Chapter3 Scene1 後悔なんてしない
――俺にとって一番の悲しい結末は、咲夜ちゃんが死ぬことなんだ。だから待っているのが悲しい結末だとしても、俺は彼女との絆を取り戻すよ。
――なんて格好つけてみたモノの、咲夜ちゃんとの絆を取り戻すには、今まで通りコツコツと努力を続けるほかはない。
そんな訳で放課後。俺は咲夜ちゃんを過剰に気遣わないように意識しながら、黙々と生徒会の仕事を進めていた。
「……ねぇ、一つ聞いて良いかしら?」
「良いけど……なんだ?」
「秋葉くんって、どうして転校してきたの?」
「なんでそんなことを聞くんだ?」
「ほら、聖霊に編入してくる人のほとんどはレフィアがらみだから、もしかしたら秋葉くんもそうなのかなって」
「あぁ、そう言うことか。俺はただ親の都合で転校しただけだよ」
「そう、なんだ? じゃあ、レフィアを持ってる訳じゃないの?」
「それは……」
癒やしのレフィアを持っていることは、万が一にも咲夜ちゃんに知られる訳にはいかない。俺は顔が引きつるのを自覚した。
「ごめんなさい。マナー違反だったわね。今の質問は忘れて」
「……判った」
――って、判ったじゃないだろ。今のじゃ、俺がレフィアを持ってるって告白してるようなモノじゃないか!
普段通り振る舞わなきゃいけないのに、俺はなにをやってるんだ。
しかも俺が変な反応をしたせいで、咲夜ちゃんは失言したみたいな感じで沈黙しちゃってて空気が重い。誰かなんとかしてくれと考えていると、不意に扉がノックされた。
「どうぞ?」
咲夜ちゃんの返事の後、一呼吸置いて扉が開かれる。姿を現したのは、うちのクラスの担任教師だった。
「先生、なにかご用ですか?」
咲夜が立ち上がって対応を始める。俺は作業を続けながら、それを横目で伺った。
「実はな、うちの生徒が病院に運び込まれたらしいんだ」
「病院、ですか?」
「ああ。レフィアを使った代償だそうだ」
「……そうですか」
咲夜ちゃんは少し悲しむような素振りを見せたけど、驚く様子はなかった。
この学校では時々あることなので、病院に運び込まれたと聞いた時から、そういった可能性を予想していたのだろう。
「それで、私はなにをすれば?」
「ああ。病院まで行って、少し様子を見てきてくれないか? 必要そうなら、レフィア専門のカウンセラーを手配しなきゃならんしな」
「判りました。それで、その生徒はどこの病院に?」
「駅の近くにある総合病院だ。生徒の名前は、土岐 莉子」
「――なっ!?」
俺は思わず立ち上がっていた。
「先生、今のは本当ですか!?」
「なんだ、急に……って、秋葉か。そういや、生徒会を手伝っているんだったな」
「俺のことより、土岐が病院に運び込まれたのは本当ですか?」
「あ、ああ、残念ながら本当だ。レフィアを使ったらしい」
「そう、ですか……」
妙な胸騒ぎがする。俺はそれを確認するべく、咲夜ちゃんへと視線を向けた。
「俺に行かせてくれ」
「……そうね。知り合いの方が良いかもしれないわね。それじゃ、秋葉くんが様子を見てきてくれるかしら?」
「ああ、行ってくる!」
俺は鞄をひっつかんで生徒会室を飛び出した。
受付で部屋番号を聞いた後、俺は土岐のいる病室の前にやって来た。
そうして、扉を控えめにノックする。
「……どうぞ」
沈んだ声。土岐の心理状態を察した俺は唇を噛む。だけどそんな自分を見せないように取り繕ってから、静かに扉を開けた。
「土岐、調子はどうだ?」
「……あれ、秋葉くん? どうしてここに?」
「ほら、俺は生徒会の手伝いをしてるだろ? それで先生から土岐のことを聞いて、様子を見に来たんだ」
「あ、そうだったんだ……」
やはり相当落ち込んでいるのだろう。土岐はそのまま黙り込んでしまう。だから俺は自分から、中に入っても良いかと尋ねた。
「あ、気づかなくてごめんね。なにもないところだけど、良かったらその辺に座って」
俺は頷き、ベッドサイドにあったパイプ椅子に腰を下ろす。
「……それで、なにがあったんだ?」
「それは……」
「あ、悪い。言いたくなければ、言わなくても良いぞ」
「うぅん、良かったら聞いてくれる? 今は誰かに聞いてもらいたい気分なんだ」
「……そっか。なら聞かせてくれ」
