第3話 わたし、頑張って交渉をしま……え、あれ?
「飲み物、紅茶でいいですか!?」
ジュリが、声を張り上げる。初対面で体中を弄られたのが、未だに堪えているのだろう。
「は、はい。お構いなく…」
ジュリと反対に、借りてきた猫のようになっている水晶狩り。ジュリはフンと鼻を鳴らすと、壁際の棚からティーセットを取り出し、隣部屋のキッチンに入っていった。
水晶狩りは、案内された部屋を見て、ほぅっと感嘆の声を上げる。彼女が通されたのは、店舗と渡り廊下で隣接しているジュリの家だったが、その応接間のインテリアを見ての声だった。
ジュリは色々な種類の品物を取り扱うという理念上、交渉時にその取引先となる主人の気持ちを害さないように、応接間のインテリアには一段と気を遣ったのだ。書類整理用の長机、本棚には、マスターサリアより無理矢理に譲り受けた辞書や図鑑、魔法書や武具名鑑。二人掛けのソファ二台に、その間には足の短い小さな机、窓にはレースのカーテンと、壁にはちょっとした絵画。観葉植物も部屋の至る所に設置してあり、照明も油のランプではなく、魔力で灯る物だ。この部屋だけで、実に二〇〇〇кもの金額を使用している。
水晶狩りは本棚に歩み寄ると、そのラインナップを眺め、「魔法石全集」と言う本を手に取り、ページをペラペラとめくり始めた。その本には、水晶狩りが狙う紫水晶を始め、現在この世界で発掘されている貴重で希少な魔法石と、精霊石というものがまとめてあった。
魔法石というのは魔力を内包する結晶の総称であり、魔法を使用する際に自らの魔力の代わりとして使うことが出来るものだ。一番魔力の内包率の高いのが紫水晶であり、それ以外にも青水晶、黄水晶など、どれも"色"の名称がついている。それは、その結晶の見た目から取られたという安易なものだ。
それとは異なり、精霊石というのも存在する。精霊石とは、この世界にいる四大精霊、すなわち火蜥蜴、水少女、風乙女、土小人が死する際に生成するものであり、それぞれの精霊力を宿している。永遠の命を持つ精霊が何故死ぬのか、どのような原理で生成されるのか等、現在に於いても解明されてはいないが、時折遺跡や山脈、海の中などで発見される。希少価値としては紫水晶を凌ぐ物である。ただし、魔法石のように魔力の代替として利用することは出来ない。しかしながら、精霊力の存在しない場所でその精霊力を借りることが出来るという利点がある。魔術師の使う魔力と、精霊力は密接な関係があるので、精霊使いのみならず、魔術師の中にも"お守り"として所持する例が存在する。
水晶狩りは流して目を通すと、本を閉じて元あった場所にそれを仕舞う。そして次の本を物色しようとしたところで、ジュリが応接間に戻ってきた。
「お待たせしました…って、何してるんですか」
ドアところでで立ち止まり、ジュリが横目で水晶狩りを睨む。彼女はまたも照れ笑いをすると、小走りにソファまで移動した。
ジュリが紅茶の入ったカップを二つと、クッキーの入ったバスケットを机に置き、ソファに腰を掛けた。そして、水晶狩りに座るように手で促す。
水晶狩りがソファに座ると、ジュリはカップを手に取り、熱い紅茶を一口すすった。そして、それをきょとんとして見る水晶狩り。
「どうかしましたか?」
ジュリが水晶狩りに尋ねる。
「えっと、魔法人形なんだよね、ジュリさん…」
「そうですけど、それが何か?」
「いえ…なんか、飲食するゴーレムってすごく珍しいような」
ジュリがカップを皿に置いて、説明する。
「ええ、珍しいようですね、詳しくは知りませんが。これは創造者である、マスターサリアの"究極の挑戦"らしいです。ゴーレムでありながら、いかに人間に近づけるかという挑戦。その結果がわたしという存在です。まあ、猫がちょっと入ってますので、人間かと問われるとNOなんですけどね」
ジュリがクッキーを一つ、口に放り込む。
