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刹那の風景 第三章  作者: 緑青・薄浅黄
『 苺の花 : 尊重と愛情 』
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『 クロージャとアルト 』

【ウィルキス3の月22日:クロージャ】


 アルトが俺達に背を向けて走っていくのを

ただ見送ることしかできなかった。走りすぎて、声を出すのも辛かった。

俺達が動けないでいるのに、アルトは息も切らさず疲れた様子も

見せずに走っていく。


魔物と遭遇し、必死に逃げることしかできなかった。

ジャネットが転んで、魔物に襲われそうになっても

自分より大きく、ただ俺達を餌としか見てない魔物を近くで見て

体がすくんだ。ここで自分は死ぬんだと。


あの鋭い爪と、牙に引き裂かれてバラバラに引きちぎられるんだと

一瞬で理解してしまい、動くことができなかった。

本当の恐怖の前では、声などでないという事を初めて知った。


ジャネットが、心を引き裂く様な悲鳴を上げ

その悲鳴を聞いた、ロイールがジャネットをかばうように抱きしめる。

俺もそしてセイルもワイアットも指一本動かすことが

できなかったのに、ロイールは蒼白になりながらもジャネットをかばった。


ジャネットもエミリアもロイールも、必死に俺達が狩場に行く事を

とめようとしていた。狩場に入って、雪茸を探す俺達の後ろについて

これ以上進まないほうがい。早く戻ろうと言い続けていたのだ。


セイルは、そんな3人をうっとうしそうに見ていたけど

3人はそれでも諦めずに、繰り返し帰ろうとセイルを促していた。


セイルは3人の言葉に耳を貸すことなく、必死に雪茸をさがす。

時計を失くす前のセイルなら、きっと3人の言葉に耳を貸したと思う。


だが、今のセイルは時計を失くしたことの喪失感に淋しさに

耐えることに必死だったし、自暴自棄にもなっていたのだと思う。


本当の家族との唯一の繋がりを失くすことは

俺達にとって、身を切られるほど辛いことだから。

それをわかっているから、エミリアとジャネットも

セイルにきつい言い方をすることはなかった。


根気よく帰ろうと諭すだけだったのだ。


ロイールは、買い物の途中だというのに

エミリアとジャネットに不安そうに見上げられ

溜息を付きながらも、俺達に付き合ってここまで来た気の毒な奴だった。


「あったか?」


「ないな。もう少し奥にいってみようぜ」


セイルとワイアットが奥に足を進めるのを

3人が止めているが、2人は先に帰れとしか言わない。


俺はこっそりため息をついて、セイル達に続く。

今のセイルを置いては帰れない。

俺とセイルは同じ時期に、孤児院へと入れられた。

だから、俺はセイルを親友だと思っているし

俺の方が生まれ月が早いから、弟だとも思っている。

俺にとって一番身近な家族なんだ。

セイルが辛い時は、俺がそばに居てやるって決めていた。


反対にあいつは、俺が辛い時そばに居てくれたから。

それは、エミリアもジャネットもワイアットも同じだし

孤児院で一緒に暮らす仲間は、俺達の家族だけど

それでも、1人1人支えになる兄弟はいる。


エミリアとジャネットもそうだし

ワイアットは、5歳年上のマルクル兄を慕っていた。


「セイル。帰ろうよー」


「先に戻ればいいだろ?」


「魔物が出るって言ってたよ」


「魔物なんてどこにもいないだろ?」


憮然として、セイルが答える。


「あいつが、話を大きく盛ってただけだろ

 腰抜けのいう事を信じるなよ」


ワイアットが、鼻で笑ってエミリアを見る。


最近、学院へ通いながら薬師見習いをしている

マルクル兄が帰ってこないから、ワイアットの機嫌は最悪だ。

それに、アルトを嫌ってるからエミリア達にも辛辣な事を言う。


必死に2人をとめようとする、3人を見ながら

俺は、アルトの事を考える。


アルト……は今頃なにをしているんだろう。


学校が休みになる前の日、セイルとアルトが口論し

喧嘩別れをしたままになっている。アルトは必死に俺達を止めていた。

アルトが話していた内容は、全て正しいと思う。

セイルも頭のどこかでは、アルトが正しいことをわかっている。


だけど、受け入れることができなかった。

俺もそしてセイル達も同じ思いを抱えていると思う。


あいつが、羨ましくて悔しい。

そう、俺達はアルトが羨ましてく仕方がなかったんだ。


小遣いと相談しながら、大先生の贈り物を探すために

歩いていた。古びた鞄を使っている大先生に鞄を贈りたいと思った。


だけどその鞄を買うにはお金が足りない。

その足りない分を、アルトが俺達の事を思って出そうかと

言ってくれたのはわかる。だけど、俺達はそれを悔しいと思った。


好きな時に、自分で稼ぐことができるアルトを羨ましいと思った。

俺達と同じ年で、冒険者をやっていて自分で稼ぐことができる。

それだけじゃなく、俺達よりも先に進んだ知識を持っている。

確固とした自分の未来をもうその手に掴んでいる。


俺達に親はいない。孤児院が面倒を見てくれるのは16歳まで。

申請すれば、20歳までは置いてもらえるけれど。


それから先は自力で生きていかなければいけない。


ちゃんと仕事につけるだろうか。

働いて稼いでいけるだろうか。


病気や怪我をして働けなくなったらどうしよう。

誰を頼ればいいんだろう。どうやって生きていけばいいんだろう。


1人で生きていかなければいけない。それは途方もなく怖くて

考えるほど暗闇に飲まれそうになる。不安で叫びたくなることもあった。


まだ、何をしたいのかはっきりと決まっていない俺は

一心に黒を目指すアルトをみて、内心焦っていたんだ。


同じ年で自分の未来を決めているアルトを見て

