『 僕とアルトの関係 : 前編 』
ウィルキス3の月に入り、寒さが一層厳しくなったような気がする。
寒くなればなるほど、家にこもりがちになりそうなものだけど
ここで生活する人達は、寒さをさほど気にすることもなく訓練をしたり
簡単な依頼をしたりと、各々のペースで生活していた。
最近は、お金を稼ぐために依頼を受けていることが多いようだけど。
僕はといえば、頼まれた魔道具を有料で作ったり
セリアさんの買い物に付き合ったりと、それなりに
忙しい時間を過ごしていたが、それも落ち着いた。
時の魔道具が売れたことから、僕の懐も潤い
そのぶん、セリアさんの買い物も順調に進み
金貨10枚という契約だったけど、足りなくなって超過している。
その分、セリアさんの彼の借金が
利息も含めとてつもない金額になっているような気がする……。
知らない間に背負わされた借金に、彼はどんな顔をするのだろうかと
少し気の毒に思わなくもない。
セリアさんが理不尽とも思える契約を結んだ理由は
彼女の意図を考えると、簡単に返せる金額では駄目なのだろう。
セリアさんは僕に何も言わないから、僕もセリアさんに何も聞かない。
セリアさんから伝わってくる、痛いほどの気持ちそれで十分だし
僕はセリアさんの味方なのだから。
正直、別に踏み倒されたとしてもいいかとも思っている。
彼女が僕の為にしてくれたことを思えば、安いものだから。
そんなセリアさんは、今日もお気に入りのマリアさんの家へと
遊びに行っていた。ノリスさんとエリーさんの衣裳も出来上がり
衣裳に魔法を仕込んでから、色々な魔道具と一緒に箱に詰め
ギルド経由で送るのではなく、僕がサクラさんに渡した魔道具を
経由して荷物を届けた。もちろん、サクラさんの衣裳も入っている。
リペイドの国王様に、サクラさんが披露宴に出席できるように
お願いしたのだが『ソフィアがもう招待状を手渡した後だ』と言われたので
サクラさんのエスコート役は、サイラス以外でお願いしますと
釘をさすだけで終わった。
マリアさんが、衣装を選び手直ししたことは話さないという事になった。
魔道具を用意したのも、マリアさんとオウルさん達だ。
身を守るすべを持たない、ノリスさん達とサクラさんの為に
用意したようだ。サクラさんには、僕が作った魔道具を渡してあるし
サクラさんだけではなく、ノリスさんとエリーさんにも魔法をかけてあるけど
マリアさんとオウルさんが、3人の為に用意したものだから
何も言わずにそのまま送った。衣装も魔道具も僕からという事になっているけど
きっと、サクラさんは誰が用意したものなのか気がつくだろう思う。
沢山の愛情と想いが詰まった贈り物の意味に。
一段落着いたマリアさんが、寂しい思いをしないように
セリアさんが、ちょくちょくと顔を出しているようだ。
迷惑をかけていないか少し心配になるが、セリアさんから話を聞く限りは
マリアさんもオウルさんも元気にしているらしい。
『オウルは、忙しそうに働いているワ。
マリアは、ノリスとエリーから届いた小さな植木鉢に埋められた
種が芽を出したと喜んでいたワ』とセリアさんが楽しそうに話していた。
サクラさんを経由して、送られてきた僕への荷物の中に
衣裳のお礼の手紙と品物。そして、マリアさんとオウルさんへ
お礼の手紙と小さな植木鉢が入れられていた。
サクラさんからの手紙は、僕に宛てた物しか入っていなかったけど
ノリスさんとエリーさんが、サクラさんの想いをマリアさん達に
伝えてくれたんだろうと思う。
マリアさん達が、サクラさんを大切に想うように
サクラさんも、マリアさん達を大切に想っていることを……。
植木鉢を届けた時の、マリアさんの幸せそうに笑いながらも
涙を落とした表情が、今でも頭に残っている。
小さな植木鉢に植えられた種が
どんな花を咲かせるのかは、手紙に書かれていなかったようだ。
書かれていたのは、お礼の言葉と感謝の気持ち。
そして、花の育て方が丁寧に綴られていたらしい。
僕の手紙には、最近小さな家族が増えたと書かれていた。
ノリスさんとエリーさんに、子供ができたのかなと思ったけれど
違ったようで、どうやら2匹の子犬を拾ったようだ。
飼い主を探す予定が、エリーさんが子犬を手放せなくなったらしく
エリーさんとサクラさんで、一匹ずつ育てることになったと書かれていた。
