チュートリアル
この死後の世界では何をするのか?
簡単に言えばゲームの名を借りた裁定だ。現世で死んでしまった人間たちが、天国に行くに相応しいかどうかをここで判断する。
多宗教且つ無宗教が基本の日本においては顕著だが、人間の社会には絶対的な善や悪が存在することは非常に稀だ。
特に、まだ世間に出てすら出ていない、または世間に出て間もない若い男女は悪でもないし善でもない。何故ならまだ何もしていないのだから。故に裁量が不可能。ゼロの人間をどう秤に載せればいいというのだろう。
そこで考え出されたのが、この死後の世界でのゲーム。ポポロの言うところのノアゲームだ。
この世界に呼び出された人間は、天国への入国権を賭けて全力で戦う。多くの願いに研磨され、最後に残った強い意志は、善も悪も越えて輝く絶対的な正義になりえるからだ。
そのゲームを運営するのは、現世において『天国の導き手』として一番ポピュラーな天使たち。
彼らの公平な審判の下、総勢一万人の男女は健全に競い合う、はずだった。ところがハプニングが起こってしまう。
なんと、今ゲームの総監督、ゲームマスターのポポロが三十分の寝坊をしてしまった。
その間に、何の事情も知らないままの女性たちが五百余名食い千切られ、ゲームオーバーになったのだ。
ゲームのルールを説明する前にこんなことが起こるのは予想外。そもそも、そのルールを敷く前の出来事だから罰することができない。
プレイヤーの責任となり得ない問題はポポロの問題となってしまう。彼は女性が一人残らずいなくなってしまう前に地上に急行。着地地点にいたのが藍香と楊斗の二人と、女性大量死の要因となった妖狼一匹だ。
「もしあの場に着かなかったらミゼラではなく、他の誰かを助けていたでしょうね。ワタシ」
三人の背筋に冷たい汗が流れる。彼を自分たちと引き合わせてくれた運命には感謝する他ない。
しかし。楊斗は険しい顔でポポロを責める。
「……冗談じゃないぞ。お前がもう少し早く地上に来れば、そもそも一人も死ななかったんだろ? そりゃ、狼を街に放ったヤツが一番悪いに決まってる。でも!!」
「あ、いや。このゲームで死んでも本当の意味で死ぬわけじゃあないんです」
ポポロは説明を続行する。
そもそも、この世界にいるのは最初から死んだ人間だ。本来であればこれ以上、死にようがない。今現在、楊斗たちの体を構成しているのは現世での器とほぼ同じの模倣品でしかない。
数学的に見れば差異はゼロだと断言できる程の精巧な模倣品だが。
「死んだ人の魂を拾ってくる技術が天使たちにはあるわけですし。本当の意味での死、すなわち消滅は訪れようがないんですよ」
「……む」
確認を取るように、ミゼラの顔色を窺う。三人の中で『死んだ』という自覚を持っているのは彼女だけだ。彼女がポポロの話に首を縦に振れば、楊斗もギリギリ納得できる。
「……」
縦に振っていた。色々言いたいことはまだあるが、楊斗は黙って先を促す。
「総ゲームマスターの役割は三つあります。一つ、この世界が死後の世界だと新規のプレイヤーに告知すること。それが理解できないとしても、せめて『以前自分のいた世界とは違う』と最低限認識させること。二つ、ゲームの円滑な進行を助けること。プレイヤーに対して保証されている権利の説明とかも含まれますね。これやらないと人権団体がうるさくて」
天使の世界に幅を利かせるような人権団体がいるのか、と的外れの感心をする楊斗とミゼラだった。
「そして最後の三つ目。これが一番重要です」
「天使の一番重要な役目?」
「……が、今のあなたたちにとっては非常にどうでもいいでしょうから端折ります」
「気になるな三つ目ェッ!!」
「あー、うるさい。口臭キツイ。消臭力をガバ食いしてから死ねばよかったのに」
「むしろそれが死因になるわッ!!」
――後で口臭ケア系の製品をデパートか何かで買ってこよう。