俺も早く自分の未来を見据えなければならないと。


アルトが夢を語る度に、俺の焦りは増えていく。


俺は俺でアルトを羨み。

そして、セイルも強くアルトに嫉妬した事件があった。


セイルが時計を失くし、門限を破ったことで

俺達は罰を受け、ロイールやミッシェルでさえも

罰をうけたのに、アルトだけが罰を受けなかった。


アルトは何処まで行っても、自由に行動することを許されている。

俺達は、規則というものに縛られて生活を送らなければならないのに。

その事が、セイルには悔しく思えたのだろう。


時間のある限り、時計を探したかったはずだ。

だけど学校が終わり次第、孤児院に戻ることを約束させられた。


必死に自分の心と折り合いをつけるために

俺達にとって、父親ともいえる大先生の為の贈り物を考える事に

セイルはのめり込む。少しでも喜んでほしいから。


だから、セイルはワイアットの言葉に乗った。

それを、アルトに否定され、諭され、怒鳴られた。

そして、自分が採りに行くと告げた。


そうじゃない。

そうじゃないんだ。


俺達は、施しを受けたいわけじゃない。

アルトにそんな気持ちがないことはわかっている。


だから、笑おうとしたんだ。

笑えなかったけど……。


俺達を心配して、必死に説得しようとしてくれたアルトに。

俺は酷いことを言った。アルトを拒絶することを言った。


最後のアルトの表情を、俺はずっと忘れることができない。


キラキラと輝く太陽みたいなアルト。

俺は、時々その輝きに息が苦しくなる時があったんだ。


俺達には到底手の届かないものを持っている。

アルトにも両親はいない。俺達と同じ境遇なのに

どうして、アルトは俺達とは違うんだ? と心のどこかで思う。


施しを受けないと生きていけない俺達と

自分の力で稼ぎ自由に生きているアルト。


俺達には、眩しすぎるほど真直ぐな友人。

アルトは俺達みたいな、卑屈な感情を持ったことなど

ないのかもしれないと思った。


それが、俺達の間違いだとアルトはアルトで深い悩みがあるのだと

俺達はあとで気がつくことになるけれど、その時は分からなかったんだ。

あいつは何時も、楽しそうに笑っているから。


だけど、それでもアルトと友人をやめようとは思えなかった。

コロコロと変わる表情。その表情よりも雄弁に語る耳。

感情と共に動く尻尾。アルトは全身で、俺達といることが嬉しいって

楽しいって思ってくれていることが痛いほどわかったから。


可哀想な孤児ではなく、アルトは対等に俺達を見てくれるから。

アルトとは親友でいたい。だけど、俺はいつかアルトに嫌われるかもしれない。


本当の事を、話すべきだと思う。

だけど、話すことができない。話せば、嫌悪の視線を向けられるだろうから。

もう少しだけ、もう少しだけそうやって先延ばしにしてきた。


「うるさいな! 先に帰れよ!」


セイルの声で、我に返って前方を見ると

エミリアが、セイルの腕をとって帰ろうと言っていた。


「セイル」


「なんだよ。お前まで帰ろうと言うんじゃないだろうな。

 まだ、見つけてないだろ」


「そろそろ戻らないと、門限に間に合わない」


「あー。もうそんな時間かよ」


小さく舌打ちをして、セイルが肩を落とした。


「戻るか」


セイルのその一言に、ロイール達も安堵した表情を見せて

もと来た道を戻ろうとした……。


「どっちから、歩いてきた?」


セイルの言葉に、全員が首を横に振る。


「ここに居ても仕方ないし

 とりあえず歩こうぜ」


ワイアットの言葉に、頷きながら歩き出す。

この時、もっとよく考えて行動するべきだった。

迷子になったら、その場を動かないほうがいいんだと

冒険者になった、兄達が話していたのに。


歩いても歩いても、知っている場所に出ない。

どの場所も同じような木ばかりで、どこを歩いているのか

全然わからなくなってきた。


辺りも薄暗くなってきて、ガサっとした物音がする度に

全員の肩が跳ね上がり、緊張が走る。


「こっちでいいの?」


ジャネットが不安そうに、セイルに聞くが

セイルは答えることができない。


エミリアが、怖いと呟き涙を落とす。

怖いという言葉は、今まで誰も落とすことができなかった言葉だ。

怖いと考え始めると、際限なく怖くなっていく。


「早く帰ろう。早く帰ろうよ!」


エミリアが叫び、その声にワイアットが苛々した言葉を返す。


「今帰ってるだろうが」


「だって、何時まで経ってもつかない!」


「黙って歩けよ。

 そのうち帰れる」


「……」


グスグスと鼻を鳴らしながら、エミリアが口を閉ざして歩く。

その時、風と一緒に何かの唸り声が聞こえて

全員が息をのんで凍り付く。ゆっくりと視線を巡らせると

俺達よりも大きい魔物が、俺達をじっと見つめていた。


「ど、どうしたら」


「にげないと」


「逃げるぞ!」


俺の言葉で、一斉に走り出す。

俺達が動いたのを確認した魔物が、大きな声で吠えた。

それに答える声が、何処からか聞こえる。


一匹だけじゃない。

一匹だけでも、逃げ切れるかわからないのに

2匹も来たら、絶対に逃げられない。


エミリアとジャネットが怖いと泣きながら必死に走る。

俺達よりも、走る速度が遅くて苛々した気持ちが募るけど

置いていく事は考えられない。


「もっと早く走れ!」


「むり、だ、よ。くる、しい」


走って逃げるけど、2匹の魔物が諦める気配はなく。

何処までも追ってくる魔物に、殺されるという恐怖に

気が狂いそうになるほど怖かった。


どれぐらい走ったのかは分からない。

追いかけてくることに飽きたのか、魔物が今までにない

体の芯から震えがくる声で吠えた。


その吠える声に、体が硬直したように動かない。

ロイールが転んだジャネットをかばうのを見ている事しかできない。


助けて!

