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遠心ビオトープ:5

狼。食肉目、イヌ科イヌ属に属する哺乳動物。北半球に多く分布し、数多くの亜種が存在する。


なお、日本にかつて存在したニホンオオカミは一九〇五年を最後に日本から姿を消している。更に言うなら、赤い毛並を持ち、超高層ビルから飛び降り、体格が縮んだり大きくなったりを繰り返す狼の情報は、世界的に見ても一切報告されていない。


「……何か、段々大きくなってきてないか?」


楊斗が半笑いを浮かべながら後ずさる。目の前で唸る赤い狼は、ずっと見ているとわからない程度の速さでゆるやかに、元の若狼サイズに戻って行っている。

藍香は、その狼の姿を警戒しながらも、寂しそうな声色で言う。


「……これはもういよいよだね」

「ああ。コイツは……こんなヤツがいるこの世界は……」


――自分たちのいた世界ではない。全てがよく似た完全な別物だ。


取り残されたのではなく、自分たちが吹っ飛ばされた。そのことを二人が理解するのを待っていたかのように、また狼は飛びかかる。


「……っち!! くそったれ! いい加減諦めろ!」


楊斗の足は正確に、狼の顎を抉るように蹴り上げる。狼はまた一回転がったあと、すぐに体勢を整えて楊斗たちに唸り続ける。


「……時間」

「あん?」


楊斗は後ろを振り向かず、藍香の呟きに反応する。


「何でかは知らない。でも、この狼は時間が経てば経つ程に成長していくみたいだ。大きくなる条件があるのなら、小さくなる条件もあるはずだよ。何か心当たりはない?」

「……」


そういえば、と楊斗は思い出す。


「そこの女の子の足を噛み千切ろうとしていたとき、そこの狼はもうちょっと大きかったような気がするぞ。小さくなったと気付いたのは蹴った後だ」

「それだ!!」


藍香の気のせいかと思ったが、目の前の狼は展望台から脱出するとき、強化ガラスを突進して壊したのではなく『食い破って』壊したように見えた。


「一回何かを噛むごとに『チャージ』が必要なんだと思う! チャージが中途半端な内は高校生二人に玉乗り仕込まれる程の弱さだけど、ある程度チャージが終われば」

「展望台の窓を食い破って、外に出るだけの攻撃力を生み出す、か。もうその理屈でしか納得できなさそうだ」


玉乗りを仕込まれていたときの狼の成長に気付かなかったのは、本能が『現実では起こりえないこと』を認識するのを拒否していたからか。それとも『変化が緩やかすぎて』気付かなかったのか。


おそらくどちらもだ。楊斗と藍香が、この狼に調教を仕込み始めたのは『九時三十二分』のこと。ポポロが落ちてきて状況を説明するまでの『九時三十四分』まで、二人は狼をずっと凝視していた。


「確かに今思うと、初めて見たときの大きさと、脱出される寸前の狼の大きさは一致していなかったかもな」


だが今はしっかりと認識できる。『目の前の狼の体格は変わるモノだ』という予備知識を頭の中に叩き込んだ今は、狼が時間と共に成長していくのがしっかりと見える。


「!」


一瞬、二人の喉から水分が一気に干上がってしまう。話し合っている内に、狼の大きさが初めて会ったときと同じ若狼サイズになってしまい、それが更に膨れ上がっていく。


(……さっきコイツは楊斗をすり抜けて、ミゼラを食おうとした。その前には、おそらく人体以上の耐久度を持つガラスを真正面から何の小細工もナシに食い破っていた)


藍香は思案する。この狼の習性の正体を、頭の中で暴いていく。


(ターゲットとの間に敵わない障害があった場合は、それを避けてターゲットを食らう。だけど避けることができない場合は、敵う攻撃力を獲得するまで牽制しながら待機する。それがこの狼の行動原理。原始的かつ極端な『リスク判定』だ)


一回噛むごとにエネルギーを使い、攻撃力が下がってしまうのなら、避けられるリスクは極力避けてターゲットを噛み千切った方がいい。その効率化の思考の末に手に入れた習性が『リスク判定』だ。何も狼だけでなく他の生物も持つが、高度や重力を度外視し、人工物を計算に入れた習性を持つ野生生物は一匹もいない。


ふと、ポポロの言ったことを思い出す。


(……『生物じゃない』か……。そのことは後で検証するとして、今は僕たちのリスクごと、彼女を噛み千切ってもかまわない程の攻撃力を得るのはあと何十秒後のことだろう。それが一番気になる)


『若狼形態』から二分で強化ガラスを破壊する力を入れた狼が、人体を食い破る力を手に入れるまで何分何十秒かかるのだろう。


「……ポポロの予告した時間が来るのと、この狼が僕たちごと彼女を食い破る攻撃力を手に入れる時間が来るの。一体どちらが早いかな」

「前者じゃねーと許さねーぞ……一生呪ってやる!」


その一生が終わりかねないから問題なのだが。


(あと三十秒!)


かつてない程に長い三十秒だ。緊張で汗をかくなんてことが、自分たちの身に起こるなんて、二人は想像だにしていなかった。


(二十秒……)


二人は心の底から願う。どうか何も起こらないでほしい。そして、あの天使人形の言っていることがどうか真実であるように。


(十、九、八、な……な?)


心臓が跳ね上がった。目の前の狼なんて目じゃない程の恐怖が自分に近づいてきている。


(ま、さかっ!?)


