1.
「沙織」
可愛い、ってこれだわ、と沙織は毎度の様にしみじみと感じていた。可憐でか弱い、少女の声。私にも出せないかしら、と沙織が家で一人、声真似を試みるほどである。伊東瞳はその日初めて沙織を見つけると、決まって名前を呼んだ。
「おはよ」
沙織は背中から聞こえた瞳の朝の挨拶に、にこやかに振り返って応えた。
「まだ寒いね」
冬の突き刺さる寒さは去ったものの、4月の朝はまだその余韻を残していた。
沙織と瞳はこの4月で高校2年生になった。同じ高校に入学し、1年生の時に同じクラスとなることで出会った。サッパリ、ハキハキといった性格の沙織は、可憐で口数も少ない瞳を可愛らしく思い、また瞳も沙織を頼もしく思う、そんな理想的な友人関係を築いていた。
二人は2年生となり、お互いに違うクラスに配属された。新学年が始まって、お互いのクラスはどう、という会話が日課となっていた。
「沙織、知樹君とも離れてちゃったもんね」
「毎日顔を合わせる必要がないから、鬱陶しくなくていいわ」
「また」
川上知樹は、沙織、瞳と同級生で、沙織の交際相手である。沙織と知樹は中学時代も共に同じ中学校で過ごし、中学生からの恋愛関係である。
仲の良いおしどりカップルとして沙織と知樹は周囲から認知されていた。お互いに見た目も平均以上、成績も優秀、二人共他の異性からの評価も高いが、中学、高校と恋愛関係は崩れることなく、二人の関係に水を差す者は
いないと言って良かった。沙織が知樹を「鬱陶しく」思うなどと、瞳には瞬時に冗談として捉えることが出来た。
沙織は、自身の恋愛に自信を持っていた。高校生という何かにつけ不安定な年頃の身分で、自分ほど幸せな恋愛の中に身を置いている者はいないと思うほどだった。沙織はそれを、自分の恋愛観に因るもので、それは人として正しい恋愛の認識の仕方なのだと確信していた。
かねてより、沙織は愛するのと愛されるのでは、愛することの方がより大切だと感じていた。その考えの元、知樹を想うことに幸せを感じ、また知樹も、周囲に沙織への想いを語るほど、自身の恋愛に真剣に向き合っている様だった。
「瞳は、良いなって思う人、いないの?」
控え目で人見知りな瞳は、恋愛経験が皆無だった。可憐で華奢な印象の瞳異性からの評価も高いが、その性格から恋愛まで発展した相手とはまだ出会っていなかった。
「ううん...ええとね」
「え、なになに?」
「実は新しいクラスでね」
沙織は、パア、と自身の表情が明るくなるのを感じた。控え目でなかなか前に出ない瞳が、良い人が出来たことに純粋に喜びが溢れる。
「気になる人がいるの⁉︎」
「それが、一緒のクラスになった人と今、やりとりしてるんだけど」
「まさか、沙織から?」
「ううん、向こうから」
「凄いじゃない!相手はどんな子なの?イケメン?」
いたずらっぽく質問した直後、沙織は瞳が伏し目になったのを感じた。
「それが...ねえ沙織、相談したいことがあるから、今日学校終わってから、お話したいんだけど」
「どんとこい!」
恋なら任せて!と言わんばかりに、沙織は即座に了承した。沙織は大切な友人の新しい恋らしきものへの期待に胸を膨らませながら、瞳に放課後ね、と挨拶し、自身の所属するクラスへと向かった。廊下を歩いて行く最中に、ふと伏し目になった瞳の表情が思い出された。瞳に声を掛けてきた相手は、一体どんな人だろう、と沙織は考えた。