『 師匠と二つ名 』
* 連続更新しています。
『師匠と魔法武器』から読んでいただけると嬉しいです。
【ウィルキス3の月24日:アルト】
師匠の部屋の窓から外を見ると
ヤトさんがいて、アルヴァンさんと戦っている。
何時もならもっと集まるのが遅いのに、もうみんな集まって
ヤトさん達の戦闘を見ていた。俺も起こしてくれたらいいのに!!
師匠に起こしてほしかったことを伝えると
クロージャ達を守るのに、神経を張りつめていただろうから
ちゃんと体を休めたほうがいいからね、と言われた。
それでも、しょんぼりしていると
師匠が困ったように笑って「明日はちゃんと起こしてあげるから」と
約束してくれた。
悩んでいた日が嘘のように、のんびりとした時間が過ぎていく。
本当は、クロージャ達と遊びたいけどクロージャ達は外に出れないし
師匠にも、もう少し家に居てねと言われた。
訓練をしたり、勉強をしたり、本を読んだりして飽きたら
庭でエリオさんが、サフィさんに魔力制御を叩きこまれているのを
見ていたり、フィーと遊んだり、サーラさんと一緒に
酒肴の人達の料理の新作を試食したりして毎日を過ごした。
穏やかな毎日だけど。
師匠が時々、何かを深く考えているような姿を目にする。
なんとなく気になって、何を考えているのか聞くと
俺にはよくわからない事を考えていた。
サーラさんも隣で「よくわからないわ」と言っていたから
とても難しい事を考えていたんだと思う。
師匠も医療院に行く事もなく、ヤトさんが患者がいなくなったと
教えてくれてから数日経った29日、病気の流行がおさまったと
判断されて、遊びに行ってもいいといって貰えた。
明日は大会の日だから、黒達もチームの人達も忙しそうで
早朝からバタバタしている。ギルドに手伝いに行ったりしているようだ。
お店は、大会が終わるまでお休みになるみたいだった。
俺は簡単な昼食を済ませ、師匠に孤児院に出掛けることを伝えると
今日は早く帰って来るようにと言われる。大会前で、ピリピリしている
冒険者が多いから、今日だけは早く帰るようにと。
師匠に頷いて、転移魔法陣で移動してから
孤児院へと向かうと、ロイールもミッシェルも遊びに来ていた。
久しぶりに会ったことで話が弾む。
ミッシェルが楽しそうに、すれ違う人達の髪の色が
色とりどりで綺麗だったとジャネットとエミリアに話していて
赤色の髪の人もすごく多かったというところで
ワイアットが照れて俯いていた。
そういえば、俺もありえない色をした人を見た。
本人は楽しそうに歩いていたから、気に入っているのかもしれないけど
俺はあの色にはしたくないと思った。
クロージャ達は、反省文と規則を書き写すのが大変だったことを
疲れた顔で話し、もう2度とやりたくないと言って
エミリアに自業自得と言われて、肩を落としている。
ロイールがセイルに、冒険者を目指すことにしたと話し
クロージャとワイアットが、暁の風を目指すのかと聞いて
ロイールがはっきりと頷いた。
ミッシェルが「将来暁の風は、賑やかになりそうね」と言って
笑い、ジャネットとエミリアは顔を見合わせて悩んでいる。
ワイアットとセイルは、ロイールに武器の事を聞いて
自分に合う武器をロイールに相談していた。
その表情は真剣で、今までの2人とは違って見える。
本気で、冒険者を目指すんだという意気込みが伝わってくる。
クロージャが話は聞いているのに、武器の事をいわないのが
気になって、もう武器は決めたのかと尋ねると
「俺は魔導師になるから、武器はいらないんだ」と言われた。
「兄貴達から話を聞いたり
本を読んだりしかできないけど
何もしなければ、アルトとの差は開くだけだから
ゆっくりでも進んでいこうって決めたんだ」
「そっかー。本を読むのは大切だよね。
黒になるなら、魔物の知識は絶対に必要だって言われたし」
「そうなのか?」
「うん。強いだけじゃだめなんだって」
「そっか。なら、余計に頑張らないとな」
「うん」
俺が頷くと、クロージャも楽しそうに笑って頷いた。
そう言えば、大会を観戦することに決めたんだろうか?
