改めて:1st_『stage』:遠心ビオトープ
人は一度見たモノを忘れたりしない。他の多くの記憶に埋もれて『思い出しにくくなる』だけだ。物理的に脳を切除でもされない限りは、人は基本的に忘れない生き物として存在できる。
それは同時に、忘れられない生き物としてしか存在できない、ということでもある。
「……」
黒い髪の少年は、黒い服を着ていた。周りには同じように黒い正装の老若男女。その人たちが囲んでいるのは、日本式のお墓だ。
(……何だコレ? 誰のお墓だ?)
一目見て葬式なのだと判別はできる。だが黒髪の少年は、目の前に立っている父親と母親の背中に邪魔されて、墓に掘られた名前と、たてかけられた写真に写っている人物の顔がよく見えない。
「父さん。これ、誰のお葬式?」
父親は答えない。一瞥もくれない。不安になり、今度は母親に尋ねる。
「母さん?」
母親もこっちを向かない。蝋人形のように、ピクリとも動かない。
「なぁ! こっち向いてくれよ!」
父親の肩を思わず掴む。すると、それは服だけを残して、全てが灰になり、その場にばらばらと音を立てて落ちていく。
「……」
母親の形を成していたものも、繋がっていたかのように灰になって崩れた。他の葬式の参列者たちも、連鎖するように砕けて粒子になっていく。
「……マエ、ガ」
「え」
墓に立てかけられた黒縁の写真。その中で笑うのは、生身の人間ではなく、髑髏だった。
――オマエガ――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
年季が入り、くすんだ白い屋根。自分の体を受け止めているソファ。ハイビジョンテレビの横にあるDVDラック。
「……何だあの夢」
いつの間にか、自分の家で寝ていた。あの赤い狼との死闘も、もしかして夢だったのだろうか。そんなことを一瞬考えたが、違うとすぐさま思い直す。
相変わらず、自分の中から正確な日にちの時間感覚が抜け落ちているからだ。まだ今日が何月何日なのかわからない。
上体を起こし、頭を掻く。
「……そうだ! あの二人は今どこに――」
「ほぎゃんぶっ!!」
楊斗の後ろから藍香がサイコキネシスで吹っ飛ばされたかのように飛んできた。
「おごぉっ!」
楊斗はそのまま藍香の下敷きになってしまう。藍香の無事を確認できてよかったが、楊斗はまずその藍香を自分の上から肘鉄で叩き落とした。
「よー、無事みてーだなバカ兄」
「あはは……お互いね。いや、この場合は全員と言った方がいいかな?」
藍香は人の好さそうな笑いを浮かべ、台所の方を指さす。藍香がミゼラと呼んでいた少女がそこにいた。粉塵はもうなく、彼の視界を邪魔する物はないので、今は彼女の姿がよく見える。
小学校高学年程度の小柄な体躯。日本人離れした白い肌。そして、ニット帽に隠れていてわからなかった、見事なまでの『天然の金髪』と、宝石のような青い瞳。
破けてしまった服の代わりに、今は長袖の藍香の服を着ている。サイズは当然合っておらず、見ている方が恥ずかしくなるくらいダボダボだった。
ポポロの情報さえなければ、まず間違いなく日本人だとは思えない外見だった。楊斗はその姿をじっと見つめながら、藍香に問う。
「……おい。どうする?」
「何が?」
「外国人の人だぞ。今まで一言も喋ってないところを見るに、日本語通じてないみたいだが」
楊斗はポポロの前情報を聞いていなかったため、完全に彼女のことを欧米あたりの人だと勘違いしているようだ。
「信じられないだろうけど、彼女日本人だよ?」
「……マジで!?」
ミゼラは、藍香の手渡した小型のメモ帳とペンを使い、意志表示する。彼女が桜の大紋を突きつけるような動作で見せたメモ帳にはこう書かれていた。
『久目ミゼラ。中学三年生。ちなみにミゼラは漢字で書けるけど、無理矢理すぎるからカタカナでお願い』
「最近流行りのキラキラネームか」
ミゼラが露骨に不機嫌な顔をする。名前のことについては触れられたくないようだ。
「ポポロから教えられた情報によると、悲哀の哀って書いて哀らしいよ? 多分語源は有名なフランス小説のレ・ミゼラブルか、またはそのまま哀れって意味のイタリア語miseriaか……あいたっ」
余計なことを言うな、と言わんばかりに、ミゼラは藍香の頭をメモ帳ではたく。
「珍名の中でもまだマシだと思うけどなぁ」
『次言ったらまた投げる』
と書かれたメモ帳をミゼラは見せる。藍香が吹っ飛んできた原因は、彼女との喧嘩が原因のようだ。中々に優秀な膂力を持っているらしい。
「ちぇ」
藍香は渋々言いながら立ち上がる。
「なぁ。じゃあ何で、そいつ声じゃなく筆談で喋るんだ? 俺はてっきり言葉が通じてないからだと思ったんだが」
眼と肌の色を見たときに、外国人だと思った。だからこそ、今まで声を出さなかったことを疑問に思わなかったのだが。藍香は呆れたように息を吐く。
