外 1
「リョーイチ、バイト、ない」
「そう。今日はお休み」
「おやすみ、は、寝るのこと?」
「違う、お休みというのは働かなくてもいい日ってこと」
「わかった。おやすみ、は、はたらくない日」
夏休みも終わりに近付いてきた頃にはレイジは飛躍的な成長をみせていた。
単語をなんとか繋ぎ合わせたような会話だが、それでも意思疎通をするには充分だった。
渡すドリルも小学生低学年レベルのものにまでランクアップした。
漢字は苦手なようだが、算数は得意なようで、九九もすっかり覚えてしまった。
もうすっかり3歳児から3年生だ。
日常生活も、目を離せないという程ではなくなった。
地頭が良いというのだろうか、教えた分だけしっかり吸収してくれているようだった。
「出掛けるか?」
「デカケルカ?」
「外に出ること」
「ソト、外、窓の向こう?」
「そう」
「レイジ、出ていい?」
「俺と一緒ならな」
正直不安がない訳ではない。
しかしいつまでも部屋に閉じ込めておくのも可哀想だろう。
曲がりなりにも見た目だけなら一般男性のそれなのだ。部屋から出ないままなのは窮屈だろう。
しかし俺の不安よりも当の本人の方がよっぽど不安がっているように見える。
眉を下げて困惑しているのがありありと伝わってくる。
最近レイジは感情が表情に表れるようになった。
といっても世間の外国人ほど大袈裟なものではなく、凹凸のはっきりした顔立ちだから少し表情を作っただけでそれらしく伝わるという程度だ。
それでも充分な成長で随分接しやすくなったのだ。
「怖いか?」
「...コワイ」
しかし性格は臆病なままで、新しいことに挑戦することに躊躇いがちだ。
「俺も一緒だから」
これでは引きこもりの小学3年生だ。
「美味しいもの買おう?」
「........行く」
レイジは食べ物でつられやすい。変な人についていかないように言い聞かせておこう。
普段寝巻きのような緩い格好をさせているから、そのうち服もちゃんとしたものを揃えた方がいいかもしれない。
一部早川の服も拝借して、サイズの窮屈でないサンダルを履かせたら、夏休みにぶらり観光に来た外国人の出来上がりだ。
「...サングラスでもかけさせたいな」
「???」
レイジはこの部屋から初めて出ることになる。
玄関のドアを開ければ当然、いつも窓から見える景色とは違う景色が広がる。
玄関側は窓側とは真逆の方角で、高層というほどではないが、それなりに高い建物が多く、余り遠くまでは見渡せない。
レイジはその様子に驚いたようだった。
「リョーイチ、高いの、たくさん」
「そうだな」
通路を渡りエレベーターへ。
レイジはエレベーターもまた初めてなものだから終始挙動不審だった。
ぼろい、とまではいかないが、やや古めかしい揺れのあるエレベーターだ。
大丈夫だろうかとレイジを横目で見れば、怖くて何かに縋りたいが、遠慮が先行して手の置き場に困っているような動きをしている。
面白いから放置だ。
エレベーターから出てほっと息を吐く間もなく、先程と視界が変わっていることに驚いたのか地面と出てきたマンションを交互に見比べている。
「エレベーターで降りてきたんだよ、あそこが俺たちの部屋な」
5階らへんを指差す。
「え、エレレーター」
「エレベーター」
「エベレータ」
「エレベーター」
「エベレーター」
「...まいっかそれで」
時には妥協も必要である。
外は相変わらず暴力的な暑さだ。
出来るだけ日陰を選んで歩く。
じっとしていても汗が湧き出てくる。
近くに大きな公園があるのでそこまで散歩くらいの軽い気持ちで誘ったが、案外体力的な面でハードな屋外実習みたいになるかもしれない。
「暑いか?」
「暑いはだいじょうぶ」
レイジは汗をかきにくい体質なのか、暑さに強いのか、けろっとしている。
しかしずっと部屋の中で勉強ばかりさせていたから体力はそこまでないだろう。
そして俺も公園へ行ったところでこの日差しの下のんびり出来る自信がなくなってきた。
あと5分も歩けばコンビニがある。
そこで小休憩、もとい、レイジの社会勉強をしよう。
「あそこ、見える?コンビニ」
「こんびに」
「お店。色んなものを売っているお店」
「おみせ」
「あそこに入ろう」
コンビニの前には夏休み中の小学生が集まっている。
(俺も夏休みはこうやってお店の前で集まったなぁ)
懐かしさに頬を緩めながらその脇を通ろうとして、横に居たはずのレイジがいないことに気付く。
後ろを見ると、ちょっと離れたところにレイジが佇んでいる。
「レイジどうした」
近くまで寄って声を掛けてみれば、レイジの表情は強張ってその瞳は不安げに揺れている。
(小学生でも怖いのか?)
俺の身体を壁代わりに小学生から隠れるようにして店内へと入る。
店内でもビクビクと落ち着かない様子でずっと俺の後ろをついてまわった。商品を見て周る余裕もなさそうだった。
店員や他の客に話しかけられでもしたら土下座でもしそうな勢いだったのでこちらも冷や冷やした。
この時俺は失念していたのだが、レイジはこちらに来て俺以外の人間と会ったことがないのだった。
人の多い所に連れて行くにはもう少し段階を踏む必要がありそうである。




