閑話~黒子誕生~
皆様は黒子という言葉をご存知でしょうか。
いや、私も書物で読んだくらいの浅い知識でしかないその言葉なのですが。
「マーキス、おまえは顔を出すな」
まさに青天の霹靂、でございます。いえ、これも書物でちょっと拾っただけの浅い知識からの言葉でございますが。
「家で俺のそばにいるときは別に普通でいい。むしろ陰気くさくてかなわん」
「……仰る意味が、よくわからないのですが」
齢10歳(にしては小憎らしいほどに成長しすぎた中身を持つ)の少年の言葉に、私は疑問符を浮べました。
少年ことブルエ侯爵家令嗣のフィサリス様は、婚約者となられたコルザ伯爵家のシトリン嬢の邸宅(噂によるとすごい魔境とかいう話だが)から長逗留(という名の隠れた修行)を終えて戻られたばかり。
シトリン嬢は将来楽しみな金髪碧眼の美少女との噂なので、仲良くされましたか~などとお帰りなさいませをしつつ伺った結果が、これなのです。
従者はいらない一人で行くと言い張っていかれたフィサリス様でしたが、さすがにこのお年で一人では寂しかったのではと思っていたら。若君は無言のまま私を見つめて。
「マーキス。おまえには暇をやる」
と、淡々と言うではありませんか!
あまりのことに呆然としていると、若君はうんうんと勝手に頷いておりました。
いったいどういうことなのですかと詰め寄ると、若君はびしっと私に指を差し向けました。
「おまえは顔が良すぎるのだ!」
「……はい?」
「ついでに言えば子爵家の三男だったな。平民じゃないからなお駄目だ」
「え、それが、どうしてそういうお話に!?」
私ことマーキス・マークレイは侯爵家に仕えて数年になります。
子爵家の三男として生まれた私は自活の道をとって、父が懇意にしている(まあいわゆる取り巻きになっているとも言いますが)このブルエ侯爵家に入ったのです。貧乏子爵の部屋住みよりも、大貴族の使用人の方が充実して安定している生活を手に入れられるのですから自尊心がどうとか言っている場合ではない、という現実的なお話でございますが。
年もそこまで離れていない上に、腐っても貴族として育った私ですので作法の面などは若君の良い教師として厳しく指導いたしました。その甲斐あって若君がすばらしいご子息としてすくすく育ち、なんとご自分で婚約者を見つけられる程に成長され……あ、話がそれてしまいましたね。
ともかく使用人ではありましたが私はあるいは兄のように若君を見守ってまいりました。
……だというのに。
自慢ではございませんが、若君には数段劣るとは承知の上で申し上げるのです。使用人にしては見苦しくない程度に見目良く生まれ育った私でございます。
若君の御容姿には到底及びませんが、少なくとも後ろに控えていても霞まない程度には良いと自負しておりましたし、私が後ろにいることでなお若君が輝けるのではと秘かに満足もしておりました。
……だというのに。
「おまえは顔が良すぎる」
とはいったいどういうことなのでしょう。今まで普通のことだったと思うのですが、なぜ急にそんな話になってしまったのですか。もはや私の理解を超えています。
「年も俺より6つ上とは、優しいお兄さん枠という危険な代物になりうる!」
「……わ、若君!?」
「思わぬところに伏兵がいたものだな。気をつけねば」
王太子殿下と張り合うことの多い若君はなんというか老成という言葉がしっくりくるのですが、それにしても伏兵とは……。誰がそんな言葉をこの方に教えたのやら。
「――ということだ、暇をやる」
「お待ち下さい! 私から若君のお世話を取り上げては、私はここを出て行かねばなりません! それに若君もこちらでの生活が私なしではご不便になるのでは!!」
安定生活ほど大事なものはごさいません。なんとしてでも解雇阻止とばかりに声をあげると、若君も確かに……と考え込まれる。
そして考え込まれた挙句に、ぽんと手を叩いて仰ったのです。
――おまえは、顔を出すな、と。
いえ、さっぱり仰る意味が私にはわかりません。
「顔を出すな、とはどのようなことを仰っているのか、私にはわかりかねますが」
「確かにおまえを辞めさせると俺の生活が滞るし、かといっておまえのような顔の良い奴に後ろに始終いられたら万が一があったら困る」
「マンガイチトハいったい……」
聞き返した瞬間若君は鬼のような顔をされましたので、それ以上私は何も申し上げられません。目つきは元々鋭くはあるのですが、なんというか、将来的にとてもあまり嬉しくない事態になりそうなそんな気がいたします。片鱗ちらり、といった感じでしょうか。
「おまえは顔を隠して俺の後ろにいろ」
それで冒頭の黒子、という言葉が脳裏によぎったのでございます。居るのだけれど居ないものだとするのですね。よくわかったようなわからないような、しかし、なぜ私がそのような目にあうのか納得ができませんが。しかし私はあくまでも使用人。主人の言うことには絶対服従なのでございます。
「こちらにいる間は別に普通に控えていろ。できるだけあちらにはおまえは連れていかないようにするが、やむを得ず連れていく場合は……顔を隠せ」
「あちら、とは。もしや御令嬢の」
「そうだ。おまえは俺の後ろに控えているときは顔を隠せ。……いや待てよ、そもそも顔を出すという前に存在自体をなるべく隠せ」
「そ、そんな後生な!! それでどうやってお世話しろと!」
「――よろしい、では、解雇だ」
「理不尽すぎます!」
……結果から申し上げましょう。しょせん私はただの使用人にすぎないのです。
解雇が嫌なら顔を隠せという無理難題を突きつけられた私は、その条件を飲むしかなかったのでございます。
かくして私、マーキス・マークレイは黒子となったのでございます。