皆がどういう答えを出したのか気になって
観戦に行くのか聞くと全員が行くと答える。
ギルドに観戦するための申し込みも終わっているらしい。
ジャネットとエミリアも一緒に行くと言われた事に驚いたけど
俺達と一緒に冒険者になりたいという気持ちが消えないから
大会を観戦することにしたようだ。
ミッシェルはともかく、ジャネットとエミリアは
見ないほうがいいと思うんだけどなぁ、と思ったけど
大会を見ることで、完全に諦めることができるかもしれないと
内心考える。どう考えても、エミリア達に冒険者は無理だから。
冒険者志望の人間が大会を観戦するには
保護者の同伴が必要らしく、ミッシェルとロイールはお兄さんが
クロージャ達は、酒肴のニールさんの傍から離れない事を
条件として付けられたらしい。
話は尽きることがなく、まだまだ話したいことが沢山あったけど
早く帰ると約束したから帰ろうとすると
孤児院の門の前にエリオさんが立っていた。
「アルっち帰ろうぜ」
「どうしてここに居るの?」
「ギルドに行ってた。
そろそろアルっちが、帰る頃だと思って寄ってみたけど
帰るっしょ?」
「帰るー」
「面倒だから、転移魔法で帰るっしょ」
エリオさんがそう言って、魔道具を取り出す。
セイルとワイアットが、エリオさんにじゃれついている間に
明日の集合場所を孤児院前にしようと、クロージャと決める。
クロージャ達を迎えに、ニールさんが孤児院に来るらしい。
ロイールとミッシェルとも約束をしてからエリオさんと家に帰った。
明日、師匠が戦うんだと思うと
なんとなく落ち着かない気分になる。
もしかしたら、師匠もドキドキしてるかもしれないと思って
そっと横顔を見るけれど、師匠は何時もと変わりなく静かに
皆の話を聞いているだけだった。
「師匠」
「うん?」
「俺は明日、クロージャ達と闘技場に行く約束をしたんだけど
師匠はどうするの?」
「僕は1人で行くかな」
「俺達と行かないの?」
「準備もあるしね」
「そっかー」
「明日は、皆から離れて1人で行動しないでね」
「うん」
「セツナよー。アルト達はわしらのチームが
面倒を見ることになっとるから、安心せい」
「私達も目を離さないから大丈夫」
バルタスさんとサーラさんの言葉に
師匠が軽く頭を下げて「よろしくお願いします」と言った。
この日はみんな早く寝て、朝軽く体を動かしてから
食事をとって、一応何があっても対処できるように
ベルトなどに魔道具を仕込んでおく。
武器もちゃんと装備してから、ニールさんと
サーラさんとアラディスさんとで孤児院に向かうと
全員がもう孤児院の門の前で待っていた。
ミッシェルが一番上のお兄さんを紹介してくれる。
ナキルさんというらしい。優しそうな人だ。
クロージャ達は、オリエさんに危ない事をするなとか
ニールさんのいう事を聞けとか、1人で行動するなとか
色々と言われている。こっちに話が来ると長くなるから
俺とロイールは、セイル達から少し離れて待っていた。
オリエさんに「気を付けていってらっしゃい」と送り出された時には
ぐったりと疲れた表情をしていたワイアット達だが
闘技場へと行く間に元気を取り戻している。
闘技場は海の近くで、海の上では雪が降っているのに
闘技場の周りには、全く雪が無くてとても驚いた。
幻想的な絵を見ているようで不思議な感じがする。
色々な屋台も出ていて、美味しそうな匂いも届くけど
屋台に並ぶと、開始時間に遅れるから我慢するけど
美味しそうなものを覚えておいて、あとで絶対食べると決めた。
ニールさんの後ろについて、歩いていると
「ガキが来るところじゃねぇぞ!」と声がして
その声に、エミリアとジャネットが体を震わせたのを
サーラさんがみて2人の手を取っている。
声がした方向へ顔を向けると、ガラの悪そうな冒険者達が
こちらを見ていた。ワイアット達も緊張した表情を
つくっていて。
周りの人達の視線は俺達に集中していた。
「……冒険者志望の子供が観戦することを
認めているのはギルドだが、貴殿はそれに異存があると?」
静かな威厳のある声が俺達の元へと届く。
その声がする方へ視線を向けると、人が割れるように道を作り
エレノアさんが、ゆっくりとこちらへと歩いてきた。
エレノアさんの登場に、周りが一段と騒めき注目を浴びる。
ガラの悪い冒険者達が、顔色を変えながら一目散に背中を見せて
逃げ出していく。逃げるぐらいなら、何も言わなければいいのに
馬鹿だなぁと思った。
「どうしたんだい?
