Chapter2 Scene5 一番大切なモノは……
今回で折り返しとなっています。
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生徒会終了後、俺は真っ直ぐに自宅へと向かっていた。
本当は咲夜ちゃんを自宅まで送りたかったのだけど……心配ないと拒絶する彼女に、取り付く島はなかった。
そんな訳で、彼女と別れた俺は大急ぎで帰宅。楓ねぇと連絡を取ってもらうべく、天音を探してリビングへ突撃したのだが……
そこには、天音とおしゃべりする楓ねぇの姿があった。
「あ、柚希お帰り――」
「――楓ねぇ!」
俺は乱れる呼吸もそのままに、楓ねぇに縋りついた。
「ゆ、柚希!? な、なんで楓に抱きついてるの!?」
驚く天音の声が耳を打つ。だけど俺は、天音にかまう余裕はなかった。
「教えてくれ、楓ねぇ! 咲夜ちゃんは病気なんかじゃないよな!?」
否定して欲しくて問いかける。だけどその瞬間、二人は揃って息を呑んだ。
それだけで、俺は理解してしまう。咲夜ちゃんは、やっぱり病気を患っている。二人はそれを知っていて、俺に隠していたのだ。
「命に関わる病気、なの……か?」
「それは……」
楓ねぇは言葉を淀ませる。だけど、その視線は決して俺から逸らさなかった。その瞳には愁いと戸惑い、それに憐憫の色が浮かんでいる。
「そう、か……」
苦しげな咲夜ちゃんを見た時から覚悟はしていた。だけど、改めてそうだと理解させられ、俺はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「柚希くん……」
「………………」
「しっかりしてください、柚希くん」
楓ねぇは立ち上がれない俺の前に跪き、俺の頭を抱きしめた。
柔らかくて甘い香りがする楓ねぇの腕の中。だけど今は、それが酷く無機質で冷たいモノに感じられた。
「どうして……どうして最初に教えてくれなかったんだ」
最初から知ってれば、こんなにショックを受けることはなかった。そう思うと、やり場のない怒りがこみ上げてくる。
だけど、俺がその感情を楓ねぇにぶつける寸前、
「待ってっ! 楓は悪くない。悪いのはあたしだから!」
天音が悲痛な叫びを上げた。
俺はその音色に驚き、天音へと視線を向ける。天音は目に大粒の涙を溜めて、それでも必死に泣くまいとしながら、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「……どういうことだ?」
「事実を知れば、柚希は絶対に傷つくって思ったから。だからっ、柚希には隠しておいてって、あたしが楓に頼んだの!」
「そう、か……」
再会したあの日。楓ねぇは俺になにか話そうとしていた。だけどその時、天音が『これ以上柚希を傷付けないで』と、楓ねぇの言葉を遮った。
あの時は意味が判らなかったけど……こういう意味だったんだな。
「でも、どうしてだよ。後から知った方が傷つくことくらい判るだろ?」
「ごめんなさい……」
天音は唇を噛んで、黙りこくってしまう。俺は詳しい話を聞くために、楓ねぇへと視線を戻した。
「咲夜ちゃんは……今度はどんな病に冒されているんだ?」
五年前、俺はレフィアを使った代償として、咲夜ちゃんとの絆を失った。
だけど――いや、だからこそ。俺は咲夜ちゃんを救ったという結果に誇りを持っている。
咲夜ちゃんがまたなんらかの病気に冒されているのだとしても、俺は必ず癒してみせると意志を固めた。
だから――
「……あの子は、病を再発させたんです」
楓ねぇの言葉を受け入れられない。
「どういう意味、だよ?」
「あの子の病が完治していなかったと言う意味です」
「そ、そんなはず……そんなはずないだろ!? 俺はあの日、確かにレフィアを使って、咲夜ちゃんの病気を治したはずだ!」
「そうですね。柚希くんのお陰で、咲夜の体は確かに持ち直しました。ですが、病因は根絶されていなかった。それが、今になって再発したんです」
「そんな、嘘だろ……」
認めたくない。認めるわけにはいかない。
俺は咲夜ちゃんの想いを犠牲にした。‘あたしの大切なモノを奪わないで’って、泣き叫ぶ彼女の願いを無視してレフィアを使った。
平気だった訳じゃない。本当は嫌われたくなんてなかった。
だけど、そうしないと咲夜ちゃんが死んじゃうから。だから、俺は彼女の病を癒すためだって言い聞かせ、大切なモノをすべて、ぜぇーんぶ、代償に差し出した。
それなのに……咲夜ちゃんの病が治ってなかった?