「ですが、きちんと生理現象もありますし、お腹も減ります。魔力で動く以上、食べたり飲んだりしなくても平気なんですけど、わたしも極力人間でありたいと思っていますので、こうしてきちんと人間と同じようにしてるわけです。もちろん、睡眠も取りますよ」
「へぇ…。マスターサリアって、あのサリア様よね?」
少しだけ、水晶狩りの目が輝く。
「あのサリア様、と言われてもよく分かりませんが、おそらく水晶狩りさんの考えているサリアです。っていうか、あんな変人、マスターサリア以外にわたしは知りませんよ」
その言葉を聞いて、水晶狩りが声を殺して笑った。
「変人って酷い。アルスラードルの三賢人と言われるサリア様なのに…」
三賢人とは、アルスラードルで最高位の魔術師三名を総称する呼び名だ。聖賢アクサ、死賢サリア、魔賢ローザの三名である。そのうちの二名、アクサとサリアはここファーレンにおり、魔賢ローザはランディーン側に付き、現在は西国で宰相を務めている。サリアが最高位魔術師だというのを、ジュリはこの雑貨屋を任されてから知ったのだが、別に驚きもしなかった。彼女の実力を既に知っているからである。
「三賢人とか、興味ありません。あんなの変人で十分です。確かに頭はいいみたいですが…性格は狂ってますよ、あの人」
「ホントに、人間に近く作られてるんだ。本来ならゴーレムっていうのは、創造主に逆らったり出来ないように作られるのに、ジュリさんは自由が与えられてるんだね」
「そこだけは評価しています」
ジュリが口元をゆがませ、不敵に笑った。
水晶狩りは少しリラックス出来たのか、紅茶をようやく一口すする。薔薇に似た薫りが、口の中に広がり鼻までも刺激した。かなりの高級茶葉である。
「じゃあ、ビジネスのお話にしましょうか。あたしに仕事を頼みたいって聞いてきたんだけど、やっぱり紫水晶のことかな」
「はい、その通りです。これを見て貰えますか」
ジュリは服のボタンを外し、自分の胸をさらけ出した。そこには、紫色に脈打つ小さな水晶が埋め込まれている。
「それ、紫水晶…よね。ジュリさん、稼働核が紫水晶なのか」
水晶狩りが、身を乗り出して指先でそれをつついた。
「そうなんです。珍しいことずくめでしょう?バーリーさんが言うには、紫水晶を動力源にしてるゴーレムはわたししか見たことないらしいですけど」
ジュリは服を元に戻し、ボタンをかける。
「はっきりお聞きします。発掘してきた紫水晶を、譲っていただけないでしょうか?それ相応の代金はお支払いしま…」
「お断りします」
ジュリの台詞が終わる前に、水晶狩りが言葉を被せた。
「理由は二つ。一つ目はあたしは、お金の為に危険を冒して紫水晶を発掘しているわけじゃない。二つ、あたしには、純度の高い紫水晶が必要不可欠。ジュリさんを稼働させてる紫水晶を拝見するに、それはおそらく純度九五%以上を保っている。それほどの高純度は滅多にお目にかかれないし、それこそあたしに必要な物だから」
水晶狩りが足を組んだ。そしてもう一口紅茶を喉に流す。
「…まさか、断られるとは思いませんでした…。それも一言で」
「ごめんね。純度の低い物ならいくらでも譲るんだけど、ジュリさんほどのゴーレムなら、そんなチンケな物で長時間動くのは不可能でしょう?」
「それはそうですが…。では、なぜ高純度の紫水晶を水晶狩りさんは求めているのですか」
その問いについて、水晶狩りはしばらく考えた末に口を開いた。
「えっと…話すと長いんだよね。あたしの名前から想像できるかな。あたしの名前は、キサラギ・ミカサ。変な名前でしょう?」
確かに、アルスラードルでは聞かない響きの名前である。ジュリは生前の知識と、生まれ変わってからの知識を全部思い出しながら考える。
「…東方国の出身…ということですか」
東方国とは、アルスラードルのある大陸から更に東へ向かった島国のことだ。それは通称であり、正式名称を「ヤマト」という。ジュリの知識では、大陸の国々よりも文明の発達が遅れているらしいが、なぜヤマトの人間が大陸にいるのか。
