『 精霊との距離 』
【 ウィルキス3の月30日 : セツナ 】
生き生きとした表情で、開場の鐘と共に
屋台の料理を買いに行ったアルト達を見送り
修羅場に突入した、酒肴の人達が動きやすいように
刻んだ魔法を微調整し終わった頃に「セツナ」と
後ろから声がかかる。
僕を呼んだヤトさんの声に振り向き、視線を向けると
「絡まれたら、魔道具を渡せと言っていたと聞いたのだが」と
先ほど、子供達に告げたことの確認を取りに来た。
「子供達の安全が第一だが
貴重な魔道具を渡してしまってもいいのか?」
「あの魔道具は、僕が許可した人にしか使えませんし
僕が認めていない人間が手にした場合
魔道具が手から離れなくなり
そして段々と重さを増していきます」
「……」
「最終的に、指が魔道具と地面に挟まれて
指の骨が砕けるところまで、行くと思いますけど」
僕の説明に、ヤトさんが眉間に深く皺を寄せて
溜息を吐いてから、口を開く。
「逆恨みされて
子供達に危害を加えられたらどうする」
「子供達につけた羽には
結界を張る魔法を刻んであるので
怪我をするようなことはありません」
「そうか」
「それに、ギルド職員がついているのでしょう?」
「……」
僕が貴重な魔道具を渡したからか
それとも、風の精霊が楽しみにしている気持ちに
水を差すのを警戒してのことか
子供達には、ギルドの影が張り付いている。
痛みにのたうちまわっている間に
ギルド職員が、犯罪者を確保するだろう。
だから、さほど心配はしていなかったのだけど。
僕の隣に、転移魔法で現れた風の精霊は納得できないらしい。
「その方法は、生ぬるいと思うかなって。
人間の欲は果てがないから、催しの間だけでも
愚かな人間の欲を封じる方法を取ったほうがいいかなって」
僕達の会話に、いきなり加わってきた
風の精霊に、ヤトさんが少し目を瞠ってからすぐに
視線を下に向けて、精霊に一礼する。
そこまで気を使う必要など、全くないと思うのだけど
この世界の人にとって、上位精霊は特別な存在なのだと
僕も理解しようと努力しているから、何も言わない。
「子供達の後ろを
ずっと、付けてる人間が多いかなって」
「……」
「……」
「私がいるのに
悪事を働こうとする輩は、くたばればいいかなって」
先ほどまで、ミッシェルが笑ってくれるように
頑張るといって、大まかな場所と時間だけ僕と話し合い
精霊だけで魔法を構築するから、ここにいてと言われ
大人しく、ここで待機していたのに……。
いったい、この短い時間で何があったんだろか?
「だから、私に任せてほしいかな?」
無表情でそう告げる彼女に
このまま頷いたら、死人が出そうな気がする。
だから、否と返す。
「承服いたしかねます」
風の精霊の言葉を、やんわりと否定した僕に
周りの視線が一斉に集まった。
風の精霊は、じっと僕を見ていたけれど
一度目を閉じ俯いた。
『ミッシェル達を狙う輩を許せないかなって』
僕だけに聞こえる声が頭の中に響く。
その声は冷たくどこか暗い。
『デスやララーベリルを奪うために
攫う事を考えているかな』
人がひしめきあっているこの場所で
攫う事を考えるということは
そういった魔道具を、所持しているのかもしれないな。
だとしても、僕がかけた魔法を打ち消すことは
絶対にできはしない。籠めている魔力量が全く違うのだから。
『僕が羽に魔法を刻んでいますし
アルトも傍にいます。アルトの傍には
ギルスとヴァーシィルもいます。
デスが傍にいるなら、デスも対処できます。
あんな見た目ですが、戦闘能力は非常に高いですし
ある程度魔法も使える優秀な魔法生物ですよ』
『それでも……』
そこで一度言葉を区切り、ゆっくりと顔をあげて
僕を見つめる瞳の色は、緋色に染まっていた。
風の精霊が、瞳の色を変えたことで
この場にいる人達の動きが完全に止まる。
異様な風の精霊の様子に、ミッシェルの両親と
ナキルさんが、サッと顔色を変えた。
あぁ、彼等は風の精霊と面識があったと話していたから
風の精霊が腹を立てている理由を察したのかもしれない。
子供達としているが
精霊が自分のお気に入り以外の人間に気を配ることなど
殆どありはしないと、この世界の人達は知っている。
ナキルさんが動こうとするのを視線で止め
ミッシェルの両親とナキルさんに心話で
『アルトもデスも傍にいるから、大丈夫です』と伝える。
突然の心話に少し驚いた表情を見せるが、軽く頷いて
動くのを止めてくれた。
僕とナキルさん達のやり取りを見て
ヤトさんも黒達も、ミッシェルに加護を与えた精霊が
彼女だという事に、気が付いたようだ。
サフィールさんは
多分フィーから聞いていたのかもしれないけれど。
「それでも。
私は、私の楽しみを邪魔する輩を許せない」
言葉にして、はっきりとそう告げた精霊に
説得するのは無理そうだと、内心溜息を落とすが
精霊というのは、そういう生き物なのだと蒼露様が