なにかあった?」
アラディスさんが、心配そうにエレノアさんを見るけど
エレノアさんが首を横に振る。
「……アギトとサフィールが、サーラを迎えに行くと煩いから
私が出てきた。なんとなく、行かせないほうがいいかと思ってな」
「ああ。それは正解だったね。
ここにいたら、あの冒険者を伸していただろうし。
開始時間に間に合ったかわからない」
エレノアさんが、軽く溜息を吐いて
サーラさんに「あの2人をどうにかしてくれないか」と言っているけど
サーラさんは「無理よ」の一言で返事をしていた。
ふと、エレノアさんのマントに視線がいく。
前着ていたのとマントの色は同じだけど形が違う。
エレノアさんの後ろに回ってエンブレムを見ると
意匠もどこか違う気がする。似ているんだけど
微妙に違う。
首をかしげてエンブレムを見ていると
サーラさんが小さく笑って、その答えを教えてくれた。
「エンブレムは2種類あってね
この間のは、チームのエンブレムで
今回のは、黒と白のランクが持てる個人のエンブレムなの。
1人1人意匠が違うのよ」
「黒と白のエンブレム?」
「そうよ」
「おおおお!! カッコいい!」
そう思ったのは俺だけではなく
セイル達もエレノアさんのマントを見ている。
「エンブレムもカッコいいけど
マントもカッコいいね。チームのマントは落ち着いた感じだったのに
こっちのマントは、縁取りとかされていて派手だ!」
「ギルドの催しやお祝いごとに参加するときに
つけるためのマントだから、華やかで目を引くわね」
俺とサーラさんの会話に、エレノアさんが苦笑し
俺の背中を数回軽く叩いてから皆に歩くように促した。
先頭をエレノアさんとアラディスさんが歩いて
一番後ろをニールさんが歩く。あちらこちらから視線と小さな声が
耳に届くけど、何時もの事だから気にもならなかった。
「……なぜ、君はマントをつけてこなかった」
「こっちのマントは目立つからね。
それに、僕がマントをつけても黒程名前が売れているわけじゃない」
「……戯言を」
「いいじゃないか。
たまには、純粋に観戦者として参加しても。
この大会は、白は招集されないんだから」
「……」
「酒肴も、屋台を出さない事になったから
若い子達も楽しむぞと張り切っていたよ」
「……別に私達が大会終了の宣言の場に
いなくてもいいと思うのだが」
「毎年同じことを言ってるなぁ」
「……君も黒になるといい」
「ならない」
エレノアさんとアラディスさんの話を聞きながら
歩いてクロージャ達の声がしない事に気がついて
後ろを振り向くと、クロージャ達は俯きながら黙々と
歩いていた。
「大丈夫?」
「アルトは平気なのか?」
「なにが?」
「こんなに視線を浴びるのは始めてだ」
「ああ、慣れてるから」
「そっか……」
それ以上会話が続くことがなかったけど
目的地に着くと、セイル達もロイールやミッシェル
ロガンさんやナキルさんも安堵したように息を吐き出し
肩の力を抜いていた。
エレノアさんに案内されて闘技場へ入る。
俺達が観戦する場所は、黒と黒のチーム
黒と同盟を組んでいるチームと元黒達とそのチームの人達
そして、ギルドから招待を受けた人が集まる場所らしい。
薄暗い廊下を、光が差す方向へと歩いていく。
廊下が終わり、薄暗い場所から光のある場所へと
一歩足を踏み出した瞬間、目の前に迫るのは海と巨大な舞台だった。
闘技場は丸い形をしていて
舞台を中心に、観客席がぐるっと周りを囲んでいる。
俺が要る反対側の観客席の一部が海の上に建っているようだ。
こんな大きな建物をどうやって建てたんだろう?
そんなことを考えながら、観客席の方へと視線を移すと
もうほとんどの席が埋まりつつある。すごい人の数だ。
こんな一度に人が集まっているのを俺は見たことがない。
ざわざわと揺れる空気がどこか熱をはらんでいるようで
胸の奥が騒めく。この感情をどう表現していいのかわからない。
舞台の近くでは、赤い髪のギルド職員が動き回っているのが見える。
舞台の上には参加者が集まっているのが見えた。
ここから舞台までかなり距離があるのに
冒険者がはっきりと見えるのはなぜだろう?