「うん。帰り道の交差点でね、信号が代わった直後に車が突っ込んできたんだ。でも子供って、青になったら周りも見ずに走り出したりしちゃうでしょ?」
「それで……子供を助けるのにレフィアを?」
「うん。母親が必死に手を伸ばしてるのを見て、とっさにレフィアで車の進路を変えちゃった」
「そう、か……」
レフィアの代償は一般的に、使用する力の大きさに比例する。進路を変えるだけとはいえ、車を動かすには相当の代償が必要となったはずだ。
「それで、その……土岐の体は……大丈夫なのか?」
胸とは聞けなくて、そんな風に遠回しな質問を投げかける。
「……ボク、もう二度と歩けないんだって」
「……………え?」
言っている意味が理解できない。
土岐のレフィアの代償は胸のサイズ。レフィアが発動しなくなることはあっても、脚に影響が出るなんてあり得ない。
……けど、今にも泣き出しそうな土岐の顔が、それは事実だと物語っていた。
「どういうことなんだ?」
「……ボクのレフィアの代償、和哉から聞いたよね?」
「どうしてそれを……まさか!」
あの時の話の内容を考えると、和哉がそれを土岐に話すとは思えない。にもかかわらず、土岐はそのことを知ってた。
その理由は――
「俺達の話を聞いてた……のか?」
「初めは偶然だったんだよ? 二人で話してるのが見えたから、驚かそうってコッソリ近づいたら……」
「そうか……」
あの時の和哉は、走っている莉子が好きだと言った。それを聞いてしまったが故に、土岐のレフィアの代償が変化したのだ。
「でも、だったらどうしてレフィアを。歩けなくなるかもって思わなかったのか?」
「そんなの……思わないはずないよ」
「だったらどうしてっ! もっと酷いことになる可能性だってあったんだぞ!?」
「なら、秋葉くんは見捨てられるの!? 目の前で、小さな子が轢かれそうになってたんだよ!?」
「それは……」
目の前で子供が死にそうになっていて、自分にしか救えない。そんな状況で放って置けないと思うのは判る。
けど、代償として、土岐と言う存在が消滅してたっておかしくなかった。
それを理解していながらどうして――と、そこまで考えたところで、レフィアは人の願望が具現化したモノだと言われていることを思い出した。
土岐の深層心理にあるのは、決して届かないモノを手に入れたいという強い想い。子供に向かって必死に手を伸ばす親を見て、自分と重ねてしまったのだろう。
「……………悪かった」
「……うぅん。ボクの方こそ、怒鳴ったりしてごめん」
土岐はそう言って沈黙。俺もどんな言葉を掛ければ良いか判らなくて黙る。
そうして数分の時が過ぎた頃、土岐がおもむろに口を開いた。
「ボク、後悔なんてしてないよ」
「…………」
「だって、ボクがレフィアを使わなければ、子供が死んじゃってたかも知れないんだよ? だから、後悔なんてしてない。出来るはず……ない」
天音や咲夜ちゃんにレフィアを使った俺には、土岐の気持ちが痛いほどに判る。
だから……
「それでも、土岐が悲しんじゃいけないなんて理由にはならないよ。歩けなくなって悲しくない奴なんていない。嘆いて当然だろ?」
「でもっ」
「大丈夫だ。もしそれで土岐を薄情だなんて言う奴がいたら、俺や和哉がそいつをぶん殴ってやる! だから、悔やんだって良いんだ」
「そう、なのかな? ボク、悲しんでも、良いのかな?」
「……ああ」
土岐はそれでも歯をくいしばるように我慢していたが、やがて耐えきれないと嗚咽を漏らし始めた。
「……………ぐすっ。どうして、どうしてこんなことになっちゃったのかな……せっかく、和哉が走るボクが好きだって言ってくれたのに。なのにっ、なのにもう二度と、歩くことすら出来ないって。……ボク、和哉に嫌われちゃうのかな?」
「それは……」
そんなことはないに決まっている。だけど……すぐにそう答えることは出来なかった。
和哉の気持ちは変わらない。和哉は土岐が側にいてくれれば、それだけで幸せなんだから――と、そんな風に慰めれば、土岐はきっと元気を取り戻すだろう。
だけど、そうしたらきっと、レフィアの代償は土岐の存在を脅かす。それを分かっていて、そんな言葉をかけられるはずがない。
だから――
「……大丈夫だ。和哉はこうも言ってただろ? ‘他人のためにレフィアを使える、優しい土岐が好きだ’って。だから、なにも心配しなくて大丈夫だ」