話していたから、僕が妥協するしかなさそうだ。
「人間は、問題が起きてから対処する方法を好むけど
私達精霊は、そうではないの」
「……」
「今回は、セツナが呼んでくれたから
私は、あの子達の為に力を振るうことができる。
私があの笑顔を守ることができる」
綺麗な緋色の瞳を真直ぐ僕に向けて
そう告げた精霊の声音は、どこか辛そうだった。
「だから、私に任せてほしいかな?」
絶対に引かないという意思を見せ
言葉に魔力をのせて断言する風の精霊。
魔力をのせた精霊の言葉に、僕以外の皆が
跪き精霊の意思を受け入れる姿勢を見せた。
僕の周りに、人がいなければもう少し粘れたけれど
ギルドの関係者や孤児院の関係者が大勢いるこの場で
これ以上逆らうのは、やめた方がいいだろうな……。
だから、背筋を伸ばし胸に手をあて深く頭を下げ
僕も彼女の意思に従う姿勢を見せる。
「拝承しました。
全ての責任は、リシアの守護者である僕が」
彼女を呼んだのは僕なのだから
僕が最後まで責任を持つのは当然のことだ。
「セツナ!」
ヤトさんが口を挟もうとするが
精霊が視線を向けると、その口を閉じることしかできない。
「別に、セツナに怒ってないかなって」
何処かばつが悪そうに、ふぃっと顔を横に向けた。
どうやら、自分を取り戻したらしい。
『ごめんねって思うかな』
『いいですよ』
『うん!』
ソロソロと僕を見て
はにかんだ様に笑う精霊の姿を見て
その姿に、心を射抜かれた憐れな信者が多数でるのだが
それはまた別の話。
「それで、具体的に
どうなさるおつもりですか?」
落ち着きを取り戻したようだから
八つ裂きにするようなことはないだろう……多分。
「うーん。
本当は、八つ裂きにしたかったけど
セツナを困らせたくないから、自重しようかな?」
ぜひそうして欲しい。
八つ裂きからの方向転換で
彼女が出した案を要約すると
精霊の断罪よりは軽いが
誰が見ても、精霊の不興を買ったとわかる
呪いをかけることにしたようだ。
この呪いを解けるのは精霊だけ。
精霊が許さない限り、一生呪いは解けないらしい。
誰が見てもわかるのなら、ついでに見せしめとして
これからこの催しに参加する他国の人達に
晒してみてはどうでしょうかと、発案する。
ギルドが、上位精霊が参加しているからと
告げても、冗談や嘘だと思っている他国の人間に対して
不興を買えば、こういうことになると見せてしまえば
馬鹿な事を考える輩は少なくなるだろう。
この催しがあと二日続くことを考えると
アルト達が心置きなく遊べるようにするには
いい考えだと思った。
「見せしめ」
「他国の貴族を晒すのか?」
あちらこちらで、何処か青い顔をしながら
呟いているギルド職員は目に入れないようにする。
「どうやって晒すのかな?」
「そうですね……。
結界を越えた最初の門にある神の祠。
あそこには、神に祈るための広場がありますし
そこに詰め込んでしまえば、さほど邪魔には
ならないでしょう。青紫色の集団が跪いて
許しを請う姿を見て、自分も同じように
なりたいとは思わないでしょうし
僕としてはいい案だと思うんですが、どうですか?」
「……」
「……」
「……」
どうですかと聞いているのに
誰からも返事が来ないのはどういうことだ。
「彼等を許すか許さないかの裁量は
風の精霊にお任せすることになりますが」
誰も答えてくれないので
風の精霊と目を合わせると、にっこりと微笑んで
とても楽しそうに、賛成してくれる。
「私はそれでいいかなって!
すごい、いい案かなっておもうかな!!」
僕の考えに、風の精霊はとても喜んでくれた。
なのに、ヤトさんと黒達は深く溜息を吐いて
どこか疲れたように項垂れていた。
精霊のストレスを解消できて
ギルドの仕事も減り
アルト達の安全も守ることができる
とてもいい案だと思うんだけどなぁ?
何か言いたそうに、僕を見つめるヤトさん達に
首を傾げてみるけれど、彼等は何も言わなかった。
まぁ、後日言わなかったのではなく
言えなかったのだと知ることになるのだけど
上位精霊の意向に、口を挟むのは不敬らしい。
それを平気で、口を挟み
口答えをしている僕を見て、ハラハラしたと
少し怒りながら言われた。
エレノアさんには『貴殿は、もう少し常識を学ぶべきだ』
とまで言われたんだけど、これでも努力しているんですとは
珍しく僕に対して怒りを見せている彼女には言えなかった。
本当に心配をかけてしまったらしい。
常識は、もうどうしようもない気がする……。
言えなかったけど……。
結局、ヤトさんも黒達も全く口を挟まないので
僕と風の精霊で、サックリと決めてしまい
方針が決まったことから
僕が捕まえに行こうとしたところで
ギルドで動くから、絶対に動くなと
眉間に皺を寄せたヤトさんに言われ
全てを任せることにした。
僕と精霊で態度がものすごく違うんですけど?