「アルトどうした?」
クロージャの声に舞台から視線を外して
クロージャを見る。
「結構距離があるのに、どうして舞台がはっきり見えるのか
不思議に思ってたんだ」
「ああ、この闘技場に魔法がかかっていて
どの席に座っても、舞台の様子がはっきりと見れるようになってる」
「へぇー」
「俺も初めて見た時は驚いた」
「見た事あるの?」
「この大会は見た事はないけど
その他の大会は見た事があるから」
「そっか」
出入り口で立ち止まっていた俺達に
ニールさんに「階段で転ばないように下に降りていけ」と
言われたので階段を下りていくと、皆がいた。
口々に、俺に闘技場を見た感想を聞いてきたから
思ったことを話すと、うんうんと頷いている。
俺達は、一番前の席に座ることになった。
座る場所は、舞台よりは少し高い位置にあって
俺達の前は、観客席を守るように石壁があるけれど
座っても邪魔にならない高さになっている。
そこから周りを見ると、周りの視線が俺達へと集まっている事に気がつく。
俺達というより、アギトさん達を見ているようだ。
俺達の周りには、同盟を組んでいるチームの人達が
俺達を守るように座っているけれど、それでも数列向こうの人達の会話は
こちらへと届いてくる。黒達の事や、黒のチームの人達の事。
そして俺の事も話されている。クロージャ達は自分達の話に夢中で
周りの話を聞いているようすはない。だけど、それでよかったと思う。
俺の事。俺のチームの事。そして師匠の事……。
俺が、ぎゅっと拳を握ったのをフリードさんやセルユさんや
クローディオさん達に見つかって、俺を宥めるように肩や背中を叩かれた。
ミッシェルが、不思議そうに俺を見ていたけど
「なんでもない」と告げてから視線を舞台へと向けた。
今回の参加者は、80人以上いると聞いた。
舞台の上に、結構な人が集まっているようなきがするけれど
舞台が広すぎてよくわからない。
この大会の参加資格は、赤のランクの人だけ。
赤のランクなら、チームの人達と参加してもいいし
参加者で即席のチームを組んで参加する人もいるみたいだ。
だけど、最後に舞台に立っているのは1人だけ。
すごい大会だと思う。大人数に一気に攻められたら
1人では対処できないだろうし……。
はっきり言って、俺は赤のランクになっても
この大会には絶対出ない。絶対、俺に攻撃が集中するにきまっている。
セイルが時計を出して時間を確認している。
そろそろ、始まる時間なのかもしれない。
「なぁ、師匠はどうしたんだ?」
セイルが時計をしまいながら俺を見る。
「しらない」
「知らないって……。
あと10分ほどで始まるぞ」
「そのうち来ると思う」
「……」
何か言いたそうに、セイル達が俺を見るけど
口を開くことはない。心配しなくても師匠は絶対来る。
少しだけ空気が重くなったところに、何処からか声が聞こえる。
周りをキョロキョロと見回しているのは俺だけではなく
他の人達も不思議そうに周りを確認している。
「どういうことだ?」
「わからないわけ」
アギトさんの声に、サフィさんが答えるけど
サフィさんにもわからないようだ。舞台の周りを見ると
ギルド職員の人達が集まって何かを話している。
「……参加者達の声が、ここまで届いているようだな」
エレノアさんがそう告げ会話に耳を傾けると同時に
武器を抜きたい衝動が俺を襲うが、俺よりも早く
アギトさんが俺の頭の上に手を置いて「立つな」と命令された。
クロージャ達は心配そうに俺を見ているけど。
俺は舞台の上の奴らから視線をそらさない。
『黒の腰ぎんちゃくは、本当に来るのかよ』
『逃げたんじゃねぇだろうな』
『逃げても、俺達は困らないがな』
『半殺しにしてやろうと思ってたのに、くそが』
好き勝手に師匠の事を話し
師匠を馬鹿にして嗤っている。
舞台の上から届く声だけじゃなく
周りの声も似たり寄ったりな声が多い……。
本当に、許せない……。
ぎゅぅぅっと拳を握り込んだ手を
いつの間にか後ろに来ていたジャネットとエミリアが
広げて! 広げて! と言って片方ずつ俺の手を取る。
「そんなに力を入れたら、手のひらが傷つくよ」
「傷ついたら痛いよ」
そう言いながら、開いた手の平についた
爪のあとをさすってくれていた。
「大丈夫。ありがとう」
少し頭が冷えて、お礼を言うと笑って
自分の席へと戻る。
ワイアットは俺の肩を叩いて慰めてくれた。
色々な言葉が飛び交う中、時間が過ぎていく。
空気が揺れる気配がして、後ろを向くと
転移魔法を使って来たのか、リオウさんが姿を見せた。
