第3話 わたし、雑貨屋店主を押しつけられました。
翌日、サリアはジュリを伴って王都ファーレン中心街へと出かけた。
と言っても、工房そのものは王都ファーレンの外れ、外壁から少し離れたところに一件だけぽつりと建っており、周囲は一面の農地だった。工房の敷地は広く、その中にはサリアが暮らしているであろう家と、納屋、倉庫が建ち並ぶ。井戸もあるので、水にも困ることはなさそうだ。
サリアはジュリにローブを着せると、フードまですっぽりと被せた。木材でできた粗末な靴を履かせ、彼女の手を引いて敷地を出る。
「いいかい、街中でフードを取るんじゃないよ。街にはエルフやドワーフのような亞人はいても、アンタみたいなゴーレムはいないんだ。注目の的になっちまうからね」
ジュリはこくこくと頷くと、目の前にそびえ立つファーレンの外壁を見上げた。かなりの高さがある。ざっと見積もっても、三〇メートルはくだらないだろう。大陸中の街の中でも、鉄壁都市と呼ばれる所以だ。この城壁がある為に、この国が建国されてから一度も、他国の兵が街中に攻め入った事はない。城壁の周りの堀も広く、そして深い。
ファーレンには東西北と三つの大門があり、南は海に面していて港になっている。出入りするにはその三つの門を通るか、南の港から入るしかない。過去に数度、海から攻めた国があったが、アルスラードル国の抱える街、このファーレンと副王都イシズには、屈強な海軍が存在している。その国々は海軍に打ちのめされ、更に鉄壁都市の名前を世界に知らしめた。
すなわち、現在この大陸で最強の国はどこか、と問われれば、誰もがアルスラードルの名前を挙げるほどだ。
しかし、現在この国は内戦状態にある。素直に皇子ランディーンが兄であるガルディーンに王位を譲っていればこんな事にはならなかった。この混乱に乗じて、いつ他国がこの国を狙ってもおかしくはない状態だ。その為に、この国では戒厳令が布かれ、街に出入りするのに厳重なチェックが入ることになっている。
それは、この国の住人であるサリアにとっても適用されている。サリアの工房から一番近い門は東門だったが、そこで彼女は衛兵に止められた。
「お勤めごくろうさん」
サリアはフードを脱ぎ、衛兵に手を挙げて挨拶をする。
「こ、これはサリア様、今日はお一人ではないのですね」
衛兵が、えらく畏まってサリアに敬礼をする。それを見て、ジュリはサリアの顔を見上げた。
「ああ、ちょっと買い物に来たんだが…通っていいかい?」
「は、結構です。こちらにご記入ください」
と言って、衛兵が紙と羽根ペンをサリアに手渡す。
「面倒なこったね。アタシなら、顔パスでいいだろうに。まあ、仕方ないか」
「申し訳ありません。これも仕事の一環でして…」
衛兵が頭を掻く。サリアはその紙に、街を訪れた目的と時間を記入した。
「ところで、そちらの方は…」
ジュリは顔を覗き込まれ、慌ててフードを深く被り直した。
「…ナイショにしといてくれるかい?」
と、サリアが衛兵に事情を耳打ちする。それを聞いて、衛兵は驚きの表情を作ったが、頷いた。
「……なるほど。そちらの方のお名前も一緒にご記入ください。では、あのお店を復活させるおつもりなのですね」
「そういうこった。また贔屓に頼むよ」
サリアが紙にジュリの名前を記入し、にやりと笑う。そしてジュリの手を握ると、引いて歩き出した。
長く暗い城壁のトンネルを進み、明るい場所に出ると、一気に周囲が喧噪に包まれた。そこは、王都ファーレンを東西に横切るメインストリートだ。二階建て、三階建ての家々が建ち並び、石畳で舗装された広い道路の至る所には行商人が出店を開いている。多くの雑踏が行き交い、まるでお祭りのような雰囲気を作り出していた。
