Chapter3 Scene5 それでも諦められなくて
あれから丸一日が経ったが、問題はなに一つ解決していない。
天音とは朝に言葉を交わしたけど、昨夜の件は解り合えないまま。そして咲夜ちゃんとはあれっきり。和哉ともまだ話せていない。
一体どうすれば良いのか、どこで間違ってしまったのか。なにも判らないまま、気が付けばその日の授業は終了。
暗い気持ちを抱えながら正門に向かって歩いていると、不意に呼び止められた。
呼び止めたのは、昨日から学校を休んでいる和哉と土岐だった。土岐は和哉が支える車いすに座っている。
「……もう外に出て大丈夫なのか?」
土岐に問いかけると、彼女は不満気に視線を逸らした。
嫌われていることを再確認し、気持ちが沈む。しかしその直後、和哉が土岐の頭をがしっと掴んだ。
「莉子、散々説明しただろ?」
「それは、聞いたけど。でもボクはやっぱり、秋葉くんが良い人だとは思えないよ」
「――莉子?」
「むぅ……判ったよ」
土岐は渋々と言った感じで俺に視線を向けた。
「なんか、ボクを助けてくれたんだって? 正直、キミがそんなことをしてくれる様な人とは思えないけど……和哉が言うから。……だから、感謝だけはしておくよ」
感謝されているのか、貶されているのか、良く判らないセリフだけど……少し驚いた。たとえ渋々とはいえ、レフィアを使った土岐に感謝されるなんて思ってなかったから。
「……和哉、どんな魔法を使ったんだ?」
「愛の勝利だ」
「………………」
「なにか言えよ、恥ずかしいだろ!?」
「いやまぁ……」
確かに恥ずかしいセリフだけど、和哉の信頼がレフィアに打ち勝ったと言う意味では、間違っていないだろう。
そして堂々と愛などと言ってのけるってことは、気持ちを打ち明けたことが予想できる訳で……やっぱり反応に困る。
「……悪かったな。勝手に土岐の記憶を代償にしたりして」
「いや。最初は……悩んだけどな。感謝すれば良いのか、怒ればいいのかって」
「やっぱり、最初は怒ってたんだな」
「当たり前だ。俺は莉子が大切だけど、お前だって友達だって思ってるんだぜ。なのに、勝手にお前一人が背負い込んで、おかしいだろ?」
「――っ。そう、か」
勝手なことをしたから怒られて当然だって思ってたけど、和哉は俺が一人で背負い込んだことに怒ってた。
最初は騒がしい奴と知り合ってしまったなんて思ってたけど……今なら和哉と友達になれて良かったって心から言える。
「ありがとな、和哉」
「なんでお前が感謝するんだよ。感謝するのは俺の方だろ。柚希には本当に感謝してる。莉子を救ってくれてありがとう」
「俺の方こそ、勝手にレフィアを使ってごめん」
「いや、それはもう良いんだ。あのタイミングでしか無理だったんだろ。天音ちゃんから教えて貰ったよ」
「……天音に?」
「今日の昼過ぎに、天音ちゃんが病室を尋ねてきたんだ。それで、柚希がどんな気持ちでレフィアを使ったかとか、必死に説明してくれたんだ」
「あいつ、そんなことを……」
全然知らなかった。そして、和哉が教えてくれなければ、俺はずっと知らないままだっただろう。
……もしかしたら天音は、いつもそんな風に、俺のことを支えてくれてるのか?
