境界の残光、あるいは捕食者の系譜
五大深淵の一角、黒の家系「闇咲」の門を叩く依頼は、常に血の匂いがした。
今回の依頼主は、中央管轄の境界付近を牛耳る地主の一族。表向きの理由は「山に迷い込んだ娘の捜索」だが、闇咲が受け取った裏の報告書には、より不吉な一文が添えられていた。
『――境界の結界に、内側からの食い破りあり。怨量の震動を確認』
五大深淵にとって、民間人の命は二の次だ。彼らの真の目的は、古代王の復活を告げる「楔」の破損を防ぐことにある。
「……今回の標的は、土蜘蛛の幼体群だ。民間人の生死は問わんが、怪異の『核』は一つ残らず回収しろ」
闇咲幽玄の冷徹な指令を受け、零とクロウは夜の闇へと放たれた。
少女・サキがその「廃寺」に足を踏み入れたのは、単なる不運ではなかった。
彼女は、行方不明になった弟を探して山に入った。だが、山道を進むうちに、耳の奥で「キーン」という不快な高音が鳴り響き、景色が歪み始めた。それは、怨霊王の陣営が放つ、人を誘い込む呪術的な共鳴音――「音量」の罠だった。
気づけば、彼女は朽ち果てた本堂の天井から、粘りつく銀色の糸で吊るされていた。
「……だ、れか……。たすけて……」
足元には、同じように糸に巻かれた弟の無残な姿がある。そして影の中から、カサカサと硬質な音を立てて、赤子のような顔を持った醜悪な蜘蛛たちが這い出してくる。少女は恐怖のあまり、叫ぶことさえ忘れ、ただ死の抱擁を待つしかなかった。
その瞬間、本堂の重い扉が、影の爆発によって吹き飛んだ。
「……いたな。ヘドロの臭いがする」
現れたのは、漆黒の装束に身を包んだ二人の少年。先行する闇咲クロウは、指先から影の糸を放出、空中で鋭利な針へと結実させた。
闇咲流暗殺術:『影縫い・千本針』。
「墜ちろ、醜鬼ども。貴様らに流す血はない」
クロウの放つ影の針が、流星のごとき速さで土蜘蛛たちの急所を正確に貫き、地面に縫い止めていく。無駄のない、エリートらしい「技術」の極致。
しかし、その隣で繰り広げられた零の戦いは、もはや技術と呼べるものではなかった。
「……消えろ」
影から土蜘蛛の背後に湧き出した零は、無銘の短刀を逆手に取り、妖力を全開放する。
近接破壊術――『空穿』。
短刀が殻を裂くのではない。刃が触れた箇所から、土蜘蛛の肉体が「削り取られ」、そこにあるはずの空間が消失する。断面からは血さえ流れず、ただその存在が「無」へと置換されていく。絶叫を上げる暇さえ与えず、零は次々と怪異の群れの中に飛び込み、その存在を次元ごと消去していった。
幼体たちが一掃されようとしたその時、廃寺の本堂の奥から、ひときわ巨大な怨量の波が溢れ出した。
姿を現したのは、成体に近い大きさの土蜘蛛。その背中には、老婆のような人間の顔が浮かび上がっていた。
『……アハ……アハハ……。いい匂い……。神の、残り香がするねぇ……』
その土蜘蛛が発した、湿り気を帯びた「言葉」に、零の動きが止まる。
「……今、何と言った」
『……お前の中に……あの子が……白い神様が、混じっている。……あの娘は、美味しかった。あんなに清らかな魂は、数百年ぶりだったよ……』
怪異は、彩を喰らった記憶を通じて共有しているかのように、歪んだ笑みを浮かべた。
零の瞳から一切の情動が消え、深い、底知れない「無」の色が広がった。妖力が周囲の空気を吸い込み、気圧が急激に変化する。
「そうか。お前たちは、まだ彩を覚えているんだな。……それなら話が早い」
零の手のひらで、無色の妖力がかつてない密度で凝縮され、周囲の空間がミシミシと悲鳴を上げる。
「一匹残らず胃袋の中まで抉り出して、その記憶ごと消してやる」
零が踏み込んだ瞬間、空圧だけで廃寺の屋根が粉々に吹き飛んだ。
その凄まじい「消滅」の戦いを、遥か上空の雲の上から冷徹に見下ろす影があった。古代日本の王の側近――「音霊」。
「……見つけたぞ。王を継ぐべき『器』に、不純な泥(影)を混ぜた不遜な種を。神格を宿した兄妹の、残された片割れを」
零の復讐劇は日本を二分する戦乱へと加速していく。