ジュリは辺境の村出身であり、生まれてから一五年、更に生まれ変わって一週間、この王都ファーレンを訪れたことはなかった。だから見る物全てが珍しく、彼女は踊り出したいくらいに興奮していた。歩きながら何度も出店並ぶ品々に興味を引き、そこにふらふらと歩み寄ろうとして、サリアに手を引かれて止められる。
「店なんざ、後からいくらでも見れるさ。とりあえず、ジュリを案内したいところがあるから、素直についてきな」
サリアが歩く速度を速めた。ジュリは手を引かれながら、小走りについて行く。彼女はメインストリートから道を折れ、裏通りに入る。そこはスラムと呼ぶほどではないが、表通りに比べるとやはり雰囲気が違う。
「メインストリートまでの道は覚えておきなよ。裏通りは入り組んでて、すぐに迷うからね」
ジュリが頷く。そして、道を右に左に曲がって、やがてそれが見えてきた。
サリアが立ち止まった場所は、小さな店舗だった。入り口に掛かっている看板には文字は書いてないが、ショーウインドゥには埃を被った奇妙な品々が多数、陳列してある。
玄関の鍵穴に手をかざし、サリアが小声で呪文を唱える。すると、カチリという音と共に錠が外れた。"解錠"の魔法だ。
取っ手を掴んで、ドアを開ける。錆付いているのか、鈍い音を出しながらドアは開き、サリアが中へと入ってゆく。
ジュリはその光景を見ていたが、サリアが手招きしたので、続いて店舗の中に入った。
何年放置されていたのかわからないくらい店舗の中は埃が堆積していて、歩くたびに足下から白い塵が舞う。ジュリは口と鼻を手で押さえながら、サリアの元までたどり着いた。
「ここは…なに?」
ジュリがサリアに尋ねる。サリアは振り返ると、陳列してある品を手にとって埃を払った。思わぬ量の埃が飛び散り、顔を背けて咳き込む。
「雑貨屋だよ、アタシのね。そして、今日からここがジュリの家だ」
ローブの裾でその品物をざっと磨くと、元あった場所に戻す。
「…はい?」
「これが、アンタを造った理由さ。昔、アタシの造った道具をここで売ってたんだけど、ちょっと本業が忙しくなっちまってね。休業中だったのさ。だから、次に良い出来のゴーレムが造れたら、この店を任せようと思ってね」
「…はいぃ?」
ジュリが間抜けな返答を返す。
「…以外と、飲み込みが悪いねぇ。要するに、アンタをこの店の店主にするって言ってるんだよ。最低限の資金は提供してあげるから、自分の好きなようにこの店を盛り上げてくれればいい。勿論、アタシの造った道具を売るって事も条件に入るけどね」
ジュリはサリアに習い、棚に陳列してあったアイテムを一つ手に取ってみる。左の猫の手で埃を払い、その奇妙な形の品をじっと見つめた。それは土台のついた棒に、小さなリングが複数刺さっているものだった。
「コレは何に使う物なの?輪投げゲーム?」
その不可思議な道具を上から、下から見ながら、ジュリはサリアに聞いた。
「いや、くるくるリングが回る」
「はい?」
「いや、だから、指で弾くとリングがくるくる回り続けるんだって。魔力で」
「だから、何に使う物なの?」
実際に指でリングを弾いてみた。すると、複数刺さっていたリングが、棒を中心にくるくるとゆっくり回り始めた。
「回るだけ…だが?」
すぱっと一言で答えたサリアを、ジュリがジト目で見る。その道具を棚に戻し、その隣の品物をサリアに見せた。今度は、一見ナイフのように見える。
「じゃ、これは?」
「何かを切ろうとすると、刃が消えて切れなくなるナイフのような物」
「……何に使うの?」
「さあ?」
ジュリは、呆れてあんぐりと口を開けた。再び棚に戻し、その横の品、更にその横の品と順に、サリアに説明を求めた。
しかし、返ってくる答えは、どれもこれも使用する要領を得ないものばかりだった。
「…これを、どうするって?」
「ジュリが売る」
「誰に?」
「お客に…?」
そこまで話して、店舗内がしばらくの静寂に包まれた。ジュリの呆れ顔が最高潮を告げる。口をぽかんと大きく開け、両肩を落として両手をだらりと下げる。