「あたしの国は、今発展途上の真っ最中でね。そのなかでも、一番熱を入れているのが、紫水晶の研究。ヤマトでは何故か紫水晶が発掘されないから、こうしてあたしみたいなのが他国に紫水晶を調達しにきてるのよ。研究するからには、高純度の紫水晶が必要。だから、ジュリさんのご期待には添えないってわけ」
「なるほど、自分のためではなく、国のためですか。それはちょっと無理言えないですね。別の方法を探すことに…」
「ちょっとまって」
またミカサがジュリの言葉を遮った。
「あたしは、確かに高純度の紫水晶を譲ることができない。でも、ジュリさんが自分で発掘したものについては、あたしは文句言えないよね」
「…はい?」
ジュリがきょとんとする。
「買うと高い、滅多に店舗に並ばない、あたしからも調達不可能なら、自分で発掘すればいいのよ」
「……はいぃ?」
ミカサはカップの紅茶を全て飲み干すと、カツンと音を立てて皿の上に置く。
「言ってる意味わかんないかなぁ。あたしと組まないか、って言ってるの。あたしと一緒に発掘しにいって、ジュリさんが自分で発掘したものはジュリさんの物。あたしが発掘した物はあたしの物。どう?」
「い、いえ、どう?って言われても…わたし、冒険とかしたことないですし!」
ジュリが手を振って慌てる。ミカサはそれを流し、言葉を続けた。
「でも、サリア様作のゴーレムなら、ある程度の兵装は搭載されてるでしょ。あたしと一緒なら、そんなに危険はないと思うよ。ゴーレムならではのリミッターカットされた腕力と、魔力を使った兵装の力があれば、あたしもこれまで以上の遺跡に潜れる。未踏の遺跡なら、もっと高純度の紫水晶が発掘出来るだろうし、悪い条件じゃないと思うけどなぁ」
「確かに兵装はありますが、それを使うのに自分の魔力を削るんですよ。魔力を得るために魔力を使うって、矛盾してると思いませんか!?」
確かに、ジュリには人間以上の腕力と、特殊兵装がある。それは左腕が飛ぶ猫飛翔拳と、左目から射出される猫光線であるが、共に相当な魔力を消費する。今装着されている紫水晶で、残り何回使えるものか。
「矛盾してるけど、ジュリさんにはそれを上回る強みがあるよ。胸の紫水晶、交換できるんだよね。兵装を使う際だけ、純度の低い紫水晶に付け替えて、それを使い捨てにすればいい。高純度のものは滅多に出ないけど、低純度ならザラにあるんだから」
ミカサは腰のポーチを開けると、中に手を入れて握り、机の上にたくさんの紫水晶をぶち蒔けた。ジュリの装着している親指大の物から、大豆くらいの小さな物まで、一〇個くらいはあるだろうか。中には、結晶の中に小石が混じった物も見受けられる。
「これ、今回の冒険で発掘した紫水晶。どれもこれも、純度が九〇%以下よ。売却価格として…そうね、ざっと見積もって三万кってところかしら。購入するなら、その倍の価格ね。これを随時付け替えていけば、かなり保つと思う。試してみない?」
「試すって…」
ミカサは外を指さして言う。
「渡り廊下のところに、ちょっとした中庭があるでしょ。あそこで」
なかななかに強引な事の運びだ。交渉術とは、こうするものなのだろうか。ミカサはジュリに親指大の低純度紫水晶を差し出し、ジュリはちょっと躊躇った末に受け取った。服のボタンを外し、埋め込まれている従来の紫水晶の横にそれをあてがうと、身体に吸い込まれるようにして装着され、ドクンと紫色の光が脈打った。
ジュリは立ち上がると、店舗へ続く扉を開け、井戸のある中庭に出る。
「…ホントにやるんですか?結構な威力があるんですけど…」
後ろを付いてきたミカサに尋ねるが、ミカサはにこりと笑って頷くだけだ。
「…仕方…ないですね」
溜め息を付くと、空を睨んで両足を踏ん張り、左腕を構える。地面に向けて撃つ訳にはいかないので、あくまでも狙いは空だ。
構えた左腕の肘辺りが魔力の光を発し始め、ジュリが叫ぶ。
「猫・飛翔・拳!」
