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刹那の風景 第三章  作者: 緑青・薄浅黄
『 柊 : 準備 』

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『僕とアルトとギルドの騒動』

 冷たい風に、手が冷えるのかアルトが息を吹きかけ手をこすり合わせる。

その様子を見て、鞄の中でグローブを作り取り出しアルトへと渡した。


キョトンとした顔で僕を見て、グローブを受け取ると

嬉しそうな表情を浮かべながら、手に装着し何度か指を動かしていた。


「剣を握れそう?」


「うん、問題ない!」


「そう」


「ありがとうございます!」


「どういたしまして」


暖かさは毛糸のほうがいいんだろうけど

剣を握るのに不向きだろうから、僕と同じ革のグローブだ。

アルトに渡したグローブは、指先まであるものにした。


「あー」


グローブを、自分の手になじませるように

指を動かしていたアルトが、何かを思い出したのか

耳を寝かせながら、僕の顔へと視線を向ける。


感情と共に、その動きが変わる耳と尻尾に視線をやりながら

アルトに、どうしたのかとたずねた。


アルトは尻尾を小さく揺らしながら、気にかかっている事を僕に告げた。


「今日は師匠が一緒だから、アギトさんの家の前まで

 転移魔法で来たけど、明日からどうしよう~」


「今の家から、ギルドまでは結構距離があるよね」


「うん。孤児院で遊ぶ時間が減ってしまう!!」


アルトの言葉に、小さく笑う。


「アギトさんの家の庭か、バルタスさんのお店の裏庭に

 転移魔法陣を刻んでもいいか聞いてみようかな?」


チームの家の魔法陣を使えと言われるだろうけど

あの魔法陣は、家の中に設置されているらしいから

通過するためだけに、使用させてもらうのは悪いような気がする。


「俺も頼んでみる!」


「そうだね」


小さな……いや、アルトにとっては大きな悩みが解決したからか

目を輝かせながら、色々な人に聞いた学校の話を僕に教えてくれた。

希望に胸を膨らませながら、楽しそうに話す。


「師匠は? 師匠はどんな思い出があるの?」


アルトは、ワクワクとした表情を作り僕を見た。

学校に通ったことがない僕には、そのような思い出はない。


どう答えるか悩んでいると、アルトがぼくから視線を外し

あと少しという距離にある、ギルドの建物のほうへと視線を向けた。


「どうしたんだろう?」


アルトの視線と言葉に、僕もギルドのほうへと視線を向ける。

人が慌しく出入りをしている。何かあったんだろうか?


