気付き 2
7月も半ばを過ぎ、受けている講義の最終試験が終わった学生から夏休みへと突入していく。
幸いなことに俺は受けている講義も少なく、1週間ほど前に試験も全て終えていた。
刺すような日差しから逃れるように道の端の影を踏みながら歩く。構内の手入れがされているのかも怪しい雑多とした木々から喧しい蝉の声が聞こえる。雲ひとつ無い清々しいほどの晴天が恨めしい。
(あいつら来てるかな...)
早川が消えて3日が経った。
無駄だとは思いつつも、あの日飲み会に来ていた奴らの中に早川の消息を知っている奴がいるのではないかと縋る思いで大学まで足を運んでみたのだ。
しかし予想以上に構内を歩く学生は疎らだ。ほとんどの講義の試験は終わっているようで、サークルや部活動の為に来ている者がちらほらといるだけだった。
この暑い中わざわざ歩いて来たのだ、無駄足にしたくない。教室棟から少し離れた部活やサークルの集まる建物へ足を向ける。滅多に顔を出さなかったが、部室の場所はちゃんと覚えていた。
冷房が効いているのかぴっちりと閉められたドアの向こうは涼しげだ。窓から中の様子を伺うと、いつもより人数は少ないが、何組かの学生が集まっていた。その中に派手な金髪の頭が見えた。
向こうも俺に気付いたのか、入ってくるよう目で促してくる。
「よっ!あれ、長谷だけじゃん、早川は一緒じゃねーの?」
紅茶の紙パックをまるで酒のように持ち上げ挨拶をされる。
よく早川と一緒に行動することが多かったせいで、凸凹コンビとしてセットで認識されていた。
「おう、近藤、飲み会ぶり。その早川のことなんだけどさ、最近見かけなくて。どっかで見なかった?」
気軽に、気楽に、何でもないことのように装って。大事にするつもりはないのだ。そうやって意識しなければ、誰かに縋りたくなってしまう。
「へ?知らねー、見てねーよ、ってかお前ら部屋近いんだろ?」
「いや、部屋にもいなくてさ」
「早川帰ってないの?なんだ、早川も泊まる相手いるんじゃん。長谷お前、過保護すぎ」
呆れた顔を向けられる。何だかんだで早川の面倒をみることが多かったから、周囲からしたら俺は早川の保護者として認識されていたのかもしれない。
「なになに、早川にカノジョできたって?」
近藤の周りに集まっていた奴らも早川にカノジョが出来たんじゃないかという話題で盛り上がり始めた。
「そだ、長谷も今度の合コン来いよ。N女とやんの。早川もカノジョ出来たみたいだし、丁度いいじゃん、お前もカノジョ作ろうぜ!」
陽気にそう言う近藤に、今度はこっちが呆れた顔を向ける番だった。
「お前合コンばっかやってるよな、ほどほどしとけよ。....じゃ、行くわ」
涼しい部屋からは離れ難かったが、あまり長く家を空けておけない。足早に学校を後にした。
淡い期待を抱いていたことは確かだが、どちらかというと諦めの方が多く心の内を占めていた。
早川なら、何かあれば上辺だけの付き合いの多いサークル仲間より俺に連絡をしてくるはずだし、それだけの信頼関係にはあったはずだ。例え彼女ができたって報告してくれただろう。
早川が目の前で消えた、入れ替わった、という、俺の体験を無視した可能性の話ではあるのだが。
気心の知れた幼馴染が隣人ということもあって部屋の合鍵をお互い交換していたので、何度か部屋を覗いてみたりもした。相変わらずシンプルな室内に家主が戻った形跡は全く見つけられなかった。
現実は無常だ。
暑さに耐えかねてコンビニの誘惑に負けはしたものの、アイスを買ったので溶けないうちにと更に歩みを速めた。
学校から徒歩10分もしないところにマンションがある。
ようやくクーラーの効いた我が家に帰ってきた、と意気揚々に玄関のドアを開けると、直ぐ足元に、土下座。
「っおい、危ないだろ」
思わず落としそうになったアイスの袋をなんとか持ち直す。
「 」
小声で何かを言っているようだが、こいつの震えている様子から察するに謝罪の言葉だろう。
「何やらかしたんだ?」
脇に手を差し込んで起き上がらせる。こいつが土下座ばかりするから起こすのにも慣れてしまった。体重も軽く、抵抗する素振りもない、というより固まってしまっているので、案外すんなりと起こせてしまう。
アイスをコンビニの袋ごと冷凍庫にしまい、足早に部屋に向かう。
どんな惨状かと身構えたが、特に何もおかしな所は見当たらない。クーラーの効いた、部屋を出て行く前となんら変わりのない居心地の良い自分の部屋だ。
(あれ、でも俺出ていくときテレビつけたっけ?あとカーテンも開いてる...?)
「あ、これか」
座卓の下に倒れているグラスを見つけた。中に入っていたであろう水が床を濡らしていた。
(土下座の理由は、水を溢してごめんなさい、ってところか)
溜息を吐くと、後ろで俺の様子を伺っていたらしい奴の顔が青褪める。
「怒ってない怒ってない、溢したもんはしょうがないから拭こうか」
いらないタオルを引っ張り出してきて手渡す。意味は分かってくれたようで、奴は屈んで床を拭き始めた。
床を拭きながら、奴はちらちらとテレビの方を見ている。内容が気になって見ているというより、いつ襲い掛かってくるか分からない肉食獣の様子を伺う小動物のそれだ。
(いや、なんでテレビに怯えんのさ)
まさかテレビのことを知らないなんてことはあるまい。こいつの怯えポイントがよく分からない。
座卓の上に無造作に置いてあったリモコンを手に取るとテレビの電源を切った。
するとその瞬間奴は驚いたようにこちらを見た。
「え、まじでテレビ知らない感じデスカ...」
思わず敬語になってしまう。どこの世界から来たらテレビひとつで驚けるというのだろう。
まさかそこまで常識の通用しない相手だとは思わなかった俺は途方に暮れそうである。
気を取り直してアイスでも食べよう。
もちろん自分だけ食べるのも心苦しいので、奴の分もある。
懐かしい味のする棒つきアイスキャンディーである。袋を剥いて渡してやる。
そこで俺は初めて、生まれて初めてアイスを食べた人間の反応というものを見てしまった。
目を輝かせながらアイスに食いつく姿を見ながら、微笑ましい姿なのに乾いた笑いが漏れそうになってしまった。
奴のことを知れば知るほど、異文化理解の道のりが伸びてゆく気がする。
溶けたアイスが俺の膝を濡らした。カーテンから差し込む日差しが憎い。