「……どうして、だよ」
「どうして? 貴方には判っているはずですよ?」
「――っ」
俺はギュッと唇をかんだ。
楓ねぇの言うとおり、理由なんてとっくに判っている。天音がひた隠しにしようとした理由も、痛いほど判っている。
判っていて、判らないフリをしているだけだ。
俺のレフィアは、対象が俺に対して純粋な好意を抱いていれば発動する。だけど、それはあくまで発動条件でしかない。
酷い症状を治すには、強い想いが必要になる。もしその想いが症状に釣り合わなければ、レフィアは不完全な形でしか発動しない。
つまりは――と俺の思考とシンクロするように、楓ねぇが口を開いた。
「病が完治しなかった理由はただ一つ。貴方に対するあの子の想いが、命の重さに釣り合わなかったからです」
「――楓っ! 貴方、なんてことを言うのよ!?」
天音が声を荒げて楓ねぇに詰め寄る。
けれど彼女は、そんな天音の視線を静かに受け止めた。
「事実でしょ?」
「だとしても、他に言いようがあるでしょ!?」
「なら、どうしろっていうの? ……貴方ならどう答えるっていうの?」
「それは……」
天音は言葉につまり、下を向いてしまう。
「楓ねぇ、あまり天音を苛めないでくれ」
「……すみません」
ほんとは判ってる。どれだけ言葉をオブラートに包もうが事実は変わらない。楓ねぇはそれを誤魔化さず、傷つける勇気を持って俺に伝えてくれた。
だから楓ねぇは悪くない。なのに、楓ねぇは素直に引き下がってくれた。口ではキツイことを言っても、本心では俺を案じてくれているのだろう。
俺は楓ねぇに心の中で感謝しつつ、天音へと視線を向けた。
「天音も、心配してくれてありがとな」
「柚希……あの、あのね。咲夜は自分の命なんかよりずっと、柚希を想う気持ちを大切にしていたと思うよ。病が完治しなかったのはきっと、ほかに理由があるんだよ」
泣きそうな面持ちで、訴えるように紡ぐ。そんな天音の言葉に根拠なんてあるはずがない。咲夜ちゃんの病が完治しなかった理由なんて、他に考えられないのだから。
だけど、それでも、天音は俺が落ち込まないように必死になってくれている。その心遣いが、今の俺には嬉しかった。
「ありがとな。天音が支えてくれるから、俺は頑張れるよ」
どん底に落ちたような気分だったけど、俺はここから這い上がらなきゃいけない。
ここで昔のように絶望していても天音を心配させるだけで、咲夜ちゃんを救うことは出来ない。――だから、俺は気力を振り絞り、しっかりと立ち上がった。
そして改めて、楓ねぇを真っ直ぐに見る。
「咲夜ちゃんの病が再発してるのは判ったよ。それで楓ねぇは、俺にこんな風に言いたいんだな。彼女を救うために、もう一度仲良くなって……嫌われろ、って」
全てを投げ出してでも救いたかった幼なじみ。
もしもう一度、仲良くなれるチャンスがあるのなら、どんな逆境にでも立ち向かってみせる――と、そう思って楓ねぇの頼みを引き受けた。
そして、咲夜ちゃんともう一度話すことが出来た。俺が淹れたミルクティーを飲んで、美味しいと言って貰えた。今は以前ほど嫌いじゃないって……言って貰えた。
それは、凄く、凄く嬉しかった。
――だけど、それもこれも全部、全部消え失せるっ!