歩くペースを少し上げ、ギルドへと入ると

ギルドのロビーは、ざわざわとした空気に包まれていた。


受付の前では、ヤトさんとナンシーさんが真剣な表情で

何かを話している。その表情から、何かしら大変なことが

起こっているらしい。


出直すべきか、理由を聞くべきか悩んでいると

ナンシーさんが僕を見て、大きく眼を開き「セツナ!!!」と叫ぶように

僕を呼んだのだった。


ナンシーさんの声に、ヤトさんも僕を見て驚きの表情を見せる。

2人が、慌てた様子で僕の傍に来て「無事だったのか、よかった」と告げた。


どうして、2人から無事を喜ばれているのかが分からない。


「何かあったんですか?」


僕の問いに、ナンシーさんが不安そうに瞳を揺らした。

ナンシーさんのかわりに、ヤトさんが答える。


「黒と黒のチームが全員行方不明だ。

 誰とも連絡が取れない状態だ」


「……」


僕とアルトだけに聞こえる声で、ヤトさんがそう告げる。

ヤトさんの言葉に、アルトは首を傾げて不思議そうにヤトさんを見上げていた。

なんとなく、この状況が理解できた気がする……。


冒険者たちの視線がすべてこちらに向いているので

僕は、短く詠唱して音声遮断の結界を張り、口を開こうとした瞬間に

ナンシーさんが口を開いた。


「セツナは、サーラ達の家に居たのでしょう?」


「はい、昨日引っ越ししましたが」


僕の引っ越したという言葉に、2人が息をのんだ。


「なら……セツナ達は、サーラ達の居場所を知らないの?」


ナンシーさんが、少し声音を震わせて僕に問う。


「知って……」


知っていると答えようとした時に、ギルドの職員の1人が近づいてくる。

結界に職員が入れるようにし、その職員の話を僕も一緒に聞いた。


簡単に言ってしまえば、まだ居場所がわからないというものだった。


ヤトさんが、深く溜息を付きながら頷き調査の続行を告げていた。

アギトさん達の居場所を教えようと声を出す前に

今度はヤトさんが口を開き、職員の人は立ち去ってしまう。


「こんな出来事は初めてでね。

 アギトやサフィールはともかく……。

 エレノアやバルタスとも連絡が取れなくなることはなかった。

 それに、チームのメンバー全員が消えているうえに

 家の使用人たちも、消えていたらしい」


そういえば、アギトさんもエレノアさんも執事さんとメイドさん達に

休みを与えてきたと話していた気がする。


「バルタスの店に行っても、休業の札がかかっているだけで

 誰もいない。バルタスの家にもいないと報告を受けている。

 テレーザ達も消えている……」


テレーザさん達は、美味しい牡蠣を食べさせてくれる販売所へ出かけているらしい。

今日の夜は、牡蠣が食えるぞと酒肴のメンバーが盛り上がっていた気がする。


「私も家に帰ったが、エレノアもアラディスもいなかった」


「家に?」


ヤトさんが家に帰ることと、エレノアさんとどういう関係があるのだろう?


「エレノアは私の母だ」


「そ、うなんですか」


ヤトさんの言葉に少し驚く。

エレノアさんに、子供がいることは知っていたけれど

ヤトさんだとは思わなかった。道理で、エレノアさんが容赦しないわけだ。


「ああ。どこかへ出かける時は連絡をくれるんだが……」


そう言って、ヤトさんがまたため息をついた。


「サフィの家は、結界が張られて中に入れなかったみたい。

 サフィが家の周りに結界を張るのは、長期の依頼の時だけなのに。

 そんな依頼を受けた形跡はないし……」


ナンシーさんが、サフィールさんの家の状況を語る。

家に結界が張られていると聞いて、心の中で苦笑した。


サフィールさんは、自分の家に戻るつもりは全くないようだ。

まぁ『ここに骨を埋めてもいいわけ!』という言葉を聞いた時から

こうなることは予想できた。そのうち、邂逅の調べの小屋は

サフィールさんの研究室になるんじゃないだろうか。


「ギルドの人間に、街の中を探すように告げたが

 まだ誰も、見つけることができないでいる」


「……」


「連絡用の魔法も、何かに疎外されてとどかないみたいなの」


「……」


連絡が、取れなくなったのが1チームだけなら

心配はしても、ヤトさんが出てくることはなかっただろうと思う。


今回は、黒と黒のチームが全員音信不通になり、間が悪いことに

彼等の行き先を知っている人間も、出かけてしまったという事が問題だった。


そして、カイルが残した家でなければ

ギルドの職員は優秀だから、すぐに見つけることができたと思うし

連絡用の魔法も、とどいただろう。


どうやら、あの家の結界はギルドからの魔法も無効にしてしまうようだ。

チームの家のようだったのに、連絡が届かないようにしているってどういう事?


思案するように、目を伏せている2人にチラリと視線を向ける。

本気で心配している2人に、どうやって伝えよう……。


今日は牡蠣鍋だ! と言って鍋にあう酒を嬉々として選ぼうとしていた酒肴のメンバー。

武器庫の珍しい武器を振って、喜んでいた剣と盾のメンバー。

徹夜明けなのに朝食を食べた後、図書室にこもってしまった邂逅の調べ。

そして、月光は小屋の部屋割りで揉めていた……。


5部屋あるうちの1つに、転移魔法陣が設置されていて

誰がその部屋を使うかでもめていたようだ。

結局、フィーに魔法陣を刻み直してもらう事で決まったようだけど。


そういえば、今日はまだフィーを見ていない。

出かけているんだろうか?