誰か助けて!!


心の中で必死に叫ぶ。

だけど、俺達の周りに俺達以外の人間は誰も居ない事を知っている。

必死に祈っても、助けが来ない事を知っている。


だけど、だけど、祈らずにはいられなかったんだ。


誰か助けてと……。


ロイールの背中を、切り裂くように魔物が爪を振り上げるが

目を離すことができなかった。ゆっくりと時間が流れるような

そんな錯覚を覚えて、もう駄目なんだと諦めかけた時


俺達の前に、よく知る背中がロイールを守るように

魔物の前に、立ちふさがっていた。


そして、一瞬でその魔物の首をアルトは落としてしまった。

俺達は逃げることしか、見ている事しかできなかったのに

アルトはいとも簡単に、魔物を殺した。

それはどこか、物語の内容を夢に見たような感覚で


魔物から流れる血も、その色も、その臭いも

どこか自分とは違う世界のものを見ているようだった。


ゆっくりと倒れていく魔物をみて、助かったのだと

息をついて、崩れ落ちそうになった時。


『座るな! 立て!!』


疲れているから休ませてほしいなどと

言えないほど、アルトが纏う空気はいつもと違った。


その表情も、声も、目もすべてが違う。

全員がアルトを見て、体をすくませる。


アルトじゃない。

俺達は、こんなアルトを一度も見たことがない。


しきりに耳を動かし、何かを探るように視線を向けながら

ロイールに指示を出し、ジャネットが大人しく指示に従う。


『振り向くな。前だけ見て走れ。

 絶対に止まるな。俺とトキアで守り抜く』


『……』


『走れ!』


アルトの合図で一斉に、アルトの指示通り走り出す。

本当は走りたくなかった。だけど、アルトが走れと言うから走る。


その理由を、走っている途中で痛いほど知ることになる。

魔物は2匹だけじゃなかったんだ……。


アルトが連れてきた生き物と一緒に

俺達を守りながら、魔物を屠っていく。


むせかえるような血の臭いが、魔物の息遣いが

自分のすぐそばにある。すぐ隣に、死があると気づかせる。


その事に気がつくと、怖くて怖くて

必死に走ることしかできない。


すぐ近くに魔物が来て、悲鳴を上げて魔物とは反対方向へと

逃げたくなるが、その度にアルトは俺達に声をかける。


『俺が絶対に守る。迷わずに真直ぐに走れ!』


そして、連れてきた生き物と一緒に魔物を一撃で倒してく。

すくみ上がりそうな声をだし、速度を緩めず噛みつきに来る

魔物の姿を見ても、アルトは絶対にひかなかった。


引いたら負けなのだと。

引けばそこで命を落とすのだと。


アルトはこんな世界で生きているのだと

俺は初めて知ったんだ……。


ジャネットを背負って、先頭を走っているロイールの

息遣いが苦しそうなものに変わってきた時


またアルトの声が後ろから聞こえた。


『あの木の根元まで、走れ。止まるな!』


その声に励まされるようにして、ロイールが顔をあげる。

そして、大きな樹の根元でロイールが膝をついて倒れた。


ジャネットが、背中にいる時からずっと

泣きながら、ロイールに謝り続けている。


ロイールは息も絶え絶えに、ジャネットの頭を撫で

気にするなと、出せない声で伝えていた。


俺達も、寝転がったまま話す余裕など全くない。

指一本動かない。立てと言われてももう立つことができない。


それでも、俺達に背中を見せているアルトから

視線を外すことができなかった。息を切らすことなく

疲れた様子を見せることなく、アルトは凛と立っている。


俺達より、身長が低いのに

俺達よりもその背中は大きく見えた。


これが冒険者。

そして、ここがアルトが生きている世界。


物語のような、想像していたような

綺麗な世界ではない事を知った。


魔物と命のやり取りをする、凄惨な場所で

アルトは生きている。本気で俺達を食おうとしてた

そんな魔物と戦うのが、冒険者というものだったんだ。


冒険者が、魔物と戦う事を知っていた。

命を懸けて人を守り、魔物を倒す仕事に憧れを持っていた。

だけど、俺は命を懸けるという事の本当の意味を理解していなかったんだ。


学校で、ハル周辺の魔物の事を習った。魔物とは恐ろしいものだから

結界からでてはいけないと、何度も何度も繰り返し言われた。


だけど、俺達は魔物ぐらい力をあわせれば倒せるだろうって

心のどこかで思っていたんだ。


初めて見た魔物は醜悪で、あんなに恐ろしいものだとは思わなかった。

絵と文字で見る魔物とは全然違った。


剣を振るい、魔物の血を浴びながら

魔物の爪が、魔物の牙が届きそうなぐらい近づいて

アルトは魔物を殺していた。一歩間違えれば

大怪我をするかもしれないし、死ぬかもしれない。


なのに、アルトは俺達を守るために戦ってくれたんだ。

命を懸けて、俺達を守ってくれた。


あれほど、結界の外に出るなと言われたのに。

俺は、アルトに酷いことを言ったのに。


謝らないと。助けてくれたお礼を言わないと。

そう思いながらも、未だ体は思い通り動かない。

声が出ない……。


アルトは連れている生き物に話しかけ、ベルトから何かを取り出し

地面に刺して、何かを確認した瞬間。


振り向き俺達を見た。その瞳は今まで見たことがない程

冷たい色をしていた。早くなっている呼吸が止まるような。


そしてすぐに、その冷たい視線から怒りを宿した視線に変わり

アルトが本気で俺達に怒鳴った。


『俺は絶対に結界から出るなって言っただろ!!』


空気を震わせるような、体がすくむようなアルトの怒号。


『なんで、こんな時間に危険な狩場に入ってるんだ!!』


アルトが、俺達に怒りをぶつけ

そんなアルトに、意地になり素直になれないセイルが

絶対に言ってはいけない言葉を口にする。


『準備はしてきた。

 それに、俺は助けてくれとは言ってない!』


準備なんて何もしてないだろ?

