『 少女の後悔 』
私は、俯きながら家へ帰る為に歩いていた。
人の話し声の中に、自分の事を指さされて
何か言われているんじゃないかと、戦々恐々としながら早足で歩く。
右手を隠すように歩いても、邂逅の調べの黒に刻まれた
印は、どこからでも見えるようになっていた。
お父さんは、この印を見て怒るだろうか?
お母さんは、この印を見て泣くだろうか……。
私はこれからどうなるんだろう。
学校を卒業したら、学院へ入ることができる年齢になるまで
家のお菓子屋を手伝いながら、お菓子作りを習う予定だった。
15歳になったら、学院へ入り料理と
お菓子の授業を受けるつもりだった。
卒業した後は、自分の店で働く予定だった。だけど……。
自分の右手にある印に、視線をむける。
邂逅の調べの黒は、この印がある限り
学院への入学資格はないと言っていた。
この印を消すには、金貨150枚ものお金がいることも。
そんな大金……払えるはずがない。
どうしてこうなったんだろう。
あと1日、今日1日クロージャをおさえることができたら
お父さんが出した、条件を達成できた。
長い間お願いして、やっと条件を付きで認めてもらえた。
その条件を、達成するために頑張ってきたのだ。
何時もあと一歩というところで、クロージャに邪魔される。
今度こそはと、頑張ってやっと……やっと今日1位を取ることができたら
願いが叶うはずだった。幼馴染の友達も、私を待っていてくれた。
なのに。
今日、学校へ来た男の子にあっさりと1位を持っていかれてしまった。
配られた問題を、できたと彼が告げた時どうせ間違いだらけだろうと
焦りをおさえていた。でも、彼は1度で判子をもらったのだ。
私よりも、短い時間で。
クロージャよりも、早く問題を解いて。
あの子さえいなければ、何時もの通りならば
クロージャよりも、早く問題が解けていたはずだし
焦らなければ、簡単な計算を間違えなかった。
何度も失敗して、やっと目標が達成できる瞬間に
突然現れた、彼に突き落とされたのだ。これが、クロージャなら
落ち込みはしても、また頑張ろうと思えたかもしれない。
だけど、彼の問題を解く速度を思い出すと
私は、この先勝てるだろうかと不安が胸に渦巻いた。
給食の時間、幼馴染が心配そうに私を見ていたから
また頑張るよと言って、笑ったけど。内心では、笑える状態じゃなかった。
暗い気持ちが、どんどんと溢れてくる。
あの子さえ来なかったら。そういう気持ちが心の中から消えなかった。
ロイール達が、つまらない優越感をひけらかしていたのを
何時もなら、意地が悪いと思うのに、今日はなぜか思わなかった。
給食の量が足りなかったのか、彼はキョロキョロと周りを見渡し
それぞれの机の上の食べ物を見ていた。私が林檎のパイを出した時に
私を元気づけるように、何時もより賑やかに喜んでくれた幼馴染。
その様子をじっと見ていたのも知っている。
少しは悔しがればいいんだわと、心の底で思いながら
彼等が、食べるものがないのをみて溜飲を下げた。
私は結局、ロイールと何ら変わらない行いをしたのだ。
だけど、その事には気がつかない振りをした。
なのに、彼は異国のお菓子を鞄から出す。
リペイドという国の名前を聞いたのは、初めてだった。
まだ、北の大陸の国は教わっていないから。
そんな知らない国の、珍しいお菓子を躊躇なく振る舞ったのだ。
学院へ行って、お菓子の授業を取るのは異国のお菓子を知りたいからだ。
ハルにあるお菓子だけではなく、いろんな国のいろんなお菓子を知りたい。
ハルでも、異国のお菓子を手に入れることはできるけど
日持ちのするものばかりで、彼がもっていたお菓子は見た事がなかった。
お菓子を口にしながら、異国の話をクロージャ達に聞かれるままに
話していく。その話は、とても面白く興味深かった。
そこで気がついたのだ。
彼は、ロイールや私が優越感に思っていた事を
何ひとつ、気にしていなかったんだという事に……。
そして放課後……。気がついたら、私は法律の事など
綺麗に忘れて、彼に言いたいことを言っていた。
先生が、来て私の言葉を遮っても
私の気持ちは収まらなかった。
だけど。先生の言葉を、一言で黙らせた邂逅の調べの黒。
私達にも、口を開くなと動くなと命令した時の表情。
笑みひとつ浮かべることなく、淡々とした口調で話す黒の内容に
心臓をわしづかみにされたような、恐怖が体を支配した。
私の傍に居た、友達も震えているのが分かった。
その場の空気は、完全に凍っている。口を挟めと言われても
挟むことができないほどの、緊張に満ちていた。
獣人の彼だけは、緊張した様子も見せず
黒の質問に答えていたけれど。
普段、黒に近づく機会などめったにない。
遠くからみて、誰が素敵だとかかっこいいだとか
友達と話すぐらいのものだ。友達と、いつか話しかけてみたいねと
話していた事もあった。だけど、黒がこの場に現れた瞬間から
この人は、私達とは違う人達なのだと、冒険者でない私でもわかった。
近づける人達じゃないと。そんな人に、私は冷たい視線を
向けられている……。怖くてたまらなかった。
逃げ出したかったけど、逃げ出せない事はもう証明されていた。
家の前に着き、扉に手をかける。
この時間は、お母さんも店に出ているから
誰もいないとは、わかっていても扉をあけながら
「ただいま」と呟いた。
「おかえりなさい」
すると、何時もは返ってこない声がきこえる。
ハッとして顔をあげると、お母さんがじっと私を見ていた。
「……」
声が出せない私に、お母さんが先に声を出す。
「手紙を預かっているでしょう?
