入れ替わり3
身動ぎひとつして固まる。
意識のある動き方だった。二度寝されては困るとすぐさま声を掛ける。
「起きたか?」
あからさまに肩が跳ねた。恐る恐るといった風に俺の方へ顔が向けられる。
深い緑色の瞳が俺の顔を映し込んでいた。
(目が緑色とか、...外人かよ)
予想していたとはいえ、外国人である可能性が濃厚になってきたことに落胆してしまう。
「あー、言葉分かる?ウェアーユーフローム?」
すると何を思ったのか、奴は勢いよく起き上がり、そしてベッドから転げ落ちるようにして床へへばり付いた。もっと丁寧に表現するならば、日本の土下座に近い格好で、床にへばり付いた。
知らない人間の家で看病されていたんだ、そりゃあ恐縮もするだろうが、いきなり土下座とは。
なんだ、日本の文化に明るい外国人なんじゃないか。
少しの安堵も束の間。
そいつは不恰好な土下座をしたまま、体勢を崩す様子を見せない。丸まった背中は震えているようにも見える。
「そんな畏まるなよ、それより訳を聞かせてくれ」
背中が大きく震える。
「あー、ドントウォーリー、テルミーリーズン、ディスシュチュエーション...で合ってるか
?」
俺の拙い英語では通じないのか、英語圏の人間ではないのか。
俺が言葉を発する度に可哀想なほど反応する。
(いや、別に何も怖がるようなことは言っていないんだけど...)
言葉の壁は思った以上に厚かった。
いい加減頭を上げて欲しくて近くに寄ると、今度は震えがピタリと止む。息をつめる様子が手に取るように分かった。
固まった背中を軽くポンポンと叩いてやる。
「まだ本調子じゃないんだ、もう少し寝とくか?」
ゆっくりと顔がこちらに向けられる。表情は硬く、瞳には怯えの色が色濃く映っていた。
今は何をしても期待した反応は返ってきそうにない。一時休戦だ、今は諦めろと自分に言い聞かす。
「飯食わせて、栄養ドリンク飲まして、薬は...熱みて決めるか」
そこからの行動は早かった。お粥作って無理矢理食べさせて、無理矢理栄養ドリンク飲ませて、熱は微熱だったので冷却シートだけ額に貼り付けてやる。
何せこいつは本当に何もしない。お粥の入ったお椀を見てるだけ、栄養ドリンクもただ見てるだけ、体温計も持ってるだけ。その都度おどおどとこちらを見てくるだけである。
(別に毒盛ったりしてねぇよ)
世界の一般的な体温計の形なんて知らないが、見慣れないものが目の前に出されたからってそんな警戒されるとこちらもいい気分はしない。
その為些か乱暴になってしまったが、半ば強引にスプーンを突っ込む、栄養ドリンクのビンを口に突っ込む、体温計を脇に差し込む、なんてことをしていると、ぼんやり親戚の3歳児の世話をしている様子が思い起こされて可笑しくなってきてしまった。
「お前、そんなナリして3歳児と同じ世話されてんぞ」
(そういう俺は子育て真っ最中の主夫ってか)
そう思うと異常事態続きで張り詰めていた気が緩んだ。
もともと弟妹が多くて面倒見は良い方だった。
(とことん世話焼いてやろうじゃないの)
トイレの場所と使い方を教えてあとはベッドに転がしておく。
ベッドに上がることに抵抗を見せたが、強引に寝転がらせてブランケットをかぶせておく。
眠くなくても寝て体力回復してもらわないと今後のことも考えられない。
俺は2日連続で床で寝ることになるなぁなんて少しげんなりもしたが、座布団とバスタオルを駆使して肩が痛くならない方法を編み出すことに専念する。
(今部屋にある座布団は2枚、バスタオルが4枚あったかな...ベッドの端に追いやられていたクッションが1つあったな)
ベッドの方を見遣ると寝息で規則正しく上下する背中が見えた。
(ほら見ろ、体は疲れてんだ)
奴の足元に転がっているクッションを拾い上げる。
壁側を向いて足を折りたたむよう丸まって寝ている姿を見下ろす。
(意外と、身長はあるんだよなぁ)
立たせると俺の肩以上の高さはあるから、170センチはあるんじゃないだろうか。
年齢はいくつなんだろうか。同い年に見えなくも無いが、外国人は大人びて見えるから分からない。
人心地ついて、そういえば自分は夜になってから何も口にしていなかったと思い出す。
カップ麺のストックがあったのを思い出してシンク横のラックを漁っていると、見慣れた赤色のラベルにでかでかとマジックで書き殴られた「オレの」の文字が目に飛び込んできた。
部屋が隣同士ということもあり早川とは一緒に食べることが多かった。自炊することの方が多かったから一人前より二人前と思い一緒に食べていたが、その延長線で出来合いのものでもインスタントでも一緒に食べることが多くなっていった。
赤色のラベルのカップ麺は早川のお気に入りで、どうせ一緒に食べるのだからと俺の部屋にストックを置いていたのだ。
「お前のカップ麺、食べちまうからな」
夏だからか熱いカップ麺を食べる機会はめっきり減って、ストックも赤いラベルはこれひとつのみだ。
食べ物の恨みは怖い。
俺は今からお前のお気に入りのカップ麺、最後のひとつを食べちまうからな。
文句を言いに戻って来いよ。
お湯を沸かしている間も、注いで3分待つ間も、口をつける瞬間だって、玄関のチャイムが鳴らないかなんて期待したが、麺を啜る音が部屋に響いただけだった。