Chapter2 Scene4 ティータイム
地平線へと沈みゆく夕日が、校庭をあかね色へと染め上げてゆく。そんな景色が一望できる窓辺の席に座り、俺は黙々と生徒会の仕事を進めていた。
今やっているのは主に書類の整理だ。
外部から聖霊に送られてきた手紙で、内容は聖霊の学生にレフィアで救われたとか、聖霊の学生がレフィアを使って他人に迷惑を掛けていたなど。
それらを、カテゴリーごとに仕分けしていく。
そんな中で『娘の怪我を、そちらの生徒がレフィアで癒してくれたのでお礼を言いたい』と言った趣旨の手紙を見つけた。
どうやら、俺がレフィアで救った子供の母親のようだ。
あの時は、天音の介入で誤解を解いた後、素性を名乗らず立ち去った。だから、こういった方法で手紙を送ってくれたのだろう。
俺は後で返事を書こうと、その手紙を鞄の上に置いて一息。それにしても……と、机の上に積まれた仕事の山を見る。
感謝状のような心暖まる内容から、言いがかりも甚だしい苦情まで、実に多くの手紙が積まれている。俺の作業ペースが遅いことを差し引いても、相当な作業量だ。
「これを少しって、普段どれだけ頑張ってるんだ?」
いつまで経っても終わりの見えない作業。一人っきりの生徒会室で、黙々と進めていると、自分は一体なにをやっているんだろうなんて気分になる。
「ふぅ……少し休憩しよう」
俺はキリのいいところで手を休めて立ち上がる。そうして大きく伸びを一つ。紅茶を淹れようと奥の炊事場へと向かった。
そうして電気ポットでお湯を沸かしていると、ようやく咲夜ちゃんが姿を現した。
「もう用事とやらは終わったのか?」
「ええ、おかげさまでね」
咲夜ちゃんは手荷物を棚に置きつつ、机の上にひろげられた書類の山に目を向ける。そして、何故か怪訝な表情を浮かべて動きを止めた。
「……どうかしたのか?」
「え? あ、うぅん。なんでもないわ」
「ちゃんと仕事をしてるようね。今は一段落付いて、ティータイムってところかしら?」
「そんなところ。月ヶ瀬さんも飲むか?」
「それじゃ、お願いしようかしら」
「……はいよ」
俺は頷き、手早く二人分の紅茶を用意する。
いつもと同じ手順。だけど今回はほんの十秒ほど蒸らす時間を短くする。そうして手際よく紅茶を淹れ終え、お互いの定位置となりつつ席の前に並べた。
「お待たせ。冷めないうちにどうぞ」
「頂きます。……え? なにこれ。前よりも飲みやすいわね」
「だろ?」
わずかな変化に気づいてくれたことが嬉しくて、俺は満面の笑みを浮かべる。
「……いつもの茶葉よね。なにをしたの?」
「月ヶ瀬さんは時々、ミルクを足してただろ?」
「え? ええ、貴方の淹れる紅茶は美味しいけど、私には少しコクが強かったから」
「だろうなって思って、少し蒸らす時間を減らしたんだ」
俺の説明を聞き終えると、咲夜ちゃんは感嘆のため息を吐いた。
「ほんと、紅茶のことになると一所懸命なのね。これならいつか、楓ねぇにだって勝てるかもね」
「ありがと……嬉しいよ」
「約束のため、ね。少し……その人が羨ましいかも」
「……え?」
想像もしていなかった言葉。その意味を考え、俺は硬直する。
「なにを赤くなって……って、違うわよ? 誰かに一生懸命になってもらえるのが羨ましいって言う、ただの一般論だからね!?」
「も、もちろん判ってるよ」
「……ほんとかしら?」
弁明を図る俺に、咲夜ちゃんは疑いの眼差しを向けてきた。その目は、俺をまったく信用していない目だ。
「誤解なんてしてないって」
「嘘よ。だったら、どうして嬉しそうなのよ」
「だって、俺の努力を認めてくれたってことだろ? それが嬉しかったんだよ」
「あっ、そ、そう……なんだ」
これくらいなら打ち明けても大丈夫だろ。そう思って口にしたのだけど、咲夜ちゃんは顔を真っ赤に染めてしまった。
普段は冷たい感じがするけど……こういうところは可愛いと思う。
「ええっと、その……あっ、そうだ。その約束の相手って、楓ねぇじゃない?」
露骨なまでの話題転換。だけど、これ以上話を引っ張って怒らせては意味がないと、話題に乗っかることにした。
けど……
「なんで楓ねぇ?」
「だって、妹さんじゃないんでしょ? 私の知っている幼なじみの中で、ミルクティーを好きと言えば、他には楓ねぇしかいないじゃない」
「楓ねぇって、そんなにミルクティーが好きだっけ?」
咲夜ちゃんにミルクティーを淹れていたのは楓ねぇなので、嫌いなはずはないだろう。
でも、どちらかと言えば、楓ねぇは咲夜ちゃんにせがまれて、ミルクティーを淹れているというイメージだった。だから――
「楓ねぇは毎日飲んでたわよ。私が最近になってミルクティーを飲むようになったのも、楓ねぇの影響だもの」
俺は咲夜ちゃんの言葉を理解できない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。月ヶ瀬さんって、小さい頃からミルクティーを飲んでただろ?」
「え、私? うぅん……別に嫌いって訳じゃなかったけど。特に好きって訳じゃなかったわね。楓ねぇの影響で、最近はよく飲むようになったけどね」
「そう、なんだ……」
幼少期の咲夜ちゃんは、なににおいてもミルクティーが大好きだった。
例えるなら、どんなに不機嫌でも、ミルクティーを飲めばたちまち笑顔になると言っても過言ではない程に。
それが俺の気のせいや、勘違いだとは思えない。なのに、咲夜ちゃんはミルクティーをそこまで好きではなかったと言っている。
嘘を吐いてるのか?