それを、渡してくれる」
この言葉で、お母さんはもう知っているのだとわかった。
言われた通りに、お母さんに黒から渡された手紙を渡す。
お母さんは、私の右手を見ても何も言わず
封筒を破り、手紙を読んだあとお店のエプロンを外した。
「お母さんは、今からギルドへ行ってくるわね」
「お母さん!」
「どうしたの?」
「……」
私がしたことで、お母さんも怒られるんだろうか。
どうしよう……。どうしよう。行かないでとはいえない。
ギルドからの呼び出しを、無視するのは良くない事だ。
何も言えずに黙っていると。「大丈夫よ」と言ってお母さんは笑った。
「ミッシェル。私のかわりにお買い物へ行ってくれる?」
「……」
本当は、外へは出たくなかったけど
母が、ギルドへ行くのなら買い物には行けないだろうから
頷く。お母さんは、メモ帳に買い物をする商品を記入して
私に渡した。
「お願いね」
そう告げた後、お母さんはギルドへと出かけていった。
お母さんが出ていった、扉をしばらくの間見つめていたけど
そんな、すぐに帰って来るわけでもない。ノロノロと買い物へ行く準備をし
渡されたメモと鞄とお金を持って買い物へ出かけた。
何も考えずに、家を出たのだ。
「え?」
信じられない事を、店の人から告げられて言葉が出ない。
「聞こえなかったかな? 俺は、琥珀色の目は嫌いだから
商品は売れない。帰ってくれないかね」
店の人は、そう言って私に野菜を売ってくれない。
「な、え、どうして」
「どうも、こうもない。
売りたくないから、売りたくないと言っただけだ」
そう言って、茫然として立つ私にもう視線を向けてくれることはなかった。
昨日までは、普通に売ってくれていたのに。どうして、と考え
自分の手の甲にある、印にきがつきこれのせいだとわかった。
ため息をつきながら、次のお店に行こうとトボトボと歩く。
その時、後ろを振り返れば心配そうにこちらを見ている
お店の人と、周りの人に気がついたかもしれない。
だけど、その時の私はそんな余裕はどこにもなかったのだ。
それから、何件も、何件もお店を回るけどどこの店も
私に商品を売ってくれなかった。目の色が嫌いだから。髪の色が嫌いだから。
そう言った理由で。印の事は誰一人何も言わない。
ただ、私の目の色や髪の色が嫌いだから売らないというのだ。
印が理由なら、ここまで落ち込むことはなかったかもしれない。
お母さんが、お父さんが可愛いと綺麗だと言ってくれた
目や髪の色。お母さんと一緒の髪の色、お父さんと一緒の目の色。
私だけでなく、お父さんとお母さんも嫌われているような気がして
どうしようもないほど、悲しかった。
鞄の中には、何の商品もない。
このまま帰ってもご飯は作れない。どうしていいのかわからなくなって
俯いて涙を落とした時。肉屋のおじさんに声をかけられた。
「どうした、嬢ちゃん」
このお肉屋さんも、私を見て嫌いだというだろうか?
