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二.暗転

 ある日、いつものように蕙蘭(けいらん)の殿舎を訪ねると、見慣れない年若い女官が取り次いでくれた。理知的な瞳を何がしかの感情で強く輝かせる彼女の姿は、妙に芙澤(ふたく)の心に残った。

 出迎えてくれた蕙蘭に、その女官について尋ねると、彼女は屈託(くったく)なく微笑む。


「新しく来てもらった子なの。ようやく皆に合格点をもらえたから、お客様のお出迎えも任せてみた」


 どこか誇らしげに語る蕙蘭に、芙澤は目を瞬かせた。蕙蘭はそんな友に気づかず、訥々(とうとつ)と語った。


「……二月ほど前だったかな。書物で読んだ珍しい植物を探して、昭瑶(しょうよう)が後宮で迷子になってしまったのを、洗濯物を届けに来たあの子が助けてくれて。お礼は何が良いか聞いたら、『侍女にしてくれ』って言うから」


 司率局(しそつきょく)の女官に指導を受けたのち、実地で学ばせているのだという。

 妃付きとなった女官は、身なりや健康に気を遣う必要があるため、給金なども跳ね上がる。その生活に掛かる費用の一部は、妃自身の扶持から捻出される決まりだった。子の養育にかかる費用は別途支給されるが、その額は母妃の身分に大きく比例し、足らなければ持ち出しだ。中級妃の下層におり、実家も裕福とは言えない彼女たちには、一人使用人が増えるだけでも負担は大きい。


 「化粧料(けしょうりょう)は苦しくなっちゃったけど、何とかなるでしょう」と微苦笑する彼女が何故か眩しくて、芙澤は咄嗟(とっさ)に後ずさった。

 干上(ひあ)がったように喉が渇き、早鐘(はやがね)を打ち始めた鼓動が苦しい。

 拳を握り締めていなければ、何か、取り返しのつかない何かが口から零れ落ちてしまいそうで、芙澤は懸命に浅い呼吸を繰り返した。

 蕙蘭が(いぶか)しげに首を傾げ、芙澤を見ている。


「芙澤?」

「……ごめんなさい、蕙蘭様。用があったのを忘れていました。また後日お邪魔しても良いですか?」


 誤魔化すように笑い、芙澤は一方的にそう告げて踵を返した。何かを言いかけた蕙蘭の声を振り切り、部屋を飛び出す。

 外に控えていた芙澤の侍女が驚いたような声を上げて追ってくるが、彼女は振り返らずに自身の殿舎に足早に戻った。





 息を切らしながら自室に飛び込み、芙澤(ふたく)愕然(がくぜん)と顔を覆った。


(どうして……? 私、蕙蘭(けいらん)様が大好きなのに)


 新しく侍女を迎え入れたことを、今日まで知らされなかったことが、寂しかったこともある。彼女にとっては些細(ささい)な日常の変化で、話すまでもないことだったのかも知れない。だが、芙澤にとって蕙蘭は、何でも話せる姉のような存在だった。彼女にとって自分は、数多(あまた)いる夫の側妃仲間の一人でしかないのだろうかと、不安になった。


 そしてそれ以上に、(ねた)ましく思ってしまったのだ。


 皇帝に召されなくても、周囲に何を言われようとも、堂々としている彼女を。

 彼女の揺るがなさの根幹であろう、娘の昭瑶(しょうよう)の存在を。

 皇后(ちょう)氏や、(おう)雅妃(がひ)からも密かに一目置かれている、その存在感を。

 簡単に他者に手を差し出せる、その余裕を。



 自分と同じようでいて、圧倒的に違う「何か」に、芙澤はひどく打ちのめされていた。







 後日と言い置いておきながら、芙澤(ふたく)はその後、蕙蘭(けいらん)を訪ねられずにいた。


 その間に一度、皇帝に夜伽(よとぎ)を命じられたことは、彼女の耳にも届いただろう。蕙蘭は特に何も言わず、朝礼で顔を合わせてもいつも通りだ。芙澤が勝手に、わだかまりを噛み砕けずにいるだけなのだ。



 自身の中でぐるぐると渦巻く様々な感情を、芙澤が持て余していたある日。突如、蕙蘭が朝礼に姿を見せなくなった。


 ある日の朝礼で、何かあったのかと尋ねた芙澤に、皇后は「(しん)貞花(ていか)は体調が優れないとのことで、回復するまで、朝礼は休ませることになりました」と告げる。ざわつく周囲を他所(よそ)に、芙澤は目を見開いていた。そんな彼女を制するように、(ちょう)皇后は続ける。