そんな僕の心情を、風の精霊は読んでいたのか
小さく肩を震わせていたことを僕は知っている。
風の精霊も機嫌が直り
これで、時間が来るまで
ゆっくり過ごせると思っていたのに
この後僕は、報告を受けた
オウカさんとオウルさんに挟まれて
事後承諾は許さないといっただろうが、とか
リシアの守護者だろうが、全ての責任を
背負うな、とかガミガミガミガミガミガミと
お説教を喰らう事になるのだが、この時の僕は
その未来をまだ知らなかった……。
【 ウィルキス3の月30日 : 風の精霊 】
椅子に座ってぐったりとしているセツナを見て
自分の言動を少しだけ反省する。
病気のミッシェルを見ているだけで
助けることができなかった私は、自分が思っているより
落ち込んでいたみたいだ。
セツナがいなければ、ミッシェルはまた病気で
命を落としていた。風の精霊である私と契約をしていながら
私は何時も、彼女の病気を癒すことができない。
幾度、ミッシェルが転生しても
最後は必ず病気で水辺へと旅立ってしまう。
その度に私は、風の精霊であることを厭わしく思い
そして、罪悪感に襲われていた。
お父様から頂いた力なのにと。
だけど、今世にはセツナがいる……。
全ての病気や怪我を癒すことができる稀代の能力者。
彼がいてくれるなら、ミッシェルが病で死ぬことはない。
もしかしたら、ミッシェルの魂に巻き付いた病の鎖が
断ち切れるかもしれないと少し期待してもいた。
ミッシェルがアルトに酷い仕打ちをした時は
魂が抜けそうになるほど、衝撃を受けたけれど……。
今は、アルトと仲もよく。
良い友人にも恵まれて、楽しそうに笑っている。
それだけで私は幸せを感じることができた。
セツナの契約精霊である、お姉さまにも謝罪して
もし、ミッシェルが病にかかり命を落としそうになったら
セツナに口添えしてほしいと、誠心誠意お願いしておいた。
『私が口添えしなくても
アルト様が、ご主人様に願うのですよ。
だから、そう心配しなくてもいいのです。
蒼露様に知られたら、叱られるのですよ?』
そう言って、やんわりと注意されたけれど
優しい口調と目の色で、笑ってくれていたから
何かあれば、口添えしてくれると思う。
そんな私の幸せに水を差したのが、欲望にまみれた魂を持つ
冒険者とは名ばかりのならず者……。
ミッシェル達を攫い、デスやララーベリルや魔道具を奪い
その後、犯して殺そうという彼等の計画を中位精霊から
聞いた時に、感情の箍が外れた音を聞いた。
病で命を落とすことなく、生きて楽しそうに笑っているのに。
私の大切な宝物を……穢し殺すというのか……。
その場で八つ裂きにしたい想いを必死に抑え付ける。
今の私は、セツナとの契約に縛られている状態だから
ここで力を使ってしまうと、セツナに迷惑をかけてしまう。
彼には沢山のものを救い守ってもらっているのだから
筋は通さないといけない……。そう思っていたのだけれど
結局、私は我を通してしまった。
まぁ、仕方ないよね?
精霊だもの。大丈夫。何時もよりちゃんと抑えていたし
周りの精霊も、よく我慢したと褒めてくれている。
ぐったりとしているセツナを、チラリとみる。
ぐったりとしている理由は、この国の王族に
ガミガミと叱られていたせいだ。
叱られていた理由の大半は私のせいだから
この国の王族のオウカとオウルを
止めようかとも思ったけれど、彼等のお説教は
セツナを心配し、愛あるモノだから
口を挟むのはやめておいた。
この国の王族も黒達もその他の人間達も
私達、精霊がどういうモノか知っている。
それは魂の奥底に刻まれたものだといえる。
だから、私に対するセツナの態度は彼等にとっては
信じがたいモノに映るのだろう。
自分の契約精霊ならともかく
契約精霊でもない、それも上位精霊の意思に
否を唱え、口を挟む……それがどれほど
愚かしい事なのかを理解しているのだ。
セツナ以外の人間は、全員顔色を悪くして
息をつめて、私達を見ていた。
唯独り……。セツナだけがその理の外にいた。
黒達が、セツナを止めるために口を開こうとするのを
何度か、視線だけで止めている。
仕方がないから。彼は自分の記憶と共に
神に刻まれた、様々なモノを苦痛と共に
削り取られてしまったのだから。
セツナがサガーナを去った後
あの方の嘆きは酷かったと聞いている。
どうして、あの魔法がまだ残っているのかと……。
あの方が加護を与えても
私達全ての精霊が彼に祝福を与えても
削り取られてしまった傷跡は埋まらない。
それでも、セツナは自分の精一杯で
私達を愛そうと努力しているのを知っている。
祈ることができない、彼の精一杯で
私達に親愛を返そうとしてくれているのだから。
私達は、そんな彼が愛しくて
そして少し悲しい。
彼には、アルト以上に沢山の愛がいる。
私達精霊だけの愛では、到底足りない。
彼の楔となるように。彼が道を違わないように……。
多分、カイル……この国ではジャックと呼ばれていた
傍若無人の暴れん坊も、同じことを考えていたかもしれない。
セツナには、優しい人間が必要なのだと。
セツナの一番近くにいたのは、彼なのだから。
セツナの抱える憎悪にも気が付いていたはず。
この国の王族の血と黒と白の紋様に刻まれた
絶対に消えることのない、複数の魔法。
その一つが、ジャックが魔法をかけたものに
注意が行くようにするというもの。
悪意あるモノではなく、ゆるい縁を繋ぐようなそんな魔法。
その縁を繋げるか繋げないかは、お互いの意思で決まる。
同じ人間に何度もかかる魔法ではないため、強制力はない。
ジャック風に言えば「俺の気にかけている奴だ」みたいな軽い紹介。
もしかすると、この国の王族や冒険者だけではなく
ジャックが信頼する者にも刻まれているのかもしれないけど
過去の私は、さほど彼に興味を抱いていなかったから
誰に刻まれているのかはわからない。
この国で、ジャックに魔法をかけられた痕跡があるのは
エレノアとヤトの二人。この二人は、ジャックが直接
目をかけてやれと、この国の王族に指示していたようだけど。
多分、白のランクになったと同時にこの魔法は上書きされたようだ。
そして、セツナにも似たような魔法が掛けられている。
この国の王族に作用するモノと、黒に作用するモノの二種類。
黒に作用するモノは、セツナの保護目的だと思う。
「ちょっと、危なっかしいから目をかけてやってくれ」みたいな。
エレノアやヤトよりも深い魔法。
王族に作用するモノは……。
正直よくわからない。ジャックがかけた魔法は
黒達に作用するよりも、強制力の強い魔法のようだけど
もう一人、私の知らない人間が刻んだ魔法がジャックの魔法を
阻害していた。
いや……違う。
もう一人が刻んだ魔法の上に
ジャックの魔法が割り込んでいる形になっている……のかな?