頭蓋を床下に埋めながら藍香は密かにそう決めた。実際彼の口臭はキツイ。
「……とまあ、ノアゲームの概要は以上でしょうか。次はこのゲームの参加資格についてですね」
「参加資格? もう参加しているんじゃないのか?」
「ああ、本選に歩を進めるためには最低限の原則があるんですよ。あまりにも最低限ですから、ワタシの言葉がなくっとも、既にあなたたちは理解しているはずです」
「……ああ! アレか!」
条件は女性と男性がペアを組むこと。確かに、自分の家で起きて一番最初に起こった異変はそれだ。言葉でだけの話だが、藍香と楊斗はそのことだけは間違いなく理解していた。
「ノアと名の付くゲームですからねぇ。あと、天国という場所の性質上、ドレスコードのようにどうしても男女ペアは必要なことなんですよ」
「……?」
「一つの個が完璧になるためには、欠けたものを補うパートナーが必要なんです。どこかの宗教や魔術とかでも『繋がった雌雄』は完璧の象徴として描かれてたりしますし」
出来る限り強力で、しかも完成に近い『ヒト』のみが天国に招かれる。
随分と選民的に思えるが、仕方ないのかもしれない。天国という言葉は、細かい個人の都合や思想など意に介さない程に魅力的に聞こえる。魅力的すぎて胡散臭いのも事実だが。
「……悪くもないし善くもない人間の裁量……理屈はわかった。でも、もしもこの裁判場で俺たちが悪い者だと判断された場合はどうなる?」
「その心配はしなくていいんじゃないですか? 確かに、千人中千人に訊いてみれば『悪者だ』と後ろ指を指される人間はいますし、誰もが認める善人は過去数回に渡ってこっちでも確認済みです。ですけれども、それって生きてる内にやらないと意味がないと思いません? この世界にいる人間たちは本当に『どっちでもない』と判断されて裁量に掛けられてます。今ごろ人を殺しても、実際のところ相手が死んでいるわけじゃないから人殺しにはなりえないですし、人の命を助けたところで、その人はもう死んでいるんだから実際のところ救えてない」
つまりは、この世界で起こるあらゆる事象は無駄無為無意味。善行も悪行も、そもそも行っていないものとしてしか認識されない。
「現世が裁判場だとするのなら、ここは何の意志も介在しない秤に近いんですよ」
大抵の場合、天国行きか否かは現世で判別する。そこの裁判員は周りの生きた人間たちだ。
だが、この世界の場合は全員が死んでいる。ゼロの人間には発言権も投票権もありはしない。ただ秤に乗せられて、その上で踊るだけだ。
「我こそは正義だと行動で示すこと。それがこのゲームの意義です。そのためなら他人を蹴落としてでも先に進んでください」
「……」
人を殺してもやり直しが効く世界。なるほど、確かにそれならあらゆるモノに取り返しが付く。取り返しが付くということは、絶対的な悪行が絶対に存在しないということ。
「何かイヤだな、それ」
生きながら死んでいるような感覚だ。楊斗は首を横に振る。また微妙に上から目線のこの天使に何か言われるかと思ったが、ポポロも似たような顔をしていた。
「まあ正直ワタシもナンセンスだとは思いますけどねぇ。悪人とか善人とかくだらねぇ、全員揃って天国に招けばいいのに、とか結構本気で思ってます。神の前ではどんな生物だって全員、丸裸の無垢な赤ん坊同然なのに」
「そう言ったらどうだよ?」
「神曰く『確固たる自意識を持ったまま天国に来ることに意味がある』、だそうで」
「?」
「まあ、彼には彼なりの考え方があるんですよ。さて現状の整理は終了でございます。次はワタシのゲームの内容について」
白装束の中から小さい手を出し、指を弾く。大人のそれでも出せないような大きな音が響くと、リビングルームのテレビに電源が入った。
イラストや図解でわかりやすくまとめられたゲームのルールがそこに映る。
「ステップワン! ステージの作成とゲームの概要の説明! は、今終わったところですね。次行きましょう。ステップツー! 参加資格をもぎ取れ!」