「柚希?」
「あっと、悪い。それで……土岐の脚はどんな感じなんだ?」
「おかげさまで、一ヶ月くらいで歩ける様にはなるはずだって。そこから先は、莉子の努力次第らしいけどな」
「……そっか。良かった」
レフィアの手応えがあったから大丈夫だとは思ってたけど、和哉の口から大丈夫だと聞かされるとやっぱり安心感が違うと息を吐く。
そうして一息。その後は特に踏み込んだ会話もなく、他愛もない雑談へとシフト。穏やかなひと時を過ごした。
二人と別れた俺は、帰宅を取りやめて生徒会室へと向かっていた。
和哉達と話したことで、もう一度頑張ろうって勇気が持てた。それに、天音が俺のために頑張ってくれている。それを知って、自分だけ落ち込んでなんていられない。
俺ももう一度、咲夜ちゃんとの絆を取り戻す為に頑張る。そんな意思とともに生徒会室の前に。扉をノックして、返事を聞くと同時に部屋の中に。
咲夜ちゃんは一人、山積みになった書類の整理に追われていた。
「秋葉、くん? なにをしに来たの? 来なくて良いって言ったでしょ?」
俺の出現に戸惑いの表情を見せたのは一瞬。彼女は拒絶の色を見せる。でも、今日はその迫力に気圧される訳にはいかない。
「もちろん覚えてるよ。でもホントは、作業は終わってなんてないんだろ?」
俺は咲夜ちゃんが作業中の書類に目を向ける。それは、彼女が書き終わったと言っていた書類の一部だった。
終わらせた書類を上に並べ、その下は終わってなんてないのに、さも終わったように見せかけていたのだろう。
「こ、これは……記入漏れが見付かったの。だから、書き直しをしてるだけよ」
「ふぅん、そうなんだ?」
本当かどうかなんて、他の書類を確認すれば明らかになることだ。
でも俺はそれ以上の追求はしない。咲夜ちゃんが嘘を吐いてまで、俺を生徒会から追い出した理由に気が付いたから。
だから、
「……俺のレフィア、それに過去を聞いたんだってな」
俺は余計なやりとりは必要ないと核心を口にした。
「………………………」
「だから俺を生徒会から追い出したんだろ? 自分の不幸を押しつけるのが嫌で」
「…………………………………」
咲夜ちゃんは答えない。だけど長い沈黙の後、小さな溜息をついた。そしておもむろに口を開く。
「聖霊の生徒会にいるとね、レフィアにまつわる色々な話が飛び込んでくるの。うちの生徒がレフィアで誰々を救った、とかね。……貴方も知ってるでしょ?」
咲夜ちゃんは何通かの手紙を机の上に置いた。
「生徒に送られてきた感謝状よ。送り主は、その生徒のレフィアで救われたことを、心から感謝してる。だけど――」
咲夜ちゃんはそれらの手紙を、封印指定と書かれた箱の中にしまった。
「これらの手紙は、本人に渡さないことが多いの。どうしてだか判る?」
俺は彼女の手伝いをする過程で、その答えを既に知っている。だから咲夜ちゃんの寂しげな問いかけに、俺はこくりと頷いた。
「……本人が、助けたことを後悔してるんだろ?」
「そう。この生徒達は他人を救った代償に、自分が救われない状況に陥っている。それを嘆き、救った相手に憎悪すら抱いてる。感謝状なんて渡せば、火に油を注ぐようなモノよ」
幸福を求めてレフィアを使い、失った代償の大切さに気付いて後悔する。レフィアが青い鳥症候群と揶揄される由縁。
どうして咲夜ちゃんが急にそんな話を始めたのか、それはすぐに想像がついた。
「俺が、後悔してると思ってるのか?」
「……判らない。命を救われた後の行動を考えれば、秋葉くんが私を恨んでいても不思議じゃない。……けど、貴方はもう一度、私を救おうとしてくれてるのよね?」
「ああ。だから後悔なんてしてない。もし後悔してることがあるとしたら、それは月ヶ瀬さんの病を完治できなかったことだよ」
「……貴方は優しいわね。でも、だからこそ、私の身代わりになんて出来ない。それに、前回は後悔してなくても、今回は悔やむことになるかもしれないでしょ?」
「そう、かもな」
たとえば、咲夜ちゃんが俺のもとを離れ、他の誰かと幸せな学院生活を送る。そんなのを見せつけられれば、俺はきっと辛い思いをするだろう。
だけど――
「月ヶ瀬さんが死んだら、俺は間違いなく後悔するよ。だから、助けないで後悔するくらいなら、助けて後悔したいんだ」
「秋葉くん……ありがとう。そう言ってくれるのは凄く嬉しいわ」