2人の手紙には、子犬の愛らしさがびっちり文字にして綴られていた。
例え言葉が通じなくとも、傍で寄り添ってくれる温もりは
ほんのりと心に光をともしてくれる。寂しさも少し減る事だろう。
手紙の向こうの光景が、優しい空気に満たされている気配を感じて
サクラさんをエリーさん達に預けることができて良かったと思った。
「犬……」
一瞬頭の中をよぎったものに、時間もできた事だし形にしてみても
面白いかもしれないと考える。古い魔法の中にあったような気がする。
うまくいけば、色々な事にも使えそうだ。
微かに聞こえる波の音に耳を傾けながら、自分の思考の中へと
入り込んでいた。
カタッと何かが、机の上に置かれる音がして
思考が中断され閉じていた瞼をゆっくりあけると
サーラさんが、僕の顔を覗きこむようにして立っていた。
「セツナ君? 調子が悪いの?」
「いえ、少し考え事をしていました」
僕の返事に、サーラさんが安堵したように笑い。
「紅茶を入れてもらったの。
お菓子もあるのよ。一緒にどう?」
僕の為に、お茶を持ってきてくれたようだ。
「ありがとうございます」
机の上に置かれたティーカップに手を伸ばし
いれたての紅茶の香りを堪能してから、口へと運ぶ。
サーラさんは、僕の隣に座り同じように紅茶を飲んで
ほっと息をついた。
「何か難しいことを考えていたの?」
ティーカップを受け皿へと置き、サーラさんが少し首をかしげた。
「いえ、頼まれていた魔道具も作り終わりましたし
時間があるので、何か新しい魔道具でも作ってみようかと」
「えぇ!? もう全部終わったの?」
「ええ。さほど難しい依頼ではありませんでしたから」
「難しくないといっても、結構な量があったでしょう?
全員の鞄に、時の魔法をかけることになったのよ?」
「複数の魔法をかけるわけではありませんから」
鞄に入れたものが、劣化しないように各個人の鞄を預かって
魔法をかけることになったけど、一度に纏めてかけてしまえば
5分もかからないで終わる。ついでに、鞄が壊れないように
保護の魔法もかけておいたが、それは言わない事にした。
「月光から預かった鞄も、棚にいれておきましたから
あとで取り出してください」
「あぁ……だから、酒肴の子達が歌いながら踊ってたのね」
「……」
今も鞄を持って、クルクルと回っている人達が居るが
目をあわせないように、そっと視線を外した。
酒肴の人達にとって、食材が傷まなくなるというのは
本当に嬉しい事らしい。いや、普通に考えて便利だとは思うけれど
歌って踊ることはないと思う。
僕が時使いだと告げた時の彼等の驚きと喜びようは
想像以上だった……。その後、バルタスさん達から僕への依頼は
1つだけという厳しい? 命令をされても意気消沈することはなく
何にどんな、時の魔法をかけるかを真剣に吟味していた。
酒肴以外の人達は、ほとんど迷わず鞄を選んでいたが
酒肴の人達は、最後まで鞄か自分の調理道具かで悩んでいた。
別に両方に魔法をかけても、さほど手間ではないのだけれど……。
バルタスさん達が決めた事だから
口を出すことはせず、答えが出るのを待っていた。
結局、食材専用鞄に魔法をかけることになったが
機会があれば、個人の調理器具に魔法をかける日が来るだろう。多分。
チームからの依頼としては、様々なものに魔法をかけることになり
酒肴のお店の厨房や、各チームが食料を詰め込むための食料箱
水を入れる樽などに魔法を刻んだ。
報酬として、各チームから金貨を数十枚もらっている。
邂逅の調べは、金銭面でどうするか悩んでいたようで
サフィールさんが悩んでいるのに気がついたのか
僕宛に「これで魔法を刻んでほしいのなのなの」と書かれた
手紙と一緒に精霊玉が入った小瓶が僕へと届いた。
精霊玉とは、精霊が自分の魔力を固めたもので
ビー玉ぐらいの大きさの丸い魔力の塊の事だ。フィーから届いたのは
純粋な闇の魔力の精霊玉。これ1つで大きな家が買えるほどの価値がある。
それが、5個小瓶の中にいれられていた。
貰いすぎを通り越して、ぼったくりになってしまう。
『飴のお礼もはいっているといっていたわけ』
サフィールさんがどこか疲れたように告げ
1つだけもらって返そうとすると『迷惑だからやめてほしいわけ』といって