俺はその言葉を口にした。これならば万一の事態が発生しても、土岐の存在が消える可能性は下がるはずだ。
それに――と、俺は心の中で続ける。レフィアは、その人の願望が具現化したモノだと言われている。そして、俺のレフィアは……
人を救ったことを誇りに思いながらも、レフィアの代償で失ったモノの大きさに苦しんでいる。今の土岐は、昔の、そして未来の俺だ。それを知りながら、放っておけるはずなんてない。俺は土岐にレフィアを使う覚悟を決めた。
問題は二つ。
代償が足りるかどうかと、レフィアが発動するかどうか。
怪我の類いはきっかけさえ作れば、自然治癒する場合が多い。土岐がどの程度の友情を抱いてくれているかは判らないけど、自然治癒を促す程度なら可能だろう。
後は発動するかどうかだけど、今の土岐は俺のレフィアを意識していない。俺のレフィアを思いだし、治して欲しいと思う前なら使用は可能なはずだ。
だから――
俺はパイプ椅子から立ち上がり、土岐の瞳を覗き込んだ。
「あ、秋葉くん?」
俺は答えず、レフィアを使うために意識を集中する。
すぐに、俺の見ている世界が蒼く染まり始める。レフィアの発動条件を満たしていると感じた俺は、心から土岐を治してあげたいと願い、レフィアを発動させた。
わずかな沈黙を挟み、土岐が怪訝な顔で俺を見上げる。
「……秋葉くん? あんまりじっと見ないで欲しいんだけど」
「っと、悪い」
俺はさっと土岐から離れる。が、土岐の不機嫌そうな様子は収まらなかった。
「大体、さっきからなんなの? 人の気も知らないで、勝手なことばっかり言ってさ。少しは、ボクの気持ちも考えてよ」
「……そうだな。ごめんな」
「悪いと思うなら、帰ってくれない? ハッキリ言って、今は秋葉くんの話に付き合ってあげられる程の余裕はないんだよ」
「……ごめん。それじゃ帰るよ」
本当は脚の調子を聞きたいけど、この様子じゃ無理だろう。だから俺はなんでもない風を装って部屋を退出。
扉を閉めて――廊下の壁に体を預けた。
「……………………これで、良かったんだよな」
後悔はない。後悔なんてしない。
だけど、今はまだ……もう少しだけ。無言で無機質な天井を見上げる。
どれくらいそうしていただろう。
廊下の向こうから、誰かが早足に駆けてくる。気になって視線を向けると、そこには息を切らせた和哉の姿があった。
「和哉か、ちょうど良かった」
「柚希か、莉子はこの中か!?」
俺とのやりとりもそこそこに、和哉は部屋をノックしようとする。だから俺は慌てて、その腕を掴んだ。
「土岐は落ち込んでるけど無事だ。だから、ちょっとだけ俺の話を聞いてくれ」
「後にしてくれ。俺は莉子の様子を」
「――その土岐のことで、大事な話なんだ」
「……どういうことだ?」
和哉がようやく振り向いたのを確認し、俺は腕を放した。
「土岐が、このあいだの俺達の話を聞いてたそうだ」
「このあいだって……まさか」
「ああ。和哉は走ってる土岐が好きだって話だ。それでレフィアを使った代償で、二度と歩けないだろうって言われたらしい」
「――ちくしょうっ!」
和哉が壁に拳を叩き付ける。だから俺は間を置かずに続ける。
「でも、たぶん大丈夫だ。あとで、先生にもう一度検査してもらってくれ」
「……なにを言ってるんだ?」
「すぐに歩けたりはしないと思うけど、回復の見込みはあるって言われると思う」
「だから、どうしてお前にそんなことが――まさかっ。レフィアを使ったのか?」
「……ああ、使った」
和哉が俺を信じられないような目で見る。
「なんで、だよ……お前のレフィアは、相手の記憶を奪うんだろ?」
「勝手なことをして悪いと思ってる。でも、その話は今度にしよう。土岐はお前に嫌われるかもって不安がってたから、顔を出してやれよ」
「――っ。判った。でも、後でちゃんと話を聞かせてもらうからなっ」
和哉は身を翻し、扉をノック。返事を待つのも煩わしげに、土岐のいる病室に飛び込んでいった。
程なく、病室から二人の話し声が聞こえてくる。気遣う和哉の声に、泣きじゃくるときの声。……あの二人なら、心配する必要は無いだろう。
俺はこれ以上二人の言葉を聞かないようにと、その場から立ち去った。