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刹那の風景 第三章  作者: 緑青・薄浅黄
『 ブルーポピー : 憩い 』
118/130

『 剣と盾 』

【 ウィルキス4の月01日 : アラディス 】


 眠りながら、涙を落としたエレノアの目元を

指で拭ってから、静かに彼女の部屋を出た。


自分の部屋へと戻り、数年に一度誂えては

今まで一度も袖を通すことなく、衣装棚に

眠らせていた、ガイロンド帝国第二騎士隊の

騎士の正装を身に纏う。


「二度と、着たくはなかったのだが……」


胸にある、嫌悪を吐き出すように零れた言葉に

自分自身を嗤った。


それでも今、濃紺色の騎士隊の正装を身に纏ったのは

ある意味、けじめをつけるためだ。


オウカに頼み、数年に一度誂えていたのは

未練があったからではない。


あの憎しみを、あの屈辱を、あの焦燥を

時と共に風化させず、忘れないためだった。


「っ……」


鏡に不機嫌な自分の顔を映し

最初で最後だと自分の心に言い聞かせながら

首元まであるボタンを、一つ一つ止めていく。


胸の中にある重たいモノを

溜息として吐き出しても、少しも軽くなりはしない。


ファライル隊長が率いる第二騎士隊に居た時は

この隊の正装が誇らしくて仕方なかったのに……。


「本国籍……か」


正直、エレノアがリシアの本国籍を求めるとは

想像もしていなかった。ファライル隊長との約束を

彼女は生涯抱き続けると思っていたから。


例え、二度と祖国の土を踏むことが叶わなくとも

彼女は、ファライル殿がいた国を忘れることなど

できないだろうと……そう思っていたのに。


セツナとの模擬戦のさなかに

上書きされた騎士の誓い……。


あの時にはもう

彼女はセツナと共に堕ちることを

決めていたのだと思う。


私達は、エレノアに忠誠を誓っているわけではない。

忠誠を誓ってしまえば、それは主従の関係になり

対等ではなくなってしまう。彼女は、私の伴侶で

私達のリーダーで、私達の友人で……。


そして……私達の副隊長だった。


私達は、これまでもそしてこれからも

私達の隊長……ファライル殿が

私達に託した願いと共に、自らの意思で

彼女と共に歩いていく。



『……命の恩は命で返す。

 彼が命を賭して、守り抜いた彼を

 私もこの命かけて守りぬくと決めた』


彼女がそう決めたのなら、異存などありはしない。

彼女の進む道が、私達の進む道。

それは生涯変わりはしない……。


だから、私達もエレノアと同じ誓いを

騎士の証に誓った。


「……」


エレノアにとっても、彼の傍にいるのは

良いことかもしれないと、レイファが言っていた。


セツナの前でのエレノアは、喜怒哀楽が

はっきりしているから。


まぁ……思ってもみなかったことをしたり

ありえない事をしたり、呆れることをしたりと

感情を揺さぶられているのは、エレノアだけでは

ないのだが……。


常識人のように見えて、その常識の根本が

おかしいのだと、彼と共に過ごす時間が増えてから

皆が気が付いた。


酒肴の若い奴らは、彼のどこか違う視点に

感化されて、料理以外にも好奇心を見せ始めて

いるのはいい傾向だと思うが、今回の催しのように

怒涛の一日を演出するのは二度とやめてほしいと

心の中で願った。


「……」


本当は、私がエレノアにそれらの感情を

取り戻してやりたかった。素直に泣くことが

出来なくなった彼女を、私が癒してやりたかった。


私達に弱さを見せることなく、凛として立つ彼女は

いつも前を向いていた。それでも、彼女も一人の人間で

心細く思う事や、恐怖に襲われることがあったのだから。


独りで耐えて、独りで泣いて……。

そして、独りで立ち上がり前を向く。


私はそんなエレノアの背中を、黙って見ているだけだった。

何度抱きしめて慰めようと思ったかわからない。

だが、それは……彼女を苦しめるだけなのだと知っていた。


ファライル殿を想い。

ヤトを想い。

そして、私を想い涙を落とす彼女は

高位貴族としての矜持と騎士としての誇りを

捨てずに、守り続けていたのだから……。


「前に進め、過去に留まるな……か」


彼女は、新しい誓いを胸に刻み

もう、その道を歩き始めている。


ならば、私も彼女と歩調を合わせよう。

彼との話を最後に、私も過去を振り返らないと決めた。


ガイロンド帝国第二騎士隊であった私ではなく

リシアの住民が、私達をリシアの騎士だと

口にしてくれるように、私達は彼等と同じ

リシアの民になろう。


私達に守るべき国ができ

