Chapter1 Scene3 女の子は大丈夫
やってきたのは、駅前にあるショッピング街。周囲に学校が多いせいだろう。学生向けに作られたそこは、若者向けの店が建ち並んでいる。
そんな人混みの中を、和哉達に案内されながら歩く。そうして何件かを見て回った移動中。和哉達の後ろをついて歩いていると、天音がさり気なく寄り添ってきた。
「‘柚希’の友達、悪い人じゃなさそうだね。あたしの言動も冗談として受け流してくれたし。馴れ馴れしいのは、距離を測るための演技かな?」
和哉達を批評する天音は、他人が側にいる時とは異なる雰囲気を醸し出している。
猫を被っているのとは少し違うみたいなんだけど、天音はいつからか、他人がいる時といない時で、こんな風に口調を使い分けるようになっていた。
「……もしかして、二人の人柄を確かめる為に、暴走したフリをしたのか?」
「ふふっ、もしそうだって言ったら、柚希はあたしを叱るのかな?」
「いや、流石にそんなことで叱ったりはしないけど……」
俺は以前、ダメダメだったことがある。幼なじみを失ったショックで、今思えば恥ずかしくなるくらい落ち込んでいた。
妹はそんな俺を支えてくれた。そのお陰で、俺は立ち直れたのだけど……その反動でずいぶんと心配性になってしまった。
だから、さっきの行動が、相手の性格を探ったのだとしても怒る気にはなれない。
ただ、申し訳ないと思うだけだ。
「なぁ、天音。もし俺が今でも、お前に心配を掛けてるなら」
「――考えすぎ。あたしは自分の欲求に従っただけだよ」
天音は不満げに言い放ち――ふっと微笑む。それが俺を気遣ってくれているのか、それとも本心なのか。果たしてどっちが天音の本音なんだろう。
そんな風に考えた時、天音の表情が急に強ばった。
「――柚希っ」
いきなり袖を強く引かれる。何事かと思った瞬間、寸前まで俺がいた場所を、スマフォ片手に脇見運転の自転車がかなりのスピードで走り抜けていった。
「大丈夫?」
「あ、あぁ、大丈夫だよ、ありがとな」
「柚希が大丈夫なら良いけど……危ないなぁ。ぶつかったらどうするつもりなんだろ」
天音が自転車の後ろ姿を不機嫌そうに睨み付けるけれど、自転車を漕ぐ学生はそんな視線に気づかずに走り抜けていく。
しかし――その先には、不安げに周囲を見回す小学生くらいの女の子の姿。
「あの子……避けなさいっ!」
いち早くその状況に気づいた天音が手を伸ばす。けれど、女の子が居るのは10メートルほど先。
当然、手は届かない。
小さな女の子は恐怖と驚きに硬直。自転車を漕ぐ学生に至っては、音楽でも聴いているのか天音の声にも気づかない。
――ぶつかる! 誰もがそう思ったその瞬間。女の子の身体が、急に誰かに引っ張られるように倒れ込んで直撃を免れた。
だけど避けきるには至らず、ハンドルに服が引っかかり、引き倒されてしまう。
一瞬の静寂。さすがに何かを引っかけたのに気づいたのだろう。学生は自転車を止めて、背後を振り返った。
――が、その子が転んでいるのを見ると、「ちっ、前くらいちゃんと見て歩けよな」と悪態を吐いて走り出してしまう。
「ちょっと、待ちなさいよっ!」
「ストップだ、天音ちゃん」
追いかけようとした天音を和哉が遮る。
「どきなさいっ!」
頭に血が上っているのだろう。進路を阻まれた天音は和哉を睨み付ける。俺は慌てて仲裁に入ろうとする。だけど和哉は落ち着いた様子で、大丈夫だと口を開いた。
「顔を写メったし、制服で学校も判る。ちゃんと通報しておくから心配ないって」
今にも暴れ出しそうな天音に、和哉がスマフォに写る学生の顔を見せる。それを見た妹の瞳に理性の光が戻った。
「そう……ですか。すみません、八つ当たりでしたね」
「いや、腹が立ってるのはみんな同じだから、気にするな」
「ありがとうございます。……あっ、それより女の子は!」
見れば、女の子は未だにうずくまっている。それを見た天音が慌てて女の子に駆け寄ろうとする。だけど今度は俺が、天音の腕を掴んだ。
「ゆず……き?」
「怪我してるみたいだし、俺が行くよ」
「ダメッ、ダメだよ!」
「良いから、心配しなくても大丈夫だから」
「――っ」
天音はなにかを言いかけ、それをぐっと飲み込んだ。
天音は凄く心配しながらも、俺の意思を尊重してくれている。それが判るから、俺は「ごめんな」と天音の頭を軽く撫で、女の子のもとへと駆け寄った。
そうして、女の子と目線を合わせるように膝をつく。
「大丈夫? どこか怪我をしたのか?」
「うぅ……おひざが痛いの」
「ひざ? ちょっとゴメンな」