「あのさ楊斗。仮に日本語が喋れなかったとしても、狼に食い千切られそうになってまで悲鳴を出さないのはおかしいと思わない?」
「あ、そっか」
いよいよもって、彼女が何故声を出さないのかがわからない。原因は色々と想像は付くが、その全てが彼女の生い立ちや過去に踏み込むもの。これ以上訊いていいものか、と楊斗が逡巡すると、ミゼラはメモ帳をめくって、また彼に見せた。
『産まれつき声帯に異常があるんだって。でも咳が出たり、何かを飲みこむのに支障はないんだ。不思議な話でしょ』
「へぇ」
おそらくこの文章は、前に藍香にも見せたことがあるのだろう。彼は特に関心を示さず、台所で何かをしている。だがミゼラが自分の声のことを説明しているとわかっているのか、少しだけ彼なりに補足した。
「声帯麻痺とは違うみたいなんだよねぇ。喉って言ったら声を出す器官のある場所と同時に、人が生活していくために必要なものが通っていく場所でしょ? 声帯に異常が出たら、誤嚥が起こったり咳き込んだり、他にも色々あるはずなんだ。声が出ないだけじゃ済まないはずなんだよ」
「ふーん」
「多分さ、そもそも根本的に彼女の喉の作りは、普通の人間とは違うんじゃないかな。もしかしたら肺の作りも人のそれとは差異があるのかも」
そこまで来ると障害とは言い難い。遺伝子の異常が奇跡的に積み重なったことによる、一種の進化とも言える。
『不便だけど。人の不幸穿り回して何が楽しいのアイツ』
「ごめん! 藍香に悪気はないんだ!!」
ただ純粋に珍しいものを見て、子供のようにはしゃいでいるだけだ。もちろんいい趣味とは言えないが、迫害するよりはずっといい。
「ま、まあ藍香もさ。慣れれば何も言わないようになるって」
『飽きればの間違い?』
「慣れればと言えよ! いや書けよ!」
喋ってみてわかったが、彼女は意外に皮肉屋だ。自嘲気味な発言が多いことからもわかる。自虐的でない分、話していて気は使わないが、少し戸惑う。
「……」
何よりも、だ。目を惹く容姿をしているのも、戸惑いに拍車を掛けているのかもしれない。
一体どこの誰がどんな結婚をして、どんな人生を送れば、天然の金髪を持ち声が出せない日本人が産まれるのだろう。
まるで絵本の中の人魚姫を御前にしているようだ。正直すぎる言い方をすれば、ポポロやあの妖狼と同じく現実感が薄い。
「……それにしてもさ」
頭痛がするかのように額に手を当てる。
「藍香お前、何で男物の服着せてるんだよ!! 丈も裾も袖も完全にダボってんじゃねぇか!!」
「だってお母さんの服も合わなかったんだもの。女物の服でダボるより、男物の服でダボってる方が絵になるからってミゼラが」
『私の美意識の問題。別にあなたたちを喜ばせるために着てるわけじゃない』
恥ずかしがっているような、素気ない文章だった。楊斗の方もいたたまれない気持ちでいっぱいになる。
「服でも調達しに行くか……」
「ワタシの話を聞いてからにしてくださいね?」
楊斗の頭に何か、軽いものが乗っかる。
「ふー。やっと三人共起きた。それじゃあ約束通り、ワタシが自らあなたたちに状況説明を」
「人の頭に気安く乗ってんな」
「あんっ」
予想通り、それはポポロだった。赤ん坊より小さい大きさの天使人形。服を引っ掴んでソファに放り投げると、ポポロは上下逆転の状態で着地した。痛みはなさそうだ。
「もう。あなたたちをここまで運んだのはワタシですよ? 頭の上くらい快く提供してくれてもいいのに」
「……」
見れば見る程に珍妙な生物だ。それゆえに、敵か味方かわからない。あの狼のような凶悪な面構えをしていれば間違いなく敵だと思うだろうし、ミゼラのように人型をしていれば味方だと思う。だがこの生物はどちらにも属していないため、どういう態度を取ればいいのかすら不明だ。
「じゃあ、何から聞きたいですか? どこから話せばよいのやら、今となってはわからないので、あなたたちに訊いてみます」
体勢を整え、ソファにちょこんと座るポポロは、彼らの発言を待つ。
「それなら根本的な疑問から。ここで起きてからずっと気になっていたこと」
「ミゼラのスリーサイズだね?」
「違うわ阿呆ッ!!」
楊斗の叱咤と同時に、藍香はミゼラに蹴られて台所に押し込められた。しばらく落ち着いて話が聞けそうだ。
「ごほんっ。俺たちがここで起きてからずっと気になってたことは『この世界のこと』だ」
人がおらず、空気が清浄で、それでいて自分たちが昨日まで住んでいたはずの世界と寸分違わず同じ作りの別世界。
いわば超特大のジオラマの中にいるような違和感をずっと感じていた。
「基本法則はあなたたちが前にいた世界とまったく同じです。違うのは『太陽が不在なこと』ぐらいですかね?」
「そんなことを聞いてるんじゃ……何だって?」
今この天使は何と言った?