買い物に来たときは、嬢ちゃんと呼んでいろいろ話してくれたり
おまけをしてくれた。それは、断られたお店もそうだった。
俯いたまま、顔をあげることができない私に
お店から出てきて、空き箱の上に座らせてくれる。
「話すと楽になるかもしれんぞ?」
おじさんの、優しい声に誘われて
商品を売ってくれなかったこと。それが理不尽な理由だったこと
などを話す。
「そうか。それは悲しいよな。
自分の一部。親から譲り受けた一部を否定されるのは
辛いこったな。それも、どれだけ努力してもかえようのないものだ。
それは、神が授けてくださったものだからな」
おじさんの言葉に、ただ頷く。
そこで、おじさんは一度言葉を切り違う事を話し始めた。
「嬢ちゃんは、ガーディルという国を知っているか?」
「授業で、習いました」
「そうか。あそこの国は人間にとってはいい国だ。
だがな、獣人にとっては最悪な国だ」
この言葉で、顔をあげる。
私の手の甲にある、印を見て寂しそうに言葉を落とす。
「嬢ちゃんは、獣人を差別したんだな」
「……」
「嬢ちゃん。今日誰も、嬢ちゃんに商品を売らなかったのは
その印があるせいだと、賢い嬢ちゃんならきがついているだろ?」
「うん。だけど、目の色も髪の色も関係ないでしょう?」
「そうだなぁ。関係ないと言えば関係ないが
関係があると言えば、関係あるな」
「……わからないわ」
「嬢ちゃん、ガーディルはな
獣人だというだけで、商品を売らねぇんだ」
「え?」
「人間とは違うというだけで、誰も普通に商品を売らない」
「どうやって、食べ物を得るの?」
「人間の倍以上の、金を払って買うか諦める」
「……」
「それだけじゃない。ガーディルは、獣人の存在を認めていない。
だから、奴隷にし、最低限の食事しか与えず
命令に従っても背いても、暴力を振るい
働けなくなったら、迷わず殺す」
「そん……な」
「怪我をしても、治療してもらえず
病気になっても、薬ももらえない。
子供の奴隷は、飢えで死ぬものも多い。
大人の奴隷も、体力が落ちて、病気になり死ぬものも多いんだ。
だれにも看取られず、捨てられるように死んでいく」
「う、うそでしょう?」
「本当だ」
肉屋のおじさんの目は、悲しみを帯びた色をしていた。
私が読んだ本には、そこまで詳しくは書かれていなかった。
奴隷とは、自由のない召使のようなものだとしか……。
「首にな、首輪をつけられる。その首輪は、自分では外すことができない。
鍵を持った主人しか、外すことができない。そしてその鍵は
奴隷たちの希望でもあり、絶望でもある」
「絶望?」
「そう。奴隷が命令を聞かない場合
その鍵に刻まれている魔法を起動させると首輪が締まる。
だが、その鍵さえ手に入れれば自由になれる……」
「しまったら死んでしまうわ!」
「死んでしまってもいいと思っているのさ。
換えはいくらでもあるとな」
「……」
「誰にも、自分が生まれる場所を選べないってのになぁ」
おじさんの言葉で、邂逅の調べの黒の言葉をはっきりと思い出す。
『何をもって、お前達は自分以外の人を種族を見下しているわけ?
人間ではない。親が居ない。身長が低い。それは、本人が努力して
変えることができるものか? かえることができないものを責めるのが
正しい事なのか?』
邂逅の調べの黒の言葉を、言われたときはきちんと理解できていなかった。
努力しても変えられない、おじさんが言ったように神から与えられたものを
私達は、自分で変えることなどできないのだ。それを理由に、責めることが
どれほど愚かな事なのか。変えようのない事を、責められるのが
どれほど苦しい事なのかを、私は何もわかっていなかった。
差別されるという事が、どれほど人を傷つけるのかも……。
今日……今、経験して初めて知った。
「変えようのないことを……言われても
どうにもできないわ……」
ポツリとつぶやいた私の言葉に、おじさんは「そうだな」と短く告げた。
落ち込んでいる私に、おじさんは頭を優しくなでてくれた。
「嬢ちゃん。今日はもう帰れ。
俺も嬢ちゃんに、商品を売ることはできん」
「……」
「それが、決まり事だからな」
おじさんは、私の頭をなでながら悲しそうにそう告げた。
もしかしたら、他のお店の人もおじさんと同じような
目をしていたかもしれない……。私の言動で、私は周りの人をも
悲しませることを、強いてしまったのかもしれない。
「はい。帰ります。
おじさん、ごめんね」
「誰にでも間違いはあるものだ。
若いならなおさらな。それを、これからどうしていくのかは
嬢ちゃん次第だ」
「はい。ありがとうございました」
おじさんに頭を下げて、何も入っていない鞄を持って
家へと帰る。その途中、何度かお店の人と目があった。
お店の人のその目は、誰も私を蔑んでなどいなかった……。
ただ、心配そうに私を見てくれていた。
私が、深くお辞儀をすると悲しそうに笑ってくれた。
家に帰ると、お母さんはもう帰っていて
私の手から、何も言わずに鞄を受け取る。
お母さんは、こうなることを知っていたのかもしれない。