私が知らないもう一人の魔法は、とても緻密に編まれていて
この私でも解読できそうにない。
これでも、人間が使う魔法には詳しいほうなのに
少し悔しい。
この魔法を刻んだのは誰なんだろう?
緻密な魔法陣は、まるで色とりどりの動植物の刺繍が
刺された布を見ているようで、心が躍る。
なのに、その綺麗な刺繍の上に
拙い刺繍が、所々刺されているのを見ると
何とも言えない気持ちになった。
この、へたくそな魔法陣のせいで
緻密に編まれた魔法が阻害されているような個所が
結構あって、ちょっとだけ憤りを感じる……。
しかし……これだけの魔法を刻まれて
この子大丈夫なんだろうか……。
セツナに刻まれた魔法を、じっと凝視していると
私の視線に気が付いたのか
微かに首を傾げて私を見る。
「どうかしましたか?」
穏やかな声音に、私を責めるような音はない。
彼にとっては、もう終わったことなんだろう。
彼の態度はずっと同じ。
彼がこの国に来てから、ミッシェルと同じように
彼のことも気になってみていた。
私達の大切な大切なあの方
シルキエス様を救ってくれた人間。
シルキエス様の命の灯が、弱くなるのを感じる日々。
シルキエス様の傍にいたいのに、サガーナに入ることを
禁じられていたために、傍にいる事すらできない。
私も含め、全ての精霊がシルキエス様を救ってほしいと
毎日毎日、お父様に祈りを捧げていたけれど……。
深い地の底にいるお父様には……私達の祈りは届かない。
私達の祈りが届かなくとも
シルキエス様の命の灯が消えかかっているのは
ご存じだったのだろう。だから、シルキエス様と同じ
水と大地の精霊、この世界にシルキエス様しか持ちえなかった
二種持ちの上位精霊を、生み出されたのだと思う……。
シルキエス様の記憶を継承する上位精霊として。
シルキエス様は、穢れが広がっているから
お父様が新しい精霊を生み出されたと、思っているようだけれど
私達は、そうではないと知っていた。
女神から精霊になった、シルキエス様が知らないのも
無理はない……。私達は、シルキエス様が水辺に行くなどと
想像するのも嫌だったのだ。だから、誰も伝えなかった。
これからも、伝えることはないと思う。
私達の命はそう簡単には尽きないけれど
死ぬこともまれにある。役割を与えられた精霊が死ぬときは
お父様は、その役割を引き継ぐ精霊を生み出される。
あの時、シルキエス様の命の灯が尽きていたら
セツナの契約精霊であるお姉さまは、シルキエス様の後継として
役割を与えられたと思う。この世界に住むモノには決して
語られることのない……精霊の役割を。
そうならなくてよかったと思う。
セツナとの契約を継続できたとしても
自由に動くことは、多分できなくなるだろうから。
「僕の顔に何かついていますか?」
「目と鼻と口がついてるかなって」
「……」
セツナの言葉に、適当に返事をする私を気にすることなく
彼は目の前に置かれたお茶に口をつける。
彼を見続けている私に、困ったような笑みを浮かべながらも
文句を言うこともなく、照れる様子もなく。委縮することもなく
自然な姿でいる彼の魂の色はとても澄んでいて
傍にいるのが心地いい。シルキエス様の加護が深いせいか
蒼露の樹の香りが、心を穏やかにしてくれる。
心の奥底に、憎悪を宿していながら
どうして、彼の魂はこんなに澄んでいるのだろう。
普通の人間ならば
とっくにその憎悪に心を喰われて、狂っていてもおかしくない。
だけど彼は……。
セツナは、その憎悪を凪いだ湖の深い水底へと沈めてしまった。
彼の魔力の質が変化した瞬間を見た。
白と黒の魔力がせめぎ合う様を……。
私だけでなく、他の精霊達も目を瞠っていたのを私は見ている。
そして、私もこの場にいる精霊もフィーも含めて
セツナが狂ってしまったら、魔力で抑えることができるように
シルキエス様の力を借りることができるように
魔力を練り込んでいた……。
心に焦燥と痛みを伴いながら
お父様に祈る。どうか、どうか、彼が狂いませんようにと。
セツナは、ギリギリのところで自分を立て直したけれど
そこに、お姉さまの魔力とシルキエス様の魔力を感じ取り
私も他の精霊達も、安堵し脱力したのを覚えている。
その後、セツナの魔力が跳ね上がって
本当に驚き焦ったけれど、彼は全く気が付きもせずに
アルトに優しく笑いかけていた。
【凪いだ湖面の深い深い水底に眠る完成された憎悪】
狂うことなく、彼が彼でいられた理由は
唯々アルトを守るためだと思う。
それは、どれほど忍耐を要するのだろう。
どれほどの苦しみで身を焼いているのだろう。
想像するだけで、胸が軋む。
本人は、もう成人していると話していたけれど
