習作 お題『出会い(図書室)』
――ミミッチョみたいだ。
えらく失礼なことを考えながら、陸斗はぼんやりと「彼女」を眺めた。
図書室の壁に埋め込まれた本棚、彼女はその上段へと、必死に腕を伸ばしていた。あの小柄な体躯では、とうてい手が届かないだろう。
それなのに、まるで自らの手足だけの力で目的の物を手にすることが使命であるかのように、彼女は、ひょこ、ひょこ、と伸びあがっては息をつき、を繰り返している。
脚立は無いのだろうか。何というか、あきらめが悪い。
そんな姿がミミッチョ――東京で飼っていたウサギの姿と重なって、陸斗の口元を緩ませた。仙台に連れてくることはできなかったが、妹がしっかり面倒を見てくれているだろう。
「この本?」
気がつけば、無意識に本へ手が伸びていた。
「あっ……」
びくり、と身体を強ばらせたのち、彼女の顔がこちらを向いた。黒々とした大きな瞳に、困惑と怯えの色がともる。
「えっと、ごめん。……違った?」
距離感を間違ったかもしれない。いきなり身長180センチの男子が頭上に現れたのだ。怯えられてもしかたがない。陸斗はあわてて身を引いて、言い訳するように本を差し出した。
「あ、いえ。その本です。……その、ありがとうございます」
彼女はホッと息をつき、礼儀正しく頭を下げた。肩のあたりで切りそろえられた黒髪が、ふるふると揺れる。
「……」
「あの……?」
「その、脚立とか、使ったほうがいいんじゃ」
チクリと背中を這った後ろめたさを誤魔化すように、陸斗は首を巡らせた。が、不思議なことに脚立は見あたらない。
すると、彼女は眉をひそめて一歩、後ろに下がった。
「……もしかして、ここの生徒じゃないんですか?」
「え? ええと……高入生なんだ。この四月からの」
「ああ! そうだったんですね。珍しい。この学校、高校からの人って少ないのに。お引越し、とかですか?」
「ああ、うん。そんなとこ」
ふたたび灯った警戒の色は、すぐさま消えた。くるくると忙しい。
「君は、内部生?」
はいっ、と彼女は声を弾ませる。何年生なのだろう。――歳上には見えないが。
「ここの図書室、あるのは梯子タイプのやつで。……その、スカートではちょっと」
「あ……」
どう答えたものか、陸斗が言葉を詰まらせると、彼女は「大丈夫です」と苦笑した。
「だから、ありがとうございます。これ、助かりました」
笑うと左の目元のホクロが浮きあがるんだな――と、ぼんやりと陸斗は思った。
「……他は?」
「えっ?」
「他の本。取れないのがあれば、取るよ?」
「えっ。……いいんですか?」
ぱちり、と開いた彼女の瞳に、今度はおずおずとした期待の色が浮かぶ。
「それも、じゃないの?」
じつは先ほどから気になっていたのだ。彼女の後ろに控えた、台車に積み上げられた本の山。陸斗が台車を指差すと、彼女は「ああ」と肩を落とした。
「そうなんです。その、実はあと、このシリーズが全巻……必要で」
「全巻?」
「はい。その、ここから――こここまで」
彼女が示したのは、先ほどの本から棚一段と半分ほど。ざっと見ても三十冊はありそうだ。一冊一冊は薄い本だが……。
――こうなれば、乗りかかった船か。
ショルダーバッグを肩から外し、陸斗は本棚へと手を伸ばした。
「えっと、その台車に乗せていけばいい?」
「あっ、それは私が!」
それは非効率では……と思ったが、彼女のやる気に満ちた表情の前に観念する。少しずつにしよう。陸斗は棚から数冊抜いて、彼女に向けて差し出した。
「これ、全部一人で運ぶつもりだったの?」
「そうなんです。うちの先輩たち、人使いが本当に荒くって!」
本の塊を台車に乗せながら、彼女はため息をつく。
「…………先輩」
「あっ、悪い人たちじゃないんですよ。春休みは、どうしても新学期の準備が忙しくて」
「そう、なんだ」
聞くと、彼女は生徒会の庶務だという。その「先輩たち」の命で、資料に使う本を取りに図書室へ来ていたらしい。
だが、この量の本を女子一人に運ばせるのはいかがなものか。
ざわざわと陸斗の胸中は波立った。先輩。苦手な言葉だ。ほんの数年先に生まれただけなのに。歳が上なら、人としても偉いのかよ。黒々とした感情に、意識が沈む。
「――ありがとうございます。これで全部です」
「え?」