この先に救いなんてない。ようやく取り戻した幸せが全部、砂のお城のように崩れ去ってしまう! そんなの、そんなのっ、耐えられるはずがないっ!
俺は咲夜ちゃんに嫌われるために努力してきたんじゃない。昔のように仲良くなりたかったから、ここまで来たんだ!
だけど――っ。だけど……
「……判った。それが咲夜ちゃんを救う唯一の方法なら、俺は逃げない」
俺の口からこぼれ落ちたのは、胸に渦巻く想いとは違う言葉だった。
「……良いのですか? 柚希くんにはなに一つメリットがない、ただ辛いだけの結果になるかもしれませんよ?」
「そう、だな」
今度こそ、俺は立ち直れないかも知れない。
でも、俺は傷つくのが怖いんじゃない。咲夜ちゃんが大切で、だからこそもう一度絆を取り戻したいと願っていて、それが叶わないかもしれないことが恐怖なのだ。
だから咲夜ちゃんから逃げることに意味はなく、彼女が死んで傷つくのも俺自身。そして仲良くなったとしても、咲夜ちゃんが死んでしまっては意味がない。
――結局、俺の選べる答えは、初めから一つしかなかった。
「俺は、咲夜ちゃんにレフィアを使うよ」
「……どうして」
俺の決意に口を挟んだのは、沈黙を守っていた天音だった。
「どうして柚希は、そこまでして命を救おうとするの?」
「どうしてって……そんなの、当たり前のことじゃないか」
天音の言いたいことが判らなくて戸惑う。そんな俺に、天音は首を横に振った。
「柚希のレフィアの代償は、柚希に対する相手の想い。傷つくのは柚希だけど、その想いを失っているのは、柚希じゃないんだよ?」
「それは判ってるよ」
「――判ってないっ!」
不意に、天音があらん限りの声で叫んだ。今まで聞いたこともないような剣幕に驚いて、俺は天音を呆然と見つめる。
「十年前、柚希は天音にレフィアを使ったよね?」
「それは、事故で二度と歩けないって聞かされて、落ち込んでるお前を助けたいって思ったから……」
「うん、そうだね。覚えてるよ。柚希は天音を救うために必死だった。だから、そうして天音を救った柚希を、責める人なんていない。だけど――っ」
天音の寂しげで哀しげな瞳が、俺の目をじっと見つめる。そこには言いようのない感情が秘められていた。
「あたしは、柚希と過ごした思い出を失いたくない」
「でも、それは……」
「うん、判るよ。他の人からすれば、命には代えられないって思うよね。想い出なんかのために命を捨てるのは、愚か者のすることだって。だけど……だけど、ね」
天音は手のひらを胸に添え、訴えかけるように俺を見た。
「あたしにとっては、命よりも大切な想いなの」
そんな天音の訴えに、俺の心は激しく揺れた。そしてそれと同時、和哉を通して聞かされた天音の言葉を思いだした。
「……天音は、俺がレフィアを使ったこと、恨んで……いるのか?」
「恨んでるはずなんてないよ」
天音から紡がれた言葉に、俺は心から安堵した。
だけど――
「だって、天音はそのことを覚えてないんだから」
続けられた言葉に、俺は心臓を鷲づかみにされるような衝撃を受けた。天音の言うとおりだ。俺は天音をレフィアで救った代償として傷ついた。
でも天音は傷ついてない。傷つくことすら、出来なかったのだ。
レフィアを使って傷つくのは俺だけど、大切なモノを失うのは俺じゃない。
命と、それに匹敵する大切な想い。どちらが大切かなんて、本人にしか決められない。なのに俺は自分の価値観を押しつけ、自分勝手に天音の想いを奪い去った。
「そっか……俺は、間違ったことをしたんだな」
