ならばわたくしは、喜んで罪人となりましょう
「メリル・ブリスベル・ミラージュ。君との婚約を破棄する」
国王が逝去してわずか一ヶ月。王宮の一室で、元王太子こと現国王のアレクシスは開口一番そう宣言した。
「ええっ!?」
驚いたのは家臣だった。それもそのはず。
「メリルさまとの婚約を破棄ですと!? 国王、お待ち下さい!」
「なんだ、騒々しい」
「メリルさまは我が『モーデルト国』において最も長い歴史を持つミラージュ公爵家のご令嬢です! 幼少期からアレクシス様のお側でお仕えしてこられたではありませんか!」
「さようですぞ! これまでも他国との外交や貴族同士の争いへの干渉、そして我が国の新たな政策やその修正案までも、すべてメリルさまが携わってこられたのです!」
「ふん、笑わせるな。貴様ら、どれも我が身が可愛いだけの言い分だろう。明日からは自分たちでやるのだな」
「……お言葉ですが、アレクシス様の公務の大半もこれまでメリルさまがーー」
「黙れっ!!」
痛いところを突かれたアレクシスは、テーブルを叩きながら一蹴した。
「これは決定事項だ! 貴様らの意見など聞いてない!」
騒がしい王太子ーーもとい新国王は、ここでようやく呼び出した婚約者の方に姿勢を向けた。
「メリル。君は王太子妃として相応しくない。いいかーー」
アレクシスは立ち上がり、続ける。
「君はそもそも公務に口を出しすぎるのだ!」
心の声をぎりぎり表情に出さず、家臣たちは黙ってアレクシスを見上げた。
「貴族令嬢として、もっと慎ましく振る舞うべきだったな? それに民衆と距離が近すぎるのも問題だ。次期王妃ともなれば、もっと威厳を持つ必要がある! ……そして決定的なのはーー」
アレクシスはここぞとばかりに視線を横に向けた。しかしながら、口にしなかっただけでそれは誰もが部屋に入ったときから気にはなっていたことだった。
「彼女だ!! ついに! 君よりもはるかに王妃に相応しい女性が見つかったのだ!!」
そう言って、アレクシスは隣に座る一人の令嬢をたぐりよせる。
「このエリザベスこそ!! 次期王妃にーー」
「承知いたしました」
自分でも驚くほど、穏やかな声だった。
メリルはすっと立ち上がり、アレクシスの周りを取り囲む家臣たちに頭を下げる。
「皆さま、申し訳ありません。あとのことはよろしくお願いします」
「メ、メリルさま!?」
「陛下は決定事項とおっしゃっています。議論の余地はないでしょう」
「そ、そんな……!」
そのときだった。
「失礼いたします!!」
息を切らせて、まるで何かに追われているかのような真っ青な表情の家臣が部屋に飛び込んできた。
「何事だ! 騒々しいぞ!」
「ご報告申し上げます! 『グリアンデ王国』との国境付近で問題が発生していた件につきまして、ついにグリアンデから要求が……!!」
瞬間、アレクシスの表情が変わる。
家臣は息を整えながら説明を始めた。どうやら、国境付近にある土地の境界について両国の貴族が争っているらしい。
もともとは小さな領地争いだった。
しかし、互いの貴族が自分たちの主張を譲らなかった。
相手に譲歩すれば家の面子が潰れる。
そう考えた双方が強硬な態度を取り続けた結果、問題は両国政府を巻き込むまでに膨れ上がり、そしてついに、先ほどグリアンデ王国から要求が届いたそうだ。
「ーー責任者を差し出せ!? おい貴様っ!! なぜこんな大事になる前に手を打たなかった!!」
「お……お言葉ですが、陛下! 事の発端から経緯に至るまで、陛下には逐一ご報告しております!」
「なにぃ!?」
「その……いつも、放っておけと……」
「黙れっ!! 言い訳をするな!!」
家臣によると、グリアンデ王国は応じなければ武力行使も辞さないとのことだ。
