第2話 わたし、紫水晶の価値をナメていました。
ジュリは今、カウンター前の細長いスツールの上で小さくなっている。
彼女の周囲は真っ昼間ながら酔った人々の喧噪に包まれ、小さなスペースに所狭しと並べられたテーブルには、きらびやかな武具に身を包んだたくさんの戦士や魔術師といった者たちが冒険譚に花を咲かせている。彼らは、一般に"冒険者"と呼ばれる存在だ。
冒険者というのは、個人それぞれの正義によって動く何でも屋の総称である。市民からの依頼をこなす者たちもいれば、遺跡を荒らしに行く冒険者もいる。果ては、戦争に傭兵として荷担する者や、斥候、更に自ら犯罪を犯す者もいる、まさに千差万別の職業だ。だが、"お金と引き替えに"という条件は常につきまとう。
ジュリが訪れているこの店は、王都ファーレンのなかでも数ある冒険者の酒場のひとつ。その名を「つるぎ屋」という。規模的には、中の上といったところだろうか。
ファーレンで一番人気のある店は、北門近くにある「再会亭」だが、このつるぎ屋もそこに劣らず、かなりの人気を誇る。正午前だというのに満席になるほどだ。
ジュリがこの店を訪れた理由は三つ。
一つ目は、彼女の稼働核である紫水晶の一般的相場を調べること。二つ目は、この酒場の店主と縁を結ぶこと。そして三つ目として、この店に頻繁に出入りしている、"水晶狩り"と呼ばれる人に会う事だ。
この店「つるぎ屋」の主人は、先日顔見知りになったパン屋「ラズベリーベーカリー」の女主人ラズベリーの友人であり、彼女を通して紹介してもらった。もちろん、ジュリが魔法人形だという情報もつるぎ屋主人の耳に入れてある。ジュリは目の前のジョッキに入っているミルクをすすりながら、その水晶狩りが戻ってくるのを持っているのだ。
「しかし、アンタも難儀な生物だな。よりにもよって紫水晶を動力源にしてるとは」
と、これはつるぎ屋主人、バーリーの台詞だ。
「ゴーレムって、みんな紫水晶を稼働核にしてるんじゃないんですか?」
その話に疑問を感じ、ジュリが問い尋ねる。
「いや、制作者の趣味に依るな。現に、アンタの前任者…無骨な岩のゴーレムだったが、アレをサリア様は己の魔力のみで稼働させてたはずだ。俺もこの仕事は長いが、動力源が紫水晶のゴーレムなんざ、見たことねぇよ」
バーリーはジョッキにビールを注ぎながら言う。そしてそれを、取りに来たウェイトレスに渡した。
「やっぱり、コストの問題…なんですか?」
「そうだろうなぁ。紫水晶は高い、高すぎる。ジュリがどれくらいの大きさの紫水晶で稼働してるか知らんが…」
バーリーが右手の親指を立て、そこを指さす。
「これくらいの大きさで、販売価格おおよそ五〇〇〇~七〇〇〇кだな。拳大になると、優に一〇〇万кを超える物もある。振り幅があるのは、純度によるものだ。この店に一晩泊まるのに、三〇к貰ってる。ってことは、親指大の紫水晶で一六〇日ウチに寝泊まりできるんだ。高いだろ?」
ジュリは、自分の胸に光っている紫水晶を、服の上から触って確認する。今装着されている紫水晶も、おおよそ親指大だ。そして、雑貨屋を受け継いだ時に予備としてマスターサリアから貰ったのも、同様の大きさだった。
「なんでサリア様も、こんな面倒な結晶を使ったんだか…。まあ、完全自立型にするために必要だった、と予想はできるんだがな。魔力の備蓄量では、どの魔法石よりも上だから」
話を聞きながら、ジュリはジョッキのミルクを飲み干した。カウンターにジョッキを置くと、バーリーがすぐ新しいミルクを注いでくれる。
「でも、いくら高くても手に入れないと、私は止まってしまいますので。予備こそ一つ確保していますけど、それだけではいつまで保つか」
「はは、違いねぇや。しかし、アイツ遅いなぁ。」