「ごめん、マスターサリア。もう一度聞くけど、これらをどうするって?」
「ジュリが売る。お客に」
ジュリの頭の中で、何かがプツンと切れた音が聞こえた。
「う、れ、る、かぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫んで、左の黒猫の腕を掲げ、サリアに向けた。肘くらいの位置から、強い魔力が溢れる。
「ちょ、ま!」
サリアが両手をぶんぶんと振ったが、時すでに遅し…。
ジュリから黒猫の腕が光を纏って分離し、サリアに向かって目にも止まらないくらいの凄い速度で飛んだ。
「う、うわぁぁぁぁ!」
サリアがぺたんと尻餅をつく。立っていれば彼女の顔があったであろう位置を、その黒猫の手が通過して轟音と共に壁に突き刺さった。
「な、ななななんてことしてくれるんだい!殺す気かい!?それも、教えてない"猫飛翔拳"を使うだなんて!…さっすがアタシの最高傑作!」
驚いたのはサリアよりもジュリの方だった。まさか、自分の手が飛ぶとは思っていなかったのだ。何か黒猫の手に仕掛けがあると読んでの行動だったが、壁にめり込むほどの威力があったとは。
「自画自賛はいいから、ホントにこれを私に売らせる気!?」
「だって、売らないと数減らないし、お金が入ってこないじゃないか!」
「だから、こんなゴミをどうやって売るのよ!」
「ゴミってゆーな!それをアンタに考えろって言ってるんだよ!」
ジュリは分離した左腕を掲げる。すると、壁にめり込んでいた黒猫の手が飛んで、再び彼女の腕に装着される。それを改めて、座り込んでいるサリアに向けた。
「……お、およし、およしよ!マジで殺す気かい!?」
「もう一度、天才マスターサリアにお聞きしま~す。このゴミをどうするんですかぁ?」
にこりと態とらしく笑顔を作り、ネコロケットパンチの発射態勢に入る。
「……お、おもちゃでもなんでも名目はいいから、とにかく売りさばいてください…」
腰が抜けたのか、足をがくがくと振るわせながら小声でサリアが呟いた。
ジュリは大きく溜め息をつくと、構えたネコロケットパンチを下ろす。サリアが胸を撫で下ろした。
「マスターには生き返らせて貰った恩もあるし…断れないかぁ…」
「断ったら、また死体にもど…」
台詞を最後まで聞く前に、ジュリがサリアを睨んだ。今度は左目…金色の猫目が魔力を帯びて金色に輝く。
「ま、まちなっ!」
サリアが腰を抜かしたまま、足をばたばたと動かして後ずさった。
ジュリの金色の猫目の瞳孔から、キンっという甲高い音と一緒に一瞬魔力の筋が細く伸びて、サリアの足下を"焼いた"。彼女の顔から、どっと脂汗が流れる。
「こ、今度は"猫光線"まで!魔力の無駄遣いをするんじゃないよ!でも、凄い精度、凄い威力、さすがアタシだね!」
「いちいち自画自賛して水を注すなぁ!折角ちょっとだけやる気になったのに!」
と、彼女の腕から再び、黒猫の腕が轟音と共に飛んだ。
「話をまとめるわよ、マスターサリア。私はこの店の品物を売る。値段は自由、他に取り扱う品も自由。これでいいのね!?」
ジュリは、埃まみれの椅子に座って小さくなっているサリアにまくし立てた。
「はい、お好きなようにしてください…。」
未だに震えの止まらないサリアが呟いた。
「でも、収入はキチンと出しておくれよ。収入がそのまま、ジュリの生活費になるんだからね。魔力を使ったゴーレムとはいえ、素材が人間である以上、腹は減るし、きちんと生理現象も訪れるんだから。それと…」
「まだ何かあるの?」
サリアがちょっと目をそらし、向き直るとジュリの胸を指さした。
「胸の紫水晶、見てご覧よ」
ジュリは首元をちょっとだけ指ではだけて、胸のパープルクォーツを見下ろした。それは光を放っているものの、数日前に比べて光自体が弱くなっているように見受けられる。
