでもないです」
男は終始恐縮した様子だった。ちゃんと顔を上げて見ていないから分からないが、きっとリョーイチより背が高かいはずなのに、リョーイチよりずっと低姿勢で物腰が柔らかい印象を受けた。
「レイジ、お礼、言えるな?」
リョーイチに手を引かれながら立ち上がって、男に向かってお辞儀をした。
「ありがとう、ございました」
ちゃんと正面から観察してみると、やはり男はリョーイチよりも幾分か背丈が高く、しかし顔つきが優しそうで穏やかな性格をしているのだろうという印象を受けた。
リョーイチが傍にいるからだろうか、不安定だった気持ちが落ち着いてきていた。リョーイチの手を握れたらそれが一番手っ取り早いのだけど、いつでも触れられる距離にいるというだけでも充分安心出来た。
「お茶も、ありがとうございました」
手に握っていたペットボトルのお礼も言っておく。
男は「どういたしまして」と言って、日本人らしく何度もお辞儀をしながら去っていった。
男を見送った後、リョーイチは再度俺に問い掛けた。
「本当に大丈夫か?今日はもう家に帰ろうか?」
俺は元気を取り戻しつつあって、意識したら途端にお腹が減りだした。
「...ごはん、いく」
リョーイチの手作りのご飯も勿論美味しいし、スーパーで買ってくるお惣菜も美味しいが、お店で食べるご飯は、家では食べないような食材や味付けのもの、見た目が面白いものが多くて、それはそれで楽しみのひとつなのだ。
折角電車に乗ってまで来たのだから、美味しいものを食べて帰りたい。
すっかり俺の頭の中はご飯一色になってしまったのだった。
満腹になって満たされた気持ちで帰り道を歩いていたら、横からリョーイチが、そういえば、と言って尋ねてきた。
「今日はどうしたんだ?久しぶりに電車乗って酔ったのか?」
「お酒飲んでない。酔うはしないよ?」
「乗り物で酔うこともあるんだよ」
「...ふーん?」
(あれが乗り物酔い?なのかな?)
自問自答してみるけど、お酒で酔うという感覚も分からないのでイマイチ判断が出来なかった。
そういえば、電車での出来事について聞いてみよう、そう思ってリョーイチに尋ねてみた。
「背中と腰?腹の横?を触る人が居た、のでビックリして、どうしたらいいのか、分からなかった。背中見られると思ったら、気持ち、気分悪くなった」
さっきまで満腹感でふわふわ幸せな気持ちだったのが、ふとあの横っ腹を撫でる手の感触を思い出してぞっと寒気がした。
思わず身震いして触られた腰辺りを摩っていると、リョーイチに、
「レイジ、今度から電車は俺が一緒の時に乗ろうな」
と有無を言わせない調子で言われた。
こういうときのリョーイチは大抵怒っている。
「...うん」
俺のちっぽけな自尊心が砕かれようと、反発はしない方がよさそうだ。
幸いにも、電車という乗り物に対して嫌悪感を抱くことはなかった。
電車という乗り物は気に入っていたから、その点では安心した。
それにしても、満員電車には乗らなくなった(乗せてくれなくなった)ものの、毎回毎回リョーイチが常に横についているというのには、なんとも言い難いむず痒さを感じてしまう。
甘やかされている自覚があるだけに、情けないやら嬉しいやら恥ずかしいやら。
「リョーイチ、このボタンは押していいやつ?」
「ボタン押す前に声を上げような」
後日防犯ブザーを買い与えられた。