すまない――と、謝罪の言葉を口にしようとする。だけどその言葉は、口をついて出ることはなかった。天音の細くてしなやかな指先が、俺の唇をふさいだからだ。
「誤解しないで。十年前はまだ、柚希は自分のレフィアを知らなかったでしょ? 天音を救いたい一心で、レフィアを覚醒させた。だから、悪くなんてない」
「だったら……だったらどうして、そんな話をするんだ?」
「あたしが言いたいのはね。ここにいるあたしは、柚希との思い出を失いたくないと言うこと。あたしならもうすぐ死ぬとしても、最期まで柚希と生きることを選ぶよ」
「それは……」
反論することは出来なかった。自分にとって明らかな間違いでも、天音にとってはそうとは限らない。それを知ってしまったから。
だけど、それは同時に、自分の思いはそうでないと自覚する切っ掛けにもなった。
「天音の言いたいことは判った」
「判ってくれたの?」
天音の問いかけに、俺は小さく首を横に振った。
「……ごめん。俺はやっぱり、咲夜ちゃんに死んで欲しくないんだ。たとえそれを、彼女が望まないとしても、だ」
「……そっか」
天音が悲しげに目を伏せる。けれど、そうして決断した俺の意思を、天音が否定することはなかった。
天音は自分の考えを示すと同時に、俺の考えも尊重してくれている。天音は俺以上に大人なのかもしれない。
「ねぇ柚希。柚希は……今でも咲夜のことが好きなの?」
「……好きだよ」
「それは、一人の女の子として?」
「それは……」
すぐに答えることは出来なかった。
俺は咲夜ちゃんに対して淡い恋心を抱いていた。だけどそれは、かつての幼なじみへの想い。今の彼女は昔と違いすぎて、あの頃と同じようには思えない。
でも……
「あの日の想いは俺の中に残ってる。だから俺は、咲夜ちゃんを助けたいんだ」
「そっか……」
天音が困ったように眉を落とす。けれど、すぐに表情を一転。真っ直ぐに俺を見つめた。
「うん、判った。あたしが、柚希を支えてあげる」
俺にとっては予想外の答えだ。天音の意思が俺と違っている以上、容認はしてくれても、手伝ってくれるとは思ってなかったから。
「……良いのか?」
「良くなんてないよ。でもね、あたしの大好きな柚希が、不安を押し殺して前に進もうとしている。あたしには、それを止めることなんて出来ないよ」
天音はそう言って一息。
穏やかで、それでいて全てを包み込むような微笑みを浮かべる。
「だってね。あたしは、あたし自身の想いより、柚希の想いの方が大切だから」
「おまっ……それはちょっと、恥ずかしい、ぞ?」
まるで、天音にとっては俺が全てだと言いたげな発言。そんな天音の告白めいた言霊に、俺は顔が真っ赤になるのを自覚する。
「あたしは、柚希を支える。それがきっと、あたしに出来るせめてもの……だから」
呟くような声。俺はそれを聞き取ることが出来なかった。
「……天音?」
「うぅん、なんでもない。なんでもないよ」
天音は小さく微笑み、こぼれた前髪をさっと指で払った。天音がなにかを隠しているのは明らかだ。俺はそれを問い詰めようと、口を開きかける。
「――柚希くん、本当に良いのですか?」
楓ねぇが沈黙を破って不意に口を開いた。そう言えば楓ねぇと話している途中だったと、俺は追求を諦めて楓ねぇを見る。
「楓ねぇが心配してくれるのは嬉しいけど、俺は咲夜ちゃんを助けたいんだ」
「その結果が、貴方に悲しい結末をもたらすとしても、ですか?」
「俺にとって一番の悲しい結末は、咲夜ちゃんが死ぬことなんだ。だから待っているのが悲しい結末だとしても、俺は彼女との絆を取り戻すよ」