絶対に受取ろうとはしなかった。
そしてその後に、フィーに頼まれて作った飴を入れてあった瓶であろうものを
サフィールさんが顔色を悪くしながら、僕へと手渡してくれる。
大瓶の中には、各属性の色がついた精霊玉がぎゅうぎゅうにつまっていた。
『飴のお礼だときいたわけ……』
『……』
『それは、誰にも見せないほうがいいわけ』
『……』
サフィールさんがそう告げながら、自分の手元に精霊玉がつめられている
小さめの瓶を見て深く溜息を吐いていた。
どうやら、サフィールさんにもお礼が届いたようだ。
『僕は、届けただけなわけ……』
何処か途方に暮れたように、遠い目をしてサフィールさんは
僕の部屋の壁を眺めていたのだった。
「じゃぁ、セツナ君は暇になったのね」
サーラさんの声で、飛んでいた思考が元へと戻る。
「そうですね。
なので、なにか新しいものを作ろうかと考えていました」
「何を作るの?」
「まだなんとなく考えているだけなので」
「そう」
「どうしたんですか?」
どこかしょんぼりして、サーラさんが俯いてしまう。
そんなに期待させてしまったんだろうか? 内心どきどきとしながら
サーラさんの言葉を待っていると、小さな声で呟いた。
「私、アルトに嫌われちゃったかな」
ぐすっとはなをならし、ぽたりと涙がサーラさんの膝の上に落ちた。
「どうしよう……」
メソメソと本格的に泣き出したサーラさんに
周りの人達が、苦笑を浮かべて嘆息していた。
泣いているサーラさんを見て、アギトさん達の言葉を思い出す。
以前もアギトさんが話していたけれど、サーラさんは子供ができると
極端に心配性になるらしい。
『サーラが泣いても気にしなくていい』と言われてはいるが
さすがに、隣で泣かれていると気にしないわけにもいかない。
そろそろ、サーラさんの限界が近いだろうなというのは
僕だけではなく、ここで生活しているアルト以外の全員が
気がついていただろうし。
「アルトが嫌がっているのは知っていたけど
それでも心配で……」
「……」
最近アルトの機嫌がとても悪い。
多分、学校で何かあったのだと思うけど
何があったのか話そうとしないし、何を悩んでいるのか
もしくは、何に苛々しているのかも全く分からなかった。
そんな様子のアルトを見て、皆が心配して
アルトに声をかけるのだけれど「何でもない」と返事をして口を閉じる。
アルトのその態度を見て、誰も怒ったりせず
どこか懐かしいものを見るような視線を、アルトに向けながら
「何かあれば相談しろよ」と告げて、それ以上アルトに踏み込むような事は
しなかった。ただ、例外だったのがサーラさんとセリアさんだ。
エレノアさんから、程々にと言われていたのに
アルトの姿を見ると「どうしたの?」「大丈夫?」と声をかけ
「何があったの?」と質問を繰り返す。それは、本当にアルトのことを想い
心配で仕方がないから、でた言葉であり態度だったんだけど
自分の事で精一杯なアルトは、その心配がとても煩わしいと感じたのだと思う。
「何もないって言ってるだろ! 俺の事はほっておいて!!」と叫び
サーラさんとセリアさんに、近づかなくなってしまった。
セリアさんは「怒られちゃったワ」と余り気にしている様子もなく
姿を消して、アルトに声をかけることはしなくなった。
心配そうに、傍に浮いているけれど。アルトは気がついていない。
セリアさんと違って、サーラさんはずっと気にしていた。
その時は、僕にアルトを怒らせてしまったっと謝りにきて
気にしていないような感じにみせてはいたけれど。
誰の目から見ても、気にしていることはまるわかりだった。
エレノアさんに「……エリオとビートの時も、同じことをして
避けられていたのを忘れたのか?」と呆れたように言われ「うっ……」と
言葉を詰まらせていたサーラさんに、ちらりと視線を向けたエリオさん達が
ため息を吐いているのを目にすることになった。
「嫌われてはいないですよ。大丈夫」
アルトの態度を見ても、本気で嫌っているわけではないとはっきりわかる。
完全に無視しているというわけではなく、挨拶などの受け答えは
きちんとしている。ただ、一緒にお菓子を食べたり食事をしたりする時に
近くに座る事がなくなっただけの可愛い反抗だ。
「そうかなぁ?」
「むしろ、避けられているのは僕の方だと思うんですけどね」