「だったら!」
「でも、ダメなの」
咲夜ちゃんは拒絶の色を見せ、困ったように顔を伏せる。
「どうして、だよ。レフィアを使えば、確かに色々なモノを失うけど……それでも、命は助かるんだぞ?」
「それは……判ってるわ」
「なら、どうして拒むんだ。月ヶ瀬さんは助かりたくないのかよ!?」
抑えきれない感情をぶつける。その瞬間、咲夜ちゃんはビクリと身を震わせた。そして僅かな沈黙をはさみ、涙を溜めた目で俺を睨み付けた。
「そんなのっ! そんなの助かりたいに決まってるじゃない! 死んじゃったら、全部終わりなのよ!? そんなの、平気なはずないっ!」
俺を睨み付ける咲夜ちゃんの瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。そんな彼女の姿を前に、俺の心は激しく揺れた。
「だ、だったらどうして……俺のことは心配しなくて良いんだぞ?」
「……秋葉くんは鈍感ね。鈍感で、凄く残酷」
咲夜ちゃんは涙を流しながら微笑んだ。それは悲しみを全部押し殺したような、透明な微笑み。あまりの痛々しさに、俺は見ているだけで胸が苦しくなった。
「私はね、助かりたいって思ってる。命が助かるなら、秋葉くんを嫌っても良いって思っちゃってる。――だから、私には無理なんだよ」
咲夜ちゃんの悲しげな音色が、俺の胸をぎゅうっと締め付ける。息がつまるような息苦しさの中、俺はようやく自分がとんでもない勘違いをしていることに気がついた。
咲夜ちゃんが俺を遠ざけたのは、俺を犠牲にしたくないという意思の表れだろう。
だけど、彼女は心のどこかでレフィアによる救いを求めている。だから俺のレフィアは発動しないと、咲夜ちゃんは言っているのだ。
「ごめんね……」
咲夜ちゃんがぽつりと呟く。
「ど、どうして月ヶ瀬さんが謝るんだ?」
「秋葉くんは、レフィアで私の命を救ってくれたんでしょ? それはつまり、私と秋葉くんが、それだけの絆で結ばれていたってことよね?」
「そうだな……少なくとも、誰よりも仲は良かったと思うよ」
「やっぱりそうなのね」
「……やっぱり?」
もしや、なにか覚えているのかと、俺は微かな期待を抱く。だけど、咲夜ちゃんは力なく首を横に振り、俺の予想と正反対のことを告げた。
「私、ね。病気が治る以前の記憶が、ほとんどないの」
「え……それは俺のことだけじゃなくて?」
「うん。秋葉くんのことだけじゃない。家のこととか、両親のこと。およそ思い出と呼べるモノがほとんど残ってなかったの」
「そんな……嘘だろ?」
「本当よ。私の日常に、それだけ貴方が関わってたってことなんだと思う」
「そんなのって……」
妹としてずっと一緒にいた天音ですら、そこまでの影響はなかった。いくら毎日のように一緒にいたからと言って、そんな風になるとは思えない。
だけど、咲夜ちゃんがそんな嘘をつく必要はないはずだ。なにか複雑な条件が絡み合った結果、そんな事態に陥ったということなのだろう。
「でも、そっか……私と秋葉くんは仲が良かったのね。もしかしたら、その頃の私は、貴方のことが好きだったのかしら?」
「それは……」
脳裏に浮かんだのは、レフィアを使う寸前のやりとり。想いを伝えた俺に、咲夜ちゃんは自分も――と言ってくれた。
だけど、
「……どうかな。俺には判らないよ」
今の彼女にそんなことを言えるはずがない。そう思って嘘を吐く。けど、咲夜ちゃんはそんな俺の嘘に気づいたのだろう。
「そっか。私は秋葉くんのことが好きだったんだね」
どこか寂しげな微笑みを浮かべた。
そうして一呼吸。咲夜ちゃんは罪悪感にまみれた口調で告げる。
「……でも、ごめんね。今の私は秋葉くんに特別な感情なんて抱いてないの」
「――っ」
それは、判っていた。判っていたはずだ。なのに、咲夜ちゃんの言葉はトゲとなり、俺の胸にちくりと突き刺さった。
「私のこと、助けようとしてくれて、ありがとね」
「そんな、終わったみたいに言わないでくれっ!」
俺は必死に訴えかける。けど、咲夜ちゃんは諦めたように、力なく横に首を振った。
「……ダメよ。私は秋葉くんを、ただの友達としてしか見てない。秋葉くんだって、本当はそうなんじゃないの?」
「それは――っ」
それは……事実だ。