助けてもらわなければ、俺達は死んでいただろう?


止めに入りたいけど、セイルより体力のない俺は止めることができない。


それまで、怒りに任せるように声を荒げていたアルトが

セイルの言葉を聞いて、一度俯きそして顔をあげた。

アルトの顔に浮かんでいたのは諦め。


怒鳴るのをやめたのも、怒るのをやめたのも。

俺達に何を言っても無駄だって思われたからだ。


アルトは必要な事だけを、俺達に告げ。

アルトが作ってくれた結界から離れていった。


待てよ、まだ俺は謝ってない。礼も言ってない!

何処に行くんだよ?

外には魔物がいるんだろう?

この中は安全なんだろ?

アルトは、何処で過ごすんだよ!


伝えたいことは沢山あるのに、アルトが走り去るほうが早かった。

情けない。本当に情けない……。


歯を食いしばり、地面の土を握るように拳を握る。

体を動かせず。声も出せず。俺は、何をしてんだよ……。


暫くしてやっと動けるようになって、体を起こす。

ロイールは日々鍛えているからか、ジャネットを背負い走っていたのに

一番最初に体を起こしていた。


ジャネットとエミリアは、俯いて項垂れている。


「なんであんなことを言ったんだ」


「……」


「セイルは本当のことを言っただけだろ?」


責めるような俺の言葉に、セイルは答えず

ワイアットが答える。


「本気で言ってるのか?

 アルトが来てくれていなかったら、俺達は死んでたんだぞ!?」


「あいつが、狩に来ていたのを

 偶然通りがかって助けてくれたんだろ?」


「ふざけんなっ!」


思わず立ち上がり、ワイアットを見る。


「何が偶然だ! アルトは俺達を追ってきてくれたにきまっているだろ!」


「どうしてそう言い切れるんだよ!」


「アルトが話していただろ!

 今この狩場の結界は閉ざされているって!」


「ほんとかどうかわからないだろが」


「本気で言ってるのか? 知ってるだろ?

 今日、5回鐘が鳴っていただろ!

 兄貴たちが、話していたのを聞いていただろ?

 狩場は結界を調整する日があると。

 その日だけは、絶対に狩場には近づかないって

 ここに閉じ込められたら、魔物だけの世界の中で

 死ぬのを覚悟して、夜を過ごさなきゃいけないって!」


皆が目を見張って俺を見る。

俺も忘れていたんだ。時刻を知らせる鐘以外

気にした事なんてなかったから。話は聞いていたのに。

俺達には関係がなかったから。


「魔物に追われて、助けてもらいたくても

 出口まで行っても、外に出れないって。

 外からも入ることができないって!

 疲れて戦う事が出来なかったら、そこで死ぬしかないって。

 そんな恐ろしい場所で、夜を過ごしたくないって話していただろう!?」


アルトが俺達に使ってくれた、結界を張る魔道具なんて

高くて駆け出しの冒険者には買えない。

だから、兄達は安全を第一に考えながら冒険者をしていたんだ。


ワイアットはアルトの言ったことを、全く信じていなかったようだ。

この中にいれば、助けが来ると思っていたんだろう。

ワイアットの気持ちも分からなくはない。

分からなくはないが、ワイアットの言動は間違っているとはっきり言える。


「俺達は、今その状況ど真ん中にいるんだよ!

 戦えもしないのに! それにもうすぐ日が落ちる……」


「そんな……。

 誰も、ここに助けに来てくれないのか?」


ワイアットが、顔を青くして震えだした。

俺だって怖い……。


「何の準備もしてない。

 水もないし、食い物もない。

 それに、明かりもない。

 そんな状態で、明日の朝まで過ごすことになるんだ」


想像するととてつもなく、恐怖がわく。


「冒険者であるアルトが、結界の調整日を知らないわけがないだろ。

 さっきも、俺達に忠告してた。ここから出るなって。

 ここは安全だって。どうやって、俺達がここにきていることを知ったのか

 分からないけど、アルトは危険な場所になることを覚悟して

 俺達を助けに(・・・)来てくれたんだ!

 もしかしたら、俺達がここにいないかもしれない

 行き違いになっていたかもしれない!

 そうなっていたら、アルトは独りでこの閉じられた場所で

 過ごすことになったんだ! それでも、アルトは俺達を探す選択をしてくれた!」


「……」


「なのに! 助けてくれとは言ってない!? そんな言葉をどうして吐けるんだ!

 どうして命を助けてもらった礼を言えない!

 お前も見ただろう!? あの魔物の大きさを! 魔物の息遣いを感じただろ!

 俺達を、餌としか見ていないあの目を見ただろう。

 あんな恐ろしいものから、俺達をかばって命を懸けて戦ってくれたんだ。

 爪で牙で攻撃されて当たったら死ぬかもしれないのに!」


ロイールがその時の恐怖を思い出したのか

体を小さく震わせた。それでもこいつは、ジャネットを助けるために

動けた。正直凄いと思う。


「お前の気持ちだってわかる。俺だってアルトを羨ましいと思った。

 だけど、あの言葉だけは絶対にない!」


「……」


「忠告を聞かなかった俺達に、アルトは何て言ってた?」


自分の不甲斐無さに、拳をぎゅっと握る。


「あいつに酷い事を言ったあげく、馬鹿な事をした俺達に

 アルトは、守り抜くって言ってくれたんだ。

 俺達の命を守るって。そしてそれを実行してくれた」


「……」


「なのに、俺達はそんなアルトを危険な場所へ追い出したんだ。

 本当なら、ここに居るのはアルトじゃなきゃいけなかった!」


俺の言葉に、今まで俯いて黙っていたセイルが

顔をあげて、目を見張って俺を見た。


「安全な場所を確保するための魔道具を

 アルトは俺達の為に置いていってくれた。

 同じものが2つあるとは思えない」


「探しに、探しに行かないと!」


「そして殺されるのか?