あとから、幼馴染たちに今日の事を話したら
幼馴染たちも、同じ経験をしたと言っていた。
そして、私達は大人になってからどれほどこの街の大人達が
子供の事を考え、大切に想い、正しい方向へと導いていく
努力をしていたのかを知ることになる。
ハルに住む者の義務。
大人としての義務を、皆が守っていることに。
誰もが、リシアという国をハルという街を愛していることに
そして、他国からどれほどおかしな国だと言われようとも
ここに住んでいる人達は、誇りをもってこの街を守っているのだと。
私は、冒険者になって様々な国を見てから気がついたのだった。
夕食の時間になり、お父さんが帰って来ても
お父さんは、何も言わなかった。ただ、私の手の甲を見ただけだ。
年の離れた1番上の兄と、学院へ行っている2番目の兄も
何も言わなかった。何時もなら、今日あったことを
面白おかしく話して教えてくれるのに、兄2人も口を閉じたまま
夕食の席へとついた。
お母さんが、私達の前にお皿を置いてくれる。
そのお皿にのっていたのは。クッキー生地を四角く固めた様な
ものが1つだけのっていた。そして、その横には水だけの器。
私だけではなく、お母さんも、お父さんもお兄さんの前にも
同じものが置かれている。この場の空気に、これが何なのか
聞くこともできずに、お父さんが神に感謝の祈りをささげた事で
私も、同じように神に祈った。
お父さんとお母さんが、その四角いものを口に運び
食べ始める。2番目の兄は、それを持ったままボソッと呟いた。
「また、これを食べることになるとは……」
呟いた後は、少しずつ齧るようにして食べていく。
誰も何も言わないから、私も手に取り食べてみた。
「……」
ざらっとした嫌な食感。味がほとんどなく、薄く塩の味がする程度。
口の中の水分が、一気になくなって飲み込むのが苦痛だった。
一度、お皿にそれを置き器に入った水を飲んだ。
「ぐっ……」
それは水ではなく、水に塩を入れて温めたものだった。
美味しくない。というか、飲みたくない。
なぜ、こんなものが食卓に上がるのだろう。
塩の入った生ぬるい水も、四角い不味い食べ物も
もう口に入れる気にはならなかった。
お父さんたちが食べているのを、黙って見ていると
「食べないのか?」と聞かれる。
「食べたくない」
「食べなさい」
「これは何? ご飯じゃないよね?」
「今日の夕食だ」
「……」
それ以上、何も話そうとしないお父さんのかわりに
1番上の兄が、これが何かを教えてくれた。
「それは、ガーディルで売られている。
商品名は、確か奴隷の餌だったかな」
「え……?」
餌……?
「ガーディルの奴隷の食事は、その奴隷の餌……。
クット辺りでは、携帯食料ともいうが携帯食料はまだ
食べやすいように、味がついている」
お皿の上の物を凝視する。
「奴隷にされた獣人は、朝と夜。
携帯食料と塩のスープを出されて食事が終わる。
子供に出される量は、今食べている量と同じだ」
今食べているって、一口で口に入れてしまえる量だ。
飲み込めないから、一口では無理だけど。こんなものでお腹は満たされない。
こんなものは、食べ物じゃない。
「たったそれだけの食事で、奴隷にされた獣人は
過酷な労働を強いられる。それ以外の食事は、出されることはないらしい」
ポタリと自分の目から、涙が落ちるのがわかる。
肉屋のおじさんの話。そして、今兄から聞いた話。
目の前にある、人が食べるために作られたものではない食事。
「今のこの街に滞在している、獣人族の子供アルト君と言ったかな。
その子が、奴隷であったことは大人なら誰でも知っているだろうな」
「ど、どうして」
「私は冒険者ではないが、冒険者の友人がいる。
アルト君とアルト君の師。暁の風のリーダーの噂は
どこに居ても聞くことができる」
「そうなんだ」
「アルト君は、奴隷だったのを
暁の風のリーダーに、助けられたらしい」
「知ってる……」
今日彼が、自分で話していた。
『俺は、奴隷商人は嫌いだ。
俺は、師匠に助けてもらえなかったら
奴隷のまま、奴隷商人に殺されていたから』
彼の言葉を、恐怖が支配する中ぼんやりと聞いていた。
「獣人の奴隷制を肯定するということは
アルト君を、いやすべての獣人を
このような環境に、繋ぎ止めるという事になるな。
いや、今この時も繋がれている獣人が居る」
このような環境。病気をしても薬をもらえない。
怪我をしても治してもらえない。食べ物とはいえないものを
与えられ、ひたすら働かされて死を待つしかない……場所。
唯、独りで。
それは……。
「うっ……」
そんな場所を、想像すると怖くて、寂しくて
家族から引き離されて、そんな生活をすることを考えると
私なら、生きていけない。私は……。
私は……。
『それに、大体ガーディルでは獣人は……』
先生が止めなかったら、最後まで言っていた。
ガーディルでは獣人は奴隷なんだから、奴隷として
ハルから出ていけばいいのよ……と。
聞いただけでも、酷いと思える場所に
私は、戻れと言ったんだ。酷い場所から救い出された彼に