そして、帰るべき場所ができるのだ……。


私も、この場所が好きだから。

絆を深めた人達と共に居たいから。

大切なエレノア達と一緒に、高みを目指し

幸せに生きていこうと……そう思った。


憎しみは、生涯消えることはないだろう。

それでも、自分の居場所を守るために

これからの長い人生を、エレノアを幸せにするために

努力していくと決めたから。


「だから……。ファライル隊長。

 貴方が生まれ変わるのなら……。

 どうか、貴方が愛したガイロンドではなく

 ()達がこれから愛していく、リシアへ……。

 この国へ、生まれ変わってきてください。


 そしてまた、我らと共に……」


ぱたりと、衣装棚の扉を閉め

一度目を閉じ心を静めてから

自室の部屋を音を立てずに出る。


「アラディス」


セツナの敷地にある、剣と盾の為に用意された家へと

繋がる転移魔法陣の前で、私と同じように

騎士隊の正装を纏った、レイファとクラールが

待っていた。


「考えることは同じか」


「けじめは必要だろう?」


クラールの問いに、苦笑が浮かぶ。


「そうだな」


「エレノアは?」


「眠っているよ」


「そう」


レイファが、少し不安そうに

瞳を揺らしているのを、安心させるように

数度腕を叩いてから、転移魔法陣を発動させ

向こうの家へと移動する。


「アラディスさん」


私達の姿を見たアルヴァンが

少しだけ驚きの表情を浮かべ、私を呼んだ。


「ここで何をしている?」


「アラディスさんを待っていました」


「……」


「私にも許可を」


アルヴァンが私を見てそう願う。


「かまわないよ」


「ありがとうございます」


「いいのか?」


「アルヴァンは私達の子供であり

 そして、仲間なのだから」


オウカ達やヤトもそのうち来るだろう。


「さて、行くとするか」


「あぁ」


「そうですね」


「……」


多分、彼は今日も空を見ながら飲んでいるだろうから。



私達が訪れることを

敏い彼ならば、気がついているはずだ

だとすると……セツナはわかりやすい場所で

私達を待っているに違いない。


誰かが動けば、彼は気が進まなくとも

一応会ってはくれるのだ。話すことを拒まれる

こともあるが、逃げて隠れる事だけは絶対にしない

青年だった。これが、アギトやサフィールならば

鼻で笑いながら、逃げて隠れて絶対に出てこないはずだ。


広いこの敷地内を、レイファの魔力感知を頼りに

セツナを探す。レイファも、魔法の腕を向上させようと

サフィールがエリオをボコボコにしている傍にいたり

セツナとサーラの会話を傍で聞いていたりと

邪魔にならないような位置で、日々努力している。


彼女は、人と話すのはあまり得意ではないので

自分からセツナに話しかけることはあまりないのだが

サーラもサフィールも、レイファの性格を知っているから

彼女が傍にいても、気にすることはない。


サーラは、魔法の話をするときは

レイファを誘って共にセツナと話をすることが多い。

お茶会なども、時々は参加しているようだが

レイファが、趣味の時間を大切にしていることを

知っているので、誘うだけ誘って断られたら

またね、といってさくっと諦めている。


レイファとサーラ達の距離は

今も昔も変わらずに保たれていて

レイファにとっては、居心地がいいらしい。


セツナは誰が傍にいても気にしないし

聞かれたくない会話の時は、迷わずに魔法を使い

声を遮断していた。


「そろそろだと思います」


「そうか」


そして見つけたのは、海に囲まれた場所に

立てられている東屋で……。


彼はその中で独りグラスを傾けながら

海の上に浮かぶ月を見ていた。


セツナの顔は、月へと向いているのに

その瞳には光が見えない。どこか無機質なその表情をみて

思わず足が止まる。女性達の口に上がる彼の印象は

美しいや綺麗などに続いて、温和や優しい温かみのある

青年と評されている。


だが、その顔に表情が消えるだけでまるで魂のない

精巧につくられた人形のように見えた……。


そう思ったのは、私だけではなかったようで

クラール達も私の後ろで息をのんで足を止める。


「どうかしたのか?」


私達の後ろから、声がして振り向くと

ヤトが不思議そうな顔をして私達を見て

そして、セツナへと視線を向け彼の表情を目に入れ

一瞬だけその表情を歪めた。


「ヤトだけか?」


「はい」


「オウカ達も来ると思っていたが」


「疲れたから寝るそうです」


「あぁ、結構無理をしていたからな」


「そうですね」


私達の話す声が、彼に届いたのか

セツナは、ゆっくりと月から視線を逸らし