「私もここに居ていいかしら?」
「ギルドの席にいなくていいわけ?」
「父とヤトが、アルトのそばが一番安全だからって」
「私達のそばではなく、アルトの傍か」
アギトさんが面白そうに笑った。
リオウさんは、空いている席に適当に座って
黒達と話していた。
師匠はまだ姿を見せない。
開始5分前というところで、ヤトさんが姿を見せる。
その瞬間、ピタリと会話が止まり全員がヤトさんを見た。
この場の空気が変わったのがわかる。
それは俺だけではなく、クロージャ達も感じたのか
皆の表情が硬い。
そして何気なく。
そう、何気なく違和感を覚えて舞台の方へと視線を向けると
そこに、師匠がいた……。
「いつ来たの?」
思わず声を出して立ち上がり、石壁に手を置いて凝視する。
俺が動いたことで、セイル達が俺を見てから俺が見ている方向へと
視線を向け「あっ」と声をあげた。
ヤトさんが出てきたことで、一瞬静かになった闘技場が
師匠が現れたことで、ヤトさんが出てくる前よりも
ざわめきが大きくなったような気がする。
殆どの人が、師匠がいつ現れたのかを驚きながら話している。
黒達の驚いた声は、届かなかったけど。
ビートさん達は師匠が来たことに気がつかなかったのか
驚いた声を出してから、息をのんでいた。
俺も師匠から、視線を外すことができない。
舞台の上の師匠は、いつもとは全く違って見えたから……。
紅い髪に、紅い瞳。
今日は眼鏡をつけていない。
漆黒のマントを身に纏い
師匠の身長と同じか少し高いぐらいの漆黒の杖を持っている。
マントには衿のあたりにベルトのようなものがついていて
ベルトを止めれば、首の辺りを覆う事ができるのかもしれないけど
今はそのベルトは止められていなかった。
右手で杖を持ち、杖を持っているほうのマントが
右肩へと掛けられていてる。多分あれを下ろすと
体全体を覆う事ができるんじゃないだろうか。
マントの下の服装は、長い衿の黒いシャツに
下は黒のズボンに黒いベルトに黒いブーツに黒のグローブ。
ズボンのベルトには魔道具が納められているようだ。
俺が見たことがないものもある。
そして、何時もは指が出ているグローブをつけているのに
今しているグローブは、俺が貰ったものと同じ指が出ないものだった。
全てが黒で纏められている師匠の服。
全く笑みを見せない師匠の表情、その姿に
どこか師匠とは違う人を見ているようで
なんとなく不安になってくる……。
どこか、緊迫した空気の中
リオウさんが、かすれた声で「ガイア」と呟いた声が届く。
「彼はガイアの継承者だったの?」
リオウさんの声がどこか悲しそうに揺れていた。
その声が気になって、振り向くとリオウさんが目を瞠って
師匠を見つめている。
「……リオウ。ガイアの継承者とはなんだ?」
「あー」
リオウさんが自分を取り戻したのか
エレノアさんを見て、しまったといったような顔をした。
「僕も知りたいわけ」
サフィさんの言葉に、リオウさんが諦めたように
教えてくれる。
「あのマントのエンブレムの事を
ジャックがガイアと呼んでいたの」
エンブレム?
リオウさんから、師匠のマントへと視線を向けると
師匠の背には、エンブレムが描かれている。
漆黒のマントに、黒の刺繍糸だけでエンブレムが
形作られている。満月を黒色に染めたような丸の中には
不思議な模様が描かれている。
黒色しかないと思われたエンブレムは
よく見ると、少しだけ淡い白色? が入っているみたいだ。
黒い丸に浸食されて、月の終わりを告げる三十日月よりも細い
本当に光が消える一瞬をとらえたかのような……。
全てが漆黒に染まっている中で、その細い白色が
唯一の光のように見えて、なぜか怖いと思ってしまう。
なのに魅入られたように
そのエンブレムから、視線を外すことができなかった。
「……あのエンブレムをガイアというのか?」
エレノアさんの声が耳に入ったことで
やっとエンブレムから視線を外すことができる。
「そうみたい。
あのマントも、ジャックが纏っていたものだわ」
「……確かに。私も見た事がある。
あの意匠は、月だとばかり思っていたが」
ジャックというのは、師匠の師匠らしい。
師匠の恩人で、師匠の一番の親友だって聞いた。
黒の中の黒。孤高の狼と呼ばれている。とても強い人だったと
みんなが話していた。師匠の師匠だから師匠より強いのかな?
ちょっとだけ気になる。
「ガイアとはなんなわけ?
僕も、月だと思っていたわけ」
「どうして、あのエンブレムをガイアと呼ぶのかは
教えてもらえなかった」
「……そうか」
「それで?
