入れ替わり4
翌朝、6時頃にふと目を覚ますとベッドの上で身を起こしてこちらを伺う奴と目が合った。
「朝早ぇな」
欠伸を噛み殺しながらもそもそと起き上がり洗面所へと向かう。
そいつは相変わらず怯えた目でこちらの様子を伺っている。視線で追うくせに、目が合うと慌てて逸らす。
(別に何もしないっての)
まだちゃんと食べられるか分からないので今日もお粥を作っておく。
我ながら慣れた手つきである。自画自賛しながら早々に完成したお粥をテーブルにのせる。
「ほら飯」
呼びかけると分かっているのかいないのか、ベッドから転げるように降りてきて土下座する。
「土下座はもういいって、はいここ座って、ここ、座布団の上」
座布団を叩いて示せばおずおずとその上に座る。
「はいスプーン持って、はいどうぞ」
右手にスプーンを握らせ食べさせる。ぎこちなくスプーンを使う姿は本当に3歳児のようである。
向かい側に座って作りすぎたお粥を一緒に食べる。
少し塩気が足りなかったかな、なんて考えながら黙々と食べてゆく。
食欲はあるようでほぼ同じくらいのタイミングで食べ終わった。
コップに水を注いで置くと、これは何だと言わんばかりの顔でこちらを見てくる。
「水、これミズ。飲んでいいやつ、分かる、飲むの」
飲んで見せると、恐る恐ると口をつけてはちらりとこちらを見る。どこまで飲んで良いのかと問うかのように、見ては飲んで、見ては飲んで、結局最後まで飲み切った。
後で気付いたが、昨夜好きに飲んで良いと伝えて渡したペットボトルは手付かずだった。
額に貼ってあった冷却シートを剥がし、熱を測れば37℃丁度。もうじき熱も下がり切るだろう。
「まだ本調子じゃないかもしれないが、話を聞かせてくれ」
食器を下げて、座卓を挟み向かい合う。
「お前の出身はどこの国だ?言葉が通じないことにはどうしようもない」
俺は用意してきた世界地図を広げた。世界史の授業の資料から引っ張り出してきたデフォルメされた地図だが、だいたいの場所さえ分かればパソコンなりスマホなりで絞り込めるだろう。
「今お前がいる国はここな、日本」
地図上で日本を指差す。
「お前の出身はどこだ?」
やつの人差し指を紙の上まで引っ張ってきて指差すよう促す。
人差し指はゆっくりと地図の上を滑り、どこにも留まることなく最後は座卓の下へと引っ込められた。
「...自分の国も分からないってか」
今度は各国の挨拶の言葉が一覧になっている紙を見せてみた。
「読める文字はあるか?」
紙を見つめたまま、反応がない。
推測できたことは、自分の国の位置を(下手したら世界地図の存在すら)教えてもらえない、識字率の非常に低い貧しい国から来たのだろうということ。けれど、そんな貧しい国の人間がどうやって極東の島国まで来たというのか。
もしくは、敢えて黙っている可能性もある。出身も言葉も分かっているが黙秘を決め込んでいるのではないか。
「何か言えよ」
普段声を荒げることなど滅多に無いが、どうしても語調が強くなってしまう。
早川が消えて1日経ったが、部屋に戻ってくる様子もなく、連絡もつかない。何かとんでもないことが起こってしまったのではないかという予感だけが胸に巣食っていた。時間が経てば経つだけ早川が危ない目に遭っているのではないかと思う反面、こいつから事情を聞けば一挙に解決するなんて期待も抱いていた。
解決の糸口が潰えようとしている気配に、押し殺していた焦燥感が倍速で膨れ上がっていく。
「お前は、どこの誰で、何しに来て、早川を、何処へやったんだよ!」
拳をテーブルに叩きつける。
「頼むから!教えてくれよ!」
カタンと空のコップが揺れた。
対面に座っていたそいつは弾かれたように不恰好な土下座をした。
「 」
震える声で必死に何かを言っていたのだが、全く何語かも判別がつかない言葉を発していたことに、衝撃を受け、そして脱力した。
世界の主要な言語に精通している訳ではないが、発音を聞けば系統くらいは判別できる自信があっただけにショックは大きかった。
(事情を聞くも何も、意思疎通の段階で躓くって...前途多難過ぎるわ...)
目の前で震えている存在が悪意をもって早川に何かをしたとも思えない。
完全な八つ当たりだ。
まずは落ち着こう、そしてまた考え直そう、そう言い聞かせて深呼吸する。
「怒鳴って悪かったな。...お前寝てばかりで汗もかいただろうし、シャワー浴びてくるか。着替え貸してやるよ」
側に寄ればやはり過剰に怯えられたが、背中を優しく摩って宥め、手を引いて立ち上がらせる。
シャワーの使い方を簡単に説明すると服を引っぺがしてシャワールームへと押し込んだ。
「汚ねぇ服!」
白い割烹着のようだと思っていた服は、所々黄ばんでいたり黒ずんでいたりと汚れが目立った。膝丈まであるワンピースのような形をしているが、ごわごわした硬い布地は肌に直接触れるには不快だろうと思った。
ベッドに敷いていたシーツとバスタオルも一緒に洗ってしおう。天気も良いしブランケットも干しておこう。
無心になって家事をしていれば問題を直視せずに安らかな心持ちでいられる気がした。
しかし、洗濯も干し終わってもまだシャワールームから出てくる様子がない。
「おーい大丈夫か?開けるぞ、ってお前なんでお湯使わないの!」
夏とはいえ水を浴び続けた結果、やつの熱が上がったことは言うまでもない。
意思疎通の前に、日常生活のレベルが3歳児であることが大きな課題になってきそうである。