帰省1
珍しく電話がかかってきたと思えば、これだ。
『あんた去年は帰ってこなかったじゃない』
『美月も和希もすっごく寂しがって煩かったんだから』
『透は、まぁお年頃だから正直に言うことはないけど、やっぱり気にしていたのよ』
『大学生って夏休み長いんだから、数日くらい家族の為に空けなさいよ』
『いいわね?』
いつもは放任主義で滅多にこちらの生活に干渉してこない母が、結構な勢いで電話口から責め立てるものだから、言葉を挟むタイミングを失って無言で肯定した形になってしまった。
電話口から漏れ聴こえた声に驚いたのか、レイジはこちらを向いて驚いていた。
「あー、んー、どーっすっかな」
思い悩んだような声を出しつつ、思い浮かぶ選択肢はひとつしかなかった。
「レイジ、実家、来る?」
去年は早川の一件でそれどころじゃなく、実家からの呼び出しもスルーしていたのだ。
もちろん弟妹たちが寂しがっているだろうということは予想がついていたが、俺自身が早川失踪の混乱から抜け出せておらず、またレイジの面倒もみなくてはならず、と、実家のことを気に掛ける余裕が無かったのだ。
今のレイジならちょっと遠出に連れて行っても大丈夫なはずだ。一人で数日留守番をさせることを思うと、遠出とは言え傍で見ていられる方がずっと安全のように思えた。
初めて乗る新幹線に興奮を隠しきれない様子のレイジは、首を忙しなく動かしては車内の様子を興味深そうに見ている。
「早いし、揺れないね、とても静か」
いつも利用する電車との違いに、乗り物好きの好奇心が擽られたようだった。
新幹線と在来線を乗り継いで、乗り換えの待ち時間を含めても、だいたい3時間も掛からない。
帰ろうと思えば比較的簡単に帰れる距離なのだ。
最初の頃は慣れない大学生活のせいや、詰め込んだバイト、果ては電車代を言い訳に、あまり積極的に帰らなかった。
ホームシックを感じるような繊細さは持ち合わせていなかったので特別困ることもなかった。
むしろ、実家に戻って弟妹たちの元気な姿を見る方が、俺にとっては堪えるくらいだった。
俺が居なくたって、こいつらは元気なんだ、と。
俺の厄介な癖は、きっと一番弟妹が生まれた時から始まっている。
俺を産んだ時母親は20歳くらい、父親もそれに近い年齢だったらしい。それから少し間を空けて6年後に次男の透の出産、更に3年後に双子の美月と和希が産み落とされた。
田舎にしても四人兄弟というのは俺らの世代では珍しく、親も俺を産んだ時点ではそこまでの見通しを立てていたなかったのではないかと思う。しかしもっと誤算だったのは双子を産んだ直後に父親が亡くなったことだった。
もともと小柄な母が双子の出産とあって産後の回復が遅れているところに、父の突然死の知らせが入り、我が家は混乱状態に陥った。
母の退院は延びるし、頼れる親族は遠い他県だ。
家のことは俺が全て回さなければと、それはもう当時小学生とは思えないような確固たる決意を持って直向に家事育児に邁進することになったのである。
もともと手の掛からない子供だった自覚はある。我侭は言わないし、自主的に手伝いもした。出来ることが増えて褒められるのが純粋に嬉しかったのだ。
俺が下の弟妹の父親代わりになるのだとばかりに張り切って日々を過ごしていたようにも思う。
もともと父親とは接点が少なかった為、薄情な話だが、寂しさを感じることもそうなかった。今思えば、当時二十歳そこそこの父親は家庭を支えていく為に仕事に必死だったのだろう。当時の俺には、滅多に遊んでくれることのなかった父親が、これからもずっと遊んでくれなくなった、というそれだけの認識しかしていなかった。むしろ入院している母親とあまり会えない期間の方がずっと辛く感じたものだった。まあそれも弟の透が俺以上に寂しがっているのを見てはぐっと堪えてはいたのだが。
母が全快と呼べるまでに快復するには数年を要した。身体は順調に快復し退院は出来たが、精神が不安定な状態が続いていたのだ。その間、透と美月和希の世話は専ら俺。当時双子にはパパとまで呼ばれたのは誇らしい思い出だ。
弟妹の送り迎えをし、授業参観にも運動会にも学校行事には必ず足を運んだ。母親も順調に元の調子を取り戻しつつあって、家事が出来るまでになった。
片親なんて今時珍しくもない。この調子で我が家の暮らしは続いていくのだと思っていた。
しかし俺が思っていた以上に母親は逞しかった。
俺が中学2年生の時、再婚が決まったのだと、告げられた。
丁度進路を悩んでいた時期だった。中卒で就職するには収入面で不安がある為、専門性の高い高校に入って就職を選ぶか、大学まで進学することを想定して、高校ではアルバイトをしようか。いくら亡き父の保険金があるからと言って収入面での支えは必要だと子供ながらに出来ることを考えていたのだ。
当時30半ばの、4人の子持ち。母が小柄で童顔とは言え、そんな物好きはいないだろうと、無意識のうちに再婚の可能性を潰していた俺にとっては、まさに目から鱗の出来事だった。
まだ小さい弟妹たちを思えば、父親は居たほうがいいだろう。
収入も、高校生のアルバイトなんかよりずっと安定している。
性格も穏やかで、家事や育児に積極的。何より母を大事に思ってくれている。
俺が反対出来る要素は何一つとしてなかった。
俺がやってきたこと全てが、新しい父親の役割に回された。
今まで俺がしてきたことは何だったのだと思うくらい、あっけなく、その役は取って替わられた。
本来あるべき姿に戻った、とも言うのかもしれない。
家事も、弟妹の送り迎えも、学校行事の父兄としての参加も、自分の今後の進路について考えてきたことも、全て取り上げられた気分だった。
自分を満たしていたものを急に失った当時の喪失感を思い出して、やや気持ちが沈む。
表情は余り変わらない方だが、隣に座っているレイジには何か伝わったのか、
「リョーイチ、調子悪い?お腹すいた?」
と心配そうに覗き込まれた。
「...大丈夫、ちょっと帰るのが憂鬱になっただけ」
外の景色は田園風景で、遠くに山も見える。
アナウンスが駅名を告げる。
降りる駅が近付いていた。