ドン!という音が空にこだまし、恐ろしい勢いでジュリの左手が空を飛ぶ。そして、すぐに「戻れ」と念じると、黒猫の腕がUターンして戻ってきて、目の前にぽとりと落ちた。ジュリはその左手を拾い、腕にかちゃんと装着。更に溜め息をついて、ミカサに振り向く。
ミカサは両手で口を覆い、目はキラキラと輝いていた。
「か…」
「か?」
言って、ミカサが両手を広げて突撃してきた。
「かわいいぃ~~~~!!」
ジュリがミカサの体当たりを食らい、二人して地面に倒れ込む。ミカサは両手でジュリを抱きしめ、ぐりぐり頭を撫でる。ジュリはミカサの頭を小突いて、両手で思いっきりミカサを引き離した。
「そ、それをやらないと気が済まないのですか!」
「だ、だってかわいいし…」
「だってじゃありません!まったく…」
ジュリは立ち上がると、服を糺す。そして取り付けた胸の結晶を見た。宿っていた光は半減し、僅かに脈打つだけだ。
「…二発が限界っぽいですね…」
「どれどれ?」
ミカサもジュリの胸元を覗き込み、ちょっとだけ顔をしかめた。
「あらら…威力ありそうだけど、結構魔力消費してるねぇ」
「じゃあ、もう一発撃ってみましょう。それで光が消えれば、これは二発用水晶です」
と言って、ミカサの足下を睨む。
「猫光線!」
ジュリの金色の猫目が光り、そこから光の筋が伸びてミカサの足下を焼いた。ボシュ!という音が響くのと、ミカサが後ろに倒れて尻餅を付くのとほぼ同時だった。
「な、ななななにをするのよっ!」
尻餅をついたミカサがばたばた暴れる。
「え、さっきのお返しですけど?大丈夫です。威嚇ですので狙っていません」
ジュリがふんぞり返って、フンと鼻を鳴らした。
「狙わなければいいってもんじゃない…。こ、殺されるかと思った…」
そのやりとりを終えると、ジュリの胸から光を失った紫水晶が外れ、地面に落ちた。こうなると、紫水晶もただの透き通った小石だ。
「やはり二発ですね」
「兵装は、その2つだけ?」
光を失った紫水晶を拾い上げながら、ミカサが呟く。
「恐らく。というか、この2つしか知りません。あの変人の事ですから、まだ何かある気がするのですが…興味ありませんので」
「そっか…。で、あたしの提案はどうなの?受ける、受けない?」
ジュリは、胸のボタンを留めながら考える。確かに、こうすればモンスターとかと対峙したとき、役に立つだろう。それに武器とかの扱いを習得すれば、のちのちに役立つかも知れない。紫水晶にしても、買い付けるのは高いし、もちろんミカサから手に入れられるのは低純度の品のみ。新たな取引ルートを開拓するのは、かなり骨が折れそうだ。
「ミカサさんと旅に出てる間は、仕入れと称して店を閉めれば問題ないでしょう。事実仕入れに行っているわけですし。…それに、上手くいけば、遺跡で店舗に陳列できるような品が見つかるかも知れない」
「じゃあ!」
ミカサの表情が、これ以上ないくらいに輝いた。
「お誘いに乗りましょう。っていうか、新規ルートの開拓を考えるのは…メンドい…」
「よっしゃぁぁぁ!」
叫び、跳び上がって喜ぶミカサ。それを見て、溜め息を漏らすジュリ。
「だけど、まだ店舗オープン前なので、すぐには無理ですよ」
「え、何で?開店前の方が動きやすいじゃない。その前に、予備を数個手に入れておけば安心でしょ。明日…いや、明後日行こう!」
「はい?」
ジュリがミカサを睨む。
「やったやった!猫ちゃんと旅だよ、冒険だよ!一人旅の寂しさがなくなるよぉ!」
まるで子供のような大はしゃぎだ。ジュリは呆れながらも、微笑む。
「それが本音でしょうに…はっきり言えばいいんですよ、全く」
その言葉に、ミカサがにゃははと笑った。
「仕方ありませんが、明後日ですね。それまでに調べて装備を準備しておきます」
「じゃあ、朝に迎えに来るね!やったぁぁ!」
ジュリが応接間のドアを開けながら、ミカサに振り返って言う。。
「お時間があるのなら、夕食も一緒にどうぞ。壮行会です」
「ほんと!めちゃくちゃ嬉しいぃ~!」
ドアをくぐるジュリに、ミカサが飛び跳ねながら続いた。