「太陽がないんですよ、この世界」
「いや。おかしいぞ。俺たちは煩わしいくらいの日差しの太陽を間違いなく見てる」
時間の感覚が消し飛んでいても、辛うじて朝の九時だと判別できたのは明かりがあったからだ。
「ああ、あれは超デカい白色電球みたいなものですかね? まあその話は後で。次はこの世界の正体をば」
『わざわざ確認しなくってもわかってるけど』
「?」
ミゼラがポポロに向けているメモ帳の内容を横から見た楊斗は怪訝な顔になる。
「ええ、まあ、はい。大抵の人はここに来た時点で何となく察するんですよね。でもたまーに、まれーに、彼らのようにここがどこなのかの検討もつかない人もいるんですよ」
「この子にはわかって、俺たちにはわからない世界?」
「死後の世界。所謂ここはあの世です」
思考回路のヒューズが、たったの一撃で飛んだ。
「……あい?」
舌も回らない。理解できない、という共感を得ようとミゼラの方を見れば、彼女は服の裾を不安そうに握りしめていた。
「信じられないのも無理はないですね。でもワタシの姿を見て、何となくわかりません?」
天使型の人形は、自分の姿をよく見えるようにソファ上に立ち、くるりと一回転する。
「……天使? 本物の?」
「はいっ! まさにその通りでございます!」
にわかには信じがたいことは確かだ。だが、それ以外にこの不条理な存在の説明が付かない。本人が天使だと言えば、それを鵜呑みにするしかない。
「百歩譲ってお前が天使だったとしてもな。所謂エンジェルだったとしてもだ」
「何で英語なんですか」
「俺たちが死んだってのはないだろ!! ないないない!!」
手を必死に横に振る。こればかりは、いくら論証を並べ立てられようと認めるわけにはいかない。自分が死んだなどと、何がどうなろうと認めたくない。
「なあミゼラ! お前も……おおンっ!?」
ミゼラは泣いていた。裾を握りしめたまま、その場にくずおれて泣いている。女性の扱いになどまったく心得のない楊斗は慌てふためいて励まそうとする。
「いや嘘嘘嘘!! なっ!? 嘘だからなっ? なっ!?」
「闇雲な言葉選びだなぁ。もう少し気の利いたこと言えないの?」
台所で伸びていた藍香に近づき、楊斗は止めの蹴りを入れて、再びミゼラのところに戻る。
「無駄ですよ。人が励ました程度で、彼女の人生が変わるわけでもないですし」
「お前なぁ!」
「自分の死に様を思い出してるんでしょう? どうしようもないですよ」
「お前またそんな……あ?」
頷いていた。ミゼラは確かに、ポポロの言葉に対して頷いている。
「どうやって死んだのかは知りようがないですけども……辛かったんですね」
「……!」
おかしい。ミゼラは間違いなく目の前で生きている。藍香のことも蹴っていた。元気いっぱいに投げ飛ばしていたし、今もこうして二本の足が無事にある。
――無事?
「……お前、怪我はどうした?」
屋内だから、ミゼラは当然靴を履いていない。靴下も脱いで素足を晒している。だからこそ、そこになければならないものが存在しない。
「あ、ワタシが治しました」
「は?」
「まあ、生前持病を持っていた人は常備薬が必要ですし、現代医学で治せないものは『この世界』でも治せないんですが。治せるものはキチッと治せるんですよ。何せ『あの世』ですので」
「ふーん、へー。傷一つないや。凄いねポポロ。この肌すっごい手触りがいぎゃんっ!!」
興味深げに足をさする藍香の頭に、ミゼラは見事な踵落としを加えた。藍香は床板を頭蓋で貫き沈黙する。
「おお、凄い技の冴え! 確かに治ってるな!」
というかむしろ、その強さがあれば狼にも負けなかったのではないだろうか。
「……何の話してたんだっけ?」
「?」
「この世界は死後の世界って話ですよ、頭悪いですねホント」
二人揃って反論ができなかった。藍香は放っておけばすぐ再生するだろう。何だかんだでミゼラを泣きやませてくれた藍香に楊斗はこっそり感謝して、話を先に進める。
「……確かに俺たちには記憶がない。死んだ記憶も生きてた記憶も、ここ一年の時間の感覚がバッサリ抜け落ちてる」
「でしょう? ショックで一時的にあるんですよね、そういうこと」
「お前の話への反論材料がない。だが疑問だけはまだあるぞ。それら全てに回答がない限り、俺はまだ信じてないからな」
藍香なら、もっと頭脳的に話を進行させることができるだろう。だがあの天才は、今現在おねむの状態だ。しばらくは起こさない方がいい。
「結構。それじゃあ、いよいよもってこの台詞を言えますね」
「ん?」
「ノアゲームにようこそ!!」
ポポロは満面の笑みを浮かべて、そう言った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ゲーム環境
ゲーム名:方舟争奪!? ノアゲーム!
総ゲームマスター:ポポロ
ゲームステージ:遠心ビオトープ(午後九時四十分頃に完成)
残り人数:九千四百九十一人