手に持っていたグラスを口へと運び

全てを飲み干してから、こちらへと視線を向けた。


こちらに顔を向けた彼の瞳には

いつもの優しい光が浮かんでいる。


彼が何を考えていたのか

気になるところだが、尋ねたとしても

答えてくれることはないだろうな。


しかし……。エレノアの感情も読みにくいが

彼の感情は、ほとんど分からない。


彼はどうやって感情を切り替えて

いるのだろうか? コツがあるなら

教えてもらいたいものだ。


近づいた私達に、彼がふわりと笑い

挨拶を口にのせた。


「こんばんは。こんな夜更けに

 こんな場所で会うなんて、奇遇ですね」


「あぁ、奇遇だな」


私達の目的を知っていて

堂々としらを切る彼に、ヤトが肩を震わせ笑った。


「飲む場所は沢山あると思いますが

 この場所に来たという事は、僕に何か用ですか?」


「セツナが想像している通りだと思うが」


「飲み足りないから

 僕と飲みたい、ですか?」


「それでもいいが

 エレノアに、煩く言われるな」


「……」


セツナとヤトの軽口の応酬に

思わずヤトを見る。いつのまに

そんなに、仲良くなったんだ?


セツナはヤトに肩をすくめて見せてから

私達へと目を向けた。


「似合わない衣装を着ていますね」


「は?」


思わず素で返してしまう。

そこは、お世辞でも似合うと言わないか?


「お世辞でも、似合っているとは

 言われたくはないでしょう?」


「……」


「……」


彼は何を何処まで知っているのだろうか。

この正装が、何処の国のモノであるのかも

知っているようだ。


まぁいい。それはこれからゆっくり聞けばいい事だ。

その前に、しなければならない事がある。


一度、肩から力を抜くように深く息を吐き出してから

騎士の礼を取り、そして深く彼に頭を下げる。


私だけでなく、クラール達……。

そしてヤトとアルヴァンは、リシアの礼を取って

頭を下げていた。ヤトはともかく、アルヴァンも

騎士の礼ではなく、リシアの礼を取ったことに

少しだけ驚く。クラール達も驚いているようだが

それを表情に出すことはしなかった。


「エレノアを救ってくれたこと

 心から感謝する。この恩は生涯忘れず

 君が助けを必要とするときは、何をおいても

 君の側へ駆けつけると誓う」


「……」


「セツナ、本当にありがとう」


私の言葉に続くように

クラール達も声を揃えて、感謝の気持ちを伝える。


「お礼は、ジャックに。

 僕は、ジャックが用意していたモノを

 使っただけにすぎませんから」


「それでも、君がいてくれたから

 エレノアはこれ以上苦しまなくてすむんだ。

 私達は、ジャックと同じぐらい君にも

 本当に感謝しているんだよ……」


私達の態度に、セツナはため息に近い

息を吐き出し「どういたしまして」と口にした。


律儀な彼は、ジャックの功績を自分のものに

したくはなかったのだろう。それが、自らも苦痛を

伴いながらの解呪だったのだとしても。


器用なのか、不器用なのかわからない青年だ。

だからこそ、余計に危うく見えるのかもしれない。


生きていくことに不慣れな

まるで、手探りで生きているような

そこまで考え、その理由に思い至り

それ以上考えることをやめた。


『生きるという事に、真剣に取り組む』と告げた

ジゲルという男の言葉が脳裏に浮かんだ。



「体は本当に大丈夫なのかい?」


「何の影響もありません。

 なので、気にして頂く必要もありません」


「そうか……」


普段ならば、酒を飲もうと誘ってくれるのだが

私達の目的を知っているせいか、誘いの言葉はない

だが、話を聞くまでは帰るつもりもないことから

会話の切っ掛けを探そうとするが見つからない。


話しやすい雰囲気を纏っている時と

こうして、拒絶を見せている時の

彼の態度の落差に未だに慣れないでいる。


それだけ、彼はガラリとその空気を

かえてしまうのだ。


「セツナ、私にも酒をくれないか」


そんな私の葛藤を無視するように

ヤトが、勝手にセツナの隣へと座り

酒を強請っていた……。


「これは、水ですが?」


「水?」


「そうです」


「なぜ、水なんだ?」


「セリアさんが煩いので……」


「あぁ……」


ヤトが座ったことで、私達も適当に

席に着くことにした。


「お酒がいいのなら

 お酒を出しますけど、飲みますか?」


「いや、私も水を貰おう」


ヤトの言葉に、彼は素直に頷き

鞄から人数分のグラスを出して

魔法を詠唱した後、全てのグラスに水が注がれていた。


「便利だな」


便利だなで終わらせるのか?