それぞれが好きなように、休日を謳歌している……。

伝えるのが怖い気がするなぁ。


黙り込んだ僕を一度見て、ナンシーさんはアルトに視線を移す。

首をかしげているアルトに淡く笑いながらお願いの言葉を口にした。


「アルトも、サーラ達を見たら教えてくれる?」


「サーラさん?」


「うん。お腹に子供がいるのに……。

 ちゃんと食べているのかしら」


心配そうにそう呟くナンシーさんにアルトは

「サーラさんは、朝ごはんのパンに蜂蜜をいっぱい塗って

 美味しそうに食べてたから大丈夫」と言った。


「……」


「……」


ヤトさんとナンシーさんが視線を交わす。


「アルト。バルタスやエレノアの事も知ってる?」


ナンシーさんが続けてアルトに聞く。


「バルタスさんは、今日の夜は牡蠣鍋だ! っていって朝から元気だった」


「……」


「……」


「エレノアさんは、俺と模擬戦闘をしてくれたんだ。

 いっぱい褒めてくれた!」


「……そう」


「……」


そこにまた、ギルドの職員の1人が来てこう告げた。


「テレーザさんが見つかりました。

 バルタスさんの居場所をお聞きしたところ

 暁の風のリーダーの家に居ると話しておりました」


ナンシーさんとヤトさんの表情が消える。

僕は片手で、顔を覆って2人の視線をさえぎったのだった。


詳しい話を聞きたいという事で、僕とアルトは

応接間みたいなところへと案内され、お茶とお菓子を前に

昨日からの出来事を大雑把に話すことになった。


全て話し終えた後に、2人が本当に深く溜息をつき

ヤトさんが「何をやっているんだ、あの人達は」と首を横に振っていた。


「居場所がわかって安心したけれど、連絡が取れないのは困ったわ」


「今日にでも、結界の構築式を少し変えておきます」


「大丈夫なの?」


「ええ、無効化する魔法に条件を付ければいいだけですから」


「そう、お願いするわ。

 エレノアとバルタスはともかく

 サフィは、研究に夢中になると引きこもってしまうから」


「……」


「アギトの所は、クリスがしっかりしているから

 まだましよね」


ナンシーさんが、愚痴に近い言葉を吐きながら

諦めたように、お茶を口に含み飲み込んだあと苦笑して僕を見て

そして「家まで、非常識だったのね」と告げた。


ナンシーさんの言葉に、ヤトさんが小さく笑う。

彼が笑うのを見たのはこれが初めてかも知れない。


「私も、伝説の黒が残した家を見て見たいものだけど」


「いつでも来ていただいていいですよ?」


「そうね……。時間ができたら、寄らせてもらうわ」


「はい」


僕とナンシーさんの会話が、落ち着いたところで

ヤトさんが、手に持っていたカップを机の上に戻しながら


「さて、セツナ。今日の夕食の時にでも

 エレノアに、手紙を渡してくれるか?」


「手紙ですか?」


「黒の会議を開くための、召集の手紙だ。

 エレノアに渡しておけば、サフィールもアギトも大人しく来るだろう」


「……」


「頼まれてくれるか?」


断る理由はないので、頷きながら返事をする。


「はい」


「なら、ここでしばらく待っていて欲しい。

 いや、何か用事があってギルドへきたのなら

 帰る時にでも、ナンシーに声をかけてくれれば

 渡せるように準備しておく」


「そういえば、セツナ達は依頼でも探しに来たのかしら?」


「いえ、依頼を探しに来たのではなく

 アルトの学校の申し込みに来ました」


「え?」


僕の言葉に、ナンシーさんとヤトさんは不思議そうに

僕を見てからアルトを見た。


「学校って……。セツナはアルトの師でしょう?」


「ええ」


「なら、学校に行く必要はないんじゃないかしら。

 貴方が勉強を教えているんじゃないの?」


「教えていますが……」


ナンシーさんの言葉に、アルトの耳が極限に寝てしまっている。

彼女の目はアルトの耳に釘づけになっている。そして、少し慌てて言葉を足した。


「許可できないってわけじゃないのよ?

 ただ……」


アルトの耳から視線を外し、言葉を濁し僕を見た。

しょんぼりしてしまったアルトの背中を軽く叩き宥めながら

アギトさん達に説明したことを、簡単に話した。


「そう。友達ができたの」


優しく笑いながら、ナンシーさんがアルトに言葉をかける。

アルトは、頷くことで返事をしていた。


「わかったわ。必要な書類を持ってくるから

 ここで手続きしていきなさいな。他に、用事はないかしら?」


「僕はありません」と答えアルトもないと伝えようとして

途中で言葉が止まる。何かを思いだいたのか、鞄の中に手を入れ

目的のものを取り出して、ナンシーさんへと渡した。


「これ、アギトさんから貰ったんだ」


「……」


「……」


アルトが鞄から取り出したのは、青の柄の短剣だった。

そういえば、セルリマ湖で貰っていたのを僕も忘れていた。


「アギトが、これをアルトに渡したの?」


「アギトが渡したのか?」


ナンシーさんとヤトさんが、驚きの表情を浮かべて同じことを問う。


「アルト、アギトの試しを受けたの?」


「試しって何?」


アルトの疑問に答えたのは、ヤトさんだった。


「アギトに、紫の柄の短剣を渡されなかったか?」


ヤトさんの言葉に、アルトが不機嫌そうに眉根を寄せて

その時あったことを話した。


「贈り物をくれるって言ったのに!