継承者とは何を継承するんだ?」
アギトさんが先を促すが
リオウさんは黙ったまま何かを考えている。
「……リオウ?」
「なにかしら?」
エレノアさんの声に、はっとしたように
リオウさんが返事をする。
「……それで、ガイアの継承者とは
何を継承する?」
「ガイアの継承者というのは
私達が勝手につけたものだから。
ジャックは知らないの」
エレノアさんの問いに答えるか答えないかを迷いながら
リオウさんは答えることを選んだ。
ポケットから魔道具を取り出して起動させる。
俺達の話に聞き耳を立てていた、冒険者達が
一瞬ざわついたことから、こちらの話が聞こえないように
結界を張ったのだと思う。
「私達がジャックに聞いたのは
あのマントを渡したものに。
全てを渡すと聞いただけ」
「……全て?」
「そう。ジャックが生きてきて得たもの全て」
「それは」
誰もが絶句してリオウさんを見つめている。
「セツナがジャックから、色々と受け継いでいるのは
知っていたけれど、まさかマントまで受け継いでいるとは
思わなかった」
「どうしてだ?
あそこまで、色々なものを譲られているなら
普通考えつくのではないのか?」
アギトさんの言葉に、リオウさんは首を横に振る。
「ジャックの財産は、アギト達が思っている以上に莫大なの。
ジャックに頼まれて私達が管理している物も沢山あるわ。
リシアだけでなく、様々な国にある家の管理も任されているものがあるの。
管理と言っても、建物などはジャックが自分で魔法をかけていくから
放置している事が多いけれど。
セツナが貰った家も、そのほんの一部でしかない。
ハルだけでも、ジャックの持ち家はあと2つあるの」
「ギルドが管理しているのではなく
リオウの一族が管理しているわけ?」
「そうよ」
「……リオウは、あの建物がジャックのものだと知っていたのか?」
「もちろん知っているわよ。
私達一族だけだけど。絶対に近づくなって言われていたから
近づかなかったけどね。碌な事にならないのはわかっているから。
ジャックが近づくなと言ったら、絶対に近づいてはいけないの」
「……そうか」
「子供が入ったらどうしたわけ?」
「大丈夫。基本ジャックは子供には優しい人だから。
子供が入れるようにはしてないわ」
「なるほど」
「話を戻すけど、ジャックが自分の資産の一部を人に譲ることも
そう珍しい事ではなかったし、セツナが貰った鞄と同じものを
私もサクラも貰っているし……。アルトの鞄もきっと
ジャックが残したものじゃないかしら?」
リオウさんが俺の鞄を見てそう告げるけど
多分これは、師匠が作ってくれたものだとおもう。
話さないけど。
「私とサクラも、ジャックが購入した土地を貰って
その土地に建てる家のお金も貰ったしね」
「土地?」
「そう。家はまだ建ててないけど……」
リオウさんが、眉間にしわを寄せて
あれは絶対、結婚したらそこに住めという意味だったんだわと
低い声で呟いている。その呟きをサフィさんは
全く気にせずに、違う事を質問していた。
「セツナが現れなかった場合、ジャックの財産は
どうなったわけ?」
「20年間、私達が管理して
妻とか愛人とか隠し子とかが現れなかった場合
ギルドが管理することになったと思うわ」
「隠し子……」
「ああ、そこはギルドの規約に書かれているのと同じなわけ?」
ギルドの規約……。
確か、ギルドに財産を預けている場合20年間
受け取る人が現れなかったらギルドの資金になるって
書いていた気がする。だから、財産を持っている人は
遺言書というものを書いてギルドに預けている人が多いと聞いた。
「ええ」
「マントを渡したものに全てを譲るなぁ。
どうして、セツナだったんじゃろな?