セツナほどの魔導師が作った水ならば

それを売るだけでも金になると思うのだが……。


魔力が豊富に含まれる水は美味い。


他国では、水使いが酒場などに水を売って

生計を立てている魔導師もいるが

リシアでは、買い取ってもらえることは殆どない。


この国の大地は魔力が豊富なせいか

水に含まれる魔力も多く、一種使いが作る水よりも

魔力が含まれているために、需要がなかった。


「……」


ヤトは気にすることなく、配られたグラスを持ち

水を口にしてから一息ついた。


三種使いが作る水を飲むのは初めてかも知れない。

グラスを持ち、一口飲んでみるがとてもまろやかで

精霊水の次に美味いと思えるほどの水だった。

水屋を開いても、きっと生活していけるだろうな……。


「美味しい……」


レイファが小さく呟いたのを聞いて

セツナが、追加の水を全員に注いでくれた。


一息ついたところで

皆の視線が自然に、一点へと向かった。


机の中央に、結界に閉じ込められた

黒と少し紫が入り混じった小さな蛇が

周りを威嚇するように

牙をむいているのが目に入っている。


「その黒い蛇は新しい使い魔か?」


私もずっと気になっていた事を

ヤトは、躊躇することなく口にした。


彼の使い魔だとすると、今まで見てきた

トキアやギルス、ヴァーシィルとはかなり違う。


トキア達は、彼の性格が反映されているのか

どこか親しみやすさがあるのだが……。


この黒い蛇は、ずっと周りを威嚇しており

じっと見ていると、なぜか不快な感情が

湧き上がってくる。


「こんな気持ち悪い使い魔はいりません」


本当に、嫌だというように表情を変えたセツナに

ヤトが数度瞬いた。


「ならこれは?」


「エレノアさんの体の中に入っていた

 呪いの元凶です。愚王の血ともいいますが」


さほど興味がないといった声音で

サラリと、告げられた言葉の意味を咀嚼し

その意味を理解すると同時に立ち上がり

剣を抜いていた。


これが……エレノアの自由を縛り

彼女の命を削り、心と体を蝕んでいた元凶……。

噛み締めた奥歯から嫌な音が響く。


嫌悪を感じたはずだ……。

これは、私達が憎んでいたモノなのだから。


黒の蛇を殺すために

剣を振り上げようとしたその時

凛とした声が響いた。


「……アラディス。

 剣をしまえ」


聞こえるはずのない声が、耳へ届き

思わず声がしたほうへと顔を向ける。


私達と同様に、濃紺色の正装を身に纏い

私のすぐそばに彼女が立っている。


彼女のこの姿も久しぶりに見た。

似合っているが……似合っているとは

死んでも口にしたくはない。


「エレノア?

 どうしてここに?」


「……全員の気配が動けば

 気になって起きるだろう?」


確かに、それは私も気になって

目を覚ますかもしれない。


「……剣をしまえ

 アラディス」


「わかった」


私が、剣をしまったのを確認してから

エレノアは騎士の礼を取り、セツナに丁寧に

頭を下げ、呪いを解いてくれたことへの

感謝を述べていく。


セツナは、私達に告げた台詞を

そのままエレノアにも伝え

そして、エレノアもまた私と同じことを

セツナに伝えていた。


「……熱も下げてくれたのだろう?