 俺は騙されたんだ!」


あの時の事をまだ根に持っているようだ……。

ナンシーさんとヤトさんは、アルトの不機嫌な様子に苦笑した。


「アギトから短剣をもらうのは、すごい事よ。

 殆どの人間が、一番最初の短剣を受け取ってしまうから」


「試しを行うのは、アギトさんだけなんですか?」


「アギトだけではないけど、エレノア達は

 実践の実力と、問答で短剣を渡すか判断するようよ。

 アギトみたいに、いきなり短剣を見せて持ち上げたあげく

 突き落とすようなやり方はとらないわ」


「……」


「黒が短剣を渡すこと自体、あまりないけれど」


「そうですか」


「贈り物だって言って、騙すのは良くない!」


アルトがこぶしを握って力説している。


「騙したわけじゃないんだけどね……」


ナンシーさんがクスリと笑い、席を立つ。


「まぁ、書類と一緒にアルトのランクを上げる用意もしてくるわ」


「お願いします」


「お願いします!」


「少し待っていて頂戴」


ナンシーさんがヤトさんを見て、ヤトさんが頷き席を立った。


「セツナ。よろしく頼む」


ヤトさんが、そう告げた後ナンシーさんと一緒に部屋を出ていく。

アルトが耳を立てて動かし、2人がこの部屋から離れたのを確認してから

僕のほうを向いて、首を傾げながら口を開いた。


「師匠」


「うん?」


「ナンシーさんの隣に居た人は誰?」


「……」


アルトは、ヤトさんと会うのは初めてだったと思い出す。

ヤトさんは、アルトの事を知っているけど初めて会ったアルトは

知らなくて当然だ。


「あの人は、俺の事を知ってた」


「そうだね。あの方は、ヤトさんといって

 ギルドの総帥だよ」


「総帥?」


「ギルドで、一番偉い人かな。

 わかりやすく言えば、王様みたいな感じかな?