また、酷い生活を強いられる場所へ……戻れと……。
私の言葉が、どれほど醜い言葉なのか。
どれほど、獣人族を傷つける言葉なのか考えもしなかった。
後悔ばかりが、胸を渦巻いて
涙は次から次へと落ちていく。泣いても何も解決はしないし
1度外に出してしまった言葉は、もうなかったことにはできない。
言葉を詰まらせながらも、私は今日あったことを
最初から全部話していく。私の気持ちも、私の言葉も。
そして、彼がどうだったのかも。
「アルトは、とても楽しそうに授業を受けていたの」
教室に入ってきた時、緊張していたけど
授業が始まると、尻尾が揺れてた。
「図書館へ行って、貸出カードを受け取った時
嬉しそうに、笑っていたの」
まるで宝物を、貰ったような幸せそうな顔で笑っていた。
「給食のお弁当箱を見て、首を傾げて
ふたを開けた時、目を輝かせていたわ」
お箸を上手に使って、本当に美味しそうに食べていた。
「私……。初めて学校へ来て、嬉しそうに、楽しそうに
している彼に、酷い、こと……」
酷いことを言った。
ロイールや私が何を言っても、表情を変えなかったのに
ワイアットとクロージャの喧嘩で、彼の表情が辛そうに歪んだ。
そんな表情を見ていたのに! 私は。
『貴方のせいよ。貴方が来なければ
あの3人は、喧嘩することなどなかったし
私だって……』
「あ、るとが、もう学校へこない、って。
私、のせいで。私が、酷いことを、言ったせいで」
『俺が、ここに来なければ
クロージャは、傷つかなかっただろ?』
彼は、最後まで友達の事を想っていた。
先生や、クロージャ達が必死に説得しようとしても
頑なに頷かなかった。
「私……どうしたら。どうしよう。
楽しみを、奪った。あんなに、嬉しそうに笑ってたのに」
どうしたらいいのかわからない。
なにをすればいいのかもわからない。
考えれば、考えるほど自分が彼に、アルトにした仕打ちが
酷いもので、私の身勝手な八つ当たりで、彼を傷つけたのだ。
彼は、何も悪くないのに。何ひとつ悪くないのに。
後悔が胸の中に押し寄せてきて、辛い。
ひたすら、涙を流し泣く私にお父さんが静かな声で告げた。
「ミッシェル。言葉というものは、1度自分から外へと出すと
取り消すことはできないものだ。何かを口にするときは
注意深く考えてから、言葉を紡がなければならない。
言葉は、人を幸せにもでき、不幸にもできるものだから。
時には、喧嘩をすることもあるだろう。
口論をすることもあるだろう。感情的になることもある。
自分が、思ってもいないことを口走ってしまう事もある。
だからこそ、私達は常日頃、こんなことを言われたら嫌かもしれない。
傷つくかもしれない。悲しませるかもしれないと頭の片隅に。
心の中に、留めておくことが大事だと私は思う」
「……」
「自分が作り出した言葉で、相手が傷つかないように。
悲しまないように。そして、作りだしたお前が後悔しないように。
罪悪感を抱かないようにね」
「……」
「全てにというのは、難しいと思うが。
できるなら、ミッシェルが作り出した言葉で
誰かを不幸にするのではなく、幸せを届けることができる
女性になってほしいと、お父さんは願う」
「はい」
2番目の兄が、私の頭を軽く叩いて笑ってくれる。
それだけで、心が少し軽くなるような気がする
「ミッシェルは、どうしたい」
「……謝りたい。
許してもらえなくても、謝りたいよ」
「そうだな」
「でも、学校へ来ないって……」
「明日、私もギルドへ行こう。
ギルドで、アルト君の保護者の方に会っていただけるように
打診してもらってみよう。受け入れてもらえるなら
彼等の家に、行ってみようか」
「いいの?」
「ああ。私も謝りたいからね」
「お母さんも行くわ」
「うん。ごめんなさい……」
両親に謝り、俯いたところでお皿の上の携帯食料が
目に入る。彼は、ずっとこれを食べていたんだろうか……。
お皿の上の、携帯食料を手に取り
喉に詰まらせないように気を付けながら、ゆっくりと食べた。
全然美味しくなかったけど。食べるのが苦痛になるほどのものだけど
それでも、これは命を繋ぐものだから。
残しては、いけないような気がした。
私が、ゆっくりと食べている横で
2番目の兄が、お母さんにどこで
この食べ物を、手に入れたのか聞いていた。
「ギルドへ行って、分けてもらってきたの」
「あー、やっぱりか。
おかんは、食った事あったのか?」
「私も、お父さんもハルで育っているんですよ。
ないわけがないでしょう?」
「学院で食べたのか?」
「そうよ。必須授業のハルの法律と他国の法律の授業よ」
「泊まり込み、2日間の食事だった?」
「ええ」
「あれは、辛かったな……。
食事はこれで、朝と夜の2回だけ。
間食はできないわ。水は制限されるわ。
それなのに、やたら教室移動ばかりで
腹はよけいに減るわ。あの授業は、一生忘れん」
「そうね。私も一生忘れることはないわね」
兄さんと、お母さんの会話に父ともう1人の兄も
頷いている。何があったのかと聞いても、教えてはもらえなかった。
食事が終わり、暫くして眠くなったけど