 魔物に食われるのか?」


「え?」


「外を見て見ろよ。右の奥」


全員が結界の外を見る。そこにはさっきとは違う魔物がどこかに行くのが見えた。

ジャネットとエミリアが、悲鳴を飲み込んで震える。

俺も体の震えを必死に抑えながら、話を続ける。


「今ここは、本当に危険な場所なんだ。

 武器も持っていない。持っていたとしても

 戦い方など俺は知らない。知っていたとしても

 魔物に近づいて殺すことなんて、怖くてできない。

 お前は戦えるのかよ?」


「戦えない」


真っ蒼な顔をして、セイルがそう呟く。


「俺達は、明日の朝までここに居るしかない」


言いたいことはすべて言った。

溜息を付きながら、地面へと座る。


誰も口を開かない。

時間だけが過ぎていく。


太陽はもうすぐ完全に落ちてしまう。

自分の目の前に手を持ってきて視線を落とすけど

すぐそばにある自分の手が、暗くて見えなくなってきている。

先ほど、魔物が見えた位置も今はもう見えない。


光のない世界。

それはどれほどの暗闇になるんだろう。

 

「なぁ。俺達は本当に帰れないのか?」


ワイアットが、俯いたままそう聞く。


「帰れないって、アルトが言ってただろ」


「だけど、俺達がここに居ることを

 大人たちが気がついてくれたら、助けが来るだろう?」


「どうやって、俺達がここに居ることを知らせるんだ?」


「それは……」


「俺達の位置を知らせるための

 魔道具は机の中に置いてきただろ?

 俺達がここに居るのを知っているのは、多分アルトだけだ」


「……」


闇が濃くなっていき、俺以外の人間をかき消してしまうような

錯覚を覚える。エミリアとジャネットがぴったりとくっつき

お互いの存在を、確認していた。


そして完全に日が落ちる。空に星が出ていれば

まだ少しは明るかったかもしれない。だけど今は

分厚い雲に覆われていて、星の光も月の光も通すことはなかった。


「怖い、怖いよぉぉ」


ジャネットが泣きだす。エミリアが必死にジャネットに声をかけている。

そういえば、ジャネットは暗闇が嫌いだった。寝る時に明かりを落とすだけで

泣きじゃくるほど、暗いところが駄目だ。だから、何時もジャネットの傍には

小さな明かりが用意されていた。


「お母さん、お母さん。

 怖いよ。怖いよ。怖いよ。怖いよ」


姿は見えないけど、震えているような気配が届く。


「ジャネット落ち着け」


俺もセイルもワイアットもロイールも

ジャネットを励ますように声をかけるけど

ジャネットには届いていないようだった。


「帰る。帰る。お家に帰る。帰る」


「ジャネット!!」


ジャネットが立ち上がる気配がし、エミリアがジャネットを呼ぶが

ジャネットは返事をしない。


「ジャネット!」


「ジャネット!!」


少し目が慣れて来たけれど、それでも暗闇には違いなく。

何処に誰が居るのかまでは、まだわからない。


全員が立ち上がる気配がするが

ジャネットが、どの方向へ行ったのか分からず歩くことができない。


結界を出ていたらどうしよう。

焦る心とは裏腹に、俺達は何もできなかった。


そんな時……。


「俺は結界から出るなって言っただろ?」


姿は見えないけれど、アルトの声が聞こえた。

その声に、安堵し思わず涙が出そうになるがぐっとこらえる。


「アルト? アルト?」


ジャネットの声が聞こえて、全員がほっとしたように息をついた。


「何処に行こうとしてたんだよ」


「暗くて、怖いから、怖いからお家に、お家に帰るの」


「朝まで出れないって言っただろ?」


ジャネットの様子がおかしいのがわかるのか

アルトの声は、とてもやさしい。


「でも怖い。怖いよ。暗いのは怖い。嫌だよ」


「大体、どうして明かりをつけていないんだ」


多分、アルトはこっちを向いたんだと思う。

アルトは、この暗闇の中でも俺達の姿が見えているんだろうか?


