あれから6年。
皆様ごきげんよう、私は伯爵令嬢シトリンという。
なぜこんなにもあれあれな口調なのかというと、私はもともと前世の記憶というものがあって、まああれですよ。人よりちょっとばかり老成しているところが無きにしも非ず、ということだ。
とはいってもあまり意味のない記憶で、なんというか思い出せるものは前世ではまっていた例の乙女ゲーム「聖マリアージュ学院~花園でつかまえて☆~」(通称聖マリ)に関することだけという、なんだ、これ。
私はどうやらその乙女ゲームの世界に転生してしまったらしい。
しかも、よりによって、悪役令嬢。
フィサリスは貴方なんかには渡さないわっ!とか、わたくしこそが彼にふさわしくってよ!とか、まあそんなこんな(ここで語るにはえげつなさすぎて言えない)主人公に嫌がらせをする伯爵令嬢というのがそれである。
……という事実に気づいたのが、ええと今から6年前のことだった。
10歳の誕生日、攻略キャラの一人であるブルエ侯爵家子息のフィサリスに出会った私は、そこでようやくその事実に気づいた。
しかもこの少年が原因で、私が将来死んでしまうという事実にも!
出会い=私死亡、という短絡的な話ではないので、とりあえず婚約だけ回避しておけばいいかと思ったが運のつき。将来的に私は家から追い出されて野垂れ死にすることになる予定だったので、とりあえず友達くらいになっとけばそこまでにはならんのでは、とか思って親切にしてみたら。
「ふざけんじゃねーよ、あの男」
ほほほ、あらやだ。しとやかな伯爵令嬢、伯爵令嬢。おふざけにならないでほしいものですわねえ、あの方ってば。
かちゃん、と幾分か乱暴にカップをテーブルに置いて溜息。言うにことかいて「婚約者になれ」ときたもんですよ、あの男は。
「……姉さま? どうかなさったんですか?」
そんな不自然な私に、不思議そうに尋ねてくるのはマイエンジェルこと義理の弟のオルムだ。弟とはいえ1ヶ月だけ年下の弟である。父の名誉のために言っておくが、跡継ぎのいないことを憂慮して遠縁の子を引き取ったということで、決して腹違いとかいうものではない。
金髪巻き毛のもう天使もかくや、というこの愛らしさ。記憶を取り戻して一番最初に期待していたのはこの弟の存在だった。もう姉さんは壊れる。可愛すぎる。やばい。
「なんでもないわよ。……それより、もう準備はできたの?」
「はい! 一週間後が楽しみです」
遠縁とはいってもほぼ庶民だった子なので、かろうじて姉である私に対しても丁寧な言葉遣いは崩さない。ほんまええ子や。天使や、天使がおる~。
「そうねえ、ようやく、ここの暮らしから旅立つときが来るのねえ」
そして、私の乙女ゲーライフが。うわあ、面倒くさい。
「学院ねえ、どんなところなのかしらねえ」
この国の貴族は基本的に皆、聖マリアージュ学院というところに16になる年から3年間通わなければならないのである。私とて例外ではない。
まあ、婚活の一環でもあるんだろうけど。その点で言えば、別に私はもう通う必要などないのだが。
「……腹たってきた」
もう一口紅茶を飲むと、やはり怒りがこみ上げてくる。
死亡フラグへし折る予定だった私のはずなのに、気づけばあの男と婚約することになっていたわけで。しかもその理由が「都合が良いから」とかいうふざけた理由だった。
あの俺様魔王様はもともと王太子に対して尋常じゃないライバル心(なにせあのお気楽極楽王太子は完璧すぎる)を燃やしていて、王太子に見つからないように秘かに修行できる場所を探していたのだが。
王都にわりと近くて良い樹海……じゃなかった修行場所を持つ我が伯爵家を見つけて、手っ取り早い方法で我が物顔で出入りできる理由を作ったのだ。
婚約者ならば自由に出入りできる、という理由を。誰にも怪しまれずに長逗留するために婚約を申し込まれた私としては、フラグ折れない?なんで?という状態だった。