 大人しく座っているから

 同席を許してくれないか?」


彼女の願いに、セツナは妥協したような

笑みを見せながら、グラスをもう一つ用意して

水を注いでエレノアへと渡す。


「水です」


「……」


見ていればわかることを

彼は真剣な表情で、口にし

エレノアに、何か言われる前に

自分のグラスにも水をつぎ足していた。


セツナのその態度に

エレノアが穏やかに目を細めて

セツナを見て笑っている。


「……全員水なのか?」


笑いながら、私達を見るエレノアに

それぞれが肯定するように首を縦に振った。


「……今日は飲み過ぎているから

 いいことだな。それで、どうして

 アラディスは、剣を抜いていたんだ?」


エレノアの問いに、ヤトが簡単に説明をし

その説明を聞いて。エレノアは、少しだけ

奥歯をかみしめながら、黒の蛇を見つめていた。


黒の蛇は、ぐるぐると結界の中をまわっていたのだが

エレノアが、椅子に座ると同時に結界に頭をぶつけ

エレノアへと向かうような動作を見せる。


その蛇の動きを見ているだけで、嫌悪が私の中で

膨れ上がり、握った拳に力が入った。


「……アラディス」


私の膨れ上がった殺気に、エレノアが私を呼ぶが

その声は、どこか遠くで響いているように感じた。


諦めることなく、結界を壊すように動き

エレノアに戻ろうとする蛇をすぐに殺したい

衝動に駆られた。


「……アラディス」


私の意識を戻すかのような

エレノアの強い意思がこめられた呼びかけに

ギリギリと胸が締め付けられるような殺意を

覚えながらも殺気を静める努力をする。


そんな私の努力と並行するように

セツナが、短く魔法を詠唱し

小さな魔法で作られた剣が数本

結界を壊そうとしていた蛇の頭と体に

突き刺さり蛇の動きを止めていた。


「この蛇は、いつでも殺す事ができるので

 とりあえず、落ち着いてください」


セツナの声に、蛇から目を背けるように

顔を横へと向けると、握っている拳から血を流し

必死に自分の感情を押し殺しているヤトがいた……。


セツナは、私達の感情の波が落ち着くのを

口を開かず静かに待ってくれている。


暫くして「もう、大丈夫だ。すまない」とヤトが

言葉を落とし、セツナが全員の顔を見て魔法を詠唱し

掌であったり、唇であったり、傷をつけた箇所を

癒してくれた。


「すまない」


「いえ」


「それで、これを机の上に置いて

 何をしようとしていたんだ?」


ヤトが蛇を見ないようにしながら

かすれた声で問えば、セツナは隠すことなく

何をしようとしていたのかを口にする。


「何もせずに、消してしまうか

 この状態のまま、相手に返すか

 それとも、呪いを刻んで返すか

 相手を殺す魔法を刻むかで悩んでいました」


「……」


「……」


セツナの言葉に、私以外の全員が唖然としたような

表情を浮かべて彼を見ていた。


だが、私は最後の言葉が耳に入った瞬間

自分の望みを口にのせる。


「殺せるのか?」


「殺せますよ」


私の問いに、セツナは迷いなく答える。


「なら、殺してくれ」


「……アラディス」


「あいつを……殺してくれ」


絞り出すような私の声に

セツナは、私をじっと見て口を開く。


「後悔しませんか?」


「しない」


「本当に?」


「どうして私が

 後悔などしなくてはならない」


苛立つ私に、セツナは淡々と

私が後悔するかもしれない理由を

語っていった。


「ガイロンドの王が突然、死ぬことで

 ガイロンドの多くの民が死ぬことになりますが

 それでも後悔しませんか?」


「なぜ、民が死ぬことになる!」


「現在、ガイロンドは制圧してきた

 様々な国で、反乱を起こされています。

 王が死ねば、指揮系統が崩れます。

 一時のことではあるでしょうが……。

 そのわずかな時間を、各国は見逃すことなく

 ガイロンドからの独立を求め

 決起すると思いますよ。


 彼の国の支配は、酷いものだから」


「……」


「参戦を強要されていた国々は、王が死んだ瞬間

 敵へと変わります。愚王が刻んだ呪縛が解けますから。

 僕がここで、魔法を刻み殺すという事は

 そういった、もろもろの契約などを次代に

 継ぐことができません。 


 自分達の意思を蹂躙された彼等が、ガイロンドに

 怒りを向けるのは当然のことでしょう?


 次の王が優秀ならば……。

 国は残るかもしれませんが、暗愚ならば国自体が

 なくなるかもしれませんね」


「……どうしてそこまで知っている?」


エレノアの固い声に、セツナが私からエレノアへと

顔をむけた。


「どうして?」


「……王が、他国の王の伴侶や子供達に毒や呪いを

 用いて、人質としていることは他言できないように

 なっていたはずだ」


「あぁ。僕の友人に毒の荷物を送ろうとし

 僕に毒を飲ませ、ガイロンドの王が使う毒薬の

 解毒剤を作らせようとした、愚かな第三皇子が

 僕に喧嘩を売ってきたので、反対に毒を盛って

 お帰り頂きました。その頃から、定期的に

 ガイロンドの情勢を調べるようにしています」


ガイロンドの第三皇子は、確かディートベルトという

名前だったような気がする。


私達がガイロンドを捨ててから

生まれた皇子なので、面識がないはずだ。

ガイロンドの愚王には、沢山の子がいるが

継承権を持つことができる子供は少ない。


魔力量が高くなければ

王の子供として、認められることはない。

今は、第五皇子までいるはずだが……。


継承権を持つ皇子が

なぜあの毒の解毒薬を必要としていたんだ?