「……」
僕の言葉に、サーラさんが数回瞬きをして涙を落としたあと
「私の気のせいじゃなかった?」と首を傾げた。
「気のせいではないと思います」
はっきりと告げた僕に、サーラさんだけではなく
周りで聞いていた人達も、一瞬行動を止めていた。
「アルトがサーラさんから距離を置いているのは
今の段階で、あまり色々と詮索してほしくないからだと思います。
何を悩んでいるのかはわかりませんが、落ち着いたら元に戻りますよ」
「うん……」
「しかし、アルトが僕を避ける理由がわからないんです」
「セツナ君は、アルトに煩くきかなかったしね」
煩くというところで、思わず笑う。
僕の笑う声を聞いて、サーラさんが拗ねたような顔をした。
アルトの様子が少し変だなと感じたのは、ピザを作った日の翌日
学校から帰って来てからだった。ピザを作る前日も沈んでいたから
元気が出るように、料理を作ったのだけどその日は学校から帰ってきたら
何時ものアルトに戻っていたはずだ。
ピザを食べた後は、バルタスさんから食べて美味しかった
魔物の話を聞いて、大蛇を狩に行きたいと目を輝かせ
アギトさんからは、大蛇と同じぐらいの強さの大蜘蛛の話を聞くと
倒しに行きたい!と 拳を握っていた。
どちらの魔物も、ランクでいえば白に近い赤といったところだろう。
この辺りの魔物になって来ると、知能を持っていたり魔法を使ったり
そう簡単に倒せる魔物ではなくなってくる。
対策を立て、万全に準備をしてから倒しに行くことが多いはずだ。
『師匠ー。倒しに行こう? それで、大蛇を食べるんだ!』
『えー……。アルトのランクでは当分厳しいと思うけどなぁ』
『大丈夫、俺頑張るから!
師匠の足を、引っ張らないように頑張るから!』
『それは、僕に倒せって言っているんだね』
『うん!』
きちんと、自分の力量を把握しているようで何よりだ。
僕にとっては、大蛇も大蜘蛛もゴブリンとさほど変わりはない。
だけど、蛇は食べたくないなぁ……と思いながらも
アルトが、大蛇や大蜘蛛との戦闘方法を覚えたら
倒しに行くと約束させられた。周りの人達からは
やっぱり、アルトに甘すぎると呆れた視線をもらったけれど
嬉しそうに動いている犬耳や尻尾を見てしまうとそれでいいと
思ってしまうのだから、仕方がないと思う。
それに大蛇が美味しいと知り、食べたことがない酒肴の人達も
やる気満々なのだから、2人だけで行く事はないだろう。
「どうして、セツナ君までさけているのかしら……」
「まぁ、僕を避けているというよりは
観察されているに近いような気がしなくもないですが」
僕の言葉に、数回瞬きをしてから少し俯き何かを思い出しながら
首をゆっくり縦に振った。
「あー。あー。そうね、なぜかじっとセツナ君をみているものね?」
そう、避けているというよりは観察されている気がする。
何かを探るように、僕に視線を向けるのに目が合うと視線をそらすし
何か話があるのかと聞くと、ないと言って会話が終わってしまう。
「何か話したいことがあるのかと、聞いては見たんですが
ないといわれるばかりですし、困ったことがあるのなら
相談するようにとは伝えましたが、話すつもりはないようです」
「どうしちゃったのかしら……」
思案気な表情をうかべ、サーラさんがため息をつく。
「セツナ君は、聞き出そうと思わないの?」
「そうですね……。アルトが身動きができない状況や助けを求めて来たのなら
介入しようとは思いますが、今の所は睡眠もとれているようですし
食事量も変わりありません。自分の悩み事と正面から向き合って
自分で答えを出そうと頑張っているのなら、僕は口を出すつもりはありません」
それに、セリアさんがくっついているだろうし
何かあれば、報告してくれるだろう。アルトにつけてある鳥からも
切羽詰まったような感情は届いていない。
「だけど……。
あのね」
サーラさんが、胸元で両手を合わせて
何かを頼むときに見せる仕草をした時に
サーラさんを呼ぶ声が、近くから聞こえた。
「サーラ」
「アギトちゃん」
声の主はアギトさんで、他の黒達も居るようだ。
2階で黒のチームのリーダーとサブリーダーが集まって
会議を開いていたようだけど、全員降りてきたらしい。
適当に、ソファーなどへと座った黒達に