 黒の紋様の持ち主の1人だよ」


「ええぇ! 王様だったの!?」


「うん」


本当は違うけど、アルトが黒になればわかることだから

今は、この説明でいいと思う。だけど……。


「そうなんだ……。王様には見えなかった。

 王様っていうより、感じがキースさんぽい」


「……」


アルトは無意識のうちに、正解を言い当てている。


「あの人も強そうだった」


「そうだね。そういえば、現在のギルド最強と言われている

 黒の全員と会えたわけだけど、実際会ってみてどうだった?」


「うーん……。

 最初は、すごいと思ったんだ。傍に居ると強いのがわかるし。

 でも、エレノアさん以外は想像していた黒と違った」


なんとなく言いたいことがわかるような気がする。

僕も、初めてアギトさんにあった時は落ち着きのある大人だと思った。


「……」


その辺りは、深く聞くことはせずに流そう。


「エレノアさんは、アルトが想像していた黒だった?」


「うん! 強いし! かっこいいし! 優しい!」


尻尾を振りながら、エレノアさんの事を話す。

アルトの中では、黒といえばエレノアさんになりそうな気がする。


エレノアさんといえば、ビート達もアルトと似たような事を話していたなぁ。

黒の強さには憧れたけど、黒本人に憧れた事はない。

だけど、エレノアさんだけは別だったと。


『まぁ、エレノアさんは黒というより騎士って感じだけどな』と言ったのは

ビートだったと思う。確かに、エレノアさんはアギトさん達とは

どこか違う空気を持っているような気がする。それは、アラディスさんや

剣と盾のチームのメンバーを見ていても感じた。


どこか、ジョルジュさんやフレッドさんの動き方に近い気がする。

詮索しても仕方がないので、聞くことはしないけど。


ドアをノックする音が聞こえて、アルトとの会話が終わり

ナンシーさんが、両手に色々と抱えて部屋に戻ってきたのだった。


「先に、ランクを上げようかしら?」というナンシーさんの言葉に

グローブを外して、ランクを上げてもらったアルトは嬉しそうに

手の甲を見ていた。


これでアルトのランクは、青の1/5になった。順調といえば順調だけど

これから先、ランクを上げていこうと思うなら魔物を食べるのを減らさないと

無理だろうと思う。急いであげる必要はないけれど次のランクは遠そうだ。


ナンシーさんが、微笑ましそうにアルトを見て

「学校の説明をしていいかしら?」と声をかける。


アルトが、真剣な顔をして背筋を伸ばす。


「冒険者が、受講する講座ではなく

 孤児院のお友達と同じ、学校のほうでいいのよね?」


「はい」


アルトの返事に、ナンシーさんは手元の書類に

書き込みを入れながら、説明を始めた。


「わかったわ。

 まず、学校は0のつく日と5のつく日がおやすみになるわ。

 今日は、ウィルキス2の6日だから残りのお休みは

 10日、15日、20日、25日、30日になるわね」


4日通って、1日休みという形になるらしい。


「授業の時間は、朝9時から12時か13時から16時までの

 どちらかを選ぶことができるわ。孤児院の子供達は午前中の授業を

 受けることになっているから、アルトも朝の授業を受けるといいわね」


アルトがコクコクと頷く。


「3時間しかないんですか?」


「ええ。親の仕事を手伝っている子供もいるから。

 長く時間をとると、生活に困る家も出てくるわ」


「なるほど」


「授業が終わったら、昼食が出るから

 食べて帰ってもいいし、持って帰ってもいいわよ。

 孤児院の子供達は、食べて帰るからアルトも一緒に食べるといいかもしれないわね」


「うん」


アルトは嬉しそうに尻尾を振る。


「次に、こっちが教科書になるわ」


ナンシーさんが、持ってきた教科書を僕とアルトの前に並べる。


”算数” ”国語” ”地理” ”歴史”

”食べてはいけない植物” ”リシアにいる魔物”

”ハルの施設” "色々な仕事” ”ハル学院受講科目一覧”


