早川
夏休みも終わりに差し掛かろうとしていた。
約1ヶ月半の間、俺が何をしていたかというと、バイト、バイト、レイジとの散歩、バイト、日用品の買出し、バイトである。
なんてしょっぱい夏休みだろうか。しかしお陰様で懐はほくほくなので、青春のひと夏の対価としては充分だろうと自分を慰めてやる。
去年は一体何をしていただろうか、とふと思い返してみる。
大学の生活にも慣れて、やはりバイトばかりしていた。
それでも合間を縫っては金のかからない遊びで楽しんでいた。大体は早川とばかり遊んでいたが、交友関係の広い早川と連れ立つと、自然と人数が膨らんでいった。
今年の夏といったらどうだろう、俺はレイジ以外と話すことがあっただろうか。今まで早川の顔の広さにあやかっていたのだと思い知らされ、自分の人間関係の希薄さにがっかりするのだった。
後期の授業が始まると校舎は活気に溢れ、自然と見知った顔で寄り集まっては夏休みの土産話がそこかしこに飛び交った。
吸い寄せられるように俺も見慣れた顔ぶれの輪の中へと入っていった。
「長谷、久しぶり!」
「元気してた?」
「焼けてねぇな」
夏休みの浮ついた雰囲気を引き摺りながら、それぞれに軽口を交わす。
その中に近藤の派手な頭を見つけて挨拶を交わす。
「よっす」
「おう」
「...結局休み中も早川に会わなかったよ」
おどけた風に、言っておく。これから早川は学校に姿を見せないだろうという予告のつもりで。
「あー.....ん?」
しかし近藤の反応は、いまいち要領を得ないと言わんばかりに鈍い。
もっと驚かれるか騒がれるかすると思って構えていた俺は拍子抜けだ。
そしてハキハキと話す近藤にしては珍しく、俺を見て言い淀んだ。
「えっと、ごめん、...早川って誰だっけ?」
俺の呆然とした顔に焦ったのか、近藤は「前合コンに来た女の子だっけ?」「いやぁ女の子は下の名前しか覚えてなくて」なんて見当違いな言い訳を並べ立てる。
「...いや、近藤には話したことない子だったかも、ごめん、はは」
なんとか絞り出した声は、抑揚なんてなくて、棒読みもいいとこだ。
近藤は勝手に俺が失恋したのだと勘違いしてくれて、気遣わしげな視線まで寄越してくれた。
決して近藤と早川の仲が浅かったという訳ではない。
遊びに行くにしても結構な頻度で近藤はメンバーの中に居たし、早川と仲良く話しているところをよく見かけていた。ひと夏会わないだけで忘れられるような存在ではないはずなのだ。
近藤は小声で周りに「早川ってどんな子だっけ?」なんて聞いている。周囲の反応は芳しくない。
嫌な仮説が浮かび上がる。
早川の存在が、名実共に、消えかけているのではないか。
世の中の仕組みがどうとか、今の政治がどうとか、世界情勢がどうとか、ぼんやりとこの世界の不条理は感じたことはあったが、ここまで己の身に降りかかったことのようにして不条理を噛み締めたことはない。
早川が、俺が、一体何をしたというのだ。
何故早川の存在が忘れられなければならないというのだ。
遣り様の無い怒りが湧いたと思えば、それは間を置かず不安に成り代わる。
俺もそのうち早川のことを忘れてしまうのではないだろうか、と。
そうでなくても、周囲が早川の存在を無いものとして扱う内に、早川という男は俺が作り上げた想像上の人物だったのではと自信がなくなってくるのではないだろうか、と。
(大丈夫、まだ俺は忘れていない。忘れるわけが無い)
誰に聞いても早川のことを覚えていない。
早川のことを覚えていない奴らに囲まれていることが不快で、不安で、授業もそこそこに、足早に俺は帰宅した。
「リョーイチ、おかえり、なさい」
レイジがいつものように出迎えてくるが、俺の様子がいつもと違うと感じたのか、それ以上話しかけてくることはなかった。
俺は荷物を置くとすぐに隣の早川の部屋へと向かった。
定期的に隣の部屋へ様子を見に行ってはいたが、やはりいつもと変わらない。籠もった熱気を追い払うように換気して、埃を散らして、たまにレイジ用に使えそうな服や食器なんかを物色したりもした。
確かにこの部屋には早川が居たのだ。
早川は質素な生活をしていたから、そこまで物が溢れているということはなかったが、よく使っていたマグカップ、趣味の悪いTシャツ、貸したままになっている漫画、早川がここに居た確かな証拠が、其処彼処に転がっていた。それらは俺の粟立つ心を随分と落ち着かせてくれた。
しかしそんな安らぎの空間も直ぐに取り上げられることになった。
翌週末に、隣の部屋が騒がしいと思って外に出てみれば、大家がいそいそと部屋の中を片付けているところに出くわした。
話を聞けば、空き部屋をそのまま放置していたがそろそろ住人募集をかける為に片付けようと重い腰を上げたとのこと。
必死にいらないものを譲り受けられないかと交渉して、大物家具以外のものは大体全て俺の部屋へと移した。
きっと大家には金に困った貧乏学生が無心しているようにしか映らなかったかもしれないが、そんな体面を取り繕う余裕も無く、俺は必死だった。
どうしてもこの世界は早川の存在を無かったことにしたいらしい。




