第2話 わたし、生まれ故郷に戻ってきました。
ジュリとミカサが町を出て、更にゴブリンと戦い、勝利してから数時間が経過した。
太陽はすでに真上を通り過ぎ、少しだけ西の空に傾きかけた頃、二人は街道から少し離れた場所に転がっていた大岩の上で遅めの昼食を摂っていた。
なぜ大岩の上に陣取ったかというと、周囲が一望出来るためだ。ここならば休息中にモンスターなどに襲われたとき、いち早く対応できる。
昼食のメニューはミカサが仕留めたウサギの肉と、野草を煮た簡単なスープだ。残った肉は、現在焚き火の上で薫製にしている。
二人は黙々とスープをすすり、お腹が一杯になって一息ついたところで、ジュリがミカサに尋ねた。
「そういえば、バーリーさんの話だとミカサが魔術師だって聞いてたのですが」
「ん~、ソーサラーかって言われると、ちょっと違う気がするなぁ。さっきの戦い見てたでしょ」
ミカサが苦笑して、大岩の上でごろりと横になった。
「ええ、だから、疑問に思ったんです。確かに魔法を使っていたように見えましたが、ゴブリンを容赦なく殴ってましたからね」
ジュリは焚き火の上のウサギの肉をひっくり返す。確かに、世間一般で言われるソーサラーというのは、パーティの後衛で呪文を使って援護する職業だ。
「なんて言ったらいいんだろう。名前を付けるなら"魔法戦士"かな。あたし、攻撃系の魔法はあんまり使えないんだ。そりゃ、有名な魔法は覚えてるつもりだけど、中でも得意とするのは"肉体強化系"魔法。自分の瞬発力とか筋力を、魔法で一時的に強化して戦う戦士ってところ」
「ソーサル・ソルジャー…ですか。確かに、あまり聞かない名前ですね」
「でしょう?あたしは一人で旅することが多かったからね、専業戦士とか、専業魔術師になると、どうしても前衛や後衛を担うパートナーが必要になってくるわけ。でも、報酬の分け前とか、高純度の紫水晶を得るためとか、そういったトラブルを防ごうと思ったら一人で動くのがいいに決まってる。だったら、前衛も後衛も両方一人でこなせればいいんじゃね?っていう結論に落ち着いて、こんなスタイルになったんだよ」
ミカサの話に、ジュリは焼いているウサギの肉から視線を外さずに頷いた。そして、また肉をひっくり返す。
「だから、習得魔法も"殺られる前に殺る"事が出来た方がいい。それなら、長い呪文詠唱と複雑な身振り手振りが必要な攻撃魔法を覚えるよりも、シンプルな肉体強化系をマスターして敵より先に殴っちゃえ、ってことよ」
「なるほど…。でも、そんなトラブルを防ぐために今まで一人で動いてきたんでしょう?なら、わたしはいいんですか?」
ジュリが、ようやく肉から視線を外し、横になっているミカサの顔を見つめた。ミカサはその視線を受け取って、にこりと笑った。
「ん~…どうだろ。確かに、あたしからパーティに誘ったのはジュリちゃんが初めてかなぁ。まあ、強いて言うなら…」
「言うなら?」
ミカサが頬をちょっとだけ赤く染め、ジュリに聞こえるかどうかわからないくらいの小さな声で呟いた。
「…猫だから…」
「…なんですか、それは」
きっちり、ジュリに聞こえたようだった。ジュリの猫耳がぴくぴくと動き、目がちょっとだけつり上がる。
「あ、あはは、聞こえた?聞こえちゃった?」
ミカサは起きあがり、大げさに両手をぶんぶんと振ってみせる。
「聞こえましたよ、猫の聴覚をナメないでください。そんな理由だったんですか?」
「ウソウソ!ウソだってば!一番の理由は、あたしが気に入ったからだって!それに、ジュリちゃんなら報酬云々のトラブルもなさそうだし。だって、目的がはっきりしてるもんね」
「それはそうですが…。じゃあ、そう言うことにしておいてあげます。ところで」
ジュリは視線をウサギの肉に戻し、話を続けた。
「わたしは魔力で動くゴーレムですが、わたしにも魔法が使えたりするのでしょうか。若しくは、その肉体強化系の付与がわたしにもかかるのでしょうか?」
「ああ…それはどうだろうねぇ」
ミカサは自分のバックパックに手を突っ込むと、そこから薫製肉を出してかぶりつく。
