Chapter1 Scene1 新しい生活
「秋葉 柚希です。今日からお世話になります」
暖かくなり始めた初夏の日差しが降り注ぐ教卓の隣。俺は新たなクラスメイト達に向かって自己紹介を終え、よろしくお願いしますと頭を下げる。
直後、教室の後方に座っていたさわやか系の男子が、ハイと言って立ち上がった。
「質問だっ! 今まで普通の学校に通っていたんだよな?」
「あ、ああ、そうだけど?」
「なら、柚希はどうしてこんな時期に転校してきたんだ?」
いきなり呼び捨てかよ馴れ馴れしい――なんて考えが頭の片隅をよぎる。だけど、そんな考えは、次の瞬間には吹っ飛んでいた。
不意に男子生徒の二つ隣に座っていた女生徒が短めの髪を振り乱して立ち上がり、
「こんのっ、バカズヤがあああああああああああああああっ!」
全力でさっきの男子を殴り飛ばしたからだ。なお、縮地から繰り出される肘打ちの餌食になった男子は吹き飛び、フローリングの床へと倒れ伏した。
……ええっと。なんなんだ? いきなり殴り飛ばすとか、いくら何でも酷すぎる。
そう思って女子に視線を向けると、偶然にも視線があった。ショートヘヤーで、活発そうな女の子だけど……まさかこっちにまで殴りかかってこないよなと警戒した次の瞬間、
「ごめんっ! 和哉はバカなだけで悪気とか無いから、許してあげてっ!」
彼女は俺に向かってがばっと頭を下げた。
なになに? なんでいきなり謝罪? なんて思っていると、女の子は未だ倒れている生徒――和哉と呼ばれた男子のもとに歩み寄り、
「このバカッ、少しは空気を読みなよっ!」
と、踏みつけた。
和哉は「むぎゅう」と潰れた蛙のような声を上げる。
「………ええっと?」
なんか俺に対する和哉の暴言を、彼女が代わりに謝っているようだけど……呼び捨てのことを言ってるのだとしたら、ずいぶん大げさだよな……と、そこまで考えたところで、俺はようやく少女の言わんとしていることを理解した。
この聖霊学院は普通の学校とは少々事情が異なる。‘レフィア’保持者を集める、日本でも数少ない学院の一つだ。
ちなみにレフィアとは、使用者の一番大切なモノを代償として、心の内に秘めた願いを叶える能力の総称である。
望んだ幸せを求めて、手の中にある幸せを差し出す。強力な力ではあるが、悲劇を生み出すことも少なくはない。それが、若者が現状に満足できずに理想を追い求め続ける精神病――青い鳥症候群に似ていることから、レフィアに目覚めた人間を、青い鳥症候群をこじらせたと揶揄することもある。
そんなレフィア保持者を集める学院なので、中途編入の生徒は訳ありが多い――と言う話を、担任の教師から聞かされている。
――つまり、和哉の発言に対して俺が眉をひそめた。それを見た彼女は俺に暗い過去があると考え、彼の失言を無かったことにするためにあんな暴挙に出たのだろう。
「気にしないでくれ。俺が転校したのは、単なる親の都合だからさ」
「えっ、親の都合? それだけ?」
「ああ、それだけだよ」
俺の推測が正しかったのだろう。彼女は「あ~そうなんだ……」と気まずげな表情を浮かべると、どうしたものかと、足下でつぶれている和哉を見下ろす。
「あはは、ボクの早とちりだったみたいだね」
「みたいだね、じゃないっ! いいかげん俺の上から降りろ、この貧乳がっ!」
「だっ、誰が貧乳だよ!?」
「莉子に決まってるだろっ。このクラスでお前ほど貧乳がいるかっ!」
「なっ! ボ、ボクは着やせするタイプだって言ってるだろっ!?」
ボクっ子には、もう和哉を踏んでいる理由はないはずだが、彼女は和哉を踏んづけたまま口論を続けている。
彼女の胸が実際に小さいかどうかは……自分の保身のためにも明言は避けよう。そんな結論に達し、俺はなんとかして下さいと担任の教師へと視線を向けた。
二人のやりとりは日常茶飯事なのだろう。先生は苦笑いを浮かべつつ頷く。
「あ~和哉、それくらいにしろ。それに土岐も、夫婦漫才はそれぐらいにしておけ」
「だ、誰が夫婦なのさ、訴えますよ!?」
「そうだっ、俺にだって乳を選ぶ権利くらいある!」
「和哉は黙っててよ!」
ボクっ子は土岐と言うらしい。彼女は起き上がろうとした和哉を逃すまいと、踏みつける脚に体重を乗せた。
「――むにゅうっ!?」
「誰が無乳なのさっ!?」
「はっ、なにを言う。今のはお前が踏みつけるから、うめき声が漏れただけだ。被害妄想も良いところだなっ」
「嘘を吐かないでよ、嘘をっ!」
「ちょっ、おまっ、やめ、やめろっ!? それ以上踏まれたら、なにかに目覚める、目覚めるから! らめえええええっ」
「うるさい、黙れ、口を閉じなよ! このバカズヤっ!」
……なるほど。確かに夫婦漫才だ。本人達がどういうつもりかは判らないけど、傍目にはじゃれあってるようにしか見えない。
取り敢えず、どうしたモノか……と、俺は先生を仰ぎ見た。
「まあ、あれは気にせず、席に着け」
「はぁ……って、席ってまさか、あの空いている席ですか?」
まさか違うよな? と、俺は空いている机を見る。それは二人の席の中心点。彼らに挟まれた位置にあった。
「転校したばかりで何かと不安だろ? 判らないことがあれば、あの二人を頼れば良い」
「……あの二人を?」
一体どういう基準であの二人が選ばれたのか疑問を抱く。そんな俺の内心を察したのだろう。先生は俺の耳元に顔を近づけると、小さな声で続けた。
「――あの二人は見ての通り、健康と丈夫さが取り柄だぞ?」
「……そう、ですか」
――この先生は俺のレフィアを知っている。
編入手続きの必要事項として書き込んだので、恐らくはそれを見ているのだろう。だから、俺の為を思って彼らと引き合わせた。
気の使いすぎと思わなくもないけど……別に断る理由もないと、俺は先生の厚意をありがたく受けることにした。