ベッドの中に潜っても、お腹が空いてなかなか眠れなかった。
次の朝の食事も、あの携帯食料で……。ギルドへ向かう途中から
お腹が鳴って大変だった。
ギルドの入り口を入ると、幼馴染の2人も両親と一緒に来たところだった。
ポツリポツリと、昨日の事をお互いに話し合う。
どうやら、幼馴染たちの食事も私と一緒だったらしい。
3人でしょんぼりしながら、ギルドの壁際でお母さん達と一緒に立っていた。
お父さんたちは、違う部屋で話しているようだ。
時折、私達を獣人族の人が見て冷たい視線をもらうけど
自業自得だと思って耐える。
3人で、話すこともなくぼんやり立っていると
いきなり、ギルドの中の空気がざわついたように揺れる。
全員が、ギルドの入り口のほうを向きそれにつられて私達も
視線をそちらへと向ける。
視線を向けた先には、今まで見た事もないぐらい
かっこいい人が歩いている。そして、視線を下へと向けると
その男の人と同じ髪色と瞳をした、アルトが笑いながらその男の人に
話している姿があった。あの人が、アルトの先生なんだろうか。
全ての人の視線を、集めているんじゃないだろうかと
いうぐらい、注目されているのに2人は全く気にした様子がない。
アルトが笑っているのを見て
昨日、彼が最後に見せた悲しそうな笑い方じゃなく。
とても楽しそうに、瞳をキラキラさせながら歩いていることに
少し安堵した。隣の、幼馴染も「よかった」と呟く。
2人が、受付へ行って何かを話すと
奥の部屋から、メディラ先生のお母さんのナンシーさんが
姿を見せた。アルトを見て目を細めながら、何かを伝えている。
ナンシーさんがこちらを向くと、アルトの先生とアルトが同時に
私達のほうを見た。彼を傷つけた事で、睨まれるかと思ったけれど
アルトの先生は、穏やかにお母さん達に頭を下げ
アルトは、首を傾げながら私達を見ていたのだった。
ざわざわと空気が揺れるなか、アルトの先生とアルトが私達の方へと
歩いてくる。お母さん達は背筋を伸ばし、2人を待っていた。
「初めまして。セツナと申します。
アルトの保護者です」
何を言われるのか緊張しながら、アルトの先生の言葉を待っていると
優しい声音で、まず自己紹介をしてくれた。セツナ先生という名前のようだ。
「初めまして、アルトです」
アルトも、セツナ先生のあとにお母さん達に挨拶をする。
私と幼馴染は、何時謝罪の言葉を口にしようかと緊張と不安で
立っているのがやっとという状態だ。
お母さん達は、私達の保護者であることを告げ
そして、私達の名前をセツナ先生に教えてから頭を下げた。
アルトへとまず、謝罪の言葉を伝え
そして、セツナ先生とアルトに深く頭を下げる。
私達も、一緒に頭を下げるが私達はまだアルトに
ちゃんと謝れていない。
セツナ先生は、私達を責めることなく
「謝罪を受け入れました」と告げる。
アルトも、お母さん達に「気にしてないから」と言った。
そろそろ、声を出さなきゃって思うのに
思ったように声が出ない。やっと、出せた声は涙交じりの声だった。
1番上の兄に、泣きたいのはアルトの方なんだから
お前は泣くなって言われてたのに……。
ぽろぽろと涙を床に落とす私達を見て、アルトが驚いたように
目を見開き「え? なんで泣くの?」と慌てていた。
「ごめんなさい。
酷いことを言って、ごめんなさい」
やっと出すことができた、謝罪の言葉は
嗚咽交じりで、みっともない声だったけど……。
アルトは、ため息をついて何度も聞いた言葉をもう一度告げたのだった。
「俺、気にしてないって
何回も言ってると思うけど」
その様子は、少し不機嫌そうだ。
そして、暫く何かを考えるような顔をしてから
「謝罪を受け入れたから、もういいよ」と言ってくれた。
その後、アルトに右手を貸してくれると言われたので
素直に、右手を出すとアルトは鞄から何かを取り出す。
よく見ると魔道具のようで、その魔道具を私の右手の甲へと
かざし「起動」と唱えた。
アルトがもっていた魔道具は、淡い光を放ち私の手の甲を包む。
光が完全に消えてから、アルトは私の右手を離してくれた。
何をされたんだろうと、少し不安に思いながら自分の右手の甲を見ると
邂逅の調べの黒に刻まれた、印は跡形もなく消えていた。
「え」
この声は、私が出したのかお母さんが出したのか
それとも、どこかの部屋から戻って来てセツナ先生に謝っていた
お父さんが出したのか、よくわからなかったけど
きっと、アルトとセツナ先生以外の全員が驚いていたと思う。
「次、右手出して」
驚いている私達を、無視して
アルトは、幼馴染の2人の印も消してしまった。
お父さんが、慌ててセツナ先生に色々と聞いている。
印を消してくれたのは嬉しいが、ギルドからの正式な罰だからと
それに対して、セツナ先生はアルトがサフィールさんと交渉しての
結果ですから、大丈夫ですよと話す。
私は、自分の右手をじっと見る。
もう、消えないと思っていた印を消してくれた……。
アルトが、邂逅の調べの黒に頼んでくれたって言っていた。
「どうして?」
言葉が口から、零れ落ちる。どうして?