私達から見たら、アルトとさほど変わりはしない。
たった、十八年ぐらいしか生きていない子供が
私達の、一番の願いを叶えてくれた。
私達の、希望の星を……守ってくれたのに。
私達は、彼に何も返せていない。
彼が私達に、手を伸ばしてくれるのなら
私達は、躊躇せずに彼の手を握るのに。
シルキエス様からの対価にも
さほど喜ばなかったと聞いている。
その対価も保留のままで忘れているようだと
私達が集まった時に、シルキエス様が苦笑を落とされた。
『欲がないというよりは
望むモノがない。望むモノがあったとしても
わらわでは、叶えることができぬと
諦めているのであろうな』
少し寂し気に呟かれた言葉が
心に残っていた。
『わらわはの、あの時、セツナが復讐を望めば
セツナをあのようにした者達を
殺してほしいのだと望めば、それを叶えてやった。
だからこそ、願いを叶えるという形にしたのにの』
魂に傷を負いながら。
水辺へと帰ることができないと知りながら。
心に憎悪を宿しながらも……。
セツナは、シルキエス様を巻き込まなかった。
『最後まで、口を割ることがなかった……。
わらわの意図に、気が付いていたのか
いなかったのか、わらわにはわからぬが』
無理矢理、魂の記憶を暴かれる魔法をかけられても
その苦痛に身を捩っても、彼は頑なに拒み
シルキエス様に、真実を告げなかったと聞いた。
その理由が、シルキエス様を守るためのものだったと知り
正直ありえないと思ってしまった。
魂にかけられる魔法は、ほんとに辛いものだから。
それでも、自分の苦痛とシルキエス様の命を天秤にかけて
彼は、躊躇なくシルキエス様の命を守ったと知った。
狂気に焼かれながら、自分よりも他人を気遣う……。
そんな愚かで優しい彼を守りたいと思うのは自然な事だ。
だから、私達は彼の味方であろうと決めた。
彼の寿命が尽きるまで愛そうと……決めたから。
彼が、世界を愛せなくても。
彼が、この世界を愛せなくてもいい。
お父様に、祈れなくてもいい。
憎んでいても構わない。
ただ、この世界を壊さないでいてくれるだけでいい。
壊さないでいてくれたら……。
私達は、ずっと彼の味方でいられる。
監視するように命じられているけれど
それ以上に、大切に想うから。
優しく笑う彼と……私達は戦いたくないから。
全てを諦め……。
誰かに救いを求めることも
誰かを頼りにすることも
誰かを信頼することさえできなくなった
どうしようもなく、悲しい白を纏うこの子の味方に……。
「そういえば、もう準備は終わりましたか?」
「まだまだかかるかなって」
「そろそろ、どういったモノを作っているのか
教えてもらってもいいですか?」
「内緒かなーって」
「……」
私の返事に、セツナがとてもいい笑顔をみせるが
その目は全く笑っていない。ちょっと怖い。
人の目があるから、大きな猫をかぶっているけど
人の目がなかったら、いろいろ言われていたに違いない。
ちなみに、追及されるのが嫌で心話はできないように閉じている。
だって怖いし。怖いし。
「私も、もうひと頑張りしてこようかな!」
そろそろ、彼女達も集まる時間だ。
「僕も手伝いますよ?」
「手伝ってほしい時は
ちゃんと伝えるかなって」
「そうですか」
「うんうん。
だから、大人しくしているといいかなって!」
ミッシェルにも楽しんでほしいけれど
彼にも、沢山楽しんでほしい。
本当ならば、対価など必要なかった。
それでも、対価を求めてここいる理由は
彼に私達の存在を印象付けるためだ。
もちろん、ミッシェルとお話ししたいという
願いも少しは入っているけれど。
ちょっと、面倒がられているのは知ってるけれど
ちょっと、悲しい気持ちになったりもしたけれど
少し、我を通してしまったりもしたけれど
彼を想う気持ちに嘘はない。
お姉さまだけではなく。
フィーだけではなく。
私達もいるのだと、彼に知ってほしかったから。
シルキエス様と共に生まれ共に生きてきた
風を司る初めの一人。それが私。
セツナが本当に、望むモノが何なのか
私達は知らないけれど……。それでも、彼を見てきて
彼が好むモノは把握できた。
だからきっと、喜んでくれるはず……。
喜んでくれるといいなと、強い希望を胸に宿しながら
彼女達が到着するのを、待ちわびるのだった。
【 ウィルキス3の月30日 : サフィール 】
アルトやアルトの友人達が戻って来て
机の上に所狭しと並べられた料理の数々を見て
目を輝かせているのを、大人たちが微笑まし気に見つめている。
セツナから依頼を受けた子供達から
次々に送られてくる料理に、この場にいる者達は
どこか呆れを浮かべたような目で、セツナを見ていたが
そのセツナは、オウカとオウルにガミガミと叱られていた。