「魔法って言うのは、自然世界の物質全てに宿っている魔力を使用して現すモノだから、ジュリちゃんでも覚えれば使えるかも。でも、強化系の付与はどうだろう。ジュリちゃんそのものの魔力と干渉して効果を現さない…ってのが妥当な考えかな」
「ふむ…なるほど。次にゴブリンと遭遇したら、試してみませんか」
言いつつ、ジュリはミカサに手を差し出す。
「へ?」
ミカサは口をもぐもぐさせながら、自分の手に持つジャーキーとジュリの掌を交互に見た。
「わたしにも、それください」
「な、なんで?ジュリちゃんも持ってきてるでしょ」
「持ってません」
ジュリが間髪入れずに答えた。
「だって、おっきいリュックから詰め替えるときに、ミカサ保存食入れてくれなかったじゃないですか」
「あれ、そうだっけ?」
ミカサは腕を組むと、朝にジュリのバックパックに詰め替えた品々を思い返してみた。入れた物は、たしかランタンと予備の油壷、火口箱と応急薬品、一人用の食器…。
「……あ」
「あ、じゃありませんよ。一人だけおやつを食べるなんて、ズルイです!さあ、わたしにもおやつを!」
「うう…、結構食いしん坊なゴーレムだなぁ…」
ミカサは再びバックパックに手を入れると、ジャーキーを一切れ取り出してジュリの掌にのせた。ジュリは嬉しそうに微笑むと、大口を開けてそれにかぶりつく。
「もぐもぐ…ありがとうございます」
「あーはいはい。食いしん坊ばんざーい。今作ってるジャーキーは、ジュリちゃん持ってきな」
「了解です。それじゃ遠慮無く」
ジュリは残りのジャーキーを、ぽいと口の中に放り込んだ。
昼食とおやつ、保存食の作成を終えたジュリとミカサは、再び街道へと戻ってきた。そしてまた西進を開始する。
西国との暫定国境が近づくにつれ、街道を行き交う旅人の姿も少なくなってきた。それもそうだ。この場所では、つい二週間ほど前に戦争が起きたばかりなのだから。旅人は、北の山脈を通る迂回路に回っているのだろう。
周囲を見渡すと、焼けこげた大地と、土に突き刺さる数え切れないほどの矢、はたまた白骨死体まであり、烏や禿鷹が空を旋回している。とてもじゃないが、楽しんで旅ができるルートではない。
「あの…ミカサ。このルート、必ず通らないといけないのですか」
ジュリが隣を歩くミカサに聞いた。
「ん~、北の山脈の迂回路は、今回の目的地から遠くなっちゃうんだよね」
横目でジュリを見る。すると、ジュリは俯き、顔を真っ青にして小さく震えていた。
「ど、どうしたの?」
「いえ、ちょっと…」
そして、ついには立ち止まってしまう。
「あ…もしかして…」
ミカサは、その原因を察したようだった。
この先には、ジュリが生まれ育った故郷の村がある。約二週間前の戦争に巻き込まれ、西国の兵士に焼き討ちにされた村。現在ジュリの脳裏には、亡き両親の影や自分が殺された光景が鮮明に蘇っているに違いない。ある意味トラウマとも言える。
「ご、ごめん…ちょっと無神経だった。ルート変える。北はホントに遠くなっちゃうから、南の海沿いに進もう」
ミカサが急いで踵を返そうとすると、ジュリがその腕を掴んで制した。
「いえ、すみません。大丈夫です、このまま進みましょう…。わたしはこうして生きていますが、父様と母様は、おそらく屋敷の中にそのままになっている…。できれば立ち寄って埋葬してあげたいと思います。いいでしょうか…?」
ジュリは両手で自分の肩を抱き寄せ、必死に震えを止めようとしていた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいるようにも見える。それが流れ出さないように、一生懸命唇を噛みしめていた。
なんという気丈な娘だろうかと、心からミカサは感心した。そして、その姿を不憫にも感じる。どんなに強がって見せても、まだたった一五歳の少女なのだ。だが、今彼女は、自分の死と、両親の死に向き合おうとしている。自分が一五歳の頃、このような考えがもてたであろうか。いや、おそらくは無理だろう。ジュリの立場が自分なら、ずっと何処かに閉じこもって泣き続けているに違いない。