向こうの大陸の情報は、殆どこちらには

入ってこない。それでも、情勢などの動きがあれば

オウカ達に教えてもらえるように、頼んではいた。


「……言いたいことは色々あるが

 毒を飲んで大丈夫だったのか?」


「毒を扱う僕を毒で縛ろうなんて

 本当に愚かな人達でした」


「……そうか」


セツナの本当に呆れたような声音に

エレノアは小さく苦笑を落とした。


「……どうやって、情報収集を?」


確かに、私もそれは気になっていた。

ギルドの暗部を使うこともなく、どうやって

彼は情報を手にしているのだろうと。


「僕の情報収集の方法は秘密です」


「……ジャックの遺産の一つか?」


「そのようなものですね」


エレノアの言葉に、セツナは静かに頷き

そして私をそのまま凪いだ目で見つめた。


「それで、アラディスさんは

 後悔されませんか?」


「私が、君に殺してほしいと頼み

 君が手を汚したのなら、君は後悔しないのかい?」


「しませんね」


打てば響くような、迷いのない返答に

私の方が言葉に詰まる。


「……どうしてだ?」


私のかわりに

エレノアが会話を引き継いでくれた。


「後悔しない理由ですか?」


「……そうだ」


「そうですね……。

 理由は色々とありますが」


ザラリとした、空気が肌を撫でる。

どこか、雰囲気の変わったセツナに

ヤトが、口を開きかけたが……。


セツナが声を響かせるほうが早かった。


「魔王とはそういうものでしょう?」


「……魔王になるのはやめたのだろう?」


「アルトの夢を潰したくありませんから

 やめましたけど、人の本質はそう簡単に

 変わるものではないでしょう?」


「……両方の国で

 沢山の命が失われることになるのだが?」


「さほど、他人の命に興味がないんです。

 守りたいものだけ、守ることができたらいい」


「……セツナ」


「僕の良心は、薄く脆いガラスのようなものなので

 ギルドの規約を守るだけで精一杯なんですよ。


 僕の良心がひび割れそうになるたびに

 アルトが魔道具を使って、治療してくれますが」


アルトが使う魔道具は、セツナに対する信頼だったり

尊敬だったり、笑顔だったり……アルト自身が放つ

輝きだったりするのだろう。


「……ならば、私達はアルトが魔道具を

 切らすことがないように供給する役割となろう」


「物好きですね……」


セツナは、その後に続くだろう言葉を

声に出すことはなかった。


「他人の命に興味がないので

 沢山の命が奪われるというだけでは

 僕の心には響かない。僕の本質の方がまだ強い」


「……そうか」


「なので、僕が後悔することはありません」 


「……なら、そのほかの理由は?」


「今の理由では、納得がいきませんか?」


「……いかないな」


セツナは、思案するように

エレノアを眺めてから、一度頷く。


「日を改めてもらえるなら

 教えてもいいです」


今、話そうとしない理由はなんだ?

また何かを画策しているのか?


エレノアも私と同じことを考えたのだろう

彼がまた独りで何かを、計画しているのを

警戒したのか、セツナの提案を聞き流し

譲る気はないという意思を籠めて

もう一度同じことを聞いた。


「……貴殿が苛立っていた理由はなんだ」


私達の肌を撫でていた空気が

彼の殺気交じりの苛立ちであったことを

指摘し、見逃すつもりがないことを伝えた。


他人の命に興味がないという

理由だけならば、彼は苛立ったりはしないはずだ。


「……貴殿に刻まれている呪いと

 何か関係があるのか」


「僕に刻まれている呪い?」


「……フィーが、貴殿には本物の呪いが

 刻まれているから、他の呪いは駆逐すると」


「あぁ……。

 そういえば、余計な事を話していましたね」


否定しないという事は、セツナには

本当に呪いが刻まれているらしい。


「魔法で封じているのか」


ヤトの問いに、セツナは首を横に振り

心配そうなヤトの表情を見て苦笑を落とす。


「呪いを解くと面倒なことに

 なりそうなので、解かないだけで

 解呪しようと思えば、いつでも解けます。

 気にしてもらわなくても大丈夫です」


セツナの返答に、ヤトが眉間に皺を寄せる。


「なぜ、解呪しない。

 できるのなら、今すぐにやれ」


「え?」


強い語調で、ヤトがセツナに命令している。

強引なヤトの要求に、セツナも驚いていたが

エレノアも驚いていた。


だが、ヤトの気持ちは痛いほどわかる。

私達は、エレノアを呪いから解放したくて

たまらなかったのだから……。


「うーん。僕に刻まれている呪いは

 エレノアさんが刻まれていた呪いの

 元になる魔法なんです。


 この魔法を、改悪してガイロンドの王は

 エレノアさんに呪いを刻みました。

 