「他にも異変を覚えている者がいれば、速やかに申し出ること。沈妃の殿舎を訪ねることは、しばらく禁止といたします」


 悪意を持って何事かを囁き合う周囲の言葉など耳に入らず、芙澤は蕙蘭の殿舎の方角を見やった。


(蕙蘭様……。元気になられたら、今度こそ会いに行こう)





 けれど彼女の決意を(くじ)くように、一旬(いちじゅん)を過ぎても蕙蘭(けいらん)は姿を表さなかった。

 小雨の降る初夏の朝、隣の殿舎が俄に騒がしくなり、芙澤(ふたく)は驚いて侍女を呼んだ。


「何があったの?」

「分かりません……。見て参りましょうか?」

「そうね。……いえ、私も行くわ。(れき)少監(しょうかん)を呼んできて」


 彼女付きの宦官を呼びに行くよう伝えると、侍女は頷いて駆け出した。だが彼女はすぐに、焦ったように部屋に戻ってくる。


「大変です! 沈貞花が突如、血を吐いて意識を失ったと……!」


 芙澤は咄嗟に立ち上がった。血相を変えて部屋を飛び出そうとする彼女を、侍女が懸命に押しとどめる。


「いけません! 伝染する病ではないか、内廷医官の診察が終わるまでは……!」

「そんな……蕙蘭様!」


 顔面を蒼白にした芙澤は、侍女と押し問答の末に、全身を震わせてその場にへたりこんだ。




 三日後、皇后に集められた妃たちは、蕙蘭の病状についての詳細を聞かされた。ちなみに、蕙蘭が血を吐いたと聞き、内廷(ないてい)医官を派遣したのは皇后だと、風の噂で聞いた。それ以前もそれ以降も、医官が蕙蘭の処置をしている様子はないと。

 (ちょう)皇后は珍しく沈鬱(ちんうつ)な顔で、重い声で呟くように言った。


「咳や高熱など、伝染病を疑うような症状はないそうです。肌に異変もないので、疱瘡(ほうそう)の類でもないと。……ただ、腹のあたりに医官が触れると、(ひど)く痛みを訴えたそうです。我慢強い彼女がそのような反応を見せたのは……恐らく内腑(ないふ)の病で、本人も気付かぬうちに進行していたのではないかと。正直に言って、もう、手の(ほどこ)しようがないとのことでした」


 衝撃的な内容に、芙澤は呆然と皇后を見つめる。彼女は深く息を吐いたあと、再び口を開いた。


「見舞いは構わないそうですが、口元は厳重に覆い、殿舎に戻ったあとは必ず手を洗って、念の為、三日は殿舎から出ず待機すること。異変を感じれば、すぐに内廷医官へ申し出なさい。良いですね?」


 重々しく告げた皇后の陰で、しかし幾名かの妃が囁きを漏らした。


「……あんな人、誰が見舞うって言うのよ。ねえ?」


 口さがなく言い合う誰かの声に、芙澤の頬が瞬時にカッと赤く染る。背後を振り返りかけた彼女はしかし、皇后が上げた険しい怒声に固まった。




「──今の発言は誰のものか!」




 いつも理知的で落ち着いている彼女が、今は顔を真っ赤にして拳を震わせている。しんと静まり返った妃たちは、中級妃として部屋の隅に(たたず)む二名──()貞儀(ていぎ)()媛花(えんか)を見やる。趙皇后は空間が震えるような大声で、気まずそうに俯いた二人の中級妃に告げた。


(しん)妃は確かに、中級妃の最下位に()る。けれど彼女は、陛下の即位前から連れ添う妻で、皇女の母です! 立場を(わきま)えなさい!」


 本気の怒りを滲ませて、肩で息をする皇后に(なら)うように、(おう)雅妃(がひ)も冷ややかな眼差しを背後に向けている。ばつが悪そうに黙り込んだ若い妃たちをもう一度睨み、皇后は荒い呼吸のまま解散を命じた。


「──(さい)貞容(ていよう)


 ぞろぞろと皇后の殿舎の大広間を出ていく集団の最後尾に着いた芙澤は、趙皇后に呼び止められ、驚いて後ろを向いた。彼女は真剣な面持ちで、芙澤に告げる。


「時間はあまり、残されていないかも知れません。後悔のないように行動しなさい」


 息を飲み、芙澤は震えながら皇后の前を辞した。






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