俺は女の子の脇の下に手を入れて抱き上げ、店先の石段の上に座らせる。女の子が庇う膝に視線を向けると、膝頭が擦り剥けて血まみれになっていた。
泣いている子供が、事故に巻き込まれた時の天音と被り、学生への怒りがふつふつとわき上がる。けれど、今は手当が先だと、その怒りを抑え込んだ。
「偉いぞ、泣かないで良く我慢したな。すぐに、お兄ちゃんが治してあげるからな」
「……ほんとぅ?」
「ああ、本当だよ。お兄ちゃんは魔法使いだからな」
俺は普段天音にしているように、女の子の頭を優しく撫でつける。そうして、彼女の瞳をじっと覗き込んだ。
俺の見ている世界が蒼く染まり始める。
レフィアの発動条件を満たしている。それを肌で感じ取った俺は、女の子の怪我を治してあげたいと心から願って力を発動させた。
――直後。彼女の膝頭が淡い光りに包まれ、痛々しい傷が塞がっていく。そして僅か数秒。傷の痕跡は、流れ落ちた血の跡のみとなった。
「もう大丈夫、血で少し汚れてるけど、痛みとかはないはずだよ」
安心させようと話しかけると、少女は少し怯えるように俺を見上げる。
「お兄さん……だれ? わたしになにかご用?」
「……いや、なんでもないよ」
傍目には奇妙な光景だけど、俺はその原因に心当たりがある。だから苦笑いを浮かべ、それじゃあねと立ち去ろうとする。
でもそれよりも一瞬早く「――あゆみ!」と、女性の慌てるような声が響いた。
見れば、二十代後半くらいの女性が駆け寄ってくるところだった。恐らくは母親なのだろう。あゆみと呼んだ女の子を庇うように、俺とのあいだに割って入る。
「あゆみ、どうしたの? なにがあったの!?」
「……えっと。怪我をして……」
「怪我? 膝をすりむいたの? 見せて……酷い、血まみれじゃない! ……あら? でも、怪我はしてないようね」
「……判らない。気がついたら、ここに座ってたの」
「気づいたら座ってたって……あなた、これはどういうなんです?」
口調こそ丁寧だが、明らかにこちらを疑うようなまなざし。そんな視線にさらされながら、俺はどう説明したモノかと頬を掻いた。
◆◆◆
「――心配しなくても大丈夫だから」
そう言った柚希が女の子の元に駆け寄っていく。あたしは泣きそうな思いで、その後ろ姿を見送った。
柚希は別に、小さな子供の扱いに手慣れている訳じゃない。ただあやすだけなら、あたしが行った方がずっと安心だ。
だけど、柚希はレフィアを使って女の子を癒やすつもりなのだ。その方が、女の子にとっては最善だと信じているから。
でも、レフィアは青い鳥症候群と揶揄されるような悲しい能力だから、奇跡を起こせば、その代価に見合う幸福を失うことになる。
擦り傷を治すくらいなら、大した影響はない……けど、その代償は、柚希の哀しい記憶をよみがえらせる。
哀しくて苦しくて、どうしようもないほどの絶望に打ちのめされて、ずっと一人で思いつめてた。そんな柚希をあたしはずっと側で見ていた。
だからあたしは、柚希にレフィアを使って欲しくない。
そんな風に唇をかみしめる。あたしの態度がおかしいことに気づいたのだろう。莉子先輩と和哉先輩が、心配そうに顔を覗き込んできた。
「どうしたの? 秋葉くんに任せて良かったの?」
「ええっと……はい。お兄ちゃんに任せておけば、女の子は大丈夫です」
「……女の子は?」
あたしの含みのある物言いに、莉子先輩が首を捻る。けれどあたしは答えず、柚希の様子をじっと見守っていた。
それから程なく、女の子の膝が淡い光に包まれる。
「……あれは、まさか」
レフィア保持者が集まる学院の生徒だけあって、莉子先輩はすぐに柚希がレフィアを使っていることに気づいたのだろう。あたしに不安げな視線を向けてくる。
「……止めなくて大丈夫なの?」
「大丈夫、ではないですね」
「だったらっ!」
「――でも、莉子先輩達が心配しているような意味では問題ありません」
「え、それって、どういう……」
困惑気味の莉子先輩の言葉を遮り、あたしはスカートのポケットから、あらかじめ用意してあったメモの切れ端を取り出し、それを先輩の手に押しつけた。
「……これは?」
「あたしの連絡先です。……あとで、お時間頂けますか?」
そう尋ねつつ、あたしは柚希の後ろ姿を見つめた。それは、柚希がいないところで話したいという意思表示だ。
それを汲み取った莉子先輩は「判ったよ」と、その紙切れをポケットに仕舞う。
「それじゃ、ちょっとお兄ちゃんを助けてきますね」
あたしは努めて明るく言い放ち、母親に詰め寄られている柚希の元に駆け寄った。