バーリーが壁の大時計を見上げて呟いた。
「そういえば、その水晶狩りさんってどのような方なのですか。ラズベリーおばさまからは何も聞いてなくて…」
「ああ、ラズベリーは言わなかったのか。女だよ、女の魔術師。生業は、その通り名そのままだな。大陸全土を巡って、紫水晶を遺跡から発掘してくるんだ。たまに魔法のかかった武具とかも持ち帰ることがあるが…興味があるのは、純度の高い紫水晶だけなんだよな。純度が低い物なら、下手すると破格で叩き売ることもある。無論、魔法のかかった武具もそうだ」
魔法の武具…。もし、水晶狩りからその武具を買い付けることが出来れば、ジュリの雑貨屋のラインナップも一層充実する。なんとか交渉して、そっちの取引もできないだろうか。ジュリはそんなことを考える。
現在、ジュリの雑貨屋に並んでいる品物は、サリアの作成した訳の分からない玩具と、ちょっとした日用雑貨だけだ。魔法の武具などを並べると、冒険者たちも店を利用してくれるかも知れない。元々、どこかの武具職人とも縁を作って、武具を並べようと思っていたので、これは渡りに船とも言える。交渉が上手くいけばの話ではあるが。
「おっかしいな、今日の正午には帰るって伝書があったんだが…」
バーリーがそわそわし始める。ジュリは二杯目のミルクを飲み干すと、к銀貨を二枚財布から取り出してカウンターに置いた。
「時間かかりそうですね。バーリーさん、出直します。まだ、店舗の整理が終わってませんので」
そう告げ、スツールを降りて立つ。
「だったら、紹介料として二〇к置いてけ。アイツが帰ってきたら、ジュリの店に行かせるから」
ジュリは頷いて、更に財布から銀貨を二〇枚、数えてカウンターに置く。そして、黒猫の耳を隠してあるフードを深く被り直した。
「はい、お願いします」
頭を下げ、身を翻して出入り口へと向かった。
ジュリは自分の店舗に戻ってきて、外行き用のフードを身から外すと、陳列してある品物の掃除を始めた。最近買い付けた日用雑貨はピカピカだが、昔から置いてあるサリアの珍品については、取扱いが難しく、あまり掃除が進んでいないのだ。
一つ一つを、机に置いて布きれで細かいところまで丁寧に、埃を拭き取っていく。両手を使えれば手っ取り早いのだが、今彼女の左手は文字通りの"黒猫の腕"だ。何かを掴むということが出来ない。右手で品物を支え、左手で爪を出してそこに布きれを引っかけて拭き取る。
この雑貨屋を受け継いだ日には、この珍品をすべてゴミだと言ったが、色々と触っているウチに中には役に立つ物もいくつか出てきた。例えば、どんな場所でも正確に方角を示す磁石とか、魔力で光を灯すランプとか、どっちかと言うと冒険者向きの品である。だからこそ、ラズベリーに頼んでつるぎ屋のバーリーを紹介して貰ったのだ。そこに出入りしていた"水晶狩り"の話が出たのはついでだったので、偶然とはいえ、運が良かったといえるだろう。
鼻歌を歌いながらサリアの珍品をカウンターに座って掃除していると、店舗入り口の扉に付けてあったベルが、チリンチリンと鳴った。これは、ラズベリーベーカリーの出入り口に付いていた物と同じ品だ。
「すみません、まだ営業してないんです」
ジュリがそう口にして視線を上げると、そこには黒色の革鎧と紫色の胴衣、同色のスカートと革製のロングブーツ、手には木製の長い錫杖といった出で立ちの少女がたたずんでいた。その少女は、そんなに身長が高いわけではない。ジュリと同じくらいか、少し上、といった感じである。年齢も、二〇歳に届くか届かないか。とにかく、かなり若い。
「ここ、ジュリって人が店主のお店だよね」
入り口から店舗内を見回しながら、その少女がジュリに尋ねる。
「は、はい。えっと…もしかして…水晶狩りさんですか?」