罪悪感と嬉しさと後悔と情けなさと安堵と。
様々な気持ちが、胸の中でせめぎあって、色々と聞きたいことは
あるのに、出た言葉はどうしてだった。
「メディラ先生が泣いてたし
その印があると、クロージャ達も気にするから。
あと、気になってご飯も美味しくないし」
私の一言だけで、アルトは私が何を聞きたいのかを分かってくれたようだ。
アルトの言葉は、私達の為じゃないとはっきり告げていたけれど
私にはそんなことはどうでもよかった。私なら、きっと交渉などしない。
なのに……。
「ありがとう」
その言葉しか、思い浮かばない。だから、せめて、せめて
精一杯の感謝の気持ちが、彼に届いてくれますようにと願いながら
その言葉を告げる。許してくれてありがとう。交渉してくれてありがとう。
印を消してくれてありがとう。夢をかなえる機会を与えてくれてありがとう。
「ありがとうございます」
涙と共に、伝えた感謝の気持ちにアルトは笑って返してくれた。
「印が消えたのは、ミッシェル達が
どうして印をつけられたのか理解して
本当に、反省していなければ消えなかった。
そういう、条件をサフィさんから出されていたんだ」
「私達の印が、消えるって信じてくれたの?」
アルトが、私達に魔道具をかざしたという事はそういう事だ。
「子供には、更生の機会を与えるべきなんだ」
アルトが真面目な顔で、言った言葉に
セツナ先生が、肩を震わせながら笑い始める。
「師匠! なんで笑うんだよ!」
「えー。だって、アルトも子供でしょう?」
「そうだけど。俺は冒険者だから!」
「それ、全然関係ないでしょう?」
「冒険者は、弱いものを守るのがお仕事なの!」
「確かにそうだけど……更生の機会って
そんな言葉、どこで覚えたの?」
ムッとしながら、本で読んだことをセツナ先生に伝え
まだ、肩を震わせているセツナ先生をみてアルトは
また怒り出す。そんなアルトに、私はもう一度頭を下げた。
「与えてもらった、更生の機会を大切にしていきます」
幼馴染2人も一緒に、ほぼ同時に同じことを言った。
「……」
アルトは、不機嫌そうに私達を見たけれど。
その不機嫌な様子は、私達のせいではなく。笑っていた
セツナ先生のせいだとわかっていたから、気にはならなかった。
「師匠、俺は依頼を見てくる」
そう告げ、この場を離れようとしたアルトの腕を
私と、幼馴染2人も同時に掴む。
「なに?」
「えっと……」
「もう、俺の用事は終わったから」
まるで、私達にもう興味はないという声。
確かに、用事がないのに話す仲でもない。
腕を離せと、その視線が物語っている。
「……」
それでも、腕を離さない私達に
アルトはため息をついて、私達の方に体を向けた。
どうやって話せばいいんだろう。そうやって悩んでいるうちに
時間は過ぎていく。アルトの眉間にしわが寄っていくのを見て
これ以上考える時間はないと、必死に言葉を探した。
「学校。学校に。教室に。一緒に行こう……」
最後の私の言葉は、消えそうなほど小さかったと思う。
自分のまいた種で、彼は学校へ行く事をやめると決めたのに
どんな顔をして、彼を学校に誘えばいいんだろう。
だけど、ここで何もせず彼を行かせてしまったら
きっと、今以上に後悔する。
「俺は……」
「機会を、機会が欲しいの。
私に、アルトと話したり、遊んだり、勉強したりする
機会を、何を虫のいいことをって言われるかもしれないけど
もう一度だけ……お願い。お願いします」
何をいまさらと言われて、怒鳴られても仕方がないし
お前が言えることかと、責められても仕方がない。
手を振り払おうと思えば、彼は簡単に振り払えたはずだ。
だけど、私の手も幼馴染の手も振り払う事はしなかった。
じっと、私達の震える手をアルトは見つめていた。
「今度は、絶対に間違えない。
クロージャ達が、間違わなかったように。
正しいことを、しっかり胸に刻んで
私も、人を守れるような人間に、人間になるって約束するから。
だから……」
もう一度だけ、やり直す機会を……。
一緒の教室で、共に過ごす時間が欲しい。
「俺は……」
やっぱり駄目だろうか……。
目に涙がにじむ。
「今日は、教科書を持ってきてないんだ」
「わたし、私のを貸すわ!」
幼馴染が、私の横から声をあげる。
「お前が勉強、できなくなるだろう?」
「わたしは、ミッシェルに見せてもらうから大丈夫」
「……」
悩んでいるアルトに、いつの間にか傍に来ていた
ナンシーさんが、アルトに声をかけた。
「アルト。今日のお弁当は、から揚げみたいよ?