「男子と女子でペアを組めってヤツだな?」
「その通り! ある意味ここが一番シビアだと言う人もいるんですよね。これは後で説明しましょう。ステップスリー! 本選でバトル! その本選で行うゲームの内容とは……!」
ポポロは顔に影を濃くして、二人の顔を順繰りに見つめる。二人の体に緊張が走った。
「……まだ考えてません」
「じゃあシリアスな顔で言うなよ!」
「いや、でも重要なことですよ? ステップワンの説明が終わり、ステップスリーの内容は説明の仕様がない。と、いうことは必然的にこのノアゲームは現状ステップツーが一番重要なゲームとなっているわけですよ」
小さすぎて壊れそうな人差し指を液晶に向けると、画面内のポインターが動く。ポポロはそのポインターをステップツーの上に置きクリックした。
「参加を募っている現在のことを予選と呼ぶ人もいます。ワタシはあんまりこの呼称は使いたくないんですが、便宜上、ワタシも今はこのステップツーを予選と呼びましょうか」
予選のルールは以下の通り。
一つ、最終目的はパートナーを見つけること。
二つ、戦闘行為は上半球でのみ許可。
三つ、予選の期間は女性か男性のどちらかが余るか、一人残らずペアを組むまで。余った者は死刑に処す。
「……」
ミゼラと楊斗は眼をこすり、もう一回画面を見やる。予選のルールは以下の通り。
一つ、最終目的はパートナーを見つけること。
二つ、戦闘行為は上半球でのみ許可。
三つ、予選の期間は女性か男性のどちらかが余るか、一人残らずペアを組むまで。余った者は死刑に処す。
「な、なぁポポロよ? 一番下のルールがよく見えないんだけど……」
「え。何ですか?」
「あのさ。余った者はどうするって?」
ポポロは何でもないことのようにケロリとした顔で言う。
「死刑。具体的にはノアの方舟の神話に則って水責め」
「……はああああああああああああっ!?」
「噛み砕いて言うと『非リア充は死ね』ってことです」
「噛み砕くなーーーッ!!」
「あっ。一応言っておきますが、一夫多妻や一妻多夫は認めてませんからね?」
「そんな恐ろしい補足情報いらねぇーーーッ!!」
と怒鳴った後で、はたと気づく。
「……おい。もしかしてとは思うが、その男女のペアを組むって」
「ええ、ああ、はい。まあ、誰がどう見ても結婚にしか見えませんよねぇ」
「うん。で? 実際のところどうなんだ?」
「安心してください! バッチリ結婚のことです!」
スッパコーンッ!!
いい笑顔のポポロがミゼラに蹴られ、いい音を立てながら宙を舞う。彼の体は窓にぶつかり、クレーター型のヒビを入れて静止する。
「ごっへぁ……」
そしてそのまま床に落下してピクピク痙攣を始めるが、楊斗は傷ついた彼など意に介さず、ソファで頭を抱えて蹲ってしまった。
結婚。マリッジ。人生の墓場。
彼の話によれば自分は既に死んでいるらしいが、それとこれとは話が別だ。しかも彼の口ぶりだと、結婚したペアは優勝した場合、そのまま天国とかいう神聖すぎて胡散臭い場所に行き、末永く幸せに暮らすのだろう。
「な、なるほど。ヘヴィすぎる予選じゃないか……くはは! 笑えるぜ畜生ぉ……俺まだ現世でなら結婚できない年齢なんだぜぇ……」
「なるほどね。事情はわかったよ」
と、言いながら藍香は頭蓋を床から引き抜き、テレビ画面の傍らに立つ。
「その点については後回しにしてさ。もう一つ気になることがあるんだけど。このルール二の上半球って何のこと? 北半球の間違いなら日本全土がそうだけど」
「そ、それのことでしたら、外に出ればすぐにわかるかと……」
首が斜めった状態のまま、ポポロは浮遊し玄関口へと向かう。
「見て驚いてくださいよ。そのための舞台なんですから」
「それはそれとして首の関節直そうよ。ほらっ」
「え、ちょ」
藍香がポポロの頭に手を添え、藍香は躊躇わず手を下す。
ゴキャッ!!