ミカサはその姿に愛おしさを覚え、力一杯ジュリを抱きしめた。
「…うん、そうしよう。そして、ご両親に報告しなきゃ。わたしは元気で、頑張って生きていますって」
「…はい…。ありがとうございます…」
ミカサはジュリの肩を左手で抱き寄せると、並んでジュリの村へ歩き始める。
ジュリの村が見えてきたのは、日が傾ききって、空が夕焼けに染まった頃だった。この村から少し西へ向かえば、完全に西国領土に入る事になる。
逆光に照らされ、漆黒に染まって見える村の建物は、まるで来る者全てを拒むかのような雰囲気を醸し出しており、ミカサとジュリも、村を直前にしてその歩みを止めてしまった。
大地と建物の焦げた匂いが、未だ風に乗って鼻を突く。二人は顔を見合わせ、頷き合うと村の門をくぐった。
かつてあった十数戸の建物は完全に焼け落ちており、廃墟と化したそこには死肉を漁る肉食鳥という住人が新たに幅を利かせていた。腐敗臭が周囲を漂い、ミカサは思わず顔をしかめて鼻を押さえる。
ジュリは呆然と立ち尽くし、ただ呆然と周りを見回すだけだ。
「大丈夫?ジュリちゃん…」
「は、はい。大丈夫…だと思います。行きましょう…」
それが強がりだと解りながらも、ミカサは掛ける言葉が何も見つからなかった。歩き始めたジュリを、少し離れて後ろから追う。
村の中央広場であった場所を抜けると、正面に大きめの屋敷が見えてきた。所々燃えて壁が崩れ落ちたりしているが、他の家屋と違いなんとか原型を保っている。
「あれが、わたしの家です」
ジュリが指を指す。ミカサは立ち止まり、その屋敷を見上げた。大きさから考えるに、この周辺を治める領主の館だと推測がつく。
ジュリが大きな両扉の玄関を開けた。鈍い音と共に扉は開き、その先には漆黒の闇が広がっている。ミカサはバックパックからランタンを取り出すと、短く呪文を唱えて芯に火を灯した。
ジュリは漆黒の闇の中を、迷いもせずに奥へと進む。正面の大階段を登らず右に回り込み、床に落ちている巨大な絵画に視線を落とす。
唇を血が出るほどに思いっきり噛みしめ、その絵画に手を掛けると一気にめくり上げた。その下から出てきたのは、折り重なるようにして倒れた、男女二人。ジュリの両親の遺体だ。屋敷の中であり、暗くて涼しいせいか、二週間も経つのに腐敗がさほど進んでいないのが救いだった。
「父様……母様……」
ジュリはその場に崩れ落ち、かつて父と母であった遺体を、順に優しく撫でた。
「只今帰りました、父様、母様…。長い間、留守にしてごめんなさい…」
ミカサがランタンを床に置き、胸の前で小さく印を結ぶと、目を閉じ頭を垂れる。そして、ついにはいたたまれなくなり、必死に涙を堪えるジュリを思いっきり後ろから抱きしめていた。
「大丈夫です。大丈…う…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
ジュリが振り返り、ミカサの胸に顔を埋めて大声を上げる。瞳からは止め処なく大粒の涙が流れ落ちた。ミカサもジュリを抱きながら、自らの目から落ちる涙を止めようとしなかった。
今日ほど、ミカサが戦争を憎んだ日はないと言える。たかだか王位争いにより、こうして罪のない人々が容赦なく命を散らしていくのだ。そして、その不幸な光景を、自らが目の当たりにしている。ミカサは自分の右拳を思いっきり握って、奥歯を音がするくらいに噛みしめた。
しばらくして、ジュリの嗚咽が小さくなり、ミカサの胸から顔を放す。
「す、すみませんでした…。皮鎧、濡らしちゃって…」
「ううん、大丈夫」
ミカサはスカートのポケットからハンカチを取り出し、ジュリに渡す。ジュリはそれで涙を拭い、また両親に向き直った。
「父様、母様。わたしはお二人の分まで頑張って生きます。貰った命ですけれど、絶対に粗末にはしません。だから…」
再び流れ落ちようとする涙を、ジュリは堪え、まるで大輪の花が咲いたかのような笑顔を作ってみせる。
「だから、天国で、わたしを見守っていてください…」
ミカサはジュリに背を向け、真っ赤な光が差し込む玄関から見える大地を睨み付けた。