それに、コロッケもつくみたい」
アルトの耳が、思いっきり動く。
「ギルドのから揚げは、お祭りの時などに
屋台を出すんだけど、すっごく美味しいって評判なのよ」
アルトの尻尾が、左右に揺れる。
「から揚げ美味しいわよね?」
ナンシーさんが、私達に話を振る。
「すごくおいしいよ!」
「本当に美味しいのよ!」
「私も、から揚げ大好きだよ!」
「……」
から揚げの誘惑と戦っているのか
アルトの眉間のしわが、さらに深くなる。
「アルト。たくさん勉強しておいで。
帰ってきたら、から揚げが本当に美味しかったのか
僕に教えてほしいな」
アルトの背中を押すように、セツナ先生は
少し笑いながら、アルトに言った。
「うん。師匠、俺行ってくる」
「いってらっしゃい」
「から揚げ食べてくる!」
「……勉強してからだからね」
アルトが本当に楽しそうに笑い、セツナ先生は
とても綺麗な菫色の瞳を、細めてアルトを見つめていたのだった。
アルトに行こうと促す。アルトは頷いて一緒に歩いてくれた。
後ろの方で「セツナ、アルトはいつか食べ物で攫われる気がするんだけど」と
ナンシーさんの声が聞こえる。少し振り向いて、後ろを見ると
セツナ先生が苦笑しながら「多分、大丈夫だと思います」と
返事をしていたのだった。
アルトと一緒に、教室へ向かう。
私も、幼馴染も少し緊張していたけど
アルトは、楽しそうに尻尾を振って歩いていた。
そして、教室へ着くとクロージャ達が一斉にアルトの傍へと集まり
私達に少し警戒を見せながら、アルトから色々と話を聞いていた。
ワイアットだけは、面白くなさそうに座っていたけど。
「そうか。よかった」
クロージャがそう言って、嬉しそうに笑い。
セイルも、アルトの背中を叩いて喜んでいた。
「うん。ミッシェル達が学校に誘ってくれたんだ」
「……」
表情をかえ、目を細めて私達を見るクロージャ達。
それを見てアルトが、私達を庇ってくれた。
「クロージャ。俺は、本当に大丈夫なんだ」
「……」
「俺は、星を手に入れたから!」
アルトは、満面の笑みを見せ
宝物を、教えるようにクロージャ達に語る。
「星?」
アルトは、セツナ先生と昨日話したことを
私達にも教えてくれた。自分の隣にある光。
暗い場所を、優しく照らしてくれる星。
クロージャもセイルも
エミリアもジャネットも、星にたとえられて
照れたような、表情を浮かべていたけれど
その顔は、とても誇らしげに見えた。
真直ぐ、正しいと思う事を貫き通した彼等が
少し眩しかった。
「仕方ないな。アルトが許したのなら
俺達が、口を挟むことはできない」
「仕方ねぇなぁ」
クロージャとセイルが、私達の方を見てそう言った。
「ごめんなさい」
「お前達も、邂逅の調べの黒から罰を受けたしな
なら、この話はもうこれで終わりにしよう」
クロージャの言葉に、一番先に頷いてくれたのがアルトで
その次にセイル。そしてエミリアとジャネットも頷いてくれた。
「ありがとう」
その後は、私達の事を見ていた人達も我先にとクロージャ達に謝り
アルトにも、謝っていた。クロージャ達もアルトもあっさりと
謝罪を受け入れていたのだった。
邂逅の調べの黒に、言われた事を
その人なりに、考えて来たのだと思う。
だけど、行動に移すのは難しくて勇気が出せなかったんだろう。
切っ掛けさえあれば、笑って過ごせるようになるのに
時間はかからなかった。
ただ、頑なに私達の傍には来ないワイアットと
今、ここにいないロイール達がこの先どのような
答えを出していくのか。その答えが、クロージャ達や
アルトにとって優しいものであるように願わずには、いられなかった。
ありがとうございました。