セツナの精霊に対する態度に、理解できないモノを感じるが
精霊が何も言わないところを見ると、大丈夫なのだろう。
まぁ、何でも一人で抱え込むあいつには
オウカやオウルぐらい、ガミガミと煩い人間が
必要だと思う。サクラの事があったからか
セツナに、どこか遠慮したような態度をとっていたが
ジャックからリシアの守護者を継いだことを知ると
遠慮という言葉を投げ捨てて、セツナを構い倒している。
その姿に……どこか、危機感みたいなものが見て取れるのは
きっと、ジャックから受けた仕打ちが心の傷に
なっているのかもしれない……。
まだ若いセツナなら、ジャックよりは話を聞き入れて
くれやすいと思っているのかもしれないが
それは甘い考えだと思う。
せいぜい、無駄な努力をするがいい。
僕に、本国籍を与えてくれない限り協力する気はない。
「お腹すいた……」
料理を見て、ぼそっと呟いたアルトの言葉に
セツナが軽く笑う。オウカ達からの説教は
子供達が帰ってくる前には終了していたから
今は、元気を取り戻している。
「そろそろ始めようか」
セツナが周りを見て、子供達が全員いることを
確認してからそう告げる。
「風の精霊は?」
「すぐに来るよ」
セツナのその言葉に反応したかのように
セツナの隣に、転移魔法陣が現れ風の精霊が姿を見せた。
「美味しそうかなって!」
数々の料理を見て、喜んでいる風の精霊を見て
子供達がどこか嬉しそうに体を揺らしている。
ほぼ全員が集まったところで、ヤトに一言いえと
言われて渋るセツナに、風の精霊がセツナのかわりに立ち上がり
グラスを持ち上げて「沢山食べるといいかなって!」と告げ
それを合図に、一瞬遅れて全員がグラスを掲げてから
神と精霊に感謝の祈りを捧げて、食事が賑やかに始まった。
風の精霊は、アルトとミッシェルに挟まれて
楽しげに話しながら、美味しそうに食事をとっている。
子供達の傍にいるために、威圧や魔力を抑えに抑え
ミッシェル達を圧迫しないように
細心の注意を払っているせいか
ミッシェル達は、緊張してはいるが
委縮するようなことはなく、風の精霊の質問に
顔を染めながら、身振り手振りを取り入れつつ
楽しく会話できていた。
あちらこちらから聞こえてくる、楽し気な様子に
僕も、楽しく酒を飲みたいとぼんやり考える。
なぜなら、今僕がいるこの空間は
食事と酒を前にしつつ、誰も手を付けることが
出来ないほど冷たく凍えきっていたから……。
「だからね?」
「嫌です」
「私達も黒も参加するんだよ?」
「僕は参加したくありません。
どうして、僕がダンスをしなければいけないんですか?」
不機嫌という表情を隠しもせずに
無表情でそう告げるセツナに、リオウが息をのんでいた。
ここまで激しい拒絶を受けるとは、思っていなかったのだろう。
僕も思ってなかったし、他の黒も思っていなかったと思う。
こいつは、大体の願いは叶えようとしてくれるやつだから。
「僕も必要ないと思うわけ」
「サフィールは黙ってて!」
僕もセツナと同じく、見世物になるようなダンスなど
したくはないから、セツナを後押ししようと口を出した途端
叩き落とされるように黙れと言われた。
普段なら、フィーが反撃してくれるのに
フィーもセツナの正装姿が見たいと悶えていたから
僕にチラリと冷たい視線を向けるだけで終わってしまった。
ちょっと酷い。
「リシアの守護者の顔見せもかねて……ね?」
「なら、ダンスが終わった後でもいいのでは?」
「ジャ、ジャックは参加してくれたわよ?」
「僕は、ジャックではないので」
打てば響くように、否定の言葉が返ってくるために
リオウが半分泣きそうになっている。
いつも穏やかな表情を見せているだけに
笑みの一つも浮かべずに、拒絶されるのは
結構堪えるものがあるようだ。
セツナの説得の依頼が来たら
断ることにしようと心に決める。
フィーに嫌われたくない……。
「き、きれいなひとと、おどれるよ?」
リオウの言葉が片言になり
自分でも、これはないと思っているだろう思考が
表情に駄々漏れだ。見ていてちょっと面白い。
「トゥーリ以外の女性に
興味がもてません」
「……」
リオウが、助けを求めるようにヤトを見るが
ヤトも心底困ったような表情を浮かべていた。
そんな二人を見て、セツナが溜息をつきながら
譲歩の姿勢を見せる。
「そうですね……。
僕のお相手が、エレノアさんなら
考えてもいいです」
「え!」
「駄目だ!」
一瞬喜んだリオウと即座に却下したアラディス。
アラディスの、噛みつきそうな表情を見て
多分こうなることを、予想していたのだろう
特に気にした様子もなく「なら、やっぱり嫌です」と告げた。
「どうして、エレノアを指名する!
