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虫の息

作者: 絵之守 空

何の変哲もない一日だった。しいて言うならば、いつもより先生のお説教が長かったかな。

おかげさまで電車を一本乗り逃してしまった。うーん、運勢は微妙かな。

家に向かっての帰り道。月に出会うのが次第に早くなってくる季節。

なんとなくお団子が食べたくなる。どうやら私は月より団子らしい。

昔からある慣れた道を行く。もはや目をつぶっていても手に取るように場所が分かる。

変わったところといえば、街灯が増え、住宅が増え、そして老人が増えた。

なんてことはない地方都市の一つの姿だ。都会と違ってドーナツ化は起きない。

半年たったところですぐすぐ変わるものでもない。

変わったのは私の方。半年前に、学生服をタイトスカートのスーツに変えた。

ヒールまで履いて鏡に向かったとき、我ながら仕事が出来そうな人だなと思ったものだ。

ふらふらと歩いていく途中にコンビニに立ち寄る。以前お世話になったところだ。

「らっしゃーせー。あれ、先輩じゃないっスか。何ヵ月ぶりです?」

「おーおー元気してましたか。つーか年上なんだから先輩ゆーな」

「何言ってるんスか。このバイトでいえば先輩が先に、僕が後に入ったんだから先輩ですよ」

「うっせーこのフリーターめ」

調子のよい年上相手に悪態をつく。半年たったところですぐすぐ変わるものでもない。

レジ横をとおってスイーツの棚へ。プリン、ゼリーに並んで団子が並んでいる。その横には羊羹、外郎。

あれ、羊羹と外郎って何が違うんだっけ。まぁいいや。私がほしいのは団子だ。

「あれ、月見でもするんスか?」

団子のバーコードを読みながら後輩(年上)が言う。我ながら単純な発想が若干恥ずかしい。

「まったく、半年前に先輩やめてからさみしかったんスからね」

「気持ちの悪いこと言ってんじゃないやい」

「もうあと10分もすればバイト終わるんで、付き合いますよ、月見」

「結構です。私一人で十分」

あざーっしたー、なんて気の抜けるような声を背に外に出る。月はそろそろ見上げる位置にあった。

そのまま家に向かって歩く。確か、いい感じの空き地がとおりがかりにあったはずだ。

せっかくだからまん真ん中に居座ってやろう。キャリーケースがいい椅子になる。

腰かけて月を見上げて団子を食うのだ。そして一言


「ああ、月が奇麗っスね――」

――刹那、目の前に何かがきらめいた。何かわからないが脳が危険を告げている。

「なぁんで先輩はきれいなまま、とどまってくれないんスかねぇ」

奴の右手が光る。その瞬間、奴は地面をける。

それを見て走り出す。逃げる。逃げる。

自分の足音がうるさい。鈴虫の羽音が耳障りだ。あいつの足音はどこだ。こおろぎは今は邪魔だ!

息が上がる。アゴが上がる。空き地にたどり着く。足場がぬかるむ。夜露に気付いて自分の失敗を知る。

途端に右腕が重くなる。ふと見るとキャスターが抜けていた。

最初に目指していた空き地。月を眺めるはずが、自分の危険を眺めている。

死にかけると時間が止まるというが、途端に視野が広がったりもするのか。

知らなかった。ほんの半年前までここを歩いていたのに。

もう走れない。空き地の真ん中で立ち止まる。入り口にはフードを被った奴がいる。

「逃げないでくださいよ。僕は先輩をずっと眺めていたいだけなんでス」

完全に息が上がっている。この格好ではもう逃げられない。

奴の月光が迫る。私は息を吸い込む。そして足を肩幅に開き、右手に握ったキャリーを振りぬいた。

黒い塊が奴の頭をかっさらって、地面に落ちた。

白い靄が目の前を横切る。それだけで自分の状況を認識する。

足首のあたりがざわつく。太もものあたりが湿り気を帯びてくる。

胸元にあるススキの穂が、私の行く先を遮っている。

人が一人寝られるほどの隙間を開けて。

こんなに月がきれいな夜だというのに、なんでこんなところにいるのだろう。

あんなにうるさかった秋の虫たちの羽音が聞こえない。

何かがのどにこみ上げる。空気となって出ていく。それを繰り返す。

真上に上った月を見上げながら、私は足元のムシノイキを聞いていた。


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