さっきよりは、目も慣れてきているけど。

アルト達の位置はまだわからない。


「準備してきたんだろう?」


「してない! セイルが嘘ついてた!」


エミリアが、声を震わせてアルトに必死に答える。

アルトは、多分じっとセイルを見ているのかもしれない。

そして、小さなため息だけが届いた。


「ジャネット怖くない。

 ここは安全だから。師匠の作った結界の中には

 絶対に魔物は入ってこれない」


「怖い。怖いよ。怖い」


「大丈夫。大丈夫だから」


アルトは根気よくジャネットに話しかけた。


「少しだけ離れてくれる?」


「嫌!!! 怖い!!」


叫ぶようにそう告げるジャネット。


「じゃぁそのままでいいから

 腕だけ離して?」


「……」


アルトのおかげで少し落ち着いたのか

ジャネットは、アルトの言う通りにしたようだ。

アルトが何かをしている気配を感じ「起動」と言葉を告げると

俺達の周りが、一瞬で明るくなった。


ちょっと目が痛い。

目を細め、周りを見るとみんな緊張を解いて座り込む。


アルト達を探すと、少し離れたところで

ジャネットがアルトにしがみついていた。エミリアが立ち上がり

急いでジャネットの傍へと行く。


「もう暗くないから、怖くないだろ?」


「……」


アルトの言葉に、ジャネットは何も答えず

更にギュッとアルトに抱き付き、そして火がついたように泣きだした。


「うわーん。怖かった。怖かったよ。

 どこにも行っちゃいやだ。怖いよ。魔物が来るよ。

 暗いのは怖いよ。アルト一緒にいてよ。怖い。怖い。怖い」


必死にアルトにしがみつき泣くジャネットに

アルトは耳を寝かせて、困った様子を見せる。

エミリアも、そんなジャネットをみてアルトがそばにいることに安堵して

気が緩んだのか、アルトに抱き付いて泣きだした。


「アルト、一緒にいて。お願い。お願いだよ」


グスグスと泣く2人に、アルトは小さく息をついて。

2人の背中を慰めるように叩いた。


「わかったよ。一緒にいる。

 この結界の中は安全だから、怖くないんだけどなぁ」


そんなことを言いながら、アルトは2人が落ち着くまで

じっと2人の背中を優しく叩いていた。


「2人とも、手を出して」


何時まで経っても、アルトを離しそうな気配がなく。

困ったアルトは、2人に手を出すように言った。


2人ともアルトから体を離し、泣きはらした目でアルトを見て

言われた通りに手を出すが、もう片方の手はアルトの服を掴んだまま

離そうとはしなかった。


2人の手の上に、アルトが何かを置いてから

「起動って言ってみて?」と言い。2人がかすれた声で

「起動」と言葉にすると、2人の手の上で小さな明かりが瞬いた。


「その明かりをあげる。

 ジャネットとエミリアだけの明かりだよ。

 返さなくていいから、ずっと持っていたらいい」


2人はアルトをじっと見て、同時に頷いた。

2人が落ち着いたところで、俺達の所へと2人を連れてくるが

ジャネットの歩き方がおかしい事に気がつき、足を出すようにいう。

そして、鞄から魔道具を取り出して使いジャネットの足を治した。


「あり、がとう」


「どういたしまして」


「アルト、ありが、とう。

 助け、てくれて、あり、がとう」


「助けに来、てくれてありが、とう」


ジャネットとエミリアが繰り返し繰り返し

アルトにお礼を言っていた。俺達も言わなければと思うけど

いまさら何を言っていいのか分からなくて、声を出すことができないでいた。


アルトが動こうとするたびに、ジャネットとエミリアが

アルトの腕をとる。アルトは困ったように2人を見て

何かを思いついたように、尻尾を一度振った。


「トキア」


「わん」


トキアと呼ばれ、見たことがない生き物がアルトの傍に来た。


「俺は今から火をおこすから

 俺のかわりに、これを抱いてるといいよ。

 トキアは俺より強いから、2人を守ってくれる」


そう言って、変な生き物を2人に渡した。


「この、こは、なに?」


泣きすぎて、思い通りに声が出ないのか

つっかえながらアルトに聞いている。


「犬」


「犬には、みえない、よ?」


「トキアは、魔法で作られた師匠の使い魔なんだ。

 だから、普通の犬とは違うけど師匠は犬だと言っていた。

 多分、作る時に失敗したんだと思う。だから、こんなに足が短くて

 胴が長くなったんだ」


「わふわふ」


トキアが何か言いたそうに鳴いた。


「可哀想、だね」


「わふー」


2人は、アルトから受け取った犬のような生き物を

ゆっくりと撫でる。


「わん」


撫でられて嬉しいのか尻尾を振って、2人の手を交互になめていた。


「でも、かわいい、ね」


「かわ、いい」


ようやく、笑顔を見せるようになった2人に

アルトが心底ほっとしたような顔をした。


2人が大人しく、トキアと遊んでいるのを見ながら

アルトが鞄から、スコップを取り出し俺達やジャネット達がいる

中央あたりに穴を掘っていく。何をしているのかわからなくて

じっと見ていた俺達だけど、ロイールがアルトに声をかけた。


「何か手伝うか?」


「いや、疲れてるだろ?