彼女の声に、我に返った。ぼんやりしているうちに、いつの間にか目的の本を積み終えたようだった。
今一度頭を下げ、彼女は意気込んで台車を押し出した。よろよろと、あぶなっかしい。
「……変わろうか?」
「いえ! 大丈夫です!」
「いや、でも……」
「大丈夫です。これくらいなら、一人で、いけます!」
頑固なことだ。だが、手助けを押しつけるのも、逆に失礼かもしれない。ここまでにしよう。何といっても、親切の押し売りは嫌われてしまうから。
そう思った途端、バサバサッ、と派手な音を立てて本の山が崩壊した。
「あ……」
「……」
雪崩れてきた本たちが、陸斗の足もとに転がった。黙って屈み、一冊を拾い上げる。
「すみません! 私が拾い……あっ!」
バサバサッ。
「……」
「……すみません」
「いや……」
彼女の消え入るような声におもわず俯く。肩を震わせながら、陸斗は左手で口を覆った。
――まさか、こんなギャグ漫画みたいなことが起こるなんて。
視線を上げると、顔を真っ赤にして縮こまる彼女の顔が目に入った。
ふと気がつくと、陸斗の胸中は凪いでいた。
彼女に続いて図書室を出た。そのまま出入口に向かおうとしたのだが、足が止まってしまう。
「……」
「あの?」
きょとん、と彼女は首を傾げた。
「あのさ」
「はい?」
「この学校、ちょっと広すぎない?」
「え?」
「いや、その、出入口……どっちだっけ?」
「……ああ!」
彼女の可笑しそうな顔といったら。当分、忘れられそうにない。
生徒会室も同じ方向だということで、結局途中まで連れて行ってもらうことになった。さすがにいたたまれない、と台車の押し手を引き受ける。
「この学校、無駄に広いんで」と肩を震わせながら、今度は彼女も拒まなかった。
台車を押しながら、長い廊下を並んで歩いた。何の部活だろう。遠くのほうから、耳鳴りのような掛け声が漂ってくる。
こちらから訊ねたわけではなかったが、彼女は「あっちは家庭科室」「こっちは職員室」とあれこれ案内してくれた。さすが小中高一貫のマンモス校だ。体育館が二つもあるとは。
「広すぎだよ」
重ねてぼやくと、彼女は「新入生用の、校内地図が必要ですね」と笑った。
「そういえば、先輩はどちらから引っ越してきたんですか?」
ほんの少しだけ躊躇って、陸斗は口を開いた。
「……東京」
「東京! わぁ、すごい!」
意外な言葉が返ってきた。何がすごいのだろう――というツッコミは、胸の中にしまっておく。
「憧れなんです。東京って! 行ってみたい。どんなところなんですか?」
「別に、普通だと思うけど」
「そう、なんですか?」
目に見えて、しゅん、としぼんだ彼女の様子に、陸斗はあわてた。
「あ、でも、仙台より暖かい……かな」
「暖かい?」
「うん。こっちに来て驚いたんだ。この時期に、マフラーが欲しくなるとは思わなかった」
「そうなんですね。おじい……祖父なんかは『最近は暖かい』って言いますけど。確かにゴールデンウィークくらいまでは、寒い日がありますね」
「へぇ」
東京もそれなりに寒いと思っていたが、なんというか寒さの質が違う。三月でコレなら、冬はどうなるのだろう。生き残れるだろうか。
「あ、この階段を降りると、目の前が事務室と出入口です」
わざわざ足を止めて、彼女は階段を指差した。
「ありがとう。助かったよ」
「そんな、こちらこそです。その……ありがとうございました」
ぺこり、と彼女は頭を下げる。
――やっぱり、ミミッチョみたいだ。
自然と笑みがこぼれた。
「あのさ」
「はい?」
「今さらだけど、名前、訊いてもいい? あ、俺は五十嵐。五十嵐陸斗」
「ああ、そうですね。すみません気がつかなくて。佐々城です。佐々城芽依」
「そう。ありがとう。――佐々城さん」
「いえ」
「それじゃあ」
ぷらぷらと手を振って、陸斗は階段を降った。
外は、やはり寒い。
陸斗は両手をこすりあわせ、はーっと溜息を吹きかけた。
父の転勤に便乗して、東京の学校から逃げるように仙台に来た。そのこと自体は後悔していない。だが同時に、じわりとした灰色が胸には詰まっていた。新しい環境に臨んでも、「希望」や「期待」を抱くことなどできなかったのに。
「佐々城、芽依」
冷たい風の向こう側に、かすかな春の香りが見えた気がした。