室内の空気が重くなる。そんな中、一人冷静に書状に目を向けるメリルは、すぐに問題の本質を理解した。
「この要求は、まだ戦争を望んでいるものではありません」
全員の視線が自分に集まったところで、メリルは続ける。
「グリアンデ王国は、こちらに責任を認めさせることで自国の面子を保とうとしているのでしょう。ですが、こちらが一方的に責任を認めれば、今度は国内の貴族が反発します」
家臣たちは、確かに……とでも言いたげに顔を見合わせる。
「ですが、裏を返せば。双方が納得できる第三の落としどころを提示すれば交渉の余地はあると言うことです」
「しかし、メリルさま! グリアンデ側は実力行使も辞さないと!」
「応じなければ、です」
「……よしっ!」
いつ座ったかもわからないアレクシスが、メリルに取られた注目をかき集めるかのようにおもむろに立ち上がった。
「陛下……?」
「くくっ、これだ!」
何か名案でも思いついたのだろう。話す前から口角がゆっくりとつり上がる。そして言い放った。
「メリル! 君が今回の件の責任者としてグリアンデへ出向け!」
「なっ!?」
さすがの家臣も、今度ばかりは全員が立ち上がった。
「陛下、お気は確か!? よりによって婚約者であるメリルさまを差し出すのですか!?」
「馬鹿が。メリルとの婚約は先ほど破棄しただろう」
「で、ですが! それならメリルさまがこの件の責任者と言うのは……!」
「メリルはミラージュ公爵家の令嬢だ。先ほど能書きを垂れていたな? 我が国一番の由緒正しき名家だと。責任者としては十分だろう?」
あまりにも身勝手な提案だった。
これまで何度、アレクシスの理不尽な言葉を飲み込んできただろう。そう思いながら、メリルは少しだけ目を閉じた。
公務を押しつけられても、自分の意見を無視されても、すべては国のためーー。いつもそう自分に言い聞かせてきた。
王太子妃となる自分さえ耐えれば、この国はきっと上手くいくのだ。自惚れかもしれないが、メリルはいつだってそう信じて歩んできた。
「メリル」
アレクシスの呼び声がメリルの目を開かせる。
「お前にならわかるはずだ。戦争になればどうなるか……。ふふ、貴様が大切にしている国民が大勢犠牲になるぞ!」
国王がそれを言うのか。
喉元まで出かけたが、メリルは咄嗟に呑み込んだ。
「……わかりました」
「メリルさま!?」
「ただし、わたくしは先ほど陛下から捨てられた身。仰せながら、嘘でも陛下のためにとは申しません」
アレクシスは満足そうにニヤリと笑う。
「くくっ、かまわんさ。なんであろうと!」
「メリルさま、いけません!! 責任者としてグリアンデに赴くというのは、我が国から罪人として赴くことと同義であります!!」
メリルは庇ってくれた家臣に微笑んだ。
「かまいません」
「し……しかし!!」
「どのみち、ミラージュ家には戻れないのです。ならばいっそーー」
「良い判断だ、メリル! そうとも!すべては国民のためだ!」
「ええ。ならばわたくしは、喜んで罪人となりましょう」
アレクシスの指示により、メリルはその日のうちにグリアンデ王国へ送られることになった。
◇
グリアンデ王国へ到着したメリルは、連行される馬車の中でこれからのことを想像していた。
(尋問……いえ、拷問かしら。ううん。最悪の場合、処刑されることだってーー)
ところが、だ。
「こちらへ。陛下がお待ちです」
案内されたのは牢獄ではなく、王城の一室だった。
通された部屋には、グリアンデ王国の重臣たちが並んでおり、メリルは言われるがまま、戸惑いながらも席についた。
「長旅ご苦労様でした」
「え?」
「早速ですが、今回の国境問題についていくつか確認したいのです。お身体は大丈夫ですか?」
(……どう言うことかしら?)