 もう少し休んでいたほうがいいよ」


「……。助けに来てくれてありがとう」


ロイールの言葉に、アルトが頷く。


「ロイールがいることが不思議だったけど」


この言葉に、エミリアがアルトに答えを返す。

トキアと触れあって、落ち着いたのか声がちゃんと

でるようになったらしい。


「ロイールは、買い物途中で私達と会って

 お願いしてきてもらったの。私達だけじゃ不安だったから」


「そっか。ロイールが居てよかった。

 俺だけだと、あそこから動くことができなかった。

 怖かっただろ? ジャネットを背負いながら走るのは

 辛かっただろう? ありがとう」


アルトの言葉に、ロイールが目を見張り

その目に涙をためていく。そして静かにその涙が落ちた。


「っ……」


アルトはそんなロイールから視線を外して

ある程度の穴を掘り終わり、そこに枯れた枝を入れていく。

鞄からレンガを出し、組み立て終わってから

魔道具で火をつけた。火がついた瞬間全員の視線が

火に注がれる。暖かい。肩から力が抜けていくのがわかる。


火ってこんなに暖かくて、安心できるものだったんだ。


アルトは休むことなく、黙々と何かをしていく。

水を出して手を洗ったところで、全員の喉が鳴った。

アルトはその事に気がつき、眉をひそめながら確認するように

声を出す。


「水ぐらい持ってきてるよね?」


「……」


誰も何も答えない。答えることができない。

ここにきて何度目かのため息をつき、鞄から全員分のコップを出して

水を注いでいく。それをジャネットに渡しジャネットからエミリアへ

そしてロイールへ。


ロイールが、手にした瞬間水を一気に飲もうとしたのを

アルトに注意される。喉が渇いているのはわかるけど

一気に飲むと体を冷やすから、ゆっくり飲むようにと。


水はなくならないから、ゆっくり飲んでも大丈夫だと。

足りなかったら、また注ぐからと。

ロイールは頷いて、ゆっくりと口に運んで飲んでいく。


ジャネットとは反対側にいる俺達には

アルトは俺に水の入ったコップを渡してくれた。


「ありがとう」


「どういたしまして」


アルトに渡してもらったコップをセイルに渡し

セイルがワイアットへと渡した。


そして最後に入れてくれた水を俺に渡してくれた時に

アルトの目を見て、お礼と謝罪を告げた。


「助けに来てくれてありがとう。

 アルトの言う事を聞かなくてごめん。

 酷いことを言ってごめん。助けてくれてありがとう」


やっと言葉にすることができた言葉に

アルトは「もういいよ」って言ってくれた。


どうして、アルトはこんなに簡単に俺達を許せるんだろう。

俺達のせいで、こんな場所で夜を過ごすことになったのに。


俺ならここに来ただろうか? そう考えても答えなど

出るはずがなかった。俺は、冒険者ではないから。

俺が魔物を倒すというのが、想像できなかったから。


アルトに謝るようにセイルを見たが

セイルは、俯いてアルトを見ることができなかった。

頭の中は、どうやって謝るかで一杯だろうに

散々、アルトに盾突いていたからそう簡単には

謝れないだろうなと、内心ため息をつく。


そうこうしている間に、アルトが鞄から鍋を出し

レンガの上に置き、鍋があたたまったら瓶に入った油を入れ

そこに、大量の肉を入れて炒め始めた。


「そのお肉はどうしたの?」


エミリアが、トキアを撫でながら驚いたように声を出す。


「さっき、狩って捌いた」


「え?」


俺達がうだうだしている間に、アルトは薪を集めて

獲物を見つけて捌き、食事の用意をしようかなと思ったところへ

俺達がいる場所が真暗で、何かあったのかと思い様子を見に来てくれたようだ。


肉に半分ぐらい火が通ったところで

鞄の中から、箱のようなものを取り出しその中にガラス瓶が納まっている。

瓶の中には、ジャガイモと人参と玉ねぎが切られた状態で入れられている。

それを全部鍋の中にぶち込む。


「それはどうしたの?」


「これはシチューセット。

 師匠が、何かあった時の為に料理が作れるように

 してくれているものだ。野菜炒めセットもあるけど

 体があったまるように、シチューにした」


「へー……」


適度に野菜にも火が通ったら、アルトは最後に水を入れて蓋をした。


「アルトは何時も食べ物を持ち歩いてるんだね」


そう言って、ジャネットが笑う。


「うん。食べられなくなるのは怖いから」


「怖い?」


「俺は、師匠と会うまでパンを知らなかった。

 シチューを食べたのも、師匠と会ってからだ」


「え? それまで何を食べていたの?」


「塩の入ったお湯のスープと奴隷の餌」


「……」


誰もが口を閉ざして、アルトを見ていた。

アルトは今白い何かを割っている。


そのわった欠片の1つをジャネットに見せる。


「奴隷の餌はこれぐらいの大きさ。

 パサパサのクッキーをぎゅって固めたようなやつ。

 味はあまりしない。美味しくないし

 口の中の水分が全部持っていかれる。

 それを、朝と夜に1個だけ配られる。

 それが、俺の一日の食事だった」


「足りないよ?」


ジャネットがぽそりと、言葉を落とす。


「足りない。だから何時もお腹が空いていた。

 美味しそうなものを、俺達の前で食べている人間が憎かった」


その時の事を思い出したのか、ぎゅっと拳を握る。


「余った食べ物を俺達には与えず

 ごみ箱へと捨てる人間を何度も殺したいって思った」


初めて見る憎悪を宿したアルトの瞳。

アルトの告白を聞くにつれて、俺の心臓は早鐘のように鳴り響く。


「だけど、俺は奴隷の餌さえも与えてもらえない事が多かったんだ」


「……」


「人間に反抗して、餌を抜かれることが多かった」


「酷い……」


エミリアが俯いて、キュッと唇をかみしめた。


「俺は食べ物が無くなるのが怖い。

 食べられなくなったらどうしようって、不安になる。

 だから、何時も鞄に食べ物が入っているし

 師匠も俺の為に、こうやって俺が困った時に

 食べることができるように、すぐに食べれるように用意してくれた」


そこでアルトは、何かを考えるように黙り込み。

ジャネットがアルトを呼んだことで、顔をあげる。


大丈夫ときかれて、大丈夫と返している。


ジャネットが暗闇を怖がるように

アルトにもそういったものがあったんだと知った。

アルトが奴隷だったって知っていたのに

俺は、無神経なことを言ったりしなかっただろうかと考え


秘密基地での会話を思いだした。

ロイールがアルトがお菓子ばかりを選ぶと言った時

どうしてお菓子を選ぶのかと俺は聞いたはずだ。


アルトは『何かあった時、食べ物があれば生きていける』と言っていた。

『お腹がすくのは悲しいことだから』と言っていた。


その言葉に、ワイアットが馬鹿にしたような言葉を吐き

セイルも俺も笑って流した。だけど、あの言葉を

アルトは真剣に言っていたんだ。笑い話ではなくあの時のアルトは