女性は腐るほどいるだろう!?」
「エレノアさんのそばは
居心地がいいので」
「……」
アラディスの眉間に皺が寄り
低い声で「どういう意味だ」とすごむ。
セツナは、アラディスの態度を気にかけもせずに
思っていることをそのまま口にした。
「エレノアさんは、とても綺麗な人だから
その他の有象無象が、近寄ってこなさそうなので」
「……」
「……」
セツナの言葉に、アラディスが目を瞠り。
エレノアは「……私は、女性除けか」と呟きながら
苦笑を浮かべた。
「エ、エレノア以外なら?」
「サー……」
「許さん!」
すべて言い終わる前に、アギトが否定する。
「酒肴の女性はどうかしら?」
「僕は、僕と年の近い人とは踊りたくありません」
「え? それは私が年を取っているという意味?」
サーラが衝撃を受けたような表情をしているが
誰も触れることはなかった。
セツナが嫌がる理由を、リオウも理解しているのだろう
うーんと唸る。
「酒肴の女性はいい人達ばかりですが
共に生活しているようなものなので
はっきりとした、線引きは必要かと思います」
セツナの言い分に、バルタスとニールが深く頷く。
「なら、私が一緒に踊ってあげるかなって」
サーラが張った結界を、揺らすことなく
入り込んできた上位精霊の声に、僕とセツナ以外の
全員が精霊に視線を向ける。
僕もセツナも、精霊の魔力が移動したことに
気が付いていた。リオウも、注意を払っていれば
気が付けるはずなのに、オウカやオウルと違って
まだまだ未熟だなと感じる。
「踊れるんですか?」
風の精霊の言葉に、誰もが疑問に思っているが
絶対に、口に出せない事をセツナが躊躇なく口にした。
「一緒に練習したかなって!!」
本当に嬉しそうに、そして自慢げに話す精霊に
セツナの表情が緩む。
「そうですか」
「今日は気分がいいから
一緒に踊ってあげてもいいかな」
「僕は、踊りたくないんですが」
「楽しみにしているみたいだから
私は踊ってほしいかな?」
風の精霊が、アルト達の方を見て優しく笑う。
その視線の先にいるのは、アルトのように見えるが
アルトの隣にいるミッシェルを見ているんだろう。
大切なのだと、愛おしいのだとその瞳が語っている。
いつか僕が死んで、水辺に旅立ち……生まれ変わったら
フィーも……フィナリナも、この風の精霊と同じように
生まれ変わった僕を見つめるのだろうか。
『サフィ』
『うん?』
『まだまだ、先のことなのなの』
いつか僕が告げた言葉を
今度はフィーが僕に告げる。
『知っているわけ』
そう、僕の寿命が尽きるのはまだ先のことだ。
「催しの準備はどうなりましたか?
僕が手伝うことはないですか?」
「まだ、終わってないけど
二十三時には終わるかなって。
お手伝いは、もう少し先になるかなって」
「え?」
「え?」
風の精霊の返答に、セツナが目を瞠って彼女を見つめる。
風の精霊は、セツナが驚いたことに驚いたのか
彼女も軽く目を瞠っていた。
「僕は、二十時までに終わらせてくださいと
伝えましたよね?」
セツナの猫が剥がれかけ
ここにいる皆が、ハラハラと見ているが
セツナと精霊は、そんな周りに気が付いていない。
「うんうん。少しだけ遅れたけど大丈夫でしょう?」
「……」
綺麗に笑って「ちゃんと間に合わせたかな」と
胸を張る精霊に、セツナは自分の失敗を悟ったのだろう。
精霊の時間と、人間の時間は相容れないのだと。
まだ彼女は、いい方だと思う。
三時間しか遅れていない。
僕とフィーが契約した当初は……。
『サフィ……』
『……』
「二十三時だと
子供達は見ることができません」
「え?」
「大会の後のこの催しは
今日もいれて、昼夜関係なく三日間続きますが
子供達は、二十二時以降は出歩くのを禁止されています」
「えぇぇぇぇぇ」
セツナと風の精霊の視線が、アルト達の方へと流れる。
彼等の話題は、大人たちから聞いたジャックの話で
盛り上がっているところだった。
夜空に大きな花が咲いたであるとか
空から沢山の飴が降ってきたであるとか
小さな雲に乗って空を飛べたであるとか
次から次へと、話題が変化していく。
アルトは、セイル達の話を食べながら聞いていて
時々口を挟んでいる。話しながらも、食べることを
止めないアルトを、時折心配そうに見つめているが
アルトは全く気が付いていない。
アルト以外の子供達は、腹いっぱいになったのか
箸をおいていた。ちょっとうらやましい。
今日は、魔力をギリギリまで使って
セツナの使い魔と戦ったから、すごくお腹が空いている。
スクリアロークスのカツサンドを食べたけど
足りない魔力を補う為か、とっくに消化されていた。
「ジャックがしてくれたことも気になるけれど
風の精霊様とセツナさんの催しも、すごく楽しみだね」
ミッシェルが、その目をキラキラと輝かせながら
期待しているのだと頬を染めてアルトに伝えている。
今日の彼女は、元気いっぱいだ。
ちょっと見ていてほほえましいが
デスを頭にのせるのは、本当にやめてほしい。
「……」
「……」
ミッシェルの声を聞いて
顔色を失くしている風の精霊が
ゆっくりとセツナを上目遣いに見ている。
「もっと早くできませんか?」
「無理。成長するのに時間がかかるから」
一体何を作っているんだろうか……。
「何を作っているんですか!?」
「な、内緒」
「……」
「こ、これでも頑張ったんだよ!?