懇意にしている、オウカやオウルでも不思議ではないし
ジャックぐらい生きていたら、子の1人や2人居ても
不思議では無かろうに」
バルタスさんの問いに、リオウさんが肩をすくめる。
「……ガイアとは何だろうな。
ジャックにとって、ガイアとはどれほどの意味を持つものなんだろうか」
「わからない。だけど、ジャックは継承者は現れないだろうと
話していたの。そう、だから私もきっとサクラもセツナが
継承者だとは思わなかった。思わなかったのよ」
「リオウ?」
「だって、ジャックは心から祈っていたの。
俺の全てを継ぐものなど現れないでくれと願う、と
【くそ最低な世界】の生贄になどに選ばれないでくれと」
リオウさんは俯いて少しだけ肩を震わせた。
「ジャックの願いは叶わなかったのね」
「何とかってなんなわけ?」
「わからない。
聞いたことがない言葉だったから。
ジャックはよく私達の知らない言葉を使っていたから」
「興味があるわけ」
「覚えていないわよ」
「……」
「……その言葉から推測すると。
ガイアを継承するには、何か複雑な条件があったみたいだな。
それも、あまりいい条件ではなさそうなものが」
エレノアさんがそっと視線を伏せ
アギトさん達の機嫌が、なんとなく悪くなったような気がする。
だけど、その理由を聞けないし生贄という言葉も気になったけど
口を挟めるような雰囲気じゃない。
「どうして、セツナは私達に継承者であることを
話してくれなかったのかしら」
「セツナに選択権があったのじゃろ」
バルタスさんの声に、リオウさんが顔をあげる。
「ガイアが、どういった意味かは
わからんが、それをリオウの一族に
伝えるか伝えないかの選択は、セツナにあったのかもしれん。
継承者として生きることのない道もあったのだろう」
「ジャックの弟子だと公表するのは
相当な覚悟がいりそうだ」
「確かに。僕なら黙っているわけ」
「……師の名を守るのは、なかなかに困難な事だ」
「受け継げば、捨てることは叶わないからの」
アギトさん達が、その場を一歩も動かない師匠に視線を向ける。
「なら、なぜ今あのマントを纏ってきたの?」
リオウさんの問いに、アギトさんがリオウさんを見て
「覚悟を決めたからだろ?」
「覚悟?」
「最強の座に立つ覚悟を」
その言葉に驚いてアギトさんを見る。
「あいつは、これから先誰一人として
自分の背より前には行かせないと
全身全霊にかけて誓う、と言っていたわけ」
サフィさんの言葉に一瞬で体が粟立つ。
「……戦闘だけならば。
戦闘ならば誰にも負けないと自負する、とも言っていたな」
師匠は……。
「その背を魅せる為に戦うと言ってたなぁ」
リオウさんがバルタスさんを見てから
そっとため息を落とした。
「そう。そうだったの」
そして、静かに俺を見た。
「セツナは、世界最強の名を継ぐ者として
この大会に臨んだのね……」
「……リオウ」
エレノアさんがリオウさんを呼び
俺から視線を外す。だけど、リオウさんが何かを言いかけて
やめた言葉がわかってしまった。
その後に続くはずだった言葉。
それはきっとこうだ。
『アルトの為に』
師匠がこの大会に参加したのは
俺のためだと知っていた。俺を守るためだと。
だけど。
俺が思う以上に、深い意味を持っていたんだ。
アギトさん達の言葉が、頭の中にずっと響いている。
俺は、師匠の強さが証明されると思って嬉しかった。
今日を楽しみにしていた。だけど、師匠はどうだったんだろう?
考えるまでもない。考えるまでもないじゃないか。
師匠は、大会には参加しないと言っていたのだから。
たぶん。
師匠は、俺が居なければ
最強の座に立とうなんて思わなかったはずだ。
師匠は、穏やかに暮らすのが好きだから。
何とも言えない気持ちが広がって苦しくなっていく。
『師匠』
心の中で思わず師匠を呼んでしまう。
『どうしたの?』
『え!?』
返事がくるとは思わなくて思わず驚く。
『どうして、アルトが驚いてるの』
『返事が来るとは思わなかった』
『そう』
『……』
何を言えばいいのかわからなくて黙っていると
師匠が軽く笑うような気配が届く。
チラリと俺に視線を向けて、困ったように笑ってくれた。
師匠が浮かべた笑みを見た女の人達が騒いでいて煩い。
『最強になるの?』
『なるよ』
『ごめんなさい』
『どうしてあやまるの?』
『師匠は、静かに暮らすのが好きでしょう?