 凶悪さからいえば、エレノアさんの呪いの方が

 酷いと言えます」


ヤトの眉間の皺が、さらに深くなっているのを見て

セツナが、目を丸めてその皺を凝視している。


「なら、さっさと解くべきだろうが」


憤りを宿した声音を響かせたヤトから視線を逸らし

セツナは、首を横へと振った。


「なぜ解呪しない!」


「……ヤト」


エレノアの制止する為の呼びかけを

ヤトは、無視して流す。


「セツナ!」


諦める気のないヤトに

セツナは困ったような笑みを浮かべて

彼が刻まれている呪いの説明を始める。


「僕の呪いは、エレノアさんのように魔力を使うと

 命を削られるとか、痛みに苛まれるといった

 ものではありません」


「それでも呪いは呪いだろう?」


「そうですが。

 この呪いは、僕がトゥーリ以外の女性を抱くと

 その女性が死ぬだけなので、僕は何も困りませんし

 万が一夜這いをかけられても、相手の自業自得なので

 放置でいいかなと」


彼の説明に、少し思考が停止する。放置?

放置でいいのだろうか?


放置という言葉に引っ掛かりを覚えたのは

私だけでなく、アルヴァンとクラールも同様に

首を傾げて考えていた。


「それに、僕はトゥーリ以外の女性を

 抱くなんて、吐き気がするほど嫌なので

 誰も死ぬことはないと思います。

 

 僕の部屋に、知らない他人が入るなんて

 考えるだけで気持ちが悪いので

 絶対に入れたくありませんし


 ましてや、彼女以外の女性に

 体を触られるとか……。

 想像するだけでも、鳥肌が立つほど

 嫌悪を覚えます」


セツナは最後の言葉と同時に

自分の両腕をさすっていた。

本当に鳥肌が立っているらしい。


「……」


「……」


思わず知った、彼の女性に対する

潔癖症気味な性格に、エレノアとヤトが

黙り込んでしまった。


酒肴の若い奴等のきわどい話を

嫌がることなく聞いていたから

今まで気がつかなかった。


「酒肴の奴らと

 きわどい話はしていただろ?」


私の問いに、彼が小さく頷く。


「話をするぐらいなら別に。

 カルロさん達の話は、面白いですし

 僕に実害がないのなら気になりませんから」


「そうか」


この性格なら、酒肴の若い奴等のように

娼館で遊ぶのは無理だろうな……。


呪いが刻まれている限り

娼館に行くのは阻止しなければならないが。


「正直、部屋に戻ったら女性が全裸で

 ベッドに寝ていてくれたら嬉しい、という

 ふざけた妄想は、僕には全く理解できませんが」


そういえば、そんなことを話して盛り上がり

ルーシア達に、白い目で見られていたな。


カルロは結構本気で語っていたが

セルユやフリード、ダウロとエリオは

その状況を想像して楽しんでいた。


酒肴の若い奴等の会話は、それぞれの性格が

反映されていて、聞いている分には面白い。

あぁ、セツナもそんな感覚なのか。


「そうだな。私も、知らない女性が

 自分のベッドにいるのは許容できそうにない」


ヤトが同意するように頷き

その後に小さな声で「リオウに知られたら泣かれる」と

呟いている。


リオウよりも、オウカに知られるほうが

怖いことになると、私は思うのだが……。


ヤトなら部屋に知らない人間を

侵入させることなどないだろうから

余計なことは、言わないことにした。


セツナとヤトの会話に、同意するように

アルヴァンも、深く頷いたあと、口を開いたのだが……。


「確かに。

 暗殺者だったらどうするのだろうな?」


「暗殺者?」


「暗殺……?」


アルヴァン、それはないだろう?