無理もない。罪人を差し出せと言っておきながら妙な言い草だ。それでもひとまず背筋を伸ばして、一礼をする。
「お気遣いくださり感謝いたします。大丈夫ですので、はじめてください」
そうしてメリルの予想に反して、ごく普通の質問が始まった。
まずは国境問題の発端と双方の貴族が主張している内容について。さらに、その土地が両家にとってどのような意味を持つのか。
メリルは丁寧に一つ一つ答えていく。
「ーーモーデルト側の貴族が譲れないのは、土地そのものだけではありません。先祖代々の権利を奪われたと認めることになるためです」
「うむ……わからなくもないが。しかし、グリアンデ側もーー」
「もちろん同じです。ですから、どちらかに土地を与えるだけでは必ず遺恨が残ると思うのです」
「よろしい。それでは、貴女の考えをお聞かせ願おう」
「はい。境界線を変更するのではなく、問題となっている土地を両国の共同管理地とするのはいかがでしょう」
その提案に、重臣たちがざわめいた。
「共同管理?」
「ええ。土地から得られる利益を双方で分けます。その代わり、両国の貴族には一定期間、土地の所有権を主張しないと約束させるのです。その期間中に両国で新たな境界協定を結べば、双方の面子を保ったまま問題を収められます」
誰も口を挟まない。周囲を見回してからメリルは続けた。
「そして、今回の件については責任者を一人だけ処罰するのではなく、両国の監督責任を明確にしたほうがよいでしょう。一方だけを悪者にすれば、次の問題の種になります」
なるほど……そう言葉に出さずとも、表情から見て取れるほどグリアンデの重鎮たちは感嘆のため息をもらした。
その場にいた、一人の青年を除いて。
彼はメリルをじっと見つめていた。
グリアンデ王国第一王子の『レイリック・グリアンデ』だ。
彼がメリルを見つめた理由は、単にメリルが物珍しかったからという理由だけではない。
実は、メリルが王城に連れられる道中でこんなことがあった。
『ーーなにかあったのでしょうか』
王城前に到着したとき、街へと続く道沿いの庭園で泣いている子供の姿を見つけたのだ。
『どうかされましたか?』
レイリックの従者の問いかけにすぐには答えず、目を細めてみる。周囲に大人の姿はない。
『あそこに子供が……』
従者は、歩き出そうとするメリルを静止させた。
『お待ちなさい。きっと転んだだけでしょう』
『ですがーー』
『今は放っておきなさいと言っているのです。殿下がお待ちしております』
『嫌です』
『なっ!? 殿下がお待ちになっていると言っているのです! 子供などに時間を費やしている暇はーー』
『では、わたくしからレイリック・グリアンデ殿下にあとでしっかりとお詫びいたします』
そう言ってメリルは踵を返し、迷わず子供のもとへ向かった。膝をつき、泣いている子供に微笑みかける。
『大丈夫ですか? どこか痛むところはありますか?』
子供は涙を拭いながら頷く。
メリルは服が汚れることも気にせず、その手を取った。
その姿を、偶然にも王城の一室から見ていたのがレイリックだった。
彼は何も言わなかった。
重鎮たちを唸らせて注目を集める今と同じように、ただメリルをそっと見つめていた。
◇
メリルを罪人として差し出してから二週間。
モーデルト国のアレクシスは、あの日から一日も欠かさずに、愛する令嬢エリザベスとの甘いひとときを楽しんでいた。
国のため、そして国民のため。
戦争回避をたった一人で担うメリルが王宮から去っていくときも、アレクシスは結局最後まで見送ることはしなかった。
「陛下ーー」
「うるさいっ!」
家臣に突っ込まれようとも、今の彼にとってはそれどころではない。
「なあ。そうだろう、エリザベス!」
「もちろんですわ! アレクシス陛下!」
数日後には、エリザベスを正式に王妃として迎え入れるのだ。その準備が優先に決まっている。
こんな綺麗な形でメリルという邪魔者がいなくなってくれたのだから、アレクシスからすれば当然だ。