時の精霊も必死になって、頑張っているかなって!」
やっぱり、風の精霊だけじゃないのか
時々、料理が目の前から消えているのを目撃していたから
そうじゃないかとは思っていた。
何を聞いても内緒としか言わない風の精霊に
「なら、開催は二十三時だと子供達に伝えてください」と
セツナがニッコリと笑って、精霊に促したのだが
精霊は驚愕に彩られた表情を作りながら叫んだ。
「そ……」
「……」
「そんなことできないかなって!」
そう叫んで、ポロポロと涙をこぼし始めた精霊に
周りの奴らが驚きに息をのみ、僕も内心焦る。
精霊は、契約者の落胆する表情が本当に嫌いだから。
契約者でなくとも、ずっと見守っている魂なら尚更だ。
多分……人間で初めて精霊を泣かせた男ではないだろうか。
「セツナ!」
血相を変えて、飛んできたオウカとオウルの
二人の姿を見て、セツナの顔が少し引きつった。
「ぼ、僕はわるくないですよ!?」
二人が口を開く前に、セツナが口を開く。
セツナのこんな姿を見るのは初めてのことで
エレノアやバルタスが小さく笑った。
セツナのその態度は、親に怒られるのを
嫌がる姿そのものだったから。
多分、セツナはオウカとオウルに少しだけ
気を許しているのだろう。
「どうにかしてほしいかなぁって」
そんなオウカとオウルを眼中に入れることなく
風の精霊が、目に涙を溜めながら上目遣いで
セツナに願っている……。
もういい加減、この混沌とした場をどうにかしてほしい。
目の前にある、スクリアロークスの刺身をたべたいんだけど。
「わかりました。
わかりましたから、もう泣かないでください」
「本当に?」
「本当です」
深く溜息をつきながら、セツナが精霊と話を詰めていく。
精霊が準備する催しは、どう頑張っても二十三時以降に
なるらしく、仕方がないから明日の朝に先送りすることに
なったが、その方が子供達も時間を気にせずに楽しめるという
セツナの言葉に、風の精霊が納得したのか嬉しそうに
笑みを浮かべ機嫌を直していた。
「そして、これからのことですが
僕のダンスのお相手をしてください」
「大丈夫なのかなって」
セツナが嫌がっていたのを見ていたからか
風の精霊が気遣うような言葉をのせる。
「別に、ダンスが嫌いなわけではないので」
「なら、どうして最初から頷いてくれなかったのよ!」
リオウが思わずだろう、セツナに噛みつきに行く。
「だから、エレノアさんかサーラさんなら
踊ってもいいと言いました」
「ぐっ……」
言葉に詰まったリオウを
風の精霊がじっと見つめているのを見て
オウカとオウルが急いで、リオウを後ろに下げて頭を下げた。
「それで、どうするのかな?」
「大会と同じことをしようかなと。
演劇ではありませんが、それに近いモノを
見せることができるかと」
「楽しそうかな!」
ヤトが風の精霊に、発言の許可をもらい口を挟む。
「セツナ、精霊様が舞台に上がられるのなら
私達は、共に上がることはできない」
「え? どうしてですか?」
セツナの本気の質問に
それぞれが、困惑の表情を見せた。
誰も説明しないので、内心ため息を吐きながら
簡単にではあるが、僕が説明することにした。
本来なら、知っていなくてはならない事だけど
記憶を失った時に、消去されたのかもしれない。
「セツナ。
精霊と僕達とでは格が違うわけ」
「……」
「精霊が、セツナを相手に望んだ時点で
その舞台は、精霊の為のモノになるわけ。
その舞台に、僕達は上がる資格を持たないわけ」
「そうですか」
「覚えておくといいわけ」
「はい」
完全に理解しているとは思えないけど
これ以上、説明を求めることはしなかった。
大まかな予定が決まったからか
この場の空気が緩む。各々が自分の前にあるグラスを取り
のどを潤し、料理に箸をつけだした。
やっと食べれる……。
風の精霊は、そのままこの場に残り
僕達と一緒に、料理を堪能することにしたようだ。
時折、空気に消えるように料理が消えるけど
誰もそれを指摘することは最後までなかった。
このまま穏やかな時間が過ぎるかと思ったのだが
入り口近くで「申し訳ありやせん」と声がし
ギルド職員が、対応に向かうのを眺める。
今この場所は、ギルドの関係者か黒や子供達とその関係者
ぐらいしか、出入り口を見つけられないようになっている。
だからこそ、知らない奴が入り口を見つけたことに
興味がわいた。誰の関係者なのだろうと。
ギルドの関係者なら、黙って出入りするだろうし
子供達の関係者はもうそろっているはずだ。
黒の関係者も、勝手にしているから声をかけることはない。
聞いたことのない声に、興味を引かれたのか
アギトやエレノア達も出入り口に視線を向けた。
「セツナさんとお会いしたいのでやすが」
全く、思いもしなかった名前が聞こえてきて
皆の視線が一斉にセツナへと向く。
セツナはといえば、軽く目を瞠ってから
その顔にゆっくりと、笑みを広げていった……。
セツナの珍しい表情に、アルトも箸を止めて
セツナを凝視している。
隙のない動作で立ち上がり
足早に出入り口に向かうセツナに
アルトが箸をおき、慌ててセツナの後を追う。
セツナが、その人物の前で立ち止まり
アルトが、セツナの腰辺りにしがみ付き
少し警戒しながら、その人物を見上げた。
そんなアルトに、目を細めて優しく笑いかけてから
その人物はセツナと視線を合わせたのだった。