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異世界人観察日記  作者: ミチコ
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けいご


リョーイチは何でも知っている。何でも教えてくれる。

ひらがなをなんとか書けるようになって、数字も書けるようになって、簡単な計算ならすぐに出来るようになった。

ただ、問題は、漢字という、画数の多い難しい文字だ。

一本線が増えるだけで違う文字になる。真っ直ぐな線だけじゃなくて、折れ曲がったり跳ねたりうねったりもする。

ひらがなだけでも充分だと思うのに、さすがは魔法使いの国というのか、わざと難解にして他者に容易に理解出来ないようにしているのではないかとさえ思えた。


勉強には段階があって、今俺のランクは「小学4年生」というらしい。

少しずつ覚える漢字が増えていって大変だが、リョーイチが居ない間ずっと勉強をしていると面白いほど頭に入っていく。

文字が読めるようになってくると、絵本や、他の分野の教本、図鑑やテレビに流れるテロップなんかも意味が分かるようになってくる。

そしてどんどんこちらの知識が増えていく。

昔の過酷な労働に比べたらなんて楽しい時間を過ごせているのだろうと思った。


夜のテレビの時間。

この時間はリョーイチが帰ってくる直前までやってる教育番組だ。

本日のテーマは「敬語」というものだ。

この国には歳上の者や立場の上の者に対して言葉で敬意を表す文化があり、通常より少し難解な言い方をするというのだ。

血の気が引いた。

リョーイチは明らかに目上の人間だ。

リョーイチは優しいから、きっと俺の失礼な態度にも目を瞑っていてくれたのだろう。

今後は敬語を使わなければ。気を引き締めてテレビと向かい合う。

基本は、語尾がです、ます、に変わるのか。

それぞれ動詞によって変化の仕方も違うようだ。

名詞でも「お」がつくと丁寧な言い方になるのだとか。

人の名前の後ろに、さん、様などをつけるというのも敬意の表れなんだとか。

俺は今までリョーイチを呼び捨てで呼んでいた。

それこそなんの疑問も抱かずに。

何ということだろう。

リョーイチにはこんなにもよくしてもらっているというのに、礼のひとつも返せないどころか、失礼な言動を繰り返していただなんて。



朝からレイジの様子がおかしかった。

昨日の夜帰ってきた時にはレイジは寝ていたから、大体いつも朝の挨拶と帰宅の挨拶が一緒になる。

「おはよう、ただいま、レイジ」

「...お、お、おかえり、なさい、おはよう、なさい」

いつもはすんなり言えるはずのやりとりも、何故か一拍空き、挙動不審に応じられる。

(何かやらかしたのか?)

不審に思って部屋の中を見回すが、特にいつもと変わった様子はない。

俺より早く起きたレイジが朝から何かやらかした、というわけでもなさそうだ。

水を溢したわけでも、皿を割ったわけでも、何を汚したわけでもない、となると、一体この態度は何が原因だろうか。

「昨日風呂入ったか?ちゃんと寝れたか?」

「...はい」

「?どうした?」

どこか余所余所しさを感じる。

言いたいけど言葉に出来ないのか、口を開いてはすぐ閉じるというのを繰り返している。

そしてまるで意を決したかのようにこちらを向くと、久々の土下座である。

「リョーイチ、様、ごめんなさい、今まで敬語わからないは、悪いこと、です」

呆気に取られている間、レイジはずっと床に額を擦り付けていた。

「なんだ、お前、敬語使えないからって悩んでいたのか。そんなこと気にしなくていいのに」

「...昨日テレビで言っていた、ます、偉い人には敬語使うます、と」

顔を伏せたまま話すから声がこもって聞き取り辛いが、教育テレビの番組で敬語の存在を知り、このままではいけないと思ったのだという。

まさかこんなにもこちらの文化を重んじてくれるとは思っていなかっただけに驚きだ。

俺の偏見だが、外国人が敬語を使うイメージがなかったというのもある。

「気にするな。レイジはまず日常会話ができるようになろうな」

言葉遣いに拘って伝えたいことが伝えられないことになったら本末転倒だ。

「リョーイチ様、は、すごく偉いですから、レイジは敬語覚える必要、です」

レイジにしては珍しく譲る気配を見せない。

こんな俺に恩義を感じてくれているのだという。

こんな俺の身勝手に付き合わされて、全くの異文化に身を置くことを余儀なくされているにも関わらず、それをまるで大層有難いことのように言う。

罪悪感を打ち消すように、頑固になっているレイジを説き伏せるようにして言った。

「あのな、慣れていないやつが使う敬語ほど聞き苦しいものはないし、俺も敬われたくてお前の面倒見ているわけじゃないんだよ。様もいらない。今度様付けなんてして呼んだら怒るからな」

少し早口になってしまったからレイジには聞き取れなかったかもしれない。

ただ俺を怒らせるかもしれないという意味は理解したようで、また深々と土下座である。

「リョーイチ....ごめんなさい、敬語、は、レイジもっと言葉覚えてからやる」

萎縮させてしまっただろうか。しゅんとしてレイジは土下座を解いた。

これだって俺の身勝手だ。

敬語なんて使われて上下関係をはっきりさせられた時には、罪悪感に押し潰されそうになるに決まっているからだ。


敬って欲しいから世話を焼くんじゃないし、勉強を教えているわけじゃない。

やっぱり、結局は、自分の為、なんだ。


自分勝手な浅ましさを隠すように綺麗事を並べてみる。

やれ人間は平等だとか。

家族間友達間において上下関係はないだとか。

「俺とレイジは対等な関係だ。だから敬語はいらない。分かったか?」

これは俺の願望に過ぎない。

レイジは「うん」と小さく返事をした。



リョーイチは言った。

「俺とレイジは対等な関係だ」

そして俺は返事をした。

「うん」

と。


俺は初めてリョーイチに嘘を吐いたことになる。


誰にも気付かれることのない、嘘を、吐いてしまったのだ。






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