これで公務に口を出されなくて済むし、自分の提案をいちいち確認されることもない。
「最高の環境がようやく整ったのだ! エリザベス、見ていてくれ! 僕はやるぞ!」
アレクシスの胸は、愛するエリザベスと自分の思い描く自由な国造りに大いに高鳴った。
だが、しかしーー現実はそうはならなかった。
外交の場で、以前ならメリルが先回りして用意していた資料がない。いつも任せきりであったためか、事前の指示さえ疎かになっていた。
あるときは、他国から届いた書状を読んでもアレクシスには相手国が何を求めているのか分からず、しまいには「メリルさまを……」と、言われる始末。
国内貴族の対立が起きたときも、どちらか一方に肩入れしてしまい、もう一方の反発を招いた。
「くそっ! 誰か事前段階で予測はつかなかったのか!!」
メリルが修正していた政策の問題点にも気づかず、事が起こってしまってからの後手対応が常習となる。
一つの判断が別の問題を生み、その問題を解決しようとした判断がさらに別の問題を生む。
まだわずかなものではあったが、それでも確実に、モーデルトの国政は徐々に陰りを見せはじめた。
◇
大国グリアンデの王子として生まれた彼にとって、『不自由』とは何よりも無縁なものであった。
『どうぞ。レイリック殿下ーー』
誰もが自分を優先するのだ。
廊下を歩けば人々は頭を下げ、何を言っても周囲は自分を肯定し、何かを頼めば誰もが即座に応じる日々。
幼いレイリックにとって、自分に対する周囲の行動は、自分や父の評価を上げるための術だと感じるようになった。
『レイリック殿下、どうかご留意ください』
『どうして? どうして僕は友達を作ってはいけないのですか?』
『いけないのではありません。ですが貴方は、未来の国王陛下となられるお立場ですからね』
自分に頭を下げる人々は、自分自身を見ているのではない。王子という立場を、地位を、身分を見ているだけ。
しかし時を経るうちに、自分が王子という立場である以上、それは仕方がないことと思えるようにもなった。
寧ろこれは一生変わることのない、謂わば定められた呪いのようなものだ。10代半ばを過ぎた辺りには、半分あきらめに近い考えがレイリックの大半を占めるようになる。
それは今も変わることはなくーー
(所詮、誰も一人の人間として見る者などいない……か)
「いいえ、レイリック殿下。それは違います」
レイリックは思わず顔を上げる。
回想から現実に引き戻されたその隣には、こちらを一点に見つめる女性がいた。
そう。彼女だけは、違ったのだ。
「ああ……そうだったな」
「殿下?」
「あ?……いや、なんでもない。続けてくれ」
「では失礼して。城下町ほど情報に溢れた場所はありません。貿易とおっしゃられるのであれば、国民の意見にこそ重要な糸口が隠れているものです」
目の前の女性だけは、自分の身分に怯えることも媚びることもない。今のように、違うことは違うとはっきり口にし、こちらの顔色を窺うこともなく自身の見解を展開する。
身分などない、普通の人間同士ならそれは至ってごく自然なことだろう。しかし、レイリックは王子だ。
なのにこの女性ときたら、自身がこれまで感じてきた身分や地位といった壁をいとも容易くすらりと飛び越えてしまうのだから驚きだった。
「随分、参考になった。礼を言う」
「お役に立てて光栄です」
きっかけはあの日。
彼女を参考人として招き、その道中、従者を振り切って子供に駆け寄ったあの日だ。
重鎮たちからの質疑応答を終えた彼女を呼び止め、レイリックはメリルと別室でお茶を共にした。
メリルのこれまでのこと、自身のこれまでのことを互いに話し、その中で見えた彼女の姿勢や態度に、レイリックは少しずつ興味を抱きはじめていた。
「そう言えば!」
メリルが何やら嬉しそうに一歩前に出て、くるりと振り返る。
「はじめてわたくしがグリアンデを訪れたあの日、遅れてしまったわたくしを殿下は咎めませんでした」
「……ああ」
少々、戸惑った。