教科書の種類を見て、疑問に思ったことを口にする。


「ビートやエリオさんから、聞いた科目より多い気がしますが」


「ハルの子供は、最低2年学校へ通う義務があるの。

 2年間で使う教科書は、算数、国語、地理、歴史

 植物、魔物、施設の7冊よ。14歳から15歳の間の1年は

 仕事の種類と職業体験を中心にして学んでいく事になるわね」


「職業体験ですか」


「ええ。アギトの所は14歳になると

 本気で冒険者の道を選ぶのか、冒険者登録はさせずに

 旅に連れていくから、2年しか学校へ通っていないわ。

 親のあとを継ぐ子なども同じで、義務教育が終了したら

 修行に入ることが多いわね。その後学院へ進むかどうかは

 親との話し合いになるんじゃないかしら?」


「なるほど」


「孤児院の子供達は、義務教育終了後は1年かけて興味のある仕事を探して

 学院へ行くか、就職するかを選択するの。冒険者になる場合は学院へ行って

 戦い方を学んでからしか登録できない決まりになっているわね」


「特例があると聞きました」


「誰かに弟子入りした時などは、特例として登録することを

 認められているわね。魔力量の多い子供は、魔導師の弟子として

 一緒に行動することになるから」


「他の国でも同じことをしているんですか?」


「国によって違うわね……。

 ギルドの孤児院がない国も多いのよ。ガーディルやエラーナは

 国が設営する孤児院しかないわ」


「……」


「ハル以外の孤児院でも、学院で学びたい場合はその費用もすべて

 ギルドで用意することになっているけど、自分の生まれた国を離れるのを

 嫌がる子のほうが多いわね。だから、その国でできることをしているはずよ」


「冒険者を選択した場合はどうなるんですか?」


「学院へ行く事を選んだ場合は、ハルの子供達と同じね。

 リシア近辺の国の子供達は、学院に入る子が多いけど

 海の向こうになると、極端に少なくなるわ

 拒否した場合は、冒険者用の講座に参加することになるわね」


「アルトが通う事になる学校には、戦闘訓練はあるんですか?」


「ないわよ?」


「冒険者になりたいと言っているなら

 戦い方を学びたいと考えると思うんですが」


「1カ月の小遣いを貯めれば、戦闘訓練を受けることができるわ」


「なるほど」


「将来どの道を選ぶのかは、本人が決めることよ。

 それに必要なものは渡されているわ」


「ああ、だから2年後に受講する本も

 渡しているんですね」


「ええ。例えば、冒険者になりたいのなら

 本に何が必要かが書かれているわ。

 それを読んで、どう行動するかは本人次第よ」


全てに手を差し伸べるわけではないらしい。


「中途半端な覚悟で生きていけるほど

 冒険者は優しくないでしょう?」


ナンシーさんの言葉に頷く。


「ギルドが経営しているから、冒険者に憧れる子供は多い。

 だけど、ハルとハル以外の子供では決定的に違う面があるわ」


「違う面ですか?」


「ええ。ハルには結界があるおかげで魔物の脅威から遠ざけられている。

 ハルの子供達は、魔物を見た事がない子が多いの。

 魔物の恐ろしさを知らない子供がほとんどよ」


「……」


「ハル以外の子供達は

 冒険者が命がけの職業だと、幼いころから理解している。

 だから、孤児院で貰える少ないお小遣いを貯めてまで戦闘訓練を受講する子が多い。

 15歳になって、冒険者登録をすれば孤児院の子供は無料になると知っていても

 魔物が襲ってきたら、戦えるように武器を持つの」


「心構えが違うんですね」


「ええ。それを自分で見つけるの。

 早い子なら、10歳になるかならないかで武器を持つわ」


「そこまでの気概があるなら、将来強い冒険者になりそうですね」


「活躍しているわよ」


そう言って笑う。


「ああ、だから特例があるんですね」


強くなるには、実戦で戦ったほうが強くなれる。


「ええ。大体は、訓練している様子を見たチームのリーダーが

 ギルドを通して、勧誘するという形になるわね」


自分の努力次第で、道が切り開けるようになっているようだ。

そういえば、ノリスさんとエリーさんは早い段階から花の栽培の教えを受けている。


「冒険者になると言っておきながら、学院へ入ったら

 勉強が面白くて、教員になったとか。自分で武器の手入れができたら

 安くつくだろうと思って、鍛冶をとったら鍛冶に魅せられたとか

 あるけれど。お小遣いを貯めて戦い方を学ぶ子は、大体が冒険者になるわね」


「そうですか」


「そうそう。ビートは、学院へ入るのを嫌がったけど

 アギトが無理やりに入れて、卒業の証を手に入れたらすぐに登録すると思っていたのに

 学院で好きな子ができて、その子が卒業するまで学院に居たから

 18歳で冒険者になったのよ。結局振られたけどね」とニヤリと笑って話す。


「……」


「話がそれてしまったわ。

 アルト、ここで聞いた話は秘密にしておいてね?」


「うん」


大人しく話を聞いていたアルトが、素直に頷く。


「何処まで話したかしら?