侯爵家との婚約という餌に食いつかない父伯爵ではない。あっさり、どーぞ☆と差し出された私だった。
――――ふざけんな、てめー、と父伯爵に対して初めて殺意を覚えた瞬間だった。
だが、私は戦うことにした。
婚約フラグは折れなかったが嫌われるフラグだけはへし折る気満々で好感度あげに勤しんだ。とはいっても聖マリのシトリンのように修行先にまで図々しく押しかけて怒らせるなどといった真似はしない。
あくまでもお友達としての枠を崩さず、時々差し入れしてあげたりとか、そんなものだ。
ともかく心がけたのは三つだけ。
修行中は絶対に邪魔しない。自分からは絶対に近寄らない。話しかけたら真摯に受け答えする。なにせ俺様魔王様の、目つき悪い、口悪い、ときたもんだから、これだって結構努力したよ。
その甲斐あって今じゃあ普通に話せるようにはなったし、普通に友達扱いをしてくれるようにはなった。
それと、将来的に私はこいつによって学院を追い出されるわけなので、そうならないように予防線も張っておいた。
毎度毎度王太子にのされるたびにやってくる奴に対して、ことあるごとに「この婚約はいつでも解消できるからいつでも言ってね」「好きな人ができたら相談に乗るからね」と言っておいた。
まあなぜかそのたびに奴はものすごく不機嫌になるのでいつもあれ?とは思ってはいたが。多分あれだろう、私ごときに色恋沙汰とか言われるのが嫌なんだと思う。うん。きっと。
婚約が決まったとはいえ、侯爵子息とくれば女性は群がるだろうから、まあうざいだろうし。しかも王太子にぶちのめされてやってきた場所で私にことあるごとにこんなことを言われればねえ。
でもそこんとこははっきりしとかないと、いざ例の主人公出てきたら、私邪魔者=死亡フラグですからねえ。いつも奴に力説しているのだが、いまいち相手にされないのはでもなぜだろう?
ああそう。死亡フラグといえば。
私は弟に視線を向ける。
聖マリではこれも死亡フラグだったのだ。一人娘で、でろあまでわがまま放題に育ったシトリンは、ぽっと出の弟もまた苛めたおしたわけで。家を追い出された原因は性格が歪みまくった弟と父の愛人が結託したことにあったりする。
いやーおねえちゃんこわいー、と思ったので、あった日から、もう逆にかまい倒したよ、私。でろあまに甘やかして甘やかして(悪いことしたらちゃんと叱ったけどね)ちゃーんと貴方は次期伯爵なのよーと持ち上げた。
その甲斐あって今や弟が一番懐いているのは間違いなく私といえるだろう。
ふ。死亡フラグなんてなんぼのもんじゃい!!!
そして。これが一番大事なのだが。父の愛人、である。
かねてから我が伯爵家は仮面夫婦だった。
公爵令嬢であった我が母が一介の伯爵と結婚したのはなぜかというと、王の一声にあるらしい。というのを打開策を練っていた私に教えてくれたのは昔から仕えてくれていた老執事だった。
公爵令嬢として宮廷の華であった我が母上は当時の王太子の妃候補であったらしい。まあ、わかる。若くして私を産んだ母は、容色に衰えはない。美しすぎるのだ。今でこれだもの、若かりし頃なんて求婚者が掃いて捨てれるほどいそう。
そんな母に恋した父(あれ、仮面夫婦じゃなかったんだ)がアタックしまくって、哀れに思った王太子が、母にその結婚を薦めたというのがこの結婚の顛末だった。
王妃になる!とか思ってたのに、当の本人から違う相手を薦められるとか、どんな拷問だよ!
つーか王太子軽いな!!!さすがあの息子にしてこの親ありだな。
そういうわけでプライドを傷つけられた母は父に対して心を開かず、とりあえず子作り(これで産まれた私の立場が……)して、以降エンドレス仮面夫婦というわけだ。
でも私は知っているのだ。
父は母によく似た私をすごくよく可愛がってくれるし、その様子をなぜだか憂える母の姿を。そして物言いたげに父にこっそり視線を向けて。……だが父が気づくと、気位の高いツンに戻るわけで。
キターツンデレキター!!!