俺は咲夜ちゃんを救いたいと強く思っている。昔のように仲良くなって、一緒に過ごしたいと、心から願っている。
だけどそれは……友達として。この五年で変わってしまった彼女を、日だまりのような女の子――俺の大好きだった幼なじみと重ねることは出来なくなっていた。
そんな俺の内心を見透かしたかのように、咲夜ちゃんは力なく微笑む。
「だから、ね? もう良いの。そんな風に、私のために必死にならなくて良いの。私のことは、もう……忘れて」
「……忘れる?」
「そう。私のことは忘れて。そうすれば、秋葉くんがこれ以上悲しむ必要なんてなくなる。私も、思い残すことなく死んでいける……」
それは、嘘だ。
死にたくないと言っていたのに、未練がないはずがない。その証拠に、咲夜ちゃんの顔は今にも泣きそうで、その手は小刻みに震えている。
咲夜ちゃんは、自分のために他人を犠牲にするなんて出来ないと言ったくせに、俺のために自分を犠牲にしようとしている。
……俺に、咲夜ちゃんを犠牲にさせようとしている。
そんなのは、許せるはずがなかった。
「忘れるなんて……忘れるなんて、出来るわけないだろ! 死にたくないくせに、見捨てて良いなんて、心にもないことを言うなよ!」
俺は声を荒げる。その瞬間、咲夜ちゃんはびくりと身を震わせた。
「だったら、だったらどうしろっていうのよ……」
俺を見上げる咲夜ちゃんは、迷子の子供のような顔をしていた。
「私が縋れば、助けてってお願いすれば、秋葉くんは私の病気を治せるの?」
「それは……試してみなきゃ判らないだろ? 諦めたら、終わりじゃないか!」
「……なら、試してみましょうか?」
咲夜ちゃんはそう言って立ち上がり、俺の前に移動した。
そして――
「え? ――んっ!?」
刹那、咲夜ちゃんが俺の首に腕を回し、唇を乱暴に重ねてきた。互いの歯が唇越しにぶつかり痛みが走る。
――初めてのキスは、血の味がした。
「な、なにを……?」
「秋葉くんが悪いのよ。私は秋葉くんを利用しないように、必死に遠ざけようとしてたのに。それでも、助けるなんて言うから」
「そ、それがどうして、キ、キスすることになるんだよ?」
「私が助かるために決まってるじゃない。今の私は秋葉くんに特別な感情を抱いてなんてない。……けど、体を重ねれば、心だってついてくるかもしれないでしょ?」
「なっ!? そ、そんな理由でキスしたっていうのか!?」
「……そんな理由?」
咲夜ちゃんの整った顔がヒクッと引きつった。それは笑おうとして失敗したような、どこか歪んだ表情だった。
「あなたが言ったのよ? 死んだら全部終わりだって」
「それは……そうだけど、でも……」
死んだら終わりだって言ったのは俺だ。でも、これはなにか違う。そう思わずにはいられない。
「さっき、死にたくない癖にって言ったわよね? そんなの当たり前よ。私はまだ、十七にもなってない。夢だってあるし、死にたくないに決まってる」
「だから――」
咲夜ちゃんは静かに、けれど拒むことを許さない意思を秘め、俺をソファに押し倒した。
「なにを、なにをするつもりなんだよ?」
「判ってるでしょ? 私は死にたくない。だから、私の心を、私の……体を、秋葉くんにモノにしてよ」
彼女は輝きを失った瞳で、俺をジッと見つめている。まるで感情を失ってしまったかのような面持ち。だけどそれは、無理をして感情を消しているだけだ。
だって、自らのブラウスのボタンを外していく彼女の指が震えているから。
「ダメだ。こんなの、間違ってる!」
「じゃあどうしろって言うのよ? 他に方法なんてないじゃない! 私のこと助けてくれるんでしょ!? なら、逃げないでよっ!」
「……月ヶ瀬さん」
こんな方法を試したって、きっと上手くいきっこない。それは判ってる。
……うん、判ってる。俺のレフィアは不純な好意には反応しないのだから。
でも、だけど……それでも。死にたくないと泣いている咲夜ちゃんを突き飛ばすことは……出来なかった。
そうして抵抗を止めた俺に、咲夜ちゃんはゆっくりと覆い被さってくる。
「気休めかもしれないけど……たぶん私は、相手が秋葉くんじゃなければ、こんな手段は取らなかったと思う……」
校舎の一角にある生徒会室。窓辺から差し込む夕日に照らされる生徒は二人。
そして、影は一つ。
黄昏に、甘く切ない想いがあふれた。