 そうそう、教科書に汚れがないか確認して頂戴」


ナンシーさんにそう言われて、アルトと一緒に確認作業へと入った。

そのついでに少し目を通す。"ハルの施設"と書かれている本は

ハルの街の地図が書かれてあり、どこに何があるのか丁寧に描かれている。


本の内容は、施設がどのような事を行っているのか書かれている。

魔物を発見した時は、ギルドへとか。本を読みたい場合は図書館へとか

粗大ごみはこの施設へ持ち込んでくださいだとか、緊急の場合の避難場所であるとか

生活に深くかかわることが書かれているようだ。


”算数”は、加算、減算。時計の見方。時計の応用。

お金の計算の方法。長さの問題。体積の問題などがあるようだ。


”地理”は、それぞれの国について書かれてある。


「どう? 大丈夫そうかしら?」


「はい。大丈夫です」


「汚れてなかった」


「そう。ならこれは全部持って帰ってね。

 これが時間割表よ。これを見て準備してから学校へ行くようにね」


「はい!」


嬉しそうに返事をするアルトに、ナンシーさんも笑って頷いた。


「学校は、シルキスから始まるから

 進んでいるけど大丈夫かしら?」


アルトが不安そうに、僕を見た。

多分心配しなくても、遅れているという事はないと思うけど……。


「遅れているところは、僕が教えます。

 今は、どんな学習をしているところですか?」


「えっと……。例えば、算数は

 時計の読み方と時間の計算。時間の換算ね」


「時間の換算?」


アルトが首をかしげる。


「例えば、75分は何時間何分でしょうとかね」


「1時間15分」


アルトがすぐに答えを返す。


「……」


「1時間32分を分に直しなさいとか」


「92分」


「……大丈夫そうね」


何か言いたそうに、ナンシーさんは僕を見たけど

何も言わなかった。


「大丈夫! 俺、時計持ってるし!」


そう言って、懐中時計をナンシーさんに見せる。

その時計を見て、ナンシーさんがクスクスと笑う。


「それが、大食い大会の優勝賞品なのね」


「えー! どうして知ってるの!?」


「秘密」


多分、サーラさん辺りから聞いたんだろう。

アルトとナンシーさんが、他の教科の進捗についても

話し合っている。ハルの施設以外は心配なさそうだ。


2人の会話を聞きながら、渡された書類に記述していく。


書類に最後まで目を通してから

鞄から財布を取り出し、金貨2枚を出した。


自国のギルドで授業を受ける場合は無料になるらしいが

他国で受ける場合は、全ての費用は自費となるようだ。


義務教育という形は、リシアだけらしい。

なので、他国の子供が13歳でハルに来て、2年勉強した後

15歳で学院へ入るという出来事があったようだ。


ギルドも受け入れる限界があり、これ以上は無理だという事で

他国からの子供の授業料は自費という事に決めたらしい。


1カ月の授業料は昼食込みで、金貨1枚。

1年間で、金貨15枚。150万円。

なかなかの大金だと思う。それでも、毎年10数人は他国からの

子供が入学するらしい。


進捗の確認が終わったのか、2人が僕の手元を見ながら待っていた。

書類と一緒に、2カ月分の授業料をナンシーさんへと渡す。


「とりあえず、2カ月分の授業料です。

 その先の予定が、まだ決まっていないので

 わかり次第また連絡させてもらいます」


「はい。確かに。

 続けるにしても、やめるにしても連絡は入れてほしいわ」


ナンシーさんに頷き、アルトを見ると

顔色を失くして、ナンシーさんの手を凝視していた。


「アルト?」


「どうしたのかしら?」


僕達の呼びかけに、小さな声を響かせた。


「お、お金がいるの?」


「そうだよ」


「俺……」


お金がいると知って、焦っているアルト。

多分、このままいくと行かないと言い出すだろうなと感じた。


「アルト。アルトが僕の弟子になった時に、話した事を覚えている?」


「……」


黙り込むアルト。

ナンシーさんは、黙って僕達を見守っていた。


「アルトの仕事は何?」


僕の言葉に、はっとした表情を見せて

考えるそぶりも見せずすぐに返答する。


「勉強すること。遊ぶこと。寝ること。

 食べること。そして、師匠の手伝いをする事」


「そう。その時に話したよね。

 アルトが必要なものは、これから全部僕がそろえると」


「うん。だけど」


「これは趣味ではなく、勉強の一環だから

 気にすることはないんだよ」


「……」


「アルト。友達と沢山遊んで

 沢山勉強しておいで」


僕の言葉に、耳を寝かせながら「はい」と返事をした。

授業に必要な道具を書いた紙をもらい、少しの注意事項などを聞いた後

ナンシーさんに「何時から、学校に通う?」と聞かれ「明日から」と答えていた。

早速、明日から学校へ通う事に決まり貰った教科書を

嬉しそうに、鞄の中へしまっている。


その様子を見ながら「セツナは、本当に甘いわね」とナンシーさんが笑う。

その言葉に返事をすることはせず、曖昧に笑って流したのだった。


そのあとは、エレノアさん宛ての手紙を預かり

一度自宅へと戻る。エレノアさんにヤトさんからの手紙を渡すと

アギトさんとサフィールさんに、明日は絶対に参加するようにと

釘を刺している。サフィールさんは「嫌なわけ」と呟いていたけれど

エレノアさんに、冷たい目で睨まれると目をそらし口を閉じた。


エレノアさんとサフィールさんが醸し出す空気とは反対に

アルトは、明日から学校へ行けると楽しそうにはなしながら

昼食をとっていた。


周りの人間は、エレノアさん達の空気に触れることなく

アルトの周りに集まり、決して2人に視線を向けることはなかった。




読んでいただきありがとうございました。


リペイドの騎士 : ジョルジュ・フレッド

リペイドの花屋 : ノリス・エリー


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