最初にそのことに気づいた私は老執事と策を練ることにしたのだ。
父は国王に劣るとはいえなかなかの美男子。最初はそんなでもなくても子供作るくらいなんだから絶対好きだよねーと勝手に結論づけて、復活愛作戦を決行した。
母の愛を得ることに力尽きた父が変な女に捕まる前に、らぶらぶ、にしてしまえばいいのだと企むこと数日。決行の日は彼らの結婚記念日と決めた。
その日は、ものすごい朝から父にべたべたに甘えた。たまたま逗留していたフィサリスにものすごくひかれた(曰く熱があるのか!?寝たほうがいいぞ!とかなんとか)くらい。
可愛らしく腕いっぱいの薔薇の花束をおねだりして(要は買って来いとぱしりにしたわけだが)もう一人の主役である母には、一緒に肖像画のモデルになってほしいともっているうちで一番極上のドレスに着替えてくれるようお願いした。絵師はフィサリスのツテで王都でも売れっ子の絵師にお願いした。
母はそういう見栄に弱いので精一杯着飾ってくれたわけで、もちろん私も。
老執事以下はりきって贅をつくした晩餐の準備がされ、母は何ごとか、と驚いたものの。お父様が結婚記念日を忘れるわけがないこと、すぐにお母様の大好きな薔薇の花束を抱えて帰ってみえるわよ、なんぞと嘘八百ならべたてて。ツンからデレへと切り替わったところで父帰宅とあいなり、愛娘から「お母様が結婚記念日をお父様とお祝いしたいって一番極上のドレスに着替えてお待ちなの」と囁かれて、すっかりその気になっちゃうと。母は母で本当に薔薇を抱えた父を前に感極まってツンを忘れてしまったので。
まあ、盛り上がっちゃうわけですよ。
ああやれやれ、良かった。と豪勢な食事を一人だけ黙々と平らげつつ、フィサリスとやったね!と目配せしたのは遠い過去。
今じゃすっかり熱々夫婦に成り下がったため、これもフラグへし折ったってことでいいだろう。
愛人の生まれるはずもない安穏な家庭となって、私はこれから、戦場へと赴くわけですよ。最後に残った死亡フラグと一緒に。
そう。学院に向けて一週間後私は旅立つのだ。面倒くさい俺様魔王様な婚約者も一緒に。
「……おい、おまえら……」
「何よ」
「俺のお茶はないのか」
「あーはいはい、淹れたわよ、勝手に飲んだらいいでしょ」
可愛い可愛い弟とのティータイムを邪魔しにやってきた全身黒男(ついでに髪も眼も黒い)が隣の席につく。
「弟に比べて扱いがぞんざいじゃないのか、おまえ」
「可愛い弟と、貴方じゃねえ」
6年経ってもあいかわらず目つき悪い、口悪い侯爵子息は勝手に紅茶を飲み干している。嫌われる、という状態ではないのでとりあえず戦々恐々と学院に行かなくていいだけましか。
弟も容姿そのままの性格に育ってくれたし、最後に残ったフラグもこれぐらいで済んでるし、我慢しなくてはならないのか。はああ。
「でもね、フィサリス。いつも言ってるように、学院で、素敵な人とか見つけたら私にかまわなくていいのよ?」
「なにを馬鹿なことを言っている。おまえはいいかげんそんな寝言を」
「寝言じゃないわよ。そもそもしがない伯爵家と侯爵家の婚約なんて畏れ多いんだから、こちらとしてはいつだって破棄してもらっていいの」
「……それでおまえは家格にふさわしい婿でも見つけるつもりか?」
ちょっとなんでそんな機嫌悪くなるわけですか。すっげー目つき悪いんですけど。
「家はこの子が継ぐから、そうね、嫁入り先を探さないとね」
「必要ない!」
「ちょっと!死活問題なんですからね!止めないでよね!」
「なんだとお!!」
はたから見たら痴話喧嘩にしか見えないやりとりを、にこにこと弟は眺めながら「姉さんって天然だなあ」と呟いていたことを私は知らなかった。
死亡フラグへし折るってことが、とあるフラグを立てまくっていたということも。