酒肴の人達が、お茶とお茶菓子を出していく。
時計を見ると、酒肴の午前中のお店が終わった時間帯だった。
ランチの時間が終わり、夜の酒場がはじまるまでの時間は
休憩時間になっている。
その時間に合わせて、皆が一度ここに集まり
お茶を飲んで休憩し、連絡事項があれば連絡するといった
感じに落ち着いていた。
「セツナを困らせるようなことを、口にするのは感心しない」
「……」
「何処まで見守るかの線引きは難しいものだが
セツナの言う通り、今のところは大丈夫だと私も思う」
アギトさんの言葉に、エレノアさんとバルタスさんも同時に頷く。
しょんぼりと肩を落としたサーラさんの様子を見て
アラディスさんが、フォローへと回った。
「仕方ないといえば、仕方ないのかもしれないね
サーラさんの心配性は、母親としての性だろうから」
「……確かにな」
エレノアさんが、フッと軽く笑って同意する。
「エレノアは、どちらかというと男よりだからの。
ここで、母親に近いのはサーラと……セリアじゃろ?」
バルタスさんの言葉に、エレノアさんが目を細めて
バルタスさんを見たが「お前のヤトの育て方は、男よりだったじゃろ?」と
言われて、アラディスさんが笑ったことでその視線を手元のお茶へと落とした。
「……母というものは、内なる世界を子供に教え
父というものは、外なる世界を子供に見せる」
エレノアさんがぽつりと、そんな言葉を呟く。
「……確かに、私の育て方は母親というよりは
父親といったほうに、近いものがあったかもしれないな」
「それは、なんなわけ?」
サフィールさんが、エレノアさんの言葉に興味を示した。
「……ヤトが生まれた時に、読んだ本の中に書かれていた言葉だな」
「ふーん。どういう意味なわけ?」
「母親と父親の役割について書かれた本だったかな?」
アラディスさんが、懐かしそうに声にする。
「アラディスもよんだわけ?」
「私も子育てに参加したかったからね」
「エレノアが、そのような本を読んだのか。
意外だの。具体的には、どんなことが書かれていたんだ?」
バルタスさんの問いに
アラディスさんが、本の内容を思い出しながら答える。
「母親の愛情……。所謂、子供は自分の居場所を確認しながら
母親を中心に、その行動範囲を広げていく。
最初は、母親に抱かれ、手を引かれそして母親の手を離し
自分の帰る場所を何度も確認しながら、交友関係を広げ
そして最後に、母親に背を見せる」
「……」
「父親は、妻と子供を愛情深く見守り
妻と子供の命を守り。その慈しみ方を、そして守り方を
子供は父親の背から学び、父親から外の世界への繋がりを見る。
外の世界での羽ばたき方を覚え、旅立ちの準備を整えると
自分が守るべき世界へと旅立っていく……らしい」
「なるほどの」
「その本、私も読んだことがあるような気がする」
サーラさんが、唸りながら思い出そうとしているが
おもいだせなかったようだ。
「エレノアちゃんに借りた?」
「……いや、私ではない。
その本を私に渡したのは、ココナさんだからな」
「あぁ、お母さんかぁ……。なら私も読んでるわね」
「……今のアルトをみて、なんとなく本の内容を思い出した。
ヤトを育てている時は、思い出した覚えがないのだが」
「それは、読んだ意味がないんじゃないかしら?」
「……サーラは、思い出したか?」
「思い出さなかったわ」
2人の微妙な会話を聞いて、アラディスさんとバルタスさんが
視線を合わせて、苦く笑っていた。
「……多分、アルトがセツナの手を離しても
大丈夫かを確認しながら、生きている姿が本と重なったんだろう」
「この前の狩の時も、セツナから離れたくなさそうだったしなぁ」
アラディスさんが思い出し笑いをし、それにつられて周りも笑う。
だけど次の瞬間、アラディスさんが真剣な表情で言葉をつづけた。
「それでも、セツナの手を離して狩に行く事を選んだ。
彼の度胸は大したものだと感心するよ。
初めて、セツナが居ない状態でPTを組んだわけだしね。
どれほどの勇気が必要だったのか……。私には想像がつかないな。
アルトは、葛藤しながら成長しているんだと改めて感じたよ」
「……ヤト達にも葛藤はあったと思うが
私だけではなく、幼いころから心許せる存在が多数いたからな。
私を頼ることができなくても、身近に心許せる大人がいた。
