五日の残火、玉座の残響
闇咲家の最下層、煮炊き場。かつて空間を削り取った零の手は、今や巨大な薪割り斧を握りしめていた。
「……っ、がはッ!」
一振りするたびに、音霊に砕かれた肋骨が悲鳴を上げる。妖力という「膜」を剥ぎ取られた肉体は、ただの脆弱な器に過ぎない。
「おい、無能! 手が止まってるぞ!」
見張りの下っ端門下生が、零の背を蹴り飛ばす。泥の中に顔を突っ伏した零は、震える腕で地面を突き、ゆっくりと立ち上がった。
(……あいつを、殺す。彩を食ったあいつを、地獄に引きずり下ろす。そのためなら、この身が炭になっても構わない……!)
妖力が使えないなら、筋肉を、骨を、血を、限界まで研ぎ澄ますしかない。零の瞳には、かつてないほどに昏い「意志」が宿っていた
「……相変わらず、不器用な男だな」
物陰から現れたクロウは、薪を割る零の「呼吸」の乱れを指摘した。
「影を使えないなら、空気の振動を読め。お前は今まで、妖力に頼りすぎていた。肉体そのものを『音』の一部にするんだ」
クロウは闇咲家に伝わる特殊な呼吸法「隠影息」を、暗に零に伝えた。妖力を使わぬ身体強化の秘術だ。
「……なぜ、俺を助ける」
「……お前が死ねば、俺の敗北が確定する。それだけだ」
二人の間に、血筋を超えた「敗者同士」の奇妙な信頼が、音もなく芽生え始めていた。
三日目。零の全身の皮が剥け、新しい皮膚が再生を始める。四日目には、薪割りの速度が常人の三倍に達していた。
妖力という「熱」を失ったことで、零の感覚は逆に鋭敏になっていた。風の流れ、草の揺れ、土の湿り気。
(……見える。妖力がなくても、世界は動いている……!)
かつて『空穿』で無理やりこじ開けていた空間の隙間を、今は「気配」として感じ取れるようになっていた。。
五日目の夜。闇咲家の地下深くに、異様な「震動」が走った。
それは、遥か遠く「中央管轄」の封印の地から響く、人知を超えた咆哮。
暗黒の玉座に座る、古代日本の王。
彼は、彩から奪った「純白の神格」を、汚泥のような呪力で染め上げながら、独りごちた。
『……聞こえるか。この、世界が崩壊する不協和音が』
王の声は、直接零の脳内に響き渡った。
『愛しき妹よ、案ずるな。お前の兄もじきに、私の奏でる終わりの歌の一部となる。……神の器を捨てたあの泥屑が、どこまで抗うか。……ふふ、見せてみよ。その無力な絶望が、最も芳醇な香りを放つのだ』
零は、割れた斧を握りしめたまま、天を仰いだ。
呪いによる「沈黙」で声は出ない。だが、その全身から溢れ出す殺気は、周囲の影を震わせるほどに濃厚だった。
五日間で、零の肉体は「暗殺者の器」へと変貌を遂げた。
妖力が戻るまで、あと八十五日。
しかし、世界はその三ヶ月を待ってはくれない。五大深淵の各管轄で、土蜘蛛の大量発生が報告され始めていた。