……いや、そんな嘘を吐く意味はないはずだ。だとすれば、彼女自身がそう思い込んでいる――レフィアの影響というのが、一番あり得るかもしれない。
仮に、咲夜ちゃんがミルクティーを好きになった切っ掛けが、俺との思い出に深く関わっていたケース。レフィアの影響で想い出を失い、ミルクティーを好きになったことすら忘れているという可能性はあり得る。
でも、俺はそんなエピソードに心当たりはない。そもそも咲夜ちゃんは、初めて会った時から、ずっとミルクティーを飲んでいたはずだ。
ほかに考えられる可能性は――と考えに耽っていると、不意に名前を連呼された。
「秋葉くん、秋葉くんってば」
「……え?」
咲夜ちゃんの呼びかけで現実に引き戻される。
「え? じゃないわよ。急にぼーっとして、どうかしたの?」
「あっ……ごめんごめん。なんでもないよ」
「ほんとう? もしかして、熱でもあるんじゃない?」
「――なっ」
俺は思わず体を硬直させた。机から身を乗り出した咲夜ちゃんが、俺のおでこに手のひらを押し当ててきたからだ。
細くしなやかな指が、俺の額に触れている。咲夜ちゃんとこうして触れ合うのは、五年前のあの日以来だ。
「熱は……ないようね」
永遠にも思える一瞬が過ぎ、咲夜ちゃんは何事もなかったかのように座り直した。
「風邪じゃないとすると……って、どうしたのよ?」
「い、いや。まさか、おでこの熱を測られるとは思ってなかったから」
「なによそれ。私が冷血女だとでも思ってるの? 私だって、目の前で体調の悪そうな相手がいたら、心配くらいするわよ」
「そうじゃなくて、触るのも嫌ってくらい、俺のことを嫌悪してると思ってたから」
「ああ……そう言えば、そうだったわね」
咲夜ちゃんは、まるで今思いだしたかのように呟く。
「まさか……忘れてたのか?」
「本音を言えば、小さい頃の印象は最悪よ。でも手伝いは真面目にこなしてくれてるし、ずいぶんと印象が違うから。だから、今は別に嫌いとは思ってないわ」
「そう、なんだ……」
好きと言われたわけではないし、そういうニュアンスがあるとも思えない。言葉通り、大っ嫌いとは思わなくなったと言うだけだろう。
だけど、それでも、俺にとっては泣きたくなるほど嬉しいことで、そんな内心を悟られないようにと、残っていた紅茶を飲み干した。
刹那――カシャンと、ティーカップがソーサーに叩き付けられる音が響いた。俺は一瞬、咲夜ちゃんが何かに怒って、カップを乱暴に置いたのだと思った。
――だけど、違う。彼女は机に手をついて、苦しげに俯いていた。俺は椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、テーブルを迂回して駆け寄る。
「大丈夫か!?」
心配になって手を伸ばす。けれど、その手は拒絶の意思を持って振り払われた。
「……平気、よ。少し目眩がしただけ、だから」
整った顔が苦痛に歪んでいて、少しも平気そうに見えない。だけど彼女は気丈にも起き上がり、なんでもないと微笑んで見せた。
「……ほんとに大丈夫、なのか?」
「ええ、驚かせてごめんなさい。ただの貧血だから気にしないで」
「でも、貧血って……」
「――女の子には色々あるのよ、察しなさい」
少しの恥じらいを滲ませつつも、ぴしゃりと言ってのける。
それが女の子の日を揶揄していることは、妹を持つ俺にはすぐに判った。だから思わず、追及の手を緩める。
咲夜ちゃんはその隙に席を立ち、休憩は終わりよとティーセットをトレイに乗せ、炊事場へと行ってしまった。
――だけど、俺は五年前の彼女を知ってる。
咲夜ちゃんは病に伏す前は時折、今と同じように倒れることがあった。なのに彼女はちょっとした貧血だなんて嘘を吐いて、ずっと元気そうに振る舞っていた。
それを知っていて、彼女の言葉を鵜呑みになんて出来ない。そう思った時、不意に楓ねぇの言葉が思いだされた。
彼女は俺達を引き合わせるために、今の状況を両親に伝えたと言った。
――今の状況。
あの時は、レフィアの影響で咲夜ちゃんの性格が代わったことを言っているのだと思っていた。だけど、もしかしたら……咲夜ちゃんはまた……病を患っている、のか?
……確かめなきゃいけない。
どんな病気なのか、どれくらいの症状なのか、そして……治る見込みがあるのかどうか。咲夜ちゃんに今すぐ問いただしたい。
だけど――ダメだ。
もし俺の予想が正しければ、彼女に余計な話をする訳にはいかない。
尋ねるのなら楓ねぇだ。彼女なら、咲夜ちゃんになにが起きているのか。そして俺を編入させた理由。きっと全部教えてくれるだろう。
そんな判断を下し、俺はギュッと拳を握りしめた。