だが、今のアルトはセツナにしか心を許していない。
その存在から、離れるのは相当な負担を強いたはずだ」
「そうね」
サーラさんが、しんみりしながら頷く。
「……恐怖を抱きながらでも、狩に行く事を選べたのは
セツナが惜しみない愛情を与えてきた結果であり
アルトの帰る場所を、セツナが示しているからだと私は思う。
不安ならば、行ってみようという言葉さえ出なかっただろう。
アルトが無理なく成長するのを助けているのがセツナで
新しくできた友人との交流が、その成長を加速させているんだろうな」
エレノアさんの僕を見るまなざしに、優しさが見えて
何処か面映ゆいかんじがした。
「僕は、大人の世界で生きてきたアルトに
子供の世界は、どういう風に映っているのか気になるわけ」
「ああ。アルトは順序が逆なんだな」
「戸惑う事も多そうじゃなぁ」
「子供の価値観は、独特なものがあるわけ」
「とくに、セツナは魔導師で感情の制御に優れている。
それが、感情を優先させる子供の中にいきなり入れば
困惑することも多そうだ」
「確かに。でも、食欲を優先させる人間が
ここには多いから、さほど違和感を覚えないかもしれないわけ。
頭の悪い口論は、あの浅はかな子供とそう変わらないわけ」
酒肴の若い人達の事を、こき下ろしている
サフィールさんに、反論する人は誰も居なかった。
酒肴の若い人達は、誰もサフィールさんの方を見ない。
そんな空気の中、エレノアさんが静かに話し出す。
「……そんな、アルトの様子を見ていれば
困っているなら、手を出したいと感じるし
悩んでいるなら、助けてやりたいと誰もが思うだろう
私もそのうちの1人だ」
ここでエレノアさんが、少し厳しい視線をサーラさんに向ける。
「……サーラ。サーラにはサーラの想いがあると思うが
アルトは、セツナの弟子だ。過度な口出しは慎むべきだ」
「はい……」
落ち込んだように返事をするサーラさんに、エレノアさんが苦笑する。
「……サーラ。心配するなと言っているわけじゃない。
アルトに声をかけるなと言っているわけでもない。
自分が知りたいと思ったことを、セツナに尋ねるように
お願いするのはやめたほうがいいと言っている」
「うん。セツナ君ごめんね」
「いえ。アルトの事を気にかけてくださってありがとうございます」
サーラさんは、少しだけ寂しそうな表情を見せてから
穏やかに笑った。
「……セツナはセツナの思う通りに行動すればいい。
アルトの教育方針を決めるのは、師である貴殿でなければならない。
私達は、それを応援し支えよう。だが、貴殿が間違っていると感じれば
私達は経験者として、口を出していこうと思う」
バルタスさん達が、エレノアさんに同意するように
僕に視線を向けて頷いてくれたから、僕はその気持ちをありがたく
受け取ることにした。
「……簡単な方向性の確認として、見守る形で間違いないか?」
「はい。わかっている事といえば、エレノアさんが言われた通り
自分の世界を広げるために、葛藤しているようだとという
ことぐらいでしょうか。それと同時進行で、友人たちとの関係も
構築しているようですから、戸惑いや混乱などもあるでしょうし
大人からの言葉より、友人からの言葉に耳を傾けることも
多くなっていくでしょう。
サーラさんにも先ほど伝えましたが
暫くはアルトの様子を見守る方向で
いきたいと思っています。ただ、明らかに進む方向がおかしい
アルトの選んだ選択が間違っていると感じた時は
その都度口を出していくつもりです」
「……承知した。私達も、セツナと同じようにしたほうがいいか?」
「いえ、今まで通りでお願いします」
「いいの?」
サーラさんが、驚いたように僕と視線を合わせる。
「はい。アルトの選択肢が広がると思いますし
誰の言葉がきっかけで、悩みを解消する糸口がみつかるか
わかりませんから」
「……そうだな。私達は変わりなくあるようにしよう」
エレノアさんの言葉に、各々が頷く。
話しの区切りがついたことで、この部屋の空気ががらりと変わる。
何処となく緩んだ空気の中で、酒肴の若い人達は
どうやって、アルトを浮上させるかで話し合っていたり。
自分の子供の頃に、親に言われて嫌だったことを
眉間にしわを寄せながら、話していたりと色々な会話が
飛び交って、耳に入れているのが楽しかった。