外れ鬼
いいかい、子鬼。
ばばの話をようくお聞き。
現世ってのは、そりゃあ怖い所だ。
人間は寄ってたかって鬼を叩く。殴るわ蹴るわで、オマケに角だって引っ張られるんだ。絶対に現世に行っちゃなんないよ。
特に如月。
如月の月は、身が縮こまるほど恐ろしい目に遭うからね。
だからどうか、行っちゃあいけないよ。
※ ※ ※
「ひ、っひく……」
子鬼は身をまんまるくして泣いていた。
深い森の、大きな木の虚の中だ。
あちこち殴られ蹴られた身体は、痣だらけの血だらけ。
その上自慢の二本角には、固い芋が刺さったままだ。
意地悪な人間が、「いらない鬼っ子には芋角が似合う」と笑いながら刺したのだ。
悔しい。
子鬼はいらなくない。ばばさまは毎日、かわいいかわいいと撫でてくれる。芋角なんてひどい。
抜こうと一生懸命に引っ張ったけれど、抜けなかった。
いつもはかっこいいのに、こんなのはかっこ悪い。
拭っても拭っても溢れる涙を、擦り切れた手の甲でぐいと擦る。
懐かしい人間の匂いや温もりは、子鬼をただ突き離しただけだった。
「ばばさまの言ったとおりだ……」
ここは恐ろしい。
山の動物は腹が減ってなければ襲いかかってきたりしないのに、人間は違う。腹が減っていなくても子鬼を引き倒して殴った。
空が見えなくなるほどの影で囲んで、ひどい言葉を口にしながら殴った。
「うぅ」
身体中が痛い。
言いつけを破った子鬼が悪いのかもしれない。けれども、もっとずっと、人間の方が悪い。
芋を刺して、山を指して、おまえの母さんはあそこだと笑った。
(だいきらいだ、こんなところ)
早く帰りたい。
でも、傷だらけで帰ったらばばさまが心配する。
だから身を丸め、立てた両膝を片手に抱える。
子鬼は掴んだものをひとつ撫でた。
腹は減っていない。
じっと見てから、噛み砕く。
鬼は強い。
このくらいの傷はすぐに癒える。
癒えたら、山のもっと奥の奥。
人間が知らない山神の袂から、隠り世へ帰ろう。
──鬼は、外。
閉じた瞼の裏に、嫌な声が木霊する。
石を投げつけながら叫んだのは、人間の子どもたちだった。
鬼っ子は手が悪い。
鬼は口が悪さする。
やっつけろ、やっつけろ。
喰われたくなきゃ石投げろ。
笑い声の混ざったその歌が、耳にこびりついて離れない。
聞きたくなくて、両手でぎゅうとトンガリ耳を押さえつけた。
刺さったままの芋の重みに、顔が勝手に下を向く。
剥き出しの足を撫でるのは、冬の風だけ。
狭苦しい虚に満ちるのは、馴染んだ匂い。
しばらくそうしていたら、山はしんと静まり返って暗くなった。
まんまるの月を背負った、長細い影が子鬼の足元を引っ張る。
ゴシゴシと涙を拭う。
ばばさまの優しい声が子鬼を呼んだ。
子鬼や、子鬼。
迎えに来たよ。
ほうれ、ばばの手をお取り。
「ばばさま」
泣きすぎて嗄れた喉で返した。
虚から這い出て、一本角の影へと両手を伸ばす。
冷たい影に包まれた子鬼の角から、芋が抜け落ちる。
哀れで愛しい半端な子。
おまえにはばばしかいないんだよ。
子鬼はただ、人間の父さんに会いたかった。
ずっと昔の節句のこの日に、現世に行ったきり戻らなかった父さんに。
父さんを探しに行った、母さんに。
そうさ。
ばばと還るんだ。
ずっと、ずうっとね。
ばばさまの声が夜に沈んでいく。
子鬼はようやく安心して目を閉じた。
月に照らされた細長い影が揺れる。
子鬼が背にしていた虚の奥で、穴の空いた小さな丸が転がり落ちる。抜け落ちた芋と並んだそれに、角はない。
口と両手を染めた子鬼に、ばばさまは、ああと呟いた。
腹が満たされた子鬼の傷が癒えていく。
「ばばさま、あのね」
痛みがすっかり消えた子鬼は思い出した。
優しい優しいばばさまを見上げる。
「ぼく、もうひとりじゃないんだよ」
父さんが子鬼にくれた、宝物はここにある。
母さんを木の根に埋めて、子鬼から取り上げた。
だからこれはその代わり。
父さんの匂いを半分持った、子鬼によく似た宝物。
「ぼく、ほんものになったんだよ」
そうかい。
……そうかい。
にこにこと腹を撫でる子鬼に、ばばさまは短く頷いた。
おまえは、選んじまったんだねえ。
それなら何処か、遠くとおくへ行こう。
現世も隠り世も、如月の鬼にゃあ冷たいからねえ。
ばばがおまえを、袂に隠してやろうねえ。
その手が震えているのを不思議に思う内、意識はまんまるく、闇に呑まれた。