自分に惚れている女性というのが

前提にあるのだから。


それとも、彼は私達の知らない所で

何かの組織と戦っているのだろうか……。


レイファとクラールが、どこか虚ろな目で

自分の子供であるアルヴァンを見ているが

アルヴァンは、その視線に気がついていなかった。


落ち込むレイファを、エレノアが優しく

慰めている。


アルヴァンに嫁が来るのは

まだまだ先になりそうだ……。


まぁ……今までのセツナを見ていて

エレノアやサーラが触れても嫌がらないし

酒肴の女達が肩を叩いたり

背中を叩いたりしても笑っているから

身内だと認識している女性は大丈夫なのだろう。

彼は、嫌な事は嫌だとはっきり伝えるしな。


伴侶もいることだし、問題はないか。

しかし、意外な一面を見た。


ふらふらと、女性にだらしないよりは

これぐらいのほうが、彼の容姿からしても

いいのかもしれない。


ヤトが水を飲んで、喉を潤してから

呪いの話へと戻した。


「腹立たしいとは思わないのか」


「あーやられたとは思いましたが」


「……」


「それよりも、解呪すると呪いをかけた相手にも

 伝わるので、非常に面倒なことになります」


心底、面倒だという表情を浮かべながら

セツナがグラスを手に取り、水を飲んでから

また口を開く。


「心変わりをしたのか、とか

 伴侶以外を抱くつもりがあるのか、とか

 問い質されたあげく、結局はどう返事をしても

 殺し合いに発展することになると思うと

 考えるだけで、憂鬱になることを

 実行しようとは、どうしても思えません」


いったい、どこから突っ込んでいいのかが分からない。


「……呪いで、貴殿の命はとられないのか?」


どうして、解呪すると殺し合いに発展するのかは

とりあえず後回しにしたらしい。


「浮気をすると、痛みはあるらしいですが

 死にはしないらしいですよ?

 試したことがないので、わかりませんが」


「……そうか」


「誰がそんな呪いを刻んだ?」


「トゥーリの一番上の兄です。

 僕の、義理の兄になりますが……。

 お兄さんと呼ぶと

 殺すぞって言われるんですよね」


「……」


「……」


溜息をつきながら、そう告げたセツナに

この場にいる皆が、生暖かい視線を投げていた。


セツナとセツナの伴侶の話は簡単にだが

聞いていたので、彼女の兄がこのような呪いを

刻んだのは理解できてしまった……。


そして、誰に問い質されるのかも

どうして、殺し合いに発展するのかも

説明を聞くまでもなく理解できた。


話を進めれば進めるほど

泥沼に沈んでいきそうな気配がしたからか

エレノアもヤトも、この話題は終わりにすることに

決めたらしい。どうやら、セツナの呪いは

彼の命を削るようなものではなさそうだし

フィーも特に気にはしていなかったから

それほど酷い……ものでは……ない、のか?


考えれば考えるほど、わからなくなっていくが

呪いは解かないほうがいいのかもしれない。

呪いを解くという事は、疚しいことがあると

告げているようなものだしな。


だから、セツナも放置することを選んだのだろう。


「……呪いは……貴殿に影響がないのなら

 そのままの方がいいのかもしれないな」


エレノアが、苦く笑いながらそう告げる。


「僕もそう思います。僕を殺しに来ても

 負けることは絶対にありませんが……。


 彼女は家族思いなので、お兄さんを殺しても

 半殺しにしても泣かれるだろうし……。


 最悪、彼女に知られないように

 どこかに閉じ込めて、出てこれないように

 するぐらいしか対策が思いつかない……」


真剣に、相手を幽閉することを検討しているのを見て

エレノアが、どこか可哀想な子供を見るような目を

セツナに向けている。


「……セツナ」


「はい」


「……まずは、会話だ。

 話し合うことが大切だ」


「僕もそう思いますが

 向こうは、僕と交流を持つのも嫌なようで

 手紙を送っても、碌な返事がこないんです。

 なので、もう諦めて煽るところまで煽ろうかと」


「……どうしてそうなる?」


「お兄さんが駄目なら

 兄上様ならいけるかもしれない」


駄目だろう。

余計、火に油を注ぐだけじゃないか?


「……程々にな」


セツナの言葉に、ヤトが呆れながらも笑い

エレノアは、軽く溜息を吐いて流し

クラール達は、目を丸めてセツナを見ていた。


まぁ……セツナの話を聞いている限り

絶望的な関係ではなさそうだ……。

手紙を送り、何かしらの返事が来るのは

一応、気にかけてもらえているのだろう。

私なら、手紙を破り捨てて燃やし

なかったことにするからな。


セツナも悲観しているような表情ではない。

本当に、心配するようなものではないのだろう。

それが真実だとするのならば……なのだが。


トゥーリの兄を懐柔する方法を、エレノア達と

一緒に考えている彼の姿を見て、勘ではあるが

今の話は、嘘ではないと感じたのだった。



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