最強になったら、静かに暮らせないでしょう?』
『え?!』
『え?』
『静かに暮らすために、最強になるんだよ。
誰にも、文句を言わせないために』
『……』
どういう意味だろう。
『大会に出るのは、俺を守るためだって言ってた』
『そうだね』
『だけど、それだけじゃなかったんでしょう?』
『アルト?』
『さっき、アギトさん達から
俺が師匠を最強だと言ったから
師匠は最強の座に立つ覚悟を決めたって!』
師匠を見ることができなくて
俯きながらも、必死に言葉を伝える。
『俺が、最強だって言わなかったら
師匠は静かに暮らせて
そのエンブレムは、大変で
サフィさんなら黙ってるって
アギトさんは、すごい覚悟が必要だって
これからずっと、師匠の師匠と比べられるって
俺が師匠を……大変な目に……。背負ったら
捨てられないって。なのに、なのに』
浮かんでくる言葉を次々に吐き出していたら
自分でも何を言っているのかわからなくなったけど
それでも、話さずにはいられなかった。
『アルト。アルト落ち着いて』
『俺はまた!』
俺の頭の上に、そっと手が置かれる。
驚いて顔をあげると、師匠が目の前にいた。
杖を壁に立てかけて
右手のグローブを外し、左手に持って
俺の頭を数回優しく叩く。
クロージャ達が、息をのんだ音が聞こえたけど
それどころではない。
思わず、今まで話していた事を忘れて
師匠に大丈夫かと聞いてしまう。
「大丈夫?」
「なにが?」
「舞台の上に居なくて」
「まだ始まってないしね」
「そうだけど……」
どうして俺は……いつも迷惑をかけてしまうんだろう。
俯きかける俺に「俯かない」と言われたから師匠を見る。
「アルトはどうして自分の事より
僕の事で悩んでいるほうが多いのかな」
師匠がそう言って笑う。
「あまり思い詰めると、頭に禿ができちゃうよ?」
「え……?」
「禿げちゃうよ?」
「嫌だ!」
「なら、あまり思い詰めないようにしないと」
「うー」
師匠が呆れたように俺を見て苦笑する。
「また、アルトの中の僕と話していたの?」
「あ……」
「僕と話すって約束したでしょう?」
「した」
「それで、アルトの中の僕はアルトに何を言っていたのかな?」
「俺は今日が楽しみだったけど
師匠は楽しみじゃないって言ってた」
「まぁ確かに……。
楽しいかと言われれば楽しくないけど」
やっぱり。
「師匠が強いって証明されて嬉しいのは俺だけだったんだ」
「それは違うかな」
嘘だ。
「嘘じゃないよ」
声に出さなかったのに、どうして俺の考えていることが
わかったんだろう?
「大会に参加した理由は色々あるけれど。
一番の理由は、誰に何を言われても
真直ぐ僕を信じてくれる
アルトの期待に、僕が応えたくなったんだよ」
「え?」
「アルトは本当の事しか言っていないのにな、と思ったんだよ」
「本当の事?」
「僕は誰よりも強いんだよね?」
「強い」
「僕は最強なんだよね?」
「うん」
舞台の上から、何を話しているんだという声が聞こえる。
どうやら、こちらの声は向こうには届かないようになっているみたいだ。
だけど、俺達の周りにいる人には聞こえているらしく
じっと俺と師匠の会話に耳を向けていた。
師匠が俺から視線を外し
俺の後ろを見る。
「僕が黙る必要などどこにもなく。
大変なことなど何ひとつない。
僕が受け継いだ、このエンブレムにかけて
僕が敗北することなど一生なく。
僕が彼の名を地に落とすことはない。
僕は彼からすべてを受け継いだのだから
エンブレムを捨てることはあり得ない」
空気が、空気が凍るかのような
師匠の静かな闘気。こんな師匠は初めて見る……。
「だから、アルトが気にする必要は何もない」
俺を見た瞬間に、その闘気は消えうせて
セイル達がつめていた息を吐き出した音が聞こえる。
「僕は最強を名乗る覚悟を決めたけど
アルトに聞くのを忘れていた」
「なに?」
「アルトも覚悟はあるかな?」
「なんの?」
「最強の弟子になる覚悟」
思わず師匠を凝視する。
そうか。師匠が最強になれば
俺も最強の弟子という事になるんだ……。
思わず体が震える。
「覚悟ができないというなら
棄権するよ」
「ある! 俺は師匠の弟子だから!」
師匠がじっと俺を見る。
ここで視線を逸らせたら駄目だと、直感が告げている。
俺の考えや気持ちなど見透かされてしまいそうな
紅い瞳……。
「そう」
師匠が笑ってくれたことで肩から力が抜けた。
「普通の大会ならよかったんだけどね。
今回の大会は、それなりに酷いものになるだろうし
アルトが僕を怖がらないか心配だな」
「絶対にそんなことはない! 絶対!」
「絶対?」
「絶対!」
俺の言葉に師匠が小さく声を出して笑った。
「なら、僕の力の片鱗をアルトに見せてあげるから」
「力の片鱗? 全力じゃないの?」
「全力を出すと一瞬で終わってしまうでしょう?
きっとそうなると、誰も理解できないだろうから
誰が見ても理解できるように、戦うつもりだよ」
右手にグローブをはめ、杖を持ち
マントを翻して、俺に背を向ける。
目に入るのは、漆黒のマントと黒色のエンブレム
「しっかり見ているといい。
この世界で唯1人。ガイアの魔導師である僕の戦い方を」
その言葉と同時に、師匠の姿が消えて
舞台の上へと現れる。参加者達が師匠に何かを言っているけど
その言葉が俺の頭には入らず音として聞こえる。
「ガイアの魔導師」
この時の師匠の言葉が、師匠の2つ名になるのは
大会が終わった後すぐだった。
ガイアの魔導師。その2つ名が意味するのは
ジャックの弟子。ジャックの後継者。
そして、世界最強の魔導師。