聴くだけで鳥肌が立つおぞましい音を立て、首は元に戻された。ただし、ポポロは泡を吹いて床に墜落し、気絶してしまったようだ。
「……藍香。お前躊躇ないな」
「そう? 楊斗ほどじゃないさ」
コンコン、とドアを叩く音がした。見ると、ミゼラは既に靴を履いて、外に出る準備をしている。
「その格好で外に出るのか?」
『仕方ないでしょ』
それもそうだな、と楊斗は溜息を吐いた。三人はポポロを置いてドアを開け、外の景色に目を見張る。
「……屋内?」
まず最初に気付けたのは、空が見えないということと、自分たちが屋内にいるということ。そして、自分たちの丁度頭上には巨大な白色電球のような光を放つ『球』があることだった。
超巨大なドームの中にいる、という錯覚を起こすが、実際のところそうではない。
よく見れば、地面が緩やかな内側のカーブを描き、それがずっと壁に続き、ついには天井にまで届いていた。
自分たちは現在、地上に建っているにしてはありえない程に真球のドームの中にいる。
「……俺たちはずっとこの球の中にいたのか? 自分の家ごと?」
「たーだーの球ではありませんよー」
ポポロが遅れて外に出る。その目は少しどんよりと曇っているが、判断能力と脳の機能には異常がなさそうだ。
「えー、こちら、ワタシのゲームの舞台である真球。新宿区の地盤と建物を材料に、死後の日本の遥か上空に作った『遠心ビオトープ』でございます」
「えん、しん?」
「えー、それでは、あなた方から見て『壁』に見える前方をごらんください」
彼に促され、素直に前に目を凝らす。床と地続きのカーブが坂になり、ついには反り返って壁になっている箇所。よく見ると、そこを何かが動いているのがわかる。
「……あっ!!」
車だ。車が走っている。重力や引力のセオリーを無視して、天井に向かって走っていく。
「幻覚か!? 壁を車が走っているなんて!」
「目に見えないだけで、人も普通に歩いていますよ。あなた方もあそこに行けば普通に歩けます」
「そ、そんなバカな!?」
確かに子供のころ、地球が丸いと聞いたときに『自分たちの逆側、つまり真下にいる人たちは落ちたりしないのか』と不思議に思ったことはある。
だが、この場所の不思議さはそれとは似て、完全に逆になったもの。
地球の場合は、地表は球の外側にあり、中心に向かって引力の働く『求心』の力場だ。だがこの真球の場合は、地表が球の内側にあり、引力は外側に向かって働いている『遠心』の力場になっている。
この調子だと、おそらく自分とは真逆、つまり真上にも人がいることだろう。
「……なるほどね」
藍香は頭上の超巨大白色電球を、眩しそうに目を細めながら睨んでいる。
「上半球は地球を基準にして考えたものでしょ? 今僕たちがいるのは、地球との相対位置から見て上なのかい? 下なのかい?」
「あ、上ですよ? つまり今、あなたたちの遥か頭上、遠心ビオトープを突き抜けた先に、穴ぼこだらけの新宿があるはずです」
信じられない話だった。自分たちは遠心力の成すがままに、逆様の状態で今まで話し込んでいたのだ。
「……んっ? 上半球?」
――あれ? 戦闘行為が許可されているのは、上と下、どっちだったっけ?