ジュリはカウンターから出て、左手の布を置く。
「うん、そう。バーリーに言われて来たんだけど…」
「よ、ようこそ!わたしがジュリです!」
ジュリは、水晶狩りに対して深く頭を下げた。頭の上の黒猫の耳と尻尾が、ぴくぴくと動く。
「え?」
さすがに水晶狩りは驚いたようだった。バーリーは、ジュリがゴーレムだと教えなかったのだろう。彼女は、入り口から動かず、頭を下げているジュリを凝視する。
「えっと…猫?それとも人間?」
言われて、ジュリはフードを着けていないことに気が付いた。ぱっと両手で黒猫の耳を隠すが、今度は黒猫の左腕が露わになる。
「す、すみません…わたし、ゴーレムなんです。マスターサリア作の…」
顔を真っ赤にしてジュリが項垂れた。水晶狩りはすり足でゆっくりとジュリに近づくと、頭の上のネコミミを指先でちょんと触った。
「これ、本物の猫の耳…?」
「はい、本物です。きちんと聴覚もあります」
続けて左腕、掌をひっくり返し、そこについている肉球をぷにぷにと押す。
「これ、本物の肉球…?」
「はい、本物です。きちんと触覚もあります」
更に、スカートの裾から出ている尻尾をわしっと掴む。ジュリは変な感覚がして、小さく悲鳴を上げた。
「これ、本物の尻尾…?」
「は、はい…本物の……ってか、あんまり触らないでぇぇぇ…」
あまりにも水晶狩りが尻尾を弄るので、ジュリの全身から力が抜ける。結局、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「か…」
「か?」
ジュリは肩で息をしながら、呟いた水晶狩りを見上げた。
「か・わ・い・い~!!」
水晶狩りが叫び、座り込んだジュリを両手で思いっきり抱きしめた。自分の顔を、ジュリにすりすりと擦りつける。
「え、ちょ…水晶狩りさん!?」
いきなりの事で、ジュリが混乱する。身悶え、一生懸命彼女の両腕を振り解こうとするが、どれだけの腕力があるのか、一向にほどける気配がない。ジュリはゴーレムであり、一度死んでいるので、普通の人間以上の力を持っているというのに。
「あたし、猫大好きなんだー!ほらほら、ニャーンって鳴いて!」
「え、え?えっと…にゃ、にゃ~ん……」
「ますます可愛いぃ~~!!」
更に両腕に力がこもった。ジュリは恐ろしい力で抱き上げられ、呼吸するのも厳しくなる。
「うわぁ、猫のゴーレムだよ、猫のゴーレム!猫ちゃんがお出迎えだよぉ!」
「えっと…す、水晶狩りさん…は、放してくださいぃ…!」
既に、ジュリの顔は真っ赤だった。水晶狩りはその言葉に我に返ったのか、抱き上げたジュリをドスンとその場に落とす。ジュリは尻餅を付き、苦痛に顔をゆがめた。
「ご、ごめん。猫見ると見境なくなっちゃうんだ~」
水晶狩りは、にゃははと照れ笑いしながら右手で頭を掻いた。
「い、いえ、構いませんけど…じゃない、構いますけど!まさか、初対面で思いっきり抱きしめられるとは思いませんでした!」
ジュリはお尻をさすりながら立ち上がる。
「重ね重ねごめんなさい~」
水晶狩りがぺこりと頭を下げた。そして、腰を曲げたまま、上目でジュリを見る。
「そ、そういえば、バーリーからお仕事の話だって聞いてきたんだけど…」
「うぅ…そうです。でも、お願いしたくなくなったかも…」
黒猫の耳を両手で手入れしながら、横目でじろりと水晶狩りを睨む。水晶狩りは姿勢を正すと、慌ただしく両手を振った。
「あ、だめだめ、それはだめ!猫ちゃんのお願いなら何でも聞く!」
「猫じゃありません!わたしはジュリです!とりあえず、奥へどうぞ!」
ジュリがカウンター奥の扉を指さした。
「お、おじゃましますぅ…」
水晶狩りは腰を低く、その扉に向かってこそこそと歩き出した。