まさか、メリルも同じくあの日のことを思い出していたとは。咄嗟に出たぎこちなさが、レイリックの足を止めた。
メリルは、自分よりも背の高いレイリックの眼を覗き込む。
「理由をお尋ねしても?」
「……面白かったのだ」
「え」
レイリックはうっすらと振り返り、メリルは目を丸くして驚いた。
「あの日、君は従者から俺が待っていると聞かされたのにも関わらず、あとで詫びると言って子供に駆け寄った」
「……」
「グリアンデの王子殿下よりも優先したのだ。自分の行動を」
「……申し訳ありませんでした」
「なぜ謝る? 俺は面白かったと言っている」
「え」
「グリアンデの王子殿下よりも自分の信じた行動を優先する令嬢……ははっ! 実に面白い」
(この人……本当に笑っているわ)
「あのときは何も言うことなく立ち去ったが、別に怒っていたわけではない。そして今も言った通り、君は詫びる必要もない」
「そう言うわけにはーー」
「君は君の判断で思った通りに行動し、あのときも、そして今も、『子供』を遅れた言い分にせず、こうして俺に頭を下げている。……十分じゃないか?」
メリルからしても、衝撃だった。
罪人としてグリアンデに赴くまで、幼少期の頃からずっとあのアレクシスの側にいたのだ。
このレイリックはアレクシスとは違う。
彼は、「君は君の判断で行動した。それでいい」と言ってくれる人であり、自分の考えや判断を否定せず、それでも自分を尊重してくれる人。
メリルは少しだけ呼吸を整えてから、レイリックの顔を見た。
「あの、ありがとう……ございます……」
それでもぎこちなかった。
レイリックはそんなメリルを見て微笑む。
「礼はいい。今日もお茶につきあってくれればな」
「もちろんです、喜んで!」
レイリックは生まれてはじめて、自分を身分ではなく一人の人間として扱う女性に出会い、メリルもまた、自分の考えや価値観をはじめて尊重してくれる男性に出会えた。
それは同時に、胸の奥に今まで感じたことのない感情が生まれた瞬間でもあった。
◇
「……最近、妙に表情が柔らかくなられましたな」
「彼女を見ていると、ついな」
レイリックの言葉通り、その後もメリルは変わらなかった。
王宮で働く者が困っていれば声をかけ、自身のミスから食事を十分に取れていない使用人がいれば、これからは相談してください!と、自分の料理を分ける。
民から届いた陳情書にも目を通し、一つでも困っている人間がいるなら放置しない。
しかもレイリックからすれば、彼女はどうもそれらを特別なことだとは思っていないように見えた。
「だって、わたくしにできることならしたほうがよいでしょう?」
「……そうか」
そう言って笑うだけ。
レイリックは、そんなメリルから目を離せなくなった。
やがて国境問題は、メリルの提案によって速やかに解決へと向かった。戦争は回避され、そしてメリル自身も当然、罪人として裁かれることはなかった。
最初から参考人程度の解釈ではあったが、もはやグリアンデ王国にとって、彼女は参考人でも罪人でもない。
優れた知識を持ち、国を思い、目の前の人間を大切にする一人の美しい女性。レイリックはある日の晩、そんなメリルを自国へ正式に迎え入れたいと父王へ願い出た。
「かまわん。レイリックよ、お前が決めたことに私は国王としてではなく、父親として賛同する」
「ありがとうございます」
そして翌日、レイリックは思いの丈をメリルに打ち明かした。メリルが、グリアンデにきてから日課となったお茶の席でのことだった。
「……本当に、わたくしを……?」
「ああ。もう、俺には君以外あり得ない」
従者も、メリルにつけた侍女もいない二人きりの時間。火照った頬を両手に埋めるメリルは、嬉しそうにゆっくりと頷いた。
二人の婚約が正式にグリアンデ国全土へと告知されるまで、そう長くはかからなかった。
◇
わずか半年ほどで、モーデルト国はかつてないほどの混乱に見舞われていた。
外交は滞り、国内貴族の対立は深まり、政策は次々と失敗する毎日。
アレクシスは頭をかきむしりながら、テーブルを力一杯叩いた。