真面目に答えていたんだ。俺はそれに気がつかなかった。


だけど、ミッシェルだけは笑っていなかった。

アルトをじっと見ていた。今ならわかる。

ミッシェルは、アルトが真面目に話していると気がついていたんだ。

だから、アルトを笑う事はしなかったんだ……。


ぐつぐつしている鍋から蓋を取り、さっきまで割っていた何かを

鍋に投入しそこにミルクを入れて、お玉でぐるぐるとかき混ぜている。


アルトの尻尾は機嫌よさそうに揺れていた。

鍋の中から美味しそうな匂いが漂ってきて、俺のお腹がグーッと鳴った。


アルトが最後に少し味見をしてから、塩と胡椒を足して

「完成だ!」と叫んだ。鞄の中から、食器が入っている袋を取り出して

そこに山盛りのシチューを盛り付けて俺達に配ってくれる。


その食器は、何時も俺達がお菓子を食べる時に使っているものだ。

アルトの鞄は何でも入るから、アルトがいつも持っていてくれていた。

だから、スプーンとかフォークもある。


全員にシチューがいき渡り、皆の目がキラキラと輝く。

アルトは最後に箱からパンを取り出した。


「パンは4個しかないから、半分ずつしよう」


そう言って半分に割って、配っていく。

一つ残ったパンも、律儀に半分に割り片方をシチューに入れて

片方を布の袋に入れてから、箱へと戻した。


「残りの半分は、アルトが食べればいいだろう?」


「うーん。俺だけ多く食べるのは嫌だから」


そう言って、全て片付けて鞄の中へとしまいこむ。


「足りなかったら、あとでお菓子を食べよう」


そんなアルトをなぜか真直ぐ見れなくて

神に祈りを捧げてから、シチューをスプーンですくい

火傷しない様に口へと運んだ。


「……」


一口、口に入れた瞬間なぜか胸が痛くなって

次に暖かい何かが胸を締め付ける。自分の手の上に落ちる

生暖かい水。なんだこれはとおもって、頬を触ると濡れていた。


慌てて、服の袖で涙をぬぐうけど涙は次から次からあふれ出る。

恥ずかしくて、周りを見れなかったけど誰も何も言わないのを

不思議に思って顔をあげると、アルト以外全員シチューを凝視して

涙を落としていた。ワイアットさえ、俯いて肩を震わせている。


アルトが、耳を寝かせてキョロキョロと周りをせわしなく見ている。


「え、え、え? シチュー不味かった?

 俺は美味しいと思うんだけど」


そう言って、俺達を見るけど俺達は返事ができない。

そうじゃない。そうじゃないんだ。


暖かい食べ物を口にいれた事で、思い出してしまったんだ。

自分を待ってくれている家族を。暖かい場所を。優しい人を。

俺達の帰る場所を……。


それと同時に、自分が生きていることを実感したんだ。

魔物に追いかけられて、死にかけた。その恐怖がここにきてはっきりと

蘇ったんだ。死んでいたら、二度と大先生達や兄貴や姉貴たちに会えなくなっていた。

多分、今大先生やオリエ先生が必死になって俺達を探してくれているかもしれない。

俺達が死んだら、弟妹達が悲しんだかもしれない。


そして、俺達がここで死んでいたら。

大先生達は、俺達を見つけるまで探し回ってくれただろう。


家に帰りたい。

先生達に会いたい。

兄貴達に会いたい。

姉貴達に会いたい。

弟妹達に会いたい。


無性に俺達の家族に会いたいと思ったんだ……。


「ごめん」


セイルが、俯いて涙を落としながら小さな声で呟いた。


「ごめん」


その視線は、器に向けたままだ。


「アルト。ごめん」


アルトはじっとセイルを見ている。


「アルトは、俺達の事を考えていろいろ言ってくれてるって

 わかっていたけど。素直に聞けなくて。アルトが羨ましくて。

 悔しかった」


自分の気持ちを吐露するように小さな声で話していく。


「さんざん酷いことを言って。

 顔も見たくないって、一方的に傷つけて」


セイルの涙が、セイルの手の上にぽたぽたと落ちる。


「ここまで、助けに来てくれたのに。

 命を懸けて、俺達を守ってくれたのに」


涙でぬれた顔をあげて、アルトを真直ぐに見る。


「助けてくれとは言ってないなんて言葉を吐いてしまった。

 本当は嬉しかったのに。アルトが助けに来てくれて

 安堵したのに。俺は、俺は……」


「もういいよ。

 セイル、もういい」


「ごめん。本当にごめん」


セイルは、アルトに深く深く頭を下げた。


「助けてくれてありがとう。

 探しに来てくれてありがとう。

 許してくれて……ありがとう」


「うん。セイル達が死ななかったから

 それでいいんだ」


アルトはそう言って、嬉しそうに笑った。

本当に嬉しそうに笑ってくれたんだ。


その笑顔に釣られるように、セイルも照れたように笑顔を見せる。

それから、ロイールとジャネットとエミリアにも顔を向けた。


「ごめんな。3人を巻き込んだ。

 ロイール達も、必死に止めてくれたのに。

 早く帰ろうって言ってくれたのに」


「本当だよ」


「馬鹿なんだから」


鼻をグスグスとならしながらジャネット達がプンスカと怒っている。

その言い方に、苦笑を浮かべそして真面目な表情へと変えていく。


「もう少しで、家族を友達を死なせるところだった。

 俺はそれがすごく怖かった。今も怖い。

 俺が間違った行動をしたから、皆が死ぬかもしれなかったんだ」


そう言って、セイルは顔を青くして俯いた。


「アルトが助けてくれたから、もういいよ。

 だけど、次はもうない。俺はもう、こんな思いはしたくない」


ロイールがはっきりと、セイルに告げる。


「うん。二度としない。約束する」


「なら、俺も許すよ」


「ありがとう」


ロイールが笑い、セイルが笑う。

こうやって、笑えることが本当に奇跡に近い事だったんだって

知ったのは俺が、冒険者となって戦えるようになってからだった。


「シチューが、冷めるから食べよう」


「うん」


アルトに促されるが、誰も口をつけない。

俺がシチューの器を地面に置く。セイルもロイールも

ジャネットもエミリアも同じように器を置いて。


神殿で神に祈る姿勢をとって、真剣に祈りをささげた。


「今日、この時みなで食事を囲める幸せを

 私達に与えてくださり、心から感謝いたします」


「感謝いたします」


家族と友人と、食事をとることができる幸せを

これから先も忘れないように。神にそう誓ったんだ。


俺達が神に祈る中、ワイアットだけはじっと一点を見つめて

祈ることもなかったし、口を利くこともなかった。

だけど、与えられたものを残すことだけはしなかった。



俺はこの日の事を、死ぬまで忘れなかったし。

この日食べたシチューの味もずっと忘れることはなかった。



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2025年3月5日にドラゴンノベルス様より
『刹那の風景6 : 暁 』が刊行されました。
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