瞳孔が開ききり、足が崩れそうなほどに震えてくる。辛うじて、ゆっくりと後ろに顔を向ける。


「……あ、ああ……っ!!」


それはもう、狼なんて体躯ではなかった。体長はゆうに二メートルを超え、熊を食料にできそうな程に巨大化している。


顔つきは凶悪さを増し、『それ』に追われた時点で死という運命が決定されるような邪悪さを孕んでいる。


(最悪だ。目の前の狼に気を取られて、後ろにまったく気を配ってなかった……!!)


真っ赤な毛並の、狼の形をした『妖怪』。それが今まさに、自分たちに向かって殺意を向けている。正確には、藍香の腕の中にいるミゼラに向かって。


(……差し出せば助かる……はっ!! 冗談じゃない! 一度助けるって言ったのに、そんなことできるわけがない!)


眼を強く閉じ、歯を食いしばり、最後の精神の芯だけは折るまいと努める。


(あと五秒なのに! 一体どうしたら!)

「藍香! そっちの狼はもう無視だ!」

「えっ?」


楊斗が妖狼に向かって突進している。それに気づいた途端、藍香の頭が急激にクールダウンした。


「楊――っ!!」


叫ぶ間もない。楊斗は上着を脱いで、それを妖狼の顔に叩きつける。


「がるっ?」

「藍っ!!」


楊斗のやりたいことに、すぐに藍香も気づく。


(突進される前に視界を塞げば、逃げる時間は稼げる。でもイヌ科には優れた嗅覚があるんだ! そう簡単に視界を塞いだ程度じゃあ攪乱の意味は……!!)


妖狼が構える。窓を突き破ったときと同様、突進して噛み破る気だ。ミゼラは勿論のこと、藍香も無事では済まない。楊斗は既に進行ルート上から外れて、安全な場所にいる。


(落ち着け。楊斗はこう言いたいんだ。『後はお前が何とかすれば全部終わり』だって!)


信頼されている。そして楊斗自身も、彼自分にできることを全力でしてくれた。今度は自分が信頼に答える番だ。


(あ)


ふと目に付いたのは、地面に放り出されたままの黒いニット帽。先ほどミゼラが被っていたヤツだ。


(……ああ)


それを見て、解決策を思いついた。が、多分これは楊斗も想像だにしていないだろうな、とも思った。


「……」


――だからこそいい!!


「!?」


腕の中のミゼラが体を震わせる程にイヤな笑顔を浮かべ、藍香はそのまま解法を実行する。


次の瞬間、妖狼が目を塞がれたまま、自らの嗅覚に従い、ターゲットの方向に突進していく。


「がるるららららららららっ!!」


その速度は藍香も予想外のものだった。鼓膜が破ける程の轟音を響かせ、粉塵を吹っ飛ばし、風を巻き起こす。


――亜音速(サブソニック)より一段階上の音速。遷音速(トランソニック)だ。


音の壁にギリギリ衝突してしまう速度で直進。狼はターゲットの暫定位置にたどり着き、大口を開けて、噛み千切る。


「……がっ!?」

「ざーんねんっ!! あははっ!! あ、まずい。音が大きすぎたせいで自分の声も聴こえない」


あまりの出来事に頭がグラグラするが、藍香は無事だ。妖狼はまったく別の方向に向かって攻撃していた。


「あ、ああもうだめ。膝折れる。楊斗パス」

「わあっ! バカ、人を投げるな!!」


藍香が白目を剥いてくずおれる。その前に、楊斗がミゼラを両手で抱きとめた。ひたりと肌の感覚が手に馴染む。


「ん? 肌の感覚?」

「……!?」


何故かミゼラは下着姿を晒していた。楊斗の腕の中で、顔を真っ赤にして固まっている。


「んんんーーーっ!?」

「あ。地面に落ちてるニット帽を見て思いついたんだよ。服をそこら辺にばら撒けば嗅覚的な攪乱になるんじゃないかなって。だからミゼラの服を破いてそこら辺にバラまいちゃった」

「女性の尊厳完全無視じゃねぇかあ!?」

「はっはっは! 何言ってるのかまったく聴こえないや! あっ、やべっ、これ治るよね? 鼓膜破れてないよね? ちょっと見てくれな――」


ミゼラは自分に向かって耳を向ける藍香に、容赦のない蹴りを加えた。


「いべらっ!?」

「俺が許可する。そいつもっと蹴っていいぞ。もちろん怪我してない方の足で」

「……」


三分。これでポポロの指定した時間だ。


「あの天使……ポポロって名前だっけ。あいつ、今どこだ?」


一陣の風が吹き、粉塵がどこかへ飛ばされていく。三人の目に入ったのは地獄絵図だった。


「狼っ!!」


先程の妖狼と同じサイズの狼に、四方八方囲まれている。最早逃げ場も策を弄すスペースもない程に近づかれていた。


「嘘……もしかして、あの天使に賭けたのは」


間違いだったのか?


藍香がそう続ける前に、狼は一斉に自分たちに向かって飛びかかる。


「「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!?」」


三人の視界はホワイトアウト。何が自らの身に起きたのか? 噛み千切られて無残に死んだのか?

それも判断できぬまま、気を失った。


「……約束を守ってくれてありがとうございます。大丈夫。もうあなたたちは助かりました」


そしてそのまま始まった。


総勢一万人を巻き込むはずだった審判(ゲーム)が。三人の男女が気絶している間に、始まってしまった。


「ノアゲームっ!! スタートでござぃーーーっ!!」

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