「くそぉぉぉっ!!」
「陛下、あまり興奮されるとお身体に毒ですわ」
「黙れっ!! エリザベス、君がもう少しまともなら……!!」
「な、なんですって!?」
国王陛下と王妃がこのありさまだ。国民の、この二人に対する不満が日に日に増していくのも当然だった。
それでもアレクシスは認めなかった。
自分の判断が間違っているなどとは、決して。
(そうだ……)
よく思い返してみる。
そもそもの話、他国との外交やその交渉を今まで誰が担っていたか。政策や修正案は誰が出していたか。貴族同士の揉め事をきれいに火消ししていたのは誰か。
「メリルだっ!!」
「へ、陛下……突然、いかがされましたか!?」
狼狽える家臣をよそに、アレクシスはニヤリと気味の悪い表情を浮かべて言った。
「メリルさえ!! あいつさえ戻ればすべては元通りになるっ!!」
そう結論づける。アレクシスの中で原因はあくまでメリルであり、また家臣からすれば、アレクシスはどこまで行ってもアレクシスだった。
そうは言っても自国の国王陛下だ。呆れからくる表情を固く無表情に固定し、ため息を圧し殺しながらそれでもはっきりと口を開いた。
「……陛下自ら、罪人としてグリアンデへ差し出したのでは?」
「だ、黙れっ!! 貴様、国王であるこの僕に意見するつもりか!!」
「いえ」
もう、何を言っても無駄だった。命令を受けた使者は、すぐにグリアンデ王国へと向かった。
数日後ーー
「ふ……」
届いた書状を見たレイリックは静かに笑い、すぐさま一通の返書をしたためた。
後日、その返書を目の当たりにしたアレクシスは、王宮の広間に家臣を集めてこう高らかに宣言する。
「これよりメリルを連れ戻すため、私自ら敵地グリアンデへと赴く! 罪人として囚われているメリルを救いだし、なんとしてでも奪還することをここに約束しよう!」
「陛下、おやめください」
「な!なんだと!?」
「お言葉ながら、モーデルトとグリアンデでは規模から格式、軍事力から財政力に至るまで何もかもが違います。いくらモーデルト国王陛下のアレクシスさまとは言え、事前の約束なしでは門を通過することさえ叶いません」
「ば、馬鹿を言うな! この返書にもわざわざ『招待する』と明記してあるのだぞ!!」
「その下にしっかりと指定日が記されています。今は、その日を待ちましょう」
アレクシスはよほど悔しかったのだろう。ギシギシと歯を立てながら無言でその場をあとにした。
そしてグリアンデ王国からの指定日ーー
ここへ来る道中、そして今も。やけに近隣諸国の名だたる貴族や王族の姿が目についた。
とくにグリアンデ王国記念日でもないこの時期にして珍しく、港には祝福を表す白い旗がかけられ、街中全体がまるでパーティーを催しているような雰囲気だ。
「モーデルト国アレクシス国王陛下御一行ですね。ようこそお出でくださいました。どうぞお通りください」
「お前たち、なにを見上げている! さっさと行くぞ!!」
とくに気にする様子もないアレクシスは、モーデルト国アレクシス陛下一行としてグリアンデ王城へ通された。
王城内の正門前広場だというのに、やけに民衆が多い。先ほどすれ違った貴族や隣国の王族たちも、続々と広間を抜けて王城内に入っていく。
「アレクシス陛下、我々も中へーー」
「メリルっ!!」
促す家臣を払いのけて、アレクシスは声を上げた。
相変わらず民衆に囲まれて、愛想よく笑顔を振り撒く素振りも変わらない。
アレクシスの目に、探し求めた姿が映った。
「メリル……メリル、メリル!!」
近付くたびに声量が増し、はやる足が止められなくなる。アレクシスはメリルの前に堂々と立ち、そこから意外にも、気味の悪い表情から穏やかな笑みに変えて言った。
「久しぶりじゃないか!」
「ええ。お久しぶりです、アレクシス・モーデルト陛下」
メリルは至って冷静に、純白のドレスの袖をつまみながらきれいな一礼をした。隣には、見知らぬ青年がいる。どこか見た顔のようにも思えたが、今はそんなことどうでもいい。