「その光は、魔力の残量さね。その光が消えたとき、アンタは死ぬ。だからその前に、新しい物に交換しないといけないんだ。アンタはさっき、ネコロケットパンチ二発とネコレーザーを使った。結構消費してるハズだよ」
ジュリの頭から、ざざざと音を立てて血の気が引いた。
「な、なんでそれを早く教えてくれないのよ!」
「教える前にジュリが撃ったんじゃないか!一通りここで説明するつもりだったんだよ!そのパープルクォーツは、前にも言ったとおり貴重品だ。一般に売られてる訳じゃない。手に入れるには闇ルートを洗うか、冒険者連中に依頼して取ってきて貰うしかない。どっちにしろ、それなりの金が必要だ。それもこの店の収入から出さなければいけないって事だよ」
再び、店舗内に沈黙が訪れる。今度は、ジュリが脂汗を流す番だった。
「あ、あの…マスターサリアが、支援してくれるとか…」
その台詞に、サリアは子供のようにプイと横を向いた。
「お姉さん、機嫌損ねちゃったねぇ。折角新しい命与えてあげたのに、容赦無く背かれちゃったしなぁ。どうしようかなぁ、困っちゃったなぁ〜!」
言いつつ、ちらちらとジュリを横目で見る。
ジュリはその言葉と仕草に、さらにキレそうになるが、顔を真っ赤にして我慢した。
「ご、ごめんなさい…」
と、サリアに聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
「ん~?聞こえないなぁ。ジュリちゃんは今なんて言ったのかねぇ?」
「ごめんなさい、すみませんでした!これでいい!?」
半分ぶち切れで叫んだ。
サリアは横を向いたままローブのポケットに手を突っ込むと、そこからパープルクォーツを一つ出し、ジュリに投げる。ジュリは慌てて両の手でそれを受け取った。
「それが、手持ち最後さね。最初の資金援助以外、もうナシだ。アタシも底なしに金持ってる訳じゃないんだよ。後は何とかやりくりしな。それが、ジュリの第二の人生だ。他人におんぶだっこじゃ、つまらないだろ」
言われて、ジュリはこくこくと頷く。
「本当にどうしようもなくなった時だけ、王宮にアタシを訪ねてきなさい。アタシは昼間は王宮、夜は自宅にいるから。ちょっとやそっとで、音を上げるんじゃないよ」
更にこくこくと頷く。
「魔力が心許なくなったときは、頭の中でアンタの飼ってた黒猫の姿を思い出すんだ。そうすると、アンタの身体は"省魔力モード"になる。エコドライブ…じゃないな。ネコドライブってところさね。試しにやってみな」
ジュリは、ペットの黒猫の姿を頭の中で構築する。自分と一緒に、西国の兵士によって殺されてしまった愛猫。自分の身体に、そのパーツが使われているのだ。
すると、ジュリの身体は光を帯び、次の瞬間には小さな黒猫の姿に変わっていた。
「その姿がネコドライブモードさね。人間の姿でいるより、一〇倍は長く魔力が持つはずだ。上手く使いこなすといい。猫の姿で喋るんじゃないよ。元に戻るには、人間の時の姿を思い出すといい」
「は~い」
「と、まあ、説明はこんなところだ。奥の部屋に一通りの家具は揃ってるから、好きに使いなよ。金もそこにある。さて、約束の服を買いにいくかねぇ」
言って、サリアは椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。ジュリは猫の姿のまま、彼女の肩に飛び乗る。
「…やっぱり、買うならメイド服かねぇ…」
ニヤつきながら、ぼそりとサリアが呟いた。ジュリはシャーっと猫のように怒りの声を上げて、彼女の耳を思いっきり噛む。
「い、痛いじゃないか!」
「メイド服なんてイヤですから!」
「そうかい?アンタには似合うと思うんだけどねぇ…」
こうして、ジュリの思いがけない第二の人生が幕を開けたのだった…。