「メリル、喜べ!! 僕が直々に迎えにきてやったぞ!!」
アレクシスは疑わない。
生まれ故郷の、国王陛下の、元婚約者の、幼少期から共にすごした、この自分が迎えにきたのだ。
答えなど一つしかない。そう自信満々に両手を広げた。
「アレクシス陛下」
「ああ!! これからはずっと僕の隣でーー」
「貴方に必要とされる人生は、罪人としてこの国に赴いた日に捨て去りました」
「え…………え、えっ!?」
思わずアレクシスの顔が固まる。こちらの言葉が理解できていないかもしれないが、もういい。
「せっかくのお迎え、痛み入りますが、わたくしは自身の人生としてこの先を歩もうと思っています」
「じ、自分の人生……? 待ってくれ、メリル!! 僕は!!」
慌てて一歩近づく。
「そ、そうだ……いいことを思いついたぞ! もう一度我が国の王妃となれ! 今度は、少しはお前の意見も聞いてやる! どうだ!?」
「思いつきで王妃をお決めにならないでください。貴方の国に住む国民は、貴方の奴隷ではありません」
「くっ……! その口調、相変わらずだな! まあいい。そんなお前ですら、僕は受け入れよう! 王妃になれば富も生活も、そのすべてが自由だ!!」
「必要ありません」
「な、なにっ!? 必要ない!?」
「ええ。富も生活も、そして貴方も」
アレクシスは絶句した。
自分が捨てたことは分かっていたが、必要と言えば必ず戻ってくる。今までがそうであったように、今回もそうだと思っていた。
だがメリルの目には、もうアレクシスを必要とする感情などは欠片も残っていない。まっすぐ見つめられる彼女の視線が、はじめて痛いと感じた。
「やはりお前は……婚約破棄や罪人でも生ぬるい!! 今度こそ、不敬罪として処刑してやるーー」
「それは聞き捨てならないな」
一歩離れて二人のやり取りを見ていたレイリックが、メリルの隣へ歩み出る。
「我が花嫁に対して、えらく失礼な輩もいたものだ」
「は……花嫁?」
アレクシスが呆然と呟くが、ここではじめて気づいた。
純白のドレス、メリルが身につけている衣装はどこからどう見ても花嫁衣装ではないか。まさか指定日というのは……混乱するアレクシスだったが、レイリックは待つ素振りもない。
「彼女はもう、お前の国の罪人ではない。俺が愛する、グリアンデ王国の未来の王妃だ」
「っ……!!」
自分が不要だと思って捨てた女性。自分ならば、いつでも取り戻せると思っていた女性。その女性は今、自分より遥かに大きな国の王子に選ばれている。
しかも。自分を見下すこともなく、ただ一人の女性として大切にされているとは何事だ。アレクシスには、その現実を受け入れられなかった。
「どうする? 帰り道は向こうだが、大人しく引き上げるなら見逃してやる」
そう言われてしまえば、もはや受け入れるしかなかった。
こうして、グリアンデ王国から退去を命じられたアレクシス一行は、とぼとぼとモーデルト国へと帰還した。
もちろん、その後もモーデルト国の衰退は止まらない。
愛したエリザベスに逃げられ、家臣は離れ、かつて国を支えていたメリルすらも自らの手で追放した身勝手な国王陛下、アレクシス・モーデルト。
彼は最後まで、他人に責任を押しつけた愚かな王として近隣諸国に記憶され、歴史に名を残すことになった。
◇
アレクシスが押しかけた日に催された『披露宴』、そこから数日後。グリアンデ王国ではメリルとレイリックの結婚式が執り行われていた。
かつて罪人として差し出された彼女は、今では誰よりも大切にされる花嫁となっていた。
メリルは隣に立つレイリックを見上げる。視線に気づいたレイリックは、穏やかに微笑んだ。
「メリル」
「はい」
「これからは、君自身の人生を歩め」
メリルは微笑む。
「はい。貴方と二人で」
そう言って差し出されたその手を、レイリックは優しく受け取った。
これからは共に歩もう。
グリアンデ王国の王子とその花嫁として。そして、一人の男性と一人の女性として。